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1 Station to station

 

 東京、四月。もう桜は散った。

 首都高速の下、六本木通りから入って駒沢方面へ向かう道。

 通りに面した角の所にベーカリーがある。

「サンジさんじゃないですか」

 ウィンドウを見ていたら声をかけられて、誰かと思った。

 自分を知っていて下の名で呼ぶ人は限られているはずだ。


 顔を見ると、数年前によく立ち寄っていたバーのカウンターにいた若者だ。

「おお、ヨウジか、久しぶりだなあ」

「仕事の途中ですか?」

「うん、きょう来たばっかりだ、ヨウジはここらへんに住んでんの?」

 ヨウジは店を出てきたところで、腕にパンの入った袋を抱えている。


「結婚して、もともと連れのいたとこに越してきたんですよ」

「そうか、そりゃおめでとう……ひとりで買い物?」

「これから遅い朝メシなんですよ、パンにハムとかチーズ、バイキングみたいに好きなものをはさんで食うんです、最近それに凝ってて」

「新婚さんでそれか、なんか楽しそうだな」

「とんでもないすよ、もう三十と四十ですから」

「そうだったの? 姉さん女房か、それもいいな」

「サンジさんだったら知ってるんじゃないかな、『マーサ』でママやってる……」

「明子さん? 話したことはあるよ……へえ、ヨウジと明子さんか、意外と合ってそうだね」

「いつのまにか、そうなっちゃって」


「こんど、あそこらへんに行ったら寄せてもらうよ」

「よろしくお願いします、オレも近所でまた別の店を出してますから」

「がんばってんなあ……まあ、よろしく」

 店を出てすぐのところが横断歩道になっている。

 信号が変わって、サンジはヨウジと別れ、骨董通りへと歩きだした。



 サンジは昼食をとろうとしていた。

 仕事でいろいろなところへ行くが、南青山に呼ばれたのは初めてだ。

 学生の時、ここの大学に入った友人に会いに来たことがある。

 それ以来とくに縁がなかった場所で、どこで食事をしようか、土地勘がない。

 通りのカフェを眺めながらすこし歩いた。

 続けて通う予定だから、路地裏の安い定食屋とかがもしあれば、そのうちに見つけるだろう。

(そういう街じゃないか)

 いまは時間がない。目についたレストランに入った。


 ランチのメニューは、鶏肉とチーズをサンドイッチにしてオーブンで焼いたものだった。

 洋酒入りのシロップを()ませたパンのようなものが添えてあって、生クリームをつけて食べる。

 それにサラダ。あまり大人の男にとって食べでのある食事ではない。

(このドレッシングは、まあ旨いな)

(オリーブオイルに、少量の酢、バルサミコ……じゃないか)

 サンジは料理に詳しいわけではないが、そうやって素材が何かと考えることはある。

 食後に、冷たいカフェラテを頼んだ。

 これから少なくとも八時までは、最後の休憩になると思う。


 背の高い欧米人の男がサンジの前を横切って、はす向かいに座った。

 年輩のウェイトレスがやってきて、水の入ったグラスをどんと音をさせて置く。

 男は、オーダーが決まってから呼ぶという内容のことを言ったようだった。

 彼女が去った後、男は備えつけてある紙ナプキンを何枚か取った。

 テーブルについたグラスの水跡をていねいに拭いている。

 なんとなく見ていたサンジは(イギリス人かな)と思った。

 英国人がみんなそういう性格だというわけではないが、そんな感じがした。


(他人を観察する趣味は、あまりよくないかもしれないな)

(もう一本、煙草をすってから出よう……)

 さっきとは別のウェイトレスが食器を下げに来た。

 顔は見えなかったが、歩き方と姿勢でまだ若いとわかる。

 背中を向けて隣のテーブルも片付けている。

 なんとなく見てしまうのは行儀悪い気がした。


 視線を外した。

 そこに鏡の貼られた柱があって、自分の顔が映っている。

 片付けを終えた女性が両腕にトレイを抱えて、通路のほうへ向き直った。

 鏡の中で目が合って、彼女のほうが笑顔をつくった。

 智佳(ちか)だった。


(それで、なんか変な感じがしたんだな)

