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星の瞬くその下で

 玄関先での騒動が落ち着いた後、優理が泣き続けていた私を自室まで付き添いながら連れてきてくれて、ベッドの上で一緒に横になると優しく慰めてくれた。優理は本当に優しくて、温かくて、嗚咽が止まらず涙や鼻水にまみれた私を胸元に抱いて、ずっと、ずっと頭を撫で続けてくれた。

 

「ハナちゃん、大丈夫。ハナちゃんの事は「こもれび」のみんなで守るよ。大丈夫。大丈夫。」


そのうちに泣き疲れた私は、いつの間にか眠ってしまい、何時間か経った後に目が覚めた。一人、薄暗い自室のベッドの上で、これと言って特徴のない無機質な天井と照明の映像を見つめながら、庇って守ってくれた浩の事、ずっと慰めてくれていた優理の事、「こもれび」の皆の事について、ひたすら思いを巡らせた。


(小華が!小華が、どれだけ苦しんだと思ってる!!どれだけ苦しくて、辛くて、惨めで、一人ぼっちで悲しんでたと思ってるんだ!!)


浩の鬼気迫る言葉を脳内でリフレインする度に、カラカラに乾いた雑巾から最後の一滴を力の限り絞り出すように、胸が強く締め付けられた。そして涙が溢れ出し、しゃっくりが止まらなくなった。

 

 暫くそんな事を何度も繰り返し、ある程度、気分も落ち着いてきた頃、階下から優仁と浩が「こもれび」に帰ってきた雰囲気を感じた。私は、恐る恐る1階へと足を運んだ。浩は痛々しい姿で「こもれび」に帰ってきていた。命に別状はなく、無事に「こもれび」に戻ってきてくれた事に私は安堵する。しかし、いくつもの絆創膏とガーゼに酷く腫れ上がった顔を見て、私は強烈な心苦しさから無意識に視線を外してしまった。本当なら、彼が私を義父から庇ってくれた事、それで大怪我を負ってしまった事について、心の底からの感謝と、言葉に表す事ができない程の申し訳のなさを直接伝えなければと思うのだが、先に涙が溢れ出てきてしまって、彼の姿を見てすぐに足早に自室に戻り閉じこもってしまった。

 その後、30分ほどベッドの上で(うずくま)っていると、優理が私の部屋をノックし訪ねてきた。優理はドアを少しだけ開けて、顔をひょっこりと見せる。

「ハナちゃん、大丈夫だったらで良いんだけど、夕ご飯あるから少し食べない?いま、下には私と結衣 (ねぇ)しか居ないから。でも、無理はしなくても大丈夫だよ。」

「優理さん、ありがと。少しだけ食べる。」

優理と一緒に1階のダイニングキッチンに行くと、結衣がいつもの席でスマホを見ていた。私達が来たことに気づくと、少し安堵した様な笑みを見せた。

「小華、よかった。何も食べないのも良くないから、少しだけ。食べられるだけでいいから食べな。」

「結衣さん……。ありがとうございます。」

今日の夕飯の残りだったのだろう、テーブルの上には肉野菜炒めとご飯、味噌汁が簡単に置いてあった。私は、料理が置いてある結衣の隣の席に腰掛けると、あまり喉を通りそうになかったけれど、少しずつ口に運んだ。

「小華、食べながらで良いんだけど……。浩のこと。一応、伝えておくね。」

たぶん、その話は来るだろうと覚悟していたが、いざ直面すると心臓がトクリとして心が乱された。口に入れた食べ物は、全く唾液が出てこなくて、噛んでも噛んでも、なかなか飲み込むことができなかった。けれど、これは私が聴かなくてはいけない事だから、逃げる訳にはいかなかった。浩は私を庇って守ってくれた。そして、その代償に相手を殴った上、返り討ちにあって見るに堪えない大怪我を負ってしまったのだから。

「大丈夫。そんなに心配しなくても。それに、あのバカが勝手にしでかした事なんだから、小華が責任を感じる事はないよ。でも、真面目な小華の事だから、それは難しい事だとは思うけれど。」

「ごめんなさい……。私のせいで、誰かが傷つくことだけは嫌だったんです。私を救ってくれた「こもれび」のみんなに、私のせいで危害が及ぶことは絶対に嫌だったんです。でも……。でも、下田さんが、私を庇ってくれて、守ってくれて……。手を出した上に、あんな大怪我を負ってしまって……。」

「ハナちゃんらしいね。私達をそんな風に思ってくれてたなんてハナちゃんらしい……。ハナちゃんは本当に優しいね。」

「そんなことは……。そんなことはないです……。私なんて……。」

私のこれは、決して優しさなんかではないと思う。ただ、嫌だっただけだ。私を地獄のどん底から救ってくれた優理や城田さんや「こもれび」のみんなが、私のせいで少しでも傷つくことが嫌だっただけだった。私が身を差し出す事で、みんなに平和な日常が戻るなら、いくらでも差し出した。それを優理は優しいと言ってくれた。けれど、誰彼構わず手を差し伸べては七難八苦のただ中から子供達を救い出す優しさの究極にいる様な優理に言われても、私が優しいなどとは全くもって烏滸(おこ)がましいとすら思うのだ。

