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王宮食堂の女給ー12

 白のパフスリーブのブラウスに水色のロングスカートを合わせ、踵の高い夏らしいサンダルという爽やかな外出着(デートコーデ)のローズと、暗色の作業着風上下に履き古したエスパドリーユというランスロットが連れ立って歩いている。黄昏色から薄紫紺色へと変わりゆく空を見上げ、ローズは追いかけて来る恐怖心を飲み込んだ。

「聞きたい事って何ですか」

 話のきっかけを掴めず、慰めの台詞も出て来ず、ひたすら前を向いて隣を歩くという不自然な挙動の騎士に、ローズがしびれを切らした。

「うう、はい、捜査上、確認させていただきたい事がありまして」

 小首を傾げるローズを横目で見やり、ランスロットは一度低く呻いてから答える。

「先ほど捕らえた男は、王都で麻薬を売ろうとしていました」

「ああ、それで。サルエルさんに薬を買えって」

「はい、医師(せんせい)達が入ろうとしていた店で、麻薬らしき物を買い取ったのを確認しました」

「そう、だったんですね」

「……男に麻薬を売ったのが、ミシェル・ムーという名の元靴屋です」

 驚いて歩みを止めるローズを数歩歩んでから振り返り、ランスロットは周囲を見回す。彼女を道の端へ寄るよう促し声を低めた。

「どうぞ、こちらへ。聞きたいのは、ミシェル・ムーの事です」

「ミシェル……なるほど」

「ご存じですよね」

「知ってます、でも、もう、何年も会ってません」

「はい、騎士団でもあなたについて調査しまして、現在は関わりがないだろうと、九割がたは結論づけています」

 大きな目を更に見開いてランスロットを見つめるローズに耐え切れず、騎士はそっと視線を落とした。

「本当です。何年も手紙のやり取りだってしてません」

 何度も目を瞬かせ、両手の指を祈りの形に強く握るローズに、ランスロットは一歩近づく。

「信じます、信じているので、ミシェル・ムーに関して話して頂きたい……大丈夫ですか?」

「え、ええ、はい……驚いて、しまって」

 予想外の話を聞かされた衝撃がきっかけとなり、恐怖心を無視して平静を保とうとした努力が水泡に帰し、声が掠れてしまう。彼女は自分が強い精神的負荷(ストレス)状態にあると自覚した。剣術の経験はあるけれど、騎士のように日々訓練をしている訳ではないし、悪漢と対峙する覚悟もない。

「ご実家に着いたら結構ですので、ミシェル・ムーについて覚えている事を教えてください」

 唐突に伸びて来た骨ばった大きな手が、落ち着きなく動くローズの拳を包み込んだ。

「あ……はい、もち、ろん」

 ミシェルについて思い出さなくては、と冷静な部分が命じるものの頭が働かない。医師としての冷静な部分が自分自身がごく軽度の恐慌状態にあると診た。

「我慢する必要はありません。自分も騎士として最初に人を斬った日の夜は、震えが止まりませんでした」

「私はただ、杖でけん制した、だけで……誰も怪我もしていない、大丈夫」

 己に言い聞かせようとつぶやく、彼女の震える拳を包み込んだまま、ランスロットは真剣な声音で続ける。

「無駄をそぎ落とした最小限の体重移動での刺突でした。見事です」

 ランスロットは努めて柔らかな声を出し、かつ話の焦点もずらした。

「ありがとう、ございます、ふふ、ふふふ、でも、怖かったわ。サルエルさんはへたり込んじゃうし、剣術をやった経験はあるから、なんとかしなくちゃってその一心で」

 小さく笑い出すローズにつられて、ランスロットは口元を緩めた。彼女の拳を包んでいた手を解き、柔らかな線を描く頬にかかる髪をつまんだ。指先をかすめた頬の滑らかさに陶然となった。

「ランス、さん?」

 突然頬に骨ばった指が触れて驚くローズを、ランスロットは微笑んで見つめている。

「綺麗でした、とても」

 恐怖心を取り除こうと故意に話の焦点をずらした訳ではないのだろうか、ローズは普段は冷たく見える彼の灰色の瞳の温度が増している気がして戸惑う。

「え、ええ、ありがとう」

 近すぎる視線から逃れ俯いたローズは、後退ろうとして肩に手を置かれ止まった。

「ローズ、せん、ぱぃ」

 突如、ランスロットの声をかき消すように、石畳を叩く蹄と車輪の音が聞こえて来る。

「え?? 聞こえない、なんです??」

 馬車の音で我に返ったランスロットは、慌てて手を引っ込めた。すぐ近くを走って行く馬車を見送って

「失礼、しました、その……他意はありません」

 これ以上近づきませんとばかりに両腕を持ち上げたランスロットに、ローズは頬に上る熱を無視して笑顔を見せた。

「はい、わかっています。行きましょう、ああ、早くコタロウに会いたいわ」

 むず痒い空気を振り払うよう、普段の調子に戻って歩き出したローズの隣に、耳を赤くして他意ありを表現しているランスロットが並んだ。


 実家に着いたローズを出迎えたコタロウは、両耳を伏せて跳びはね回り、喜びと興奮で小一時間ほどもローズを離さなかった。コタロウに共感したのか涙ぐんで好きにさせている母子に付き合って、ランスロットは暫くコタロウの狂喜乱舞を静かに眺めた。

