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白いワンピース

 佳奈の一件があった後、優理(ユリ)の憂いに満ちたあの笑顔が、どうしても頭から離れず悶々とした時間を過ごしていた。次の日の金曜日は、授業中ずっと暇さえあれば循環思考のループに陥っていたし、その度に優理の心情を想像してみては胸が締め付けられ、彼女を想う感情が止まらなかった。

 

 (いつも天真爛漫な優理さんが、どうして悲しい笑顔をするの?あんな顔、似合わないよ……。)

 

 結衣の口ぶりや、優理の悲しげな笑顔から類推して、既に彼女の母親が恐らく故人であることは、なんとなく感じ取っていた。証拠がある訳では無いし、誰かから聴いた訳でもなく何の根拠もない。ただ、昨日の夜から答えの出ない思考を巡らせた結果、そんな気がしたのだ。いずれにしても、いつも元気いっぱいな優理と、その内面にある悲愴を思い比べては、優理のあの天真爛漫な気質が残酷とさえ思えてしまった。

 週末の日曜日は、優理、結衣(ユイ)と水族館に行く予定になっていた。その間の金曜日と土曜日も、いつも通り優理との会話はあったのだが、どこか対応が余所余所しくなってしまったかもしれない。優理はいつも通り接してくれていたが、どうしても優理の笑顔を見ると、脳裏にあの悲しげな笑顔が()ぎる。その度に私の心には(さざなみ)がたち、普段通りに反応できたか自信がなかった。きっと優理の事だから、既に感づいているのだろう。優理は、とても感受性が高くて、他人の機微やちょっとした変化を見逃さない。以前、連休中に私が落ち込んでいた時も、他人には気付かれない様に振る舞っていたはずなのに、優理には簡単に見破られた事があった。

  

 日曜日の朝。10時出発の約束だったのだが、いつもの習慣で7時半に起きてしまい、身支度をしたり朝ご飯を食べたり、ゆったりとした時間を過ごしていた。まだ、優理と結衣は部屋から出てこない様だったので、私も部屋に戻り時間まで小説の続きを読もうと部屋に戻る。しかし、机に座りページを(めく)るのだが、文字が頭に入って来ず集中できない。この後、どういう顔をして優理と接すれば良いのか、気持ちの整理が出来ていないのだ。優理は何も悪くない。私が勝手に、彼女のあの悲しげな、憂いに満ちた笑顔を意識し、勝手に思考を巡らせた結果、優理への接し方が分からなくなってしまっただけなのだ。思い切って、優理に直接聴いてしまおうか。きっと優理なら答えてくれるかもしれないが、それは私には出来ないことは自明だった。他人の懐。特にプライベートな領域に踏み入る事は心理的な抑圧があって大の苦手だ。頭で想像できても、実行に移せた試しはない。それに、彼女が私に黙っている事なのだから、無理に聞き出す様な真似は気が進まなかった。私は小説を読むことを諦めて、今日着ていく洋服の準備をすることにした。とは言っても、既に着ていく服は決まっていて、「こもれび」に来たばかりの頃に、優理と結衣がユニクロでコーディネートしてくれた白いワンピースを、昨日の内に壁のハンガーフックに掛けておいた。実は、まだ一度もこのワンピースに袖を通した事はなく、優理が選んでくれた時に「今度、このワンピースを着て一緒に水族館に行こう!」と言っていた事を覚えていて、それまでは一度も着ずにとっておいた。だから、今回が卸したてだ。ワンピースは半袖で、白のリネン生地で触り心地が良く、首元が襟になっている。スカート部分のドレープが、ゆるふわな印象を持たせるロングのワンピースで、正直こんな女子女子した服を着て外を歩けるのか自信がなかった。ユニクロで試着した時は、優理と結衣が絶賛してくれた事を思い出したのだが、気恥ずかしくて益々着るのが億劫になってくる。しかし、折角2人がコーディネートしてくれて、「こもれび」のお金で買ってもらった洋服をクローゼットに仕舞ったままにしておくのは、もったいないと思い気合と勢いで袖を通した。部屋の扉を入って左の壁に掛かっている姿見で、変な所はないか確かめたのだが、何だか普段の自分ではなく、どこかコスプレをしている様で、段々と見るに堪えなくなってくる。優理との関係の心配よりも、何だか自分の様相の方が心配になりつつあった。

