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王宮医局のカルテ   作者: 夕月夕雷
シーズンⅠ 第二章
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王宮食堂の女給ー13

 雪が降り出しそうな日の昼だった。林と畑に囲まれた医師不在の寒村への二ヶ月の出張から戻ったローズは、自宅の近くで佇む恋人を見つけて驚いた。

「ミシェル? 今日戻るって言ったっけ?」

「そろそろ帰って来るかもと思って来てみたんだ」

「以心伝心かしら!」

「ローズがどうしているかばかり考えてたよ」

「ふふ、私だってミシェルに会いたいって思ってたわ」

「僕の方がもっと会いたかった」

 ローズは喜びに破顔して抱き着く。

「ごめんなさい、埃っぽいわね」

「いいんだ、久しぶりのローズの匂い、嬉しいよ」

 頬を擦り合わせて再会を喜んだ直後、ミシェルは亜麻色の瞳を潤ませて、眉尻を下げた。

「ねえ、ローズ、言いにくいんだけど……」

「あら、なあに」

 冷たくても滑らかな手触りの彼の手の甲を撫でながら、ローズは甘い声で問いかける。

「ローズがいない間、候補が出来ちゃったんだ」

「うん? 何の候補?」

「僕の未来の奥さん候補。ローズとその子、どちらが僕に相応しいか、試して欲しいって言われてさ」

 蠱惑的なささやき声で語られた予想外の台詞に、ローズは言葉を失った。一歩、二歩、後退する彼女の耳にキーンと雑音が響く。

「昼も夜もローズの方が素敵だけどさ、もう一人の子は、僕のためなら何でもするって泣くんだ。かわいそうだし、かわいくて」

「……何を言ってるの」

「ローズの少し赤の入った黒髪も好きだし、白い頬も碧の目も柔らかな身体も全部好き。僕の名前を呼ぶ優しい声ももちろん好きだよ。でもさ、ローズから僕に会いには来てくれなかっただろう?」

「ここ最近は、私から会いに行ける時間がなかった」

「時間は作るものだろう? 僕を想うなら僕のためにもっと動けたんじゃないかな」

 ミシェルの顔を見て疲れが吹き飛んだ気がしていたが、気のせいだったらしい。全身が鉛のように重くなった。

「そうね、確かに私はあなたが求めるほどに動けなかった。もっと会いたいと言われた記憶もないけど……だからって浮気……」

 恋人の抗議にも一理あると認めつつも剣のある声が出る。

「ああ、嫉妬してくれた? そうやって怒った顔も綺麗だ」

 ミシェルが微笑んで伸ばして来た手を振り払って、彼女はゆっくり首を左右に振った。

「別れましょう」

「どうして? ローズがもっと僕を好きになってくれるなら、候補は君だけに絞るよ」

「無理……もう、無理」

 白い息を吐き出しながら重たい身体に鞭打って歩き出したローズの背に柔らかな声がかかる。

「またね、ローズ」

 全く悪びれる様子のないミシェルには答えず、ローズは振り返らずに自宅へ入った。


 別れた日の記憶を掘り起こし、ローズは顔を歪める。付き合っている時は目を逸らしていたが、ミシェルの感覚はローズが思う一般的な感覚とは大きく乖離している気がした。

「ミシェルは見た目も言動も優しそうだから、女の子達に人気があった。その中でも、ユフィ、ユーフェミアという助手の子は特に彼の話を聞きたがった……根掘り葉掘り聞いて来るから、面倒くさいと思った事もあったし、私の仕事終わりを待っているミシェルの相手を良くしてた」

「もしかして、そのユーフェミアとは、金髪で碧色の目をした女性ですか」 

 ランスロットの問いに、ローズは頷く。ミシェルがユーフェミアの事をローズと同じ湖みたいな色の目をした助手の子、と称していたのを思い出した。

「彼女は私が出張から戻った時にはもう退職していて医院にはいなかった。今でもミシェルと繋がりがあるの?」

「彼が贔屓にしている娼婦の名がユフィでした。半年くらい前から花街で娼婦として働き始めたと聞いています」

「娼婦になった??……ヤーン総合医院のお嬢さんなのに?」

 ヤーン総合医院とは王都で最大規模の医院で、ローズが働いていた診療所の上司もヤーン総合医院の出身だった。豊富な資金力を元手に政変後に経営拡大した医院であり、ヤーン家は王都でも有数な富裕層である。