「ずっと立たせたままでごめんなさい」

 コタロウはまだ興奮冷めやらず、ランスロットにも跳びついたりしている。レイラはそっと屈んでコタロウを撫でるランスロットを居間に案内した。

「コタロウちゃんが大騒ぎで、何だか胸がいっぱいだわ。夕食の時間だけれど、一人だと思って大した物がないの」

「ローズ医師(せんせい)とお話させて頂いたら、すぐにお暇致しますので」

 勧められた椅子に浅く腰を下ろしたランスロットを眺めながら、レイラは紅茶の準備を始め、ローズは涙ぐんだまま彼の前の椅子を引く。

「お母さんがサルエルさんと食事に行くまで会わせないって言うから、こんなにコタロウが寂しがって」

「それは本当に悪かったわ、コタロウちゃんがかわいそうだったわね」

 数日預かっただけで、すっかり柴犬の愛らしさの虜になっていたレイラは娘の抗議を素直に聞き入れた。

「それで、お迎えに来たってことは、食事に行ったのかしら? それとも、恋人(いいひと)が出来た報告に変えた?」

「違います……サルエルさんと食事に行こうと出かけた先で……ちょっと色々あって、警邏の方に送って貰ったの」

「先日は名乗りもせずに失礼致しました。王国騎士団警邏部第一部隊のランスロット・リーガルンと申します」

「あら、ご丁寧に、レイラ・ワーロングです」

 顔立ちはあまり似ていないものの、口調や声が母子で酷似している。

「ああ、コタロウ、大丈夫、もうずっと一緒よ。ふふ、ランスさん、母も一緒に話を聞いても大丈夫ですか? 母とミシェルは挨拶程度しか話した事がなかったと思いますが」

 まだ興奮冷めやらぬ柴犬は、ローズの足に鼻先を擦りつけたり、居間と廊下を行ったり来たりして忙しい。

「ミシェルさんて、ローズが何年か前に別れた恋人(ひと)だったかしら、優しそうですらっとした子」

「そう、その人……麻薬売買の疑いがかかってるみたい。ですよね?」

「はい、四年前に違法賭博場(カジノ)で麻薬売買をしていたのではないかと目を付けた途端に王都から逃亡しまして」

 ランスロットは偶然ミシェルを見つけてから先ほどセイラ両親を捕縛するまでの経緯を、余さず話した。捜査上の情報について本来は一般人に明かしたりしない。が、ミシェル・ムーという男は、証拠と容疑を確実に固めてからでなければ、捕縛しても逃れてしまうだろうと予想出来る。尾行の玄人である第三部隊、第四部隊の騎士を、あっさり撒いてしまった点から考えても、見張られている事実に気付いていて、機を見るに敏に姿を消したのだろうとも考えていた。

「仕事上の付き合いの延長で、賭博遊技場(カジノ)に出入りしているとは聞いた気がする……その時にはもう麻薬を売って……二年くらい付き合ったけど、最初の半年以降は、月に何度かしか会えてなかった。私がいた診療所の方針で、若い医師は勉強も兼ねて、医師がいない村へ出張に出される事も多かったから」

「そういえば、王宮で働く前のローズは、本当に忙しそうだったわね」

 レイラは小さくため息を吐いて首を左右に振る。

「うん、その割にお給料は安かったから、王宮へ推薦して貰えて助かったのよね」

「お陰で思い出深いこの家を手放さずに済んでいるんだもの、ありがたいわあ」

「もう少し王宮に近かったら良かったけど」

「あらあら、いつまでも私と一緒じゃ、新しい恋人も出来ないんだから、いいのよ」

 唇を尖らせる癖は母から移ったのだろう、思考中と不満を表する時、母子の唇は同じ形になる。

「一人暮らしになっても出来てないんだから、関係ないんじゃないかな」

 優しい声音ながら矢継ぎ早に会話をする母子を交互に眺め、ランスロットは出された紅茶を一口飲んだ。

「四年前、靴屋時代のミシェル・ムーが普段どのような場所に出入りしていて、どのような人物と交流があるのか、だいたい調査済みなので、医師(せんせい)だけが知っているであろう情報があれば、お知らせください。もしくは思い返してみれば不審だった事などありませんか」

 母には子供染みて見えるからやめろと注意されている、口を尖らせる癖を披露しながら記憶を辿る。

「ミシェルは私に会いたい時は診療所に顔を出してたんだけど……私は話していないのに私の予定を把握していたのよね。あれって、診療所の誰かが情報を流していたんじゃないかしら、医師(せんせい)がそんなことするはずないし、助手のユフィかな」

 前肢を自身の膝にかけるコタロウを抱き上げて背中をゆっくり撫でながら、ローズは四年前に思考を飛ばした。

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