王宮食堂の女給ー4
「本当に勘弁してくれ、って、笑い死ぬ」
「ふざけるな、何がそんなにおかしい!」
「アハハ、なんか、俺も面白くなってきた」
笑い転げるメルヴィンにつられて、文句を言う側だったルークも笑い出した。ランスロットだけは釈然としない表情のまま、更に二言三言苦言を呈してその場を離れる。休憩をしていた二人も部隊長に続いた。
訓練を終えて休憩がてらの雑談に興じる仲睦まじい騎士達の会話を、木陰で聞いている者がいた。
「ローズ、医局、聞いた事はある」
つぶやくセイラの声は低く暗い。実家の弟妹から、一度帰って来て欲しいと手紙を受け取った彼女は、訓練場の脇の裏門へ伸びる道を気の進まなさを表すのろのろとした足取りで辿っていた。そんな中、運命的な出会いを果たした相手である大柄な騎士を見つけて、浮足立った心が盗み聞きした内容でしぼんで行く。
「相手に、されてないことはわかってた、けど」
自分への否定より、ローズという名の女性への色めいた発言が、セイラの胸に影を落とした。あの運命の日の夜、メルヴィンと一緒にいた明るく気さくな騎士ルークだけでなく、いつ見ても厳しく引き締まった表情をしている第一部隊長のランスロットにまで好かれているらしいローズがどんな女なのか、セイラは自宅への道を歩きながら、悶々と暗い思いを巡らせ続けた。
「あ、姉ちゃん、帰ってくれたんだね」
弟の一人が瞳を輝かせて弾んだ声を上げる。あばら家と呼んで差し支えない、築年数を想像すら出来ない自宅の建付けの悪い扉を開けると、カビ臭い匂いが鼻孔をついた。この家で暮していた頃の不快な記憶と弟妹に癒された記憶が交互に脳裏に浮かんでは消える。
「ああ、お姉ちゃん、良かった。お父さんが帰って来なくて、お母さんも探しに行っちゃって、お金も食べ物もなくて。孤児院の施しも二日に一回だから、皆お腹を空かせて大変だったの」
一番年長の妹が、姉に良く似た緑色の瞳を潤ませている様を見て、セイラも涙ぐんで頷いた。
「遅くなってごめんね、すぐに食べ物を買いに行こう。まだ夕市に間に合うよね」
セイラの給金は半分は仕送り、半分は貯蓄に回している。最近はメルヴィンへの差し入れを買うために目減りしている貯金を全額持ち出し、セイラは弟妹達を引き連れて夕方の市場へ繰り出す。
「父ちゃん、どこ行ったんかな」
セイラの清潔だが着古したワンピースの袖を掴みつつ、一番年下の弟が言った。
「また、お仕事をクビになったのかもしれない」
悲し気な妹の返答に、セイラは唇を噛みしめる。
「姉ちゃんが、お金くれるようになって、父ちゃんも母ちゃんも元気になったのに、どこ行っちゃったんだろう」
弟妹達の嘆きに胸を痛めながら、セイラはパンや野菜や果物、干し肉などを買い漁った。技術も堪え性もなく、定職に就けない父親と、父親に依存して子供達の世話を忘れがちな母親の元で育ったセイラは、長女として家計を助けて働きながら、無料で通える孤児院の職業訓練を受けた。彼女の家庭環境と必死で努力する姿に同情したシスターの推薦を受け王宮女給の職を得られた。
「次にお金がもらえるまでまだ時間がかかるから、今日買った食べ物を少しずつ食べて、孤児院の施しにも行くのよ。本当にどうしようもなくなったら、シスターに頼んでまた手紙をちょうだい。いいわね」
十才の妹は涙ぐみながら頷いたが、六才、五才、四才の弟妹達は行かないでと駄々をこねる。
「お姉ちゃんがお仕事しなかったら、ごはんが食べられないの! いい加減にしなさい」
「みんなごめんね、ごめん」
週一度ある休暇を利用して帰って来たものの、明日も休んだら給金が減ってしまうし、事前に申請のない欠勤を繰り返せば、父親のように解雇されてしまう。繁華街の入り口から出ている王宮行きの最終馬車に乗れなければ、暗い中を長時間歩かなくてはならない。セイラは後ろ髪引かれる思いで実家を後にした。賑わい始めた繁華街を通り抜け、急ぎ足になる背を丸めた少女を気にする者は少ない。
「あら、メルさん、ガンメタールさん」
「ああ、医師、今日はもう帰りか」
セイラの耳に、快活で慕わしい声が飛び込んで来た。息を飲んで目線を上げた彼女は、警邏の制服に身を包んだメルヴィンと同僚の年配の騎士、白い半そでのブラウスに臀部から太腿にかけての線もあらわなロングスカートを履いた女性を見つけた。会話がはっきり聞こえる位置にいるのに、女性がガス灯の光で浮かび上がっているせいか、近くで闇に紛れてたたずむセイラには気づいてもらえない。
「ああローズ医師に会えるとは、嬉しいねえ」
「ガンメタールさん、その後、調子はいかがですか?」
「ほとんど夜勤に入らなくなったからね、だいぶ良いよ。なんでも部隊長に進言してくれたんだって?」
「いえいえ、進言なんてしてませんよ。騎士の皆さまの症状についてお伝えしただけで」
「ふぉっふぉっふぉ、謙遜なさって」
ガンメタールが好々爺めいた笑い声をあげるのに、ローズは苦笑した。彼は五十代半ばなのだが、最初に医局を訪れた時から村の長老のような年寄り臭い話し方を好んでする。
「これから詰所に行って交代ですか? ガンメタールさんて西の住宅街にお住まいですよね? 直帰ですか」
「残念ながら、騎士棟で待機なんじゃ」
匂い立つような色香を放つローズは、夜の繁華街で目立っていた。騎士と別れたら声を掛けて来る輩が殺到すると予想出来た。普段はローブを準備して目立たぬよう通り過ぎるのだが、あいにく今日は持っていない。
「なんだ、ガンメタ爺さんと飲みたいのか、変わってんな、医師」
「ふぉっふぉっふぉ、爺も捨てたもんじゃないのう」
「お嫌でなければ」
申し訳なさそうな表情ながらきっぱり宣言するローズに、騎士二人は低く笑い声を上げる。
「爺に気を使ってくれて嬉しいが、酒は飲めないんじゃ」
「そうなんですか、残念です。今日はどうしても飲みに行きたいんですが、馬車を下りてからずっと視線がうるさくて」
ため息交じりのローズの台詞を聞いて、メルヴィンとガンメタールは顔を見合わせた。
「医師は一人歩きするには美人過ぎるからのう」
「飲みに行くってどこだ? 送ってけば良いのか」
「え? お仕事中でしょ」
「待機はガンメタ爺さんだけだから、俺はこの後空いてる」
「ええ、メルさんと飲むの? うーん」
「なんだよ、俺じゃ不満か」
「いやいや、そんな訳ないじゃない」
逡巡するローズの肩を軽く叩いて、メルヴィンは顎をしゃくった。
「一回詰所寄って制服だけ脱ぐ。来てくれ」
ローズを守るよう陣取る騎士二人の後ろ姿を見送って、セイラの瞳から光が失せる。
「メルヴィンさま」
自分自身の置かれた状況、ままならない恋、少女の劣等感を刺激する大人の女性医師、セイラは己の中で渦巻く感情に泣き出しそうになりながら、王宮行きの馬車乗り場へ走った。




