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お母さん

 連休明けの1週間は、休みボケの頭と憂鬱な学校の二重苦で辛い日々が続いた。初日の朝は、目が覚めると優理(ユリ)が目の前で涎を垂らして気持ち良さそうに寝ていたので、暗い気持ちも紛れたのだが、やはり学校に行けば胸の奥まった所に、鈍色で鈍重な憂鬱感が澱のように沈んでいて、心と身体を蝕んでいた。周りも感じていることは概ね同じ様で、クラスで話すことのできる友人がいない私でも、周りの生徒達から休み明けの暗澹たる雰囲気を感じ取ることができた。高校に復帰してから約1カ月が経とうとしている。しかし私は、未だに友達の一人も作ることはできていない。高校入学直後、実家での一件や「こもれび」への入所などが重なり、学校に復帰した時には殆ど人脈形成がなされた後だった。私にとってグループの輪に新たに入ることは至難の業で、根暗で引っ込み思案でコミュニケーションが苦手な自分には不可能だった。それが学校に行くことを憂鬱にさせている一因でもある。もし優理の様に、天真爛漫で人の懐にズケズケと入って行くことができたら、1日で一気に複数人と友達になる事も造作もないのだろうが……。

 

 連休明けの週末に、優理と水族館に行く約束を楽しみにしながら日々を乗り越え、休みボケも少し解消されてきた木曜日の夜。22時半頃にベットに入った後、ちょうど寝入り端での出来事だった。何だか階下での様子が少しおかしいと感じ、ふと目が冴える。いつもこの時間であれば、静寂に包まれている「こもれび」なのだが、小さな女の子の話し声や、時折、泣き声の様な響きが階下より伝わってくる。一瞬、幽霊やお化けの類かもしれないと想像してしまい背筋に怖気が走ったが、次第に泣き声が大きくなってきて、そうではない事を悟る。声音から女の子の物である事が分かるので、1階で寝ている優理か琴音(コトネ)、もしくは佳奈(カナ)だろう。優理が、夜中に泣き出す所は想像できないし、琴音は小学5年生には見えない程しっかりしているので(小学6年生の優理よりも落ち着いて大人っぽく見える)、泣いている所はあまりイメージできなかった。兎に角、何かトラブルでもあったのかもしれないと思い、身体を起こすと急いで1階へ足を運んだ。階段を降りて廊下に出ると、真っ暗で少し怖さも感じる。暗い中を壁伝いに歩き、手探りで壁のスイッチを探し当てると、廊下の蛍光灯を点灯させる。そして直ぐにダイニングキッチンの明かりも点けると、どうやら泣き声は、お風呂場の方、やはり女子小学生の二人の部屋から聴こえてきて、さっきよりも大きく激しくなっている様だった。急いで二人の部屋の前に行くと、引き戸を2回ノックする。

「あのっ、小華(コハナ)です。大丈夫?何かありました?入ってもいいですか?」

 すぐに「小華さん、入ってきて大丈夫ですよ。」と琴音の声がしたので、引き戸を開けて中に入る。すると部屋の中は電気が付いていて、ベットの上で琴音が女の子座りをしながら、泣きじゃくる佳奈を胸元に抱きかかえている光景が目に入ってきた。時折、佳奈の頭を撫でながら落ち着いてあやしている所を見ると、琴音が如何に大人びているかを感じることができる。私なんかよりも、ずっとしっかりしているし、その立ち居振る舞いは立派なお姉さんだった。

「何かあったんですか?大丈夫です?」

 私はベットの側に近づくと、膝立ちになって二人に話しかける。佳奈は、未だに激しく泣きじゃくり落ち着きそうもない。

「小華さん、来てくれてありがとうございます。大丈夫ですよ。たまにあるんです。」

 そう言われて、せめて私がしてあげられる事はないかと逡巡した結果、琴音と一緒に彼女の頭を優しく撫でながら声を掛けてあげる事しか出来なかった。

「佳奈さん、大丈夫。私もいますから……。」

 そうしていた矢先、他の「こもれび」の住人も事態に気づいたのだろう、開け放した部屋の入口から優理が部屋に入ってきた。その後を追うように結衣(ユイ)も姿を見せる。

「どうしたの佳奈〜。悲しくなっちゃった〜?」

 優理は柔和な笑みを浮かべながら優しく朗らかに言うと、佳奈の小さな頭を優しく数回撫でる。そして彼女の両脇の下に手を入れて一気に抱きかかえた。向かい合わせで抱っこをした形になり、揺り籠の様にしてゆっくり揺れると、彼女をあやし始めた。

「ほらほら、泣かないの〜。怖い夢でも見ちゃったかな〜?」

 優理の一言を切っ掛けに、佳奈の泣き声は一段と大きくなり、泣き止む気配は微塵も感じられなかった。

「あはは……。佳奈〜。泣きたい時は一杯泣きな〜」

 結衣は、微苦笑を浮かべながら言うと、優理に抱っこされた佳奈の頭をくしゃくしゃと撫でる。さっきの優理の言葉とは逆の意味であることが、少し微笑ましくも感じた。泣きじゃくる嗚咽の中で、息も絶え絶えに佳奈の一言が聴こえる。