「私達の為に、自ら恐怖に立ち向かう事なんて、優しくなかったらできないよ。とっても優しくて、強い勇気がないと、あんなこと、できっこない。」

優理の言葉に涙が滲む。私は、泣き顔を見せまいと、俯きながら嗚咽を必死に我慢した。

 

「浩は、あのあと優仁と一緒に病院に行って治療を受けてね。怪我以外に特に問題はなかったって。」

私が落ち着いてきた頃合いを見て、結衣が浩の事を話してくれた。浩の身体に問題がなかった事に胸を撫で下ろす。

「相手を殴ってしまった事だけれど、お巡りさんに病院で聴取されたらしくて、とりあえずは厳重注意で済んだって。」

「厳重注意で大丈夫だったんですか?先にこちらから攻撃してしまったので、何かの罪に問われてしまわないかと心配していました……。」

「うん。私も法律とか全然わかんないから、詳細は何とも言えないんだけれど、詳しい状況は優仁か浩に聴けば分かるかも。問題は、小華の今のお義父さんのことだね……。こっちは優仁から、後で詳しい事を伝えるって言ってたよ。」

「分かりました。」

私を連れ出す為とはいえ、「こもれび」に乱暴に乗り込んできた上、浩へ無残な暴力を振るい、ただで済まされるとは到底思えなかった。それに私への虐待もある。警察に捕まった事で、本格的に事が動き始める予感がした。

「簡単だけれど伝えたい事はこんな所かな。今日は本当にショックな出来事があったから、ゆっくり休んでね……。」

「はい。ありがとうございます。」

「明日の学校は……。休むよね?こんな事があった後だし……。」

「えっ……。」

「もしかして行こうと思ってた?あんまり無理しなくても……。こんな状況なら休んだって誰も文句は言わないよ。」

「ハナちゃん、真面目だから……。明日は休んじゃいなよ!私が許す!」

「は、はい。それなら、お言葉に甘えて……。」

「小華が学校を休む事は、私から優仁に明日の朝、伝えておくから。」

「ありがとうございます。」と、私は簡単にお礼を言うと、汁物の味噌汁だけは飲み干し、他のご飯とおかずは、もったいないけれど少し残す事にした。結衣も優理も、特に何も言わずに食器類を一緒に片付けてくれた。その後、私はお風呂に入り(湯船に浸かると、また反芻思考が止まらなくなって、お風呂から出られなくなりそうだったので、簡単にシャワーで済ませた。)、誰もいなくなったダイニングのテーブルに座ると浩にスマホで連絡を入れた。

 

(この後、お時間ありますか?少しお話したい事があります。大丈夫でしたら、いつもの裏庭で待っています。)

 

浩からの返信はすぐに来た。

(大丈夫だよ。すぐに一階に行くね。)

私は浩の返信を受け取ると、掃き出し窓を開けて縁側に出る。そして地面に無造作に散らばったサンダルを足先の感覚で探して履くと、縁側に腰掛けて浩が来るのを待った。半袖シャツとハーフパンツの裾から出る素肌にひやりと夜風が当たり、風呂上がりの体温には心地良い。ふと頭上を見上げると、いくつかの星が瞬いていた。心が平穏であれば、気持ちが落ち着いていたら、きっと前みたいに綺麗だと感じることが出来ただろう。でも今の私には、何も感じなかった。ただそこで、星が瞬いているだけ。鼻を抜ける東京の夜気も、あの郷愁を感じさせる独特な薫りを伴ってはいったが、以前ほど感情を揺さぶられなかった。いつもだったら、どこか懐かしさや既視感を感じ、なんとも言えない不思議な気持ちにさせられたのに、ピクリとも心は動かなかった。頭の中は、あの男の事を中心に私のせいで「こもれび」の皆に迷惑を掛けてしまった事や、浩に怪我をさせてしまった事に対する自責の念で支配されていた。そうやって夜空をぼぉっと見上げていると、真後ろで掃き出し窓が開く軽快な音がした

「橋本さん、おまたせ。」

浩はそう言うと、私の隣に腰を掛けた。暗がりであまり顔は明瞭に見えないが、それでも痛々しく貼られた絆創膏やガーゼが見て取れた。さっきは逃げて部屋に籠もってしまったけれど、もう大丈夫だった。全く感情が動かないと言ったら嘘になるけれど、優理と結衣と話をしたから、もう心の整理がついていた。

「下田さん、夜に突然お呼びしてすいませんでした……。」

「いいえ〜、大丈夫だよ。気にしないで。今日あった事について、だよね?」

「はい……。」

会話の切り出しはそこまでで、浩との間に沈黙が流れる。私は、浩に謝りたくて、私のせいでこんな大怪我をさせてしまった事を詫びたくて、ただそれだけを伝えたかったけれど、いざ言葉にしようとすると、何と言えば良いか言葉が出てこなかった。喉に何かが詰まった様に何も言い出せないまま私は俯いてしまい、慌てて浩の方を見やると彼は夜空を無心に見上げていた。