 (今日、この格好で街を歩けるだろうか……。)

 髪を櫛で整えたり、ああでもない、こうでもないと、自分の白いワンピース姿を色々と触って調整したりしていたが、結局、満足のいく結果にはならなかった。そもそも、格好自体がゆるふわで甘すぎて、自分のイメージとの乖離が大きすぎるのだ。時間は9時半頃。出発時間も迫ってきた。ずっと部屋に籠もったままでは埒が明かないので、意を決して外に出る事にする。自室の扉のノブに手を掛け、がちゃりと廊下に出る。すると、ほぼ同時に、廊下の突き当たりにある浩の部屋の扉も開き、中から本人が出てきた。半袖短パンのラフな格好で、ちょうど起きてきた所らしい。廊下にて鉢合わせとなった。

 (……。見られた……!)

「あ、橋本さん、おはよう。」

「あ……。あの、おはようございます……。」

 まさか一番最初に見られたのが、よりにもよって浩であり、脳内がパニックになりつつあった。自室でワンピース姿と格闘し大分慣れたと思っていた気恥ずかしさが、一気に込み上げてくる。

「その服、何だか気合入ってるね。どこか、お出掛け?」

「えっと、その……。はい、優理さんと結衣さんと、品川の水族館に行く約束で……。あの……変じゃないでしょうか?」

「ん?全然、変じゃないよ。似合ってると思うし。えっと……。その、何だろ……。」

 浩が似合っていると言ってくれて少し安堵したのだが、彼は右手で後頭部を触り始めると、少し目線を斜め上に逸らし虚空を見つめた。少し落ち着きがない様に見えて、私はどうしたのだろう?どこか変な所があるのだろうか?と小首を傾げる。 

 「可愛い……。と思う……。」

 次の浩の一言は、私を上気させるのに十分だった。一瞬の内に、顔は熱を帯び、鼓動は早鐘を打つ。毎度の反応であって、自分自身へ流石にいい加減に慣れろと言い聞かせるのだが、全く効果はない。浩に可愛いと言われた事が、本当に嬉しくて、でも気恥ずかしくて、彼の顔を見ることが出来なくて、ずっと床の木目を凝視する。急に手汗の発汗も酷くなり、誤魔化す様にスカートの裾をぎゅっと握りしめると、生地に水分を染み込ませた。

「あ、あ……。ありがとうございます!」

 私は、その一言だけを言うと、走り去る様に一気に階段を駆け下りた。

 

 一階に降りると、優理と結衣は既に準備を済ませていて、ダイニングキッチンのテーブルに座っていた。

小華(コハナ)、おはよう。どうしたの?そんな慌てて?顔、真っ赤だよ?」

 急に階段を駆け下りたからか、少し息が上がった私は息継ぎをしながら「い、いえ。特に何も……。」と言うが、その振る舞いには違和感しかないと思う。すると優理が私の方に近づいてきて、自分の額を私の額に近づける。(てのひら)で、おでこを触るだけで良いのに、自分の額を触れさせる所が優理らしいと思ったが、彼女の黒目がちで黒曜石の様な艷やかな瞳が眼前に迫り、一瞬、息が止まる。当然、彼女の呼気が私の顔に触れ、果実の様な甘い香り(ブルーベリー?)が鼻をついた。同性であるのに妙に胸が騒いでしまう。

「ちょっと熱い?」

 優理はそう言うと、今度は両手を私の首元に持ってきて、顎の下辺りを覆う様に包みこんだ。彼女の温かな(てのひら)が心地よい。

「う〜ん、大丈夫かな〜?微熱?ハナちゃん、ダルくない?」

「えっと、大丈夫。風邪とかではないですから。元気です。」

「なら良かった。でも無理しないでね!水族館は何時でも行けるから。」

「優理さん、ありがとう。」

 すると結衣が「大丈夫そう?なら小華も来たし、そろそろ出発する?」と言い、テーブルの上のお皿などを片付け始めた。どうやら朝ご飯にトーストを食べていた様で、お皿の横にブルーベリージャムが置いてあった。さっき、優理の甘い呼気に狼狽えてしまったが、その原因に合点がいった。