「ヤーン総合医院の娘、そこまでは調べが追いついていませんでした。娼館は商売道具を守ろうとしますから、娼婦の過去は洗うのが難しいんです」

 過去の男に未練はないが、浮気相手が同僚だった事実を知ると不快な気持ちがわき上がる。

「そうなのねえ、じゃあ、ローズのお話が役に立ちそうだわ」

 レイラがのんびりした口調で感想を挟んだ。母が第三者の立場からのんきな発言をしたことで、ローズは我に返って冷静に記憶を呼び起こそうと、切り替えた。

「ユフィが助手になってから、手に入りにくい薬なんかも入手できるようになったって、当時の上司が言ってたわ。総合医院の娘だから、色んな薬屋に伝手があったとか。当時は助かるなあって感謝までしてたけど……」

 ローズはユーフェミアに対して、自分と同じ疑いを抱き始めただろうランスロットを見つめる。

「クウウン」

 沈黙し思考に沈んだ居間にコタロウの甘えた声が響く。ローズは難しい顔をしたまま、愛犬の顎の下を撫でた。

「麻薬ももとは薬だものね?」

「そうね、ユーフェミアがミシェルに麻薬にもなるような薬を売る薬屋を繋げたのかも」

 レイラの確認めいた問いかけにローズは遠慮を排して答えた。

「せんせいが勤めていた診療所やヤーン総合医院、また花街の娼館もですね。調査先が増えましたが、助かりました。ミシェル・ムーは四年前の納税記録を最後に、まるで死亡した人間のように国中どこにも公的な足跡は残していないのです」

「そうなんだ……ミシェル、人としてはどうかと思うけど、色々な知識を持っていて、話も上手で、頭の回転も速かった。逃げようと決めたら上手く逃げられてしまうのかもしれない」

「はい、油断ならない人物だと思っています。せんせい、ここまで自分が事情を明かしたのは、話を伺いたかったという点ともう一つ、ミシェル・ムーがあなたと再会を望んでいるのではないかと、推測しているからなんです。先ほども話しましたが、ミシェル・ムーを尾行したうちの数回は、この家が目的地でした。せんせいが今はミシェル・ムーと繋がりがないと信じていますが、彼奴の方から接触を求めて来る可能性はあります」

「ローズ、大丈夫なの? そんな……心配だわ」

 顔を曇らせるレイラに神妙に頷いて同意したランスロットは、固い声で続ける。

「ローズせんせいには、ご不便をおかけしますが、暫く人目のない場所で一人きりで行動することを控えて頂きたい」

「ミシェルが私に危害を加える危険があるかしら」

「ミシェル・ムーは暴力的ではありませんが、目的のために手段を選ばない可能性は捨てきれません」

 ローズは深くため息を吐いて首を左右に振った。

「花のやに飲みにも行けないってことじゃない……」

「……良ければまた、メルヴィンをお連れください」

 絞り出すような声での提案に、ローズは目を瞬かせて苦笑する。

「メルさんが良ければお願いしようかな」

「あら、ランスロットさんではダメなのかしら」

 レイラの問いに、ランスロットは息を飲んで口をへの字に引き結んだ。

「ランスさんは部隊長だから、忙しいんじゃ」

「じ、自分で良ければ」

「え?」

「いえ、その……」

 言葉尻を飲み込んでしまったランスロットを意味ありげな眼差しで見つめ、レイラは嬉しそうに笑う。

「ふふ、騎士の方が一緒なら安心だけれど、十分気を付けるのよ、ローズ」

「ええ、そうね、気を付けるから心配しないで」

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