王宮食堂の女給ー6
花のやが混んで来たこともあり、ローズとメルヴィンは後ろ髪引かれながら店を出る。
「送る」
端的な申し出に、ローズはしばし考えてから首を左右に振る。
「繁華街を過ぎればほぼ安全だから」
「ついこの間危険な目に遭ったばっかりだろ。あの路地は封鎖したが、まあ、ついでだしな」
「西の住宅街に実家でもあるの?」
「いや、実家は城外にある」
城外とは王宮の周辺区域の別名で、富裕層の邸宅が並ぶ高級住宅街である。暗に実家が貴族か富裕層だと暴露したのだが、ローズは無反応だった。
「ふうん、じゃあ、ついでじゃないじゃない」
「一緒に飲んでた女を一人で帰す騎士はいない。断ったら後ろから付いていくぞ」
硬い声で宣言されて、ローズはしぶしぶ並んで歩き出す。街灯の普及と警邏騎士達の巡回のお陰で、夜に女一人で出歩いてもそうそう危険な目には遭わない程度に、王都の治安は保たれている。先日の事件は例外だが、騎士達が間に合って被害は出ていない。
「この辺も巡回してるの?」
「ああ、医師が遭った薬物中毒者の件もあるから」
花のやとは異なり静かに会話しながら、封鎖した路地がある道に差し掛かった。何気なく路地を見やった二人は、奥で光が揺らめいている事に気付く。
「え、封鎖してるんじゃ」
さっとローズを庇うよう前に出たメルヴィンは、油断なく目を凝らす。ガス灯のある道を通る予定だったため、灯りを手にしていない。光が揺れながら近づいて来るにつれ、メルヴィンの表情が緩んだ。
「ランスか、ルークもいるな」
振り返ったメルヴィンの言葉に、ローズも緊張を解いて肩の力を抜く。
「よお、ご苦労様」
「メルか、こんなところでどうした」
「お疲れ様です、先輩」
二人同時に声を掛けられて、メルヴィンはちらりと後ろを振り返って気まずそうに首を横に振る。
「こんばんは」
筋肉質な大きな背中から現れた人影がルークの差し出した灯りによって浮かび上がる。
「ローズ医師、え、なんで」
男女二人を見比べて驚くルークに、ローズは笑顔で手を振った。
「近くで飲んでたの」
「え、なんで」
同じ言葉を繰り返すルークに、ローズは小さく笑い声を上げる。
「なんでって言われると、なりゆき?」
「巡回終わりに繁華街で会った」
驚くルークと無表情で黙り込むランスロットを見下ろし、メルヴィンは感情の乗らない声で答えた。
「行くぞ、ルーク」
ローズに軽い会釈だけして、ランスロットは去ろうとする。
「ちょっと、部隊長、あ、じゃあ、また」
ランスロットを追いかけようとしたルークは振り返って叫んだ。
「コタロウはどうしたんすか」
「母に預けてるのー!」
「そうなんですか、わかりました」
答えて会釈しつつルークは早足の部隊長の背を追いかけた。
「ありゃ、誤解してんな」
「……二人でデートでもしてたって?」
「ああ、まあ、二人で飲みに行ってるのは事実なんだけど、シアさんも一緒に話してたしな。ああ、面倒くせえ」
ランスロットとルークがそれぞれローズに対してその他大勢の女性とは異なる感情を抱いている事を知っている。
「邪魔しちゃ悪いみたいなそういう? ランス部隊長って部下に対しても気遣いの人だもんね。でもさ、私たちって、全然良い雰囲気とかじゃないじゃない? 誤解だって言っておいてね。ほら、なんなら財務の官吏と食事する話をしてくれても良いし。ルーク君たら、コタロウがいない事に目敏く気付いてかわいいよね。はあ、コタロウ、会いたいわあ」
足取りはしっかりしているものの、ローズは酔いが回っているらしい。取り留めのないお喋りを続ける彼女を自宅に送り届け、メルヴィンは制服の上着と騎士剣を取りに繁華街入り口詰所へ戻った。
事件を受けて封鎖した路地は、一日一回夜勤の者が確認する手はずになっている。ルークは急病の先輩騎士の欠員として現れた部隊長に驚きながら、共に路地に入った。
「何かおかしな物が落ちていないか、確認しろ」
「はい」
灯りで地面を照らし、ひびの入った壁を照らし、何もない事を確かめた二人は、鎖で封鎖し直して路地を出る。部隊長は自由に動けるように、巡回勤務形態外にある。事務作業が立て込んでいない時に一人で王都内を巡回している時に遭遇したことはあるが、相棒として巡回するのは初めての経験だった。無駄話を好まず端正な顔立ちで無表情が標準装備であるランスロットはとっつきにくい。苦手意識を抱いていたが、自分を不採用にさせないために、ローズも巻き込んで骨を折ってくれた事実を知るにつれ、深い信頼を寄せるようになっている。尊敬する上司との巡回に面映ゆさと嬉しさを同時に感じていたルークは、それどころではない事態(メルヴィンとローズのお出かけ)に遭遇し、混乱していた。
「部隊長、待ってください、そっちは巡回経路とは逆です」
方向音痴な自分が何度も行き来して覚えた道である。急停止したランスロットは無表情に振り返り、ルークの側まで戻って来る。
「すまない。どっちだ」
「あ、こっちっす」
「うむ」
重々しく頷くランスロットの灰色の瞳が濁っているような気がして、ルークは静かに隣に並んだ。
「なんか俺、気に入らないっす」
「何がだ」
「メル先輩とローズ医師っす。コタロウを預けて、出かけるなんて、かわいそうだし」
口を尖らせるルークを見て、ランスロットは小さくため息を吐く。
「そうかもな」
小声で答えるランスロットに勇気を得て、ルークは更に続ける。
「だいたい、ローズ医師の言うことまともに聞いてないくせに、ずるいっす」
「どういう意味だ」
「医師が紹介した怪我専門の医院に行ってないんすよ、先輩。行く気もないと思います、って、やべ」
言ってからルークは気まずそうに視線を落とす。愚痴交じりの告げ口相手が部隊長である。後々問題になりそうだ。
「あいつは昔から医者が嫌いだからな」
「そうなんすか。昔って入団当初から?」
「いや、学園時代からだ。医者と学科がとにかく嫌いでな。怪我をしてもそのまま放置するから、俺が引きずって医院へ連れて行ったこともある」
ランスロットは懐かしそうに目を細める。
「へえ、て、え、同級生なんすか」
「そうだ」
「知らなかった!」
驚くルークに軽く頷き、ランスロットは一度足を止めて周囲を見渡した。
「続きは別の機会だ。ルーク、三時の方向を気づかれないよう確認しろ」
黙って頷いたルークはフラフラ歩く酔っ払いの姿を見つける。
「黒い服を着た酔っ払いが二人います」
ランスロットは素早く人々に紛れて建物の影まで移動して、ルークを手招く。息を殺す二人の騎士に気付かず酔っ払いが通り過ぎた。
「一人は以前マークしていた人物だ。尾行する、お前は俺の姿が見えるギリギリをついて来い。灯りは消せ」
「はい」
緊張した面持ちで灯りを消したルークを残し、ランスロットは素早く騎士の制服を脱いで二人を追いかける。真似をして上着を脱いだルークは、月明りとガス灯を頼りに、上司の背中を追った。