 

 3人で「こもれび」の外に出る。絶好のお出掛け日和で、雲一つない青空が広がっていた。春の温かな空気には不思議な力があって、その陽気を胸一杯に吸い込むだけで、何だかうららかな気分になった。「こもれび」に来てから、こういった自然の心地よさを感じる事ができるようになったのは自分の大きな変化だった。これまでだったら、曇天だろうが、雨だろうが、晴れていようが、全くどうでもよくて何も気にしていなかったのに。私の前を歩く二人は、外出だからか装いに気合が伺える。優理は、ゆったりとした淡水色のワンピースに白い薄手のニットカーディガンを羽織っていた。いつもの陽気な優理に反し、ロングの綺麗な黒髪を三つ編みのハーフアップに結んでいるのも相まって、大人っぽくお淑やかな印象を持たせる。もしかしたら私のワンピースに合わせてきたのだろうか。結衣は、インディゴブルーのスキニージーンズに、白のハイネックセーターというシンプルな出で立ちだった。春の陽光に照らされた艷やかな黒髪のショートカットに、白いセーターが良く映えている。結衣は元々身長が高くてスタイルが良いけれど、スリムなジーンズのせいで、より足が長く見える。セーターも女性的な凹凸が垣間見えて、一緒にいると大人と子供が並んで歩いている様な場違い感を感じ、何だか自信が無くなってくる。暫く最寄り駅に向かって歩いていると、優理が私の方をちらっと見やり、私の側にやってきたかと思うと私の左腕に自分の右腕を絡ませてきた。今ではもう慣れたが、優理のいつもの行動パターンだ。

「ハナちゃん。ワンピース、すっごく似合ってるよ!」

 私より少し身長の低い優理が、若干の上目遣いで私の顔を覗き込みながら言う。結衣も、「小華は、これくらい清楚な格好の方が合うかもね。普段、大人しい感じだから凄く似合ってるよ。」と、歩きながら朗らかに言ってくれた。「こもれび」を出てくるまで心配の種だったが、3人で歩いていると、どうという事はなかった。自分一人で勝手に不安になっているだけで、周りの人々は他人の格好など真剣に見てはいないのだ。

「ありがとうございます。ちょっと恥ずかしかったけど、3人で歩いていると平気みたい。」

「前に、このワンピース来て水族館に行こうって言った事、覚えててくれたの?」

「うん。それに、なかなか着るタイミングが掴めなくて……。」

「ハナちゃん、ありがとう。覚えててくれて……。」

 私の横で歩く優理は、いつもの元気な優理だった。その天真爛漫な笑顔を見てるだけで、こっちも元気を貰うことができるくらい、力強くて可愛くて朗らかな笑顔。でも、その笑顔の裏にある悲愴に満ちた笑顔を知っている私は、やはり素直に彼女の笑顔を受け止める事ができない。その天真爛漫な笑顔には、彼女の母に関する悲痛な理由があるのではないかと勘ぐってしまう。私は、誤魔化す様な笑顔を優理に向ける。たぶんいつもの自然な笑顔は出来ていない気がする。優理なら、その歪さに一瞬で気づくだろう。それでも彼女は、「どうしたの?何か困りごとでもあるの?」とは聴いてこなかった。本当は私の歪な笑顔に気づいていないのか、それとも既に優理自身がその原因に気づいているのか。

 私は、彼女の悲痛な笑顔の理由に寄り添いたい。彼女の悲愴な過去に寄り添いたい。それだけなのだと、左腕から伝わる彼女の体温を感じながら悟る。私如きに彼女を救えるとは思っていない。けれど優理は、私が地獄の底にいる時に手を差し伸べてくれた、救ってくれた。耐え難い七難八苦のただ中にいる私を、優しく抱きしめてくれた。優理が居たから、裂けて潰れた心が再起できた。だから今度は、私が優理を支えてあげたいと、もはやエゴの塊である様な感情が私の心を支配ていた。 

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