 店を出たあとにそう思った。

 なん年かが経っていても、一緒にいた雰囲気の記憶は残っているものだ。

 智佳の腰のうしろのやわらかい肉の感触が蘇る。

 これから仕事をするのに邪魔になる、そう考えて、それ以上は彼女とのことを思い出さなかった。



 三時に十五分間の休憩があって、携帯に電話がかかってきた。

「あたし」

「おう、ちょっと待ってくれ」

 休憩室を出て、廊下の窓際へ行く。

 とくに考えていなかったが、智佳から電話がかかってきたことは意外ではない。


「お待たせ」

「番号、変えてなかったんだ」

「そっちからいつ連絡があるかと思ってね……いや冗談だよ、べつに変える必要なかったし」

「なんで青山にいるの」

「なんでって、知ってるだろう、おれは呼ばれたらどこでも行くんだよ」

「がんばってるんだね」

「いや普通だよ、そっちこそ、昼間カタギの商売やってたんだ」

「そりゃあね、もう若くないし」

「若くないって、まだ二十四だろ」

「覚えてたんだ」

「それぐらいはね」

 こんど会って食事でもしようと、どちらが言い出すのかと思った。

「また連絡しても、いいかなあ」

「おう、時間があったらメシでも食うか」

「その時はよろしくね」


 智佳のほうから電話を切って、サンジは、済んだかと思った。

 これで、電話があればそこへ行けばいいし、なくても忘れていればいい。

 彼女に対しては、そういうふうに接するしかない。

 二年間のつき合いで得た経験則だ。



 会社を出たのは九時過ぎだった。まだ社内には何人か残っている。

(初日だから、小手調べで九時ってことだよな……)

 残業というより自分の仕事が終わるまではやるという業種なので、そんなものなのはわかっている。

(もう仕事をするしかないんだから、望むところだ)

 とにかく家に帰って、睡眠をとろう。

 通りを歩きながら、どの道も微妙に坂道で意外と足にくることに気づいた。

 たいしたことはないと思っていた疲れが急に意識されて、まる半日なにも入れていない腹が音を立てて鳴った。


 青山の交差点まで来ると、小柄な女の子がしきりに通行人の顔を見ているのが目についた。

 彼女は見当をつけて髪の長い女性に近寄っていき、何か一生懸命に話しかけている。

 声をかけられたほうの女性は、笑顔で手を振ってまた歩き始めた。

 女の子は、近場の美容院に勤めているのだろう。

(カットモデルってやつを探してるんだな、道端で声をかけて頼むもんだったのか)


 それを横目で見ているうち、それとは関係なく、頭の中に組み立てが浮かんだ。

(これから智佳に電話をかけて、どこかで食事をして……)

 それから、その考えを打ち消した。

(一・二回だったら、なつかしいな、あの時は悪かったねという話で()つけどな)