「あの……。私……。あの……。」

無理矢理、口に出した言葉は、全く意味をなさない。ただしどろもどろに間投詞しか出てこなかった。

「うん。」

それでも浩は、いくらでも待つよと言う様に柔和な笑みを携えて、私の方を見つめてきた。

「こんな……。こんな、大怪我をさせてしまって、本当にごめんなさい。」

「どうして橋本さんが謝るの?橋本さんは何も悪くないよ。」

「でも、私が義父を連れてきてしまった様なものなので……。」

「橋本さんは何も悪くない。そもそも僕が手を出したのが始まりだし、橋本さんは何も気に病む事はないよ。」

「でも……。でも……。それで警察のご厄介にまでなってしまって……。」

「あはは、それも大丈夫。お巡りさんには少し怒られたけど、今回は厳重注意って事で済んだから。」

本当にこれで許して貰った事にして大丈夫なのだろうか。私は、「こもれび」の皆を危険に晒してしまった事に対して何か責任を取らなければいけないのではないか。でも、その具体的な方法まで思いつかなかった。私は、ただひたすら謝る事しかできなかった。

「本当に、本当にごめんなさい……」

そこまで言って、少し涙が滲んできた。もう散々泣いた筈で、優理と結衣と少し話をして落ち着いた筈で、それなのに一筋頬を伝うのが分かった。

「私……。私のせいで誰かが傷付くのは嫌なんです。私を救ってくれた「こもれび」の大切な人達が、私のせいで危ない目にあうのは絶対に嫌だったんです。だから……。だから、もうこんな無茶は……。私なんかの為に、こんな大怪我する様なことは止めて下さい。」

私が涙ながらにそう言うと、浩は優しい笑みのまま、ゆっくりと顔を左右に振った。

「ううん……。もし、またアイツが「こもれび」に橋本さんを連れ去りに来たとしても、同じ事をするよ。何度でも、殴り掛かってやるよ。」

「どうして……。どうして、私なんかの為に……。」

私がそう言うと、浩は星の瞬く夜空を見上げ何かを考える素振りを見せる。そして少し間をおくとボソリと呟いた。

 

「キミが好きだから……。」

 

私は、彼のその言葉を明瞭に聴いた。言葉の意味も良く知っていた。でもそれが、私に向けられた物であると理解すればする程、頭に血が昇っていき温度も急速に上がっていった。いつの間にか彼は柔和な笑みを止め、真剣な眼差しで私を見つめていた。私も、何かに固定されてしまった様に彼から視線を外す事ができない。彼が普段、あまり見せることのない硬く真剣な表情が、さっきの告白が本気の言葉であることを示していた。私の感情は急転直下で一気に掻き乱された。さっきまで、今回の騒動に対する自責の念が心を支配していたのが嘘の様にピンク色に染まっていった。それと同時に、浩が私の前に立ちはだかって悪漢から守ってくれた事、その時に言ってくれた言葉を思い出して、涙が止め処なく流れ出た。


(小華が!小華が、どれだけ苦しんだと思ってる!!どれだけ苦しくて、辛くて、惨めで、一人ぼっちで悲しんでたと思ってるんだ!!)

 

「嬉しい……。私、嬉しいです……。下田さんが、アイツから私の事を守ってくれて、アイツの前に立ちはだかって私を庇ってくれて、私、とっても嬉しかったんです。私……私も下田さんの事が好きです……。」


勢いで言ってしまった。混沌とする感情に身を任せて、人生で初めての告白をしてしまった。胸元でTシャツを強く強く握りしめた両手の掌は、手汗でぐっしょりと濡れている。騒動の自責の念と浩からの告白、そして勢いに任せて私も浩に告白をしてしまったという現実、それぞれが一気に胃の辺りの腹部に流れ込み、混ざり合い、形容困難な感情に包まれていた。しかし、これだけは確かに断言ができた。「幸せ」だった。好きな人と両思いになれたというリアルがそうさせていたのかもしれない。けれど、このよく分からないごちゃごちゃとした感情は、幸せである事に間違いはなかった。私は浩をじっと見続けていて視線を外せないでいると、浩が真剣な眼差しはそのままに、ふと私の両肩を優しく包む。女とは違う、大きくて優しい男の子の手だった。胸元のTシャツを握る手に一層の力が入る。すると、目を瞑った浩の顔がゆっくりと近づいてくる。真剣だけれど、何処か不安気でぎこちない表情。私は状況を悟り、咄嗟に目を瞑った。静寂に包まれた「こもれび」で、心臓の鼓動だけが、トクリ、トクリ、と響く。股座の辺りが変に熱く滑り気を感じ、妙にむずつく。目を瞑った2秒後くらい、柔らかい熱を帯びた粘膜質が私の唇に触れた。もう頭の中は真っ白でまともな思考はできる状態ではない。ただ、幸せだった。ただ、ただ幸せだった。好きな人との初めての口づけは、鉄の味がした。

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