Ⅲ 第七章 第2話
警邏第十三部隊長、ノックス・ヘイズは影が薄いという特性を活かして、王立学園専門棟を行き来していた。授業や職員会議を終えた放課後、デビットはほとんど社会科準備室で過ごしている。
「先生のお気に入りを集めて討論会を開いたり、ナナーシュ君を引っ張り込んで、大声で歴史や法について語り合ったりしていますよ」
ノックスがうろついているのを見咎めて声を掛けてきた人物がいる。生徒会長のデンジだ。彼の出自や人となりについて、事前にチェリーナから忠告されていた。学園関係者全員を記憶しているデンジに驚きつつ、味方へ引き入れ利用することにした。ノックスが事情を明かすと、デンジはすぐに空き教室に潜むよう提案してくれた。
「討論会が始まったみたいですね、小一時間は出てきませんよ」
背後で黙って自習していたデンジが話しかけてくる。ノックスは頷いたものの、出入口へ向けている視線は外さない。
「第十三部隊というのは、面白い部隊ですね。てっきり内勤だと誤解していました」
表向きの職務として内部監査をうたっている。
「騎士より官吏の方が国を動かす中枢に食い込めて面白いんじゃないかと官吏科を選んだんですが、参謀長やあなたを見ているとそうでもない気がしてきました」
珍しい赤銅色の瞳に強い光を宿したデンジを、ノックスは少しだけ見つめ返した。
「騎士も官吏も国を動かす歯車にすぎない」
低く答えたノックスに、デンジは小さく息を飲んだ。ノックスは一見無口で思慮深く見える。彼の台詞がチェリーナの受け売りであることに、幸か不幸かデンジは気づかなかった。
警邏騎士の護衛でヤーン総合医院を訪れたナナーシュは、入り口で待ち受けている特別捜査部隊騎士四名の隣に、ひょろ長い白衣姿のナックルを見つけて目を輝かせた。
「ナックルおじ様!」
小走りに駆け寄るナナーシュに、ナックルは少しだけ口角を緩めて見せる。
「ナナーシュ、元気だったか」
「はい、お手紙、ありがとうございました。チョウセンアサガオの実験のお話、大変興味深く読ませていただきました」
「そうか……同僚たちには不評だったが」
「ふふ、私もリーの名を持つ者ですから」
今にもナックルの手を取りそうな勢いだったナナーシュは、ルークの咳払いを聞いて、特別捜査部隊の騎士たちに視線を移す。
「おじ様との再会を喜んでいるところ申し訳ありませんが、まずはダイ殿の見舞いを、その後で貴賓室でお話しなくてはならないことがあります」
並んだ中で一番階級の高いランスロットが声を掛け、ナナーシュは居住まいを正して答えた。
「承知いたしました。では、ダイのところへ参ります」
護衛として付いて来た警邏の騎士は、特別捜査部隊の騎士たちに彼女を託して学園へ戻って行く。何度か会話を交わしたルークとヒースレッドにも笑顔で会釈をして、ナナーシュはダイのいる特別病棟へ足を踏み入れた。
「ナナーシュ、来てくれてありがとう」
「カイ、ダイは起きているの?」
「今、寝ているけど、君の声を聞いたらきっと飛び起きる」
病室前で再会を喜び合った二人は、カイの誘導で中へ入った。念のため、医師であるナックルも続き、護衛としてついて来たルークとヒースレッドは外で控えた。ランスロットとエドマンドは先に貴賓室へ移動している。カイがそっと扉を開けて先に入り、ナナーシュとナックルが続いた。
「……ダイ」
しっかりした足取りで寝台へ近づいたナナーシュは、優しく名を呼びながら腰かけた。ダイは閉じていた目を開けて視線を動かす。こけた頬、筋肉が落ちて小さくなった肩などを確認して、ナナーシュは下がり眉を更に下げ、泣き笑いのような笑顔を向けた。
「ナナーシュ、来て、くれたんだ」
掠れた声を出したダイが起き上がろうとするのを、ナックルが反対側へ回って支える。布団から伸びたダイの細い腕を見て、ナナーシュの瞳から雫が一つ零れ落ちた。
「ああ、ナナーシュ、泣かないで」
この世の終わりのような声で懇願するダイの両手を取って、ナナーシュは額に押し当てる。
「良かった、本当に……ダイ」