 地元に帰って、まだ開いている居酒屋にでも寄ろうと思った。

 イチさんの店がやっているはずだ。



 銀座線と私鉄を乗り継いで、自宅のある駅までたどりつく。

 駅前から少し歩いたところにイチさんの店はあって、その日はまだ灯りがついていた。

 顔馴染みの客がいれば遅くまで開けているが、そうでない日は気まぐれに十時くらいで閉めてしまうことも多い。

「あんまりプロ意識はないんだなあ」

「あんたに言われたくないね」

 そんな挨拶で、いつもと変わり映えのしない夜が始まる。


「なんか注文しなさいよ」

「もう焼き物とか、手のかかるものは作らないんだろ」

「人聞きが悪いよ、ほかのお客さんが本気にするじゃないの」

「だって本当じゃねえか」


 カウンターの反対側に、あまり見ない男女一組の客がいた。

 女の子のほう、といっても三十は過ぎているだろうか、その彼女がサンジとイチさんの会話を聞いていた。

 お兄さんはここのお店の常連さんなんですかあとサンジに話しかけてきた。


「そんないいもんじゃないけど、十年は経ったかな、イチさん」

「昔のことなんて知らないよ、十年前はまだ子供だったから、ボクは」

 イチさんは平気で大ウソをつく。

 前にもお見かけしているんですよ、いつも楽しそうですよねえ。

「おれたち、楽しそうに見えるのかね?」

「ボクに言ってるの? ボクは災難だよ」

 そうやって言い合えるのっていいなあ、あの、失礼じゃなければそちらに行ってもいいですか?

「ここに座るの? べつにかまわないよ、彼氏もどうぞ」

 サンジが彼氏と呼んだ男性のほうは、何か彼女に耳打ちしてそのまま座っていた。


 彼女はひとりで立ち上がって、自分のグラスを持ってサンジの横にやってきた。

 顔を近づけて小さな声でサンジに言う。

(あれは彼氏とかじゃないですよう、自分はひとりで飲んでるからあのおじさんと話したいなら行ってくればって)


 見ると、男性はこれ以上気に入らないことはないという顔つきでこちらを睨みつけている。

(おやおや)とサンジは思った。

 自分が横にいるのにほかの男に接近するなんてと、プライドを傷つけられたらしい。

 そんな大げさな話ではない。

 男性はしばらくして勘定を払い、彼女には目で挨拶だけして帰った。


「あんたやっぱり悪い男だね、目の前でひとの彼女を取るなんて」

「おれはなんにもしてねえじゃねえか」

 イチさんは彼女のほうに向き直って続ける。

「あなたもあなただよ、よくそんな野蛮なことできるねえ」

「そんなつもり、全然ないですよお」

(自覚はしていないし、ほとんど悪意もないけど、野蛮……女ってそういうもんだろ)

 イチさんはわかっていない、そうサンジは考えたが、口に出すことはもちろんなかった。


 イチさんが店を閉めるというので彼女と一緒に出て、深夜営業のレストランに行った。

 そこでもう一時間ばかり、サンジは生ビールを、彼女は白ワインを飲んで過ごした。

「こんど彼と会ったら、どうか仲直りしてください」

「ほんとに関係ないんですよお……あなたって不思議だなあ」

「どこが?」

「なにがあっても動じないみたいだし、こういう人ってどんな人生を生きてきたのかなあって思って」

「それは……きみがまだ若いから見る目がないだけだね、おれはべつに気は小さいし」

「そんなことないです、こうやって話してても、なんか落ち着いてくる感じ」


 どう答えても野暮になるので、冗談のようにしてサンジは答えた。

「みなさん、そうおっしゃいますね」

「そう思いましたあ、もてるんでしょうね」

 そんなことはない、もしこれがもてているという状態なら、若い時に想像したのとはだいぶ違うなとサンジは思う。


 キミコといったその彼女は店を出たあと、ぴったりと身体を寄せてきた。

 体温が伝わってきて、悪い気はしない。

 ストレートに誘惑ととるべきかもしれないが、そういう気分ではなかった。

 ぽつぽつと明日の予定などを話す。


「送っていかなくて悪いね」

「紳士なんですねえ、やっぱりさっきの男とは大違いです」

「いや、そこまで言っちゃいけないな」

「はい、わかりました、先生!」

 機嫌よく酔ってくれたのは、まあ嬉しい。

「またあのお店に行ったら、先生に会えますか?」

「毎日はいないな、忙しい時は行かない週もある……先生はやめといて」

「はあい、また会いましょうねえ」


 そう、また会うことがあったら、その時に考えればいい。

 サンジは手を振りながら離れていく彼女を見送って、そう考えた。


(家にまだ酒はあったかな……もう一杯くらい飲んで、寝よう)


サンジとヨウジ、一瞬の出会いとバトンタッチ

そしてイチさん登場、よろしくお願いします

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