「うん、心配かけて、ごめん」
「本当よ、私がシオリだったら、平手をお見舞いしているところよ」
ナナーシュのおどけた台詞に、カイが爽やかな笑い声を上げた。
「ハハハ、そうだね、シオリだったらやりそうだ」
「え、俺、マドセン先輩に叩かれるの、嫌だなあ」
さざ波のように静かな笑いが広がる。収まったところでナナーシュはダイの手を解放して彼の瞳を真直ぐに見つめる。
「これからは、何かする前に、私に相談をして欲しい」
「わかった」
嬉しそうな笑顔になったダイが、大きく息を吐き出したところで、ナックルが彼の肩をそっと押した。
「一昨日聴取を受けたばかりだ。今日はこれぐらいでやめておけ」
ダイは素直に横になる。ナナーシュはダイの頭をそっと撫でてから立ち上がる。
「じゃあね、ダイ。学園で待っているわ」
「うん」
カイが先に立って扉を開け、ナナーシュは病室を出た。ナックルも後に続く。
「また帰りに様子を見よう」
ナックルの言葉にカイが頷いて、三人は待っていたルークとヒースレッドと一緒に貴賓室へ移動した。
ルークとヒースレッドは再び護衛として、貴賓室の扉外に残った。
「お越しいただきありがとうございます。お二人には単刀直入に全ての事情をお話しするよう、議長より命じられております」
カウチに腰を落ち着けて早々に、ランスロットが口火を切った。昨日の会議の内容を余さず語る。カイもナナーシュも口を挟むことなく黙って聞いた。
「デビット先生は……慎重な方です。一斉捜索で凶器が発見できたとして、犯行を認めようとはしないでしょう」
全て聞いたナナーシュが、凛とした声を響かせた。
「ナックルせんせいが検証した飛散の形が、スローリー先生の上着に残っている可能性は高いんですか」
カイも声音は冷静だったが、茶色い瞳には爛々とした光が宿っている。ナックルはカイの目つきを興味深そうに観察しながら頷いた。
「クロスボウ射出時の上着を処分していなければ、痕跡は残っているだろう」
ナックルの意見を聞いたナナーシュは、彼の膝に自分の手を重ねる。
「デビット先生はいつも紺の上下を着てらっしゃいます。ノルディア産の絹が織り込まれた高価な生地で、特注で仕立てた、とお聞きしました」
「ランスロット、押収できるか」
「ああ、凶器の捜索の時に、提出させる方向で考える」
ナックルの問いに頷いたランスロットを見て、ナナーシュは己の両手を握りしめた。
「ご挨拶するだけですから、危険はありません」
ナナーシュは自分の胸を強調するように肘で寄せ、上目遣いにルークに訴える。ルークは頬を赤らめ、視線を彼女から逸らしながら答えた。
「まあ、そうかもしれないけど」
「医院から戻ったら、ダイの様子を報告に行くと伝えてあるので、行かないと不自然に思われるかもしれません」
「うーん……わかった。俺たち、部屋の外にいるんで、危ないと思ったらすぐ、大声出してください、いいっすか」
「はい、約束します」
ヤーン総合医院から学園へ戻ったナナーシュは、放課後の社会科準備室に向かっていた。彼女の背後にはルークとヒースレッドが付いている。彼女は知らないが、ノックスも空き教室からデビットの動向を監視していた。扉前に着いて、ナナーシュは一つ大きく深呼吸をした。
「デビット先生、いらっしゃいますか?」
室内右端にある古びたカウチで、デビットは静かに読書に興じていた。柔らかな声と共に開いた扉の方を向いて、彼は素早く立ち上がる。
「ああ、ナナーシュ君、どうしたんだ?」
笑顔で問いかけられて、ナナーシュも笑顔を返す。
「失礼します、ダイのお見舞いに行って参りました。ご報告を、と思いまして」
「そうか、良かったらお茶を入れよう。かけなさい」
「まあ、ありがとうございます」
ナナーシュが来訪するとデビットは必ず彼女に紅茶を出す。専門棟の完全閉鎖時間ギリギリまで、歴史談義や法律談義に花を咲かせるのが常だった。ナナーシュは普段通り、優雅な仕草でカウチに腰を下ろし、デビットが湯沸かしの為に給湯設備のある待機室へ移動する後ろ姿を見守った。
「ダイはどうだった?」
「はい……かなり痩せてしまって、まだあまり会話もできませんでした」
「そうか……まだ、危険が去った訳ではないから、彼は東方へ戻った方がいいかもしれないな」
デビットは紅茶ポットとカップを載せたトレーを卓上へ置いて、ナナーシュの向かいに腰を下ろす。彼の縁なし眼鏡のガラスにランタンの光が反射するのを眺めながら、ナナーシュは頷いた。
「ええ、私もそう思います」
きっぱり言い切ったナナーシュに、デビットは緩んだ頬を隠すよう掌で覆う。笑みを消して神妙な顔を取り戻してから、彼はカップに紅茶を注ぎ、ナナーシュに差し出した。
「いい茶葉を譲ってもらったんだ。君の口に合うといいが」
「ありがとうございます、いただきます」
ナナーシュが優美に微笑んでカップへ手を伸ばした時、扉を叩く音がする。
「スローリー先生、いらっしゃいますか」
同時にカイの声がして扉が開いた。デビットが首だけ扉の方を向く。
「カイか……」
呟いて彼は目の前に座るナナーシュの切れ長の瞳をちらと確認し、立ち上がった。扉方向へ歩いて行き、声高にカイを出迎える。
「カイ、戻ったのか。今、ナナーシュ君からダイについて聞いていたところだ」
カイは伏目がちのまま答えた。
「明日から復帰することにしました」
「そうか、ダイについていなくて大丈夫なのか」
「はい、主治医のせんせいがしっかり看ていてくださいますし、議長閣下が護衛として辺境の騎士を配備して下さったので、安全面でも不安はありません」
デビットは何度か頷いてカイの肩を叩く。
「そうか、良かった」
カイは一歩退いてから、丁寧に腰を折った。
「スローリー先生には、本当にお世話になりました」
暫しの沈黙の後、デビットはカイの頭に注いでいた視線を、振り返ってナナーシュの方へ移した。彼はナナーシュに対して優しい眼差しを向けたまま、カイを誘う。
「やめたまえ、大げさだ……カイ、君もお茶でも飲んで行きなさい」
デビットの言葉を聞いたナナーシュは、カップを持ったまま立ち上がった。
「あら、ランタンが消えかかっていますわ」
「うん? さっき火を入れたばかりのはずだが」
デビットがランタンの方へ向かって歩き出したところへ、ナナーシュは付いて行く素振りでゆっくり近づく。
「先生、やっぱり俺は寮に戻って」
デビットが話しかけてきたカイの方を向いた拍子に、ナナーシュは小さく悲鳴を上げてカップのお茶をデビットの背に向かって引っかけた。
「キャア」
カップが転がり割れる音が響く。ナナーシュは体勢を崩して床に膝を着いている。振り返ったデビットは、すぐにナナーシュの元へ駆けつけた。
「ナナーシュ君、大丈夫か? 火傷は」
「ああ、先生、申し訳ありません、躓いてしまって……カップが割れてしまいましたわ」
出入口にいたカイが、床に散らばったカップの破片を見ながら言う。
「俺が片付ける……先生、上着にお茶が」
デビットは慌てた様子で上着を脱いだ。
「裾にかかっただけだな、大丈夫だ」
「いけませんわ、先生。セヴェル・ロウの特注の上着だと仰っていたじゃありませんか。お預かりしてクリーニングに出しておきます」
スカートの裾を掃いながら立ち上がったナナーシュが、泣き出しそうな表情でデビットを見上げる。デビットは困った顔で濡れた裾部分に触れた。
「少し濡れているだけだが」
「染みになったら大変です。私の制服クリーニングを頼んでいる職人のお店に出しますから」
僅かな逡巡の後、デビットは上着をナナーシュに差し出す。かけ方の妙か、濡れているのは上着の裾だけだった。カイは聞き耳を立てながらも、破片を拾い集め終えた。
「カップも弁償いたします」
立ち上がったカイの掌を見ながらナナーシュが申し出るが、デビットは苦笑して首を横に振る。
「いや、カップはたくさんあるし、汎用品だから気にしなくていい」
「そうですか? 本当に申し訳ありません」
「気にするな、ナナーシュ君。見舞いで疲れたのだろう」
気遣い溢れるデビットの言葉に、ナナーシュは笑顔で会釈を返した。