 

(……。お母さんに……。会いたい……。)


 それから佳奈は、泣きながら、そして嗚咽交じりに「お母さんに会いたい」と、ずっと言っていた。以前、佳奈のご両親は、佳奈が小学1年生の時に事故で亡くなったのだと、家事の手伝いをしていた時に田辺さんから伺っていた。だから優しくしてあげてねと。佳奈は小学3年生で、まだ甘えたがりな年頃だ。それに、普段はお転婆な佳奈のことだ。本来であれば、まだまだ沢山お母さんに甘えていたであろう事は想像に難くない。そして激しく泣きじゃくる彼女を見れば、私の様に恨み辛みがあるのではなく、きっと純粋に大好きだったお母さんとの突然の別れだった事は明らかだった。

 

「そっか〜。佳奈も私と一緒だね〜。私もお母さんに会いたいよ〜。」


 優理の笑顔が一瞬、憂いを含んだ様に見えたのは気のせいだろうか。優理の言葉を聴いて、興味と驚きが入り混じった様な複雑な気持ちが、胸中にどっと溢れてくる。優理の母の事は、気にしていなかった訳ではない。初めて城田親子と出会ってから、これまで「こもれび」で生活をしてきて、優理の母、優仁(ユウジ)の奥さんが「こもれび」に居ないのは不思議に思っていた。離婚や死別など色々と頭の中では考えていたのだが、教えてくれる機会もなく、センシティブな側面もあり、私には聴くことができなかったのだ。 

 優理が、佳奈を抱っこしてゆらゆら揺れながらダイニングキッチンの方へ行くと、私の隣に佇んでいた結衣が口を開く。

「小華、一番に駆けつけて来てくれてありがと。佳奈のお父さんとお母さんが亡くなってから、まだ2年位だからね……。たまにあるんだ……。」

「いえ……。なんか1階で違和感を感じたので、ちょっとおかしいなって……。」 

「きっと夢にお母さんが出てきたんだと思います……。寝言で、良くそんな言葉が聴こえるんです。」

 そう言うのは琴音だった。彼女は、こんな事態が起こっても落ち着き払っている。いつも佳奈の面倒を見ているから、こういったアクシデントは日常茶飯事なのかもしれない。

「佳〜奈!あんたは大丈夫?落ち込んでない?」

 結衣は、突然手を伸ばしたかと思うと、佳奈の綺麗な黒髪をくしゃくしゃと撫でた。

「私は……大丈夫……。です。」

 頭を撫でられたせいで顔を少し歪めながら佳奈が言う。私から見ると、逆に佳奈の方を心配になってしまう所も感じていた。いつも落ち着いていて大人びている彼女。決して弱みを見せたりはしない。佳奈がどんな境遇で「こもれび」に来たのかまだ知らないし、それに彼女だってまだ小学5年生の女の子だ。悲しいことや辛いことはあるはずで、溜め込んだりはしていないだろうか。彼女の横顔をじっと見ながら、そんな事を思い浮かべていた。それに気づいた琴音は、どうたの?とでも言う様な、きょとんとした可愛らしい表情を見せる。私は、その表情に少し狼狽えてしまい、誤魔化す様に微笑むだけだった。

  

 会話の区切りがついた時、さっきから優理の一言が気になり、心のざわつきが収まらないので、思い切って聴いてみることにした。

「あの……。そう言えば、さっき優理さんが言っていた事なんですけれど……。「私もお母さんに会いたい」って……。優理さんのお母さんって……。」 

「もしかして優理、まだ小華に話してないの?」

「……はい。実は優理さんのお母さんのこと、何も知らなくて……。ちょっとデリケートな事かなと思って、私もあえて聴いてなかったのですが……。」

「ほんと全く……。別に本人も隠してる訳ではないと思うけれど、小華になら話したって大丈夫だと思うし、むしろ話してない事の方が不信感だよ……。」

「……。やっぱり、知らないままで大丈夫です。優理さん自身の考えとか気持ちもあるんでしょうから、大丈夫です。」

「いや、「こもれび」に住んでいるなら知っておいた方が良いと思う。私から言っても良いけど……。う〜ん。やっぱり本人の口から聴いた方が良いと思うから、あとで優理に言っとくね。ちゃんと小華に話しなよって。」

「……はい。」

「でもあんまり深刻に捉えないでね。別に特別な事がある訳ではないから。」

「分かりました。」

 

 その後、私と結衣、琴音は、優理と佳奈の様子を見にダイニングキッチンへ向かった。すると掃き出し窓が空いており、外から、どこか懐かしさや郷愁とでも形容できる様な、独特な春の香りを含んだ夜風が入り込んで来て、心身共に心地よい。優理は、佳奈を抱っこして気晴らしに裏庭を散歩していたらしい。私達がダイニングキッチンに入るとほぼ同時に、掃き出し窓から中に戻ってきた所だった。

「優理。佳奈の様子はどう?」

「泣き疲れて眠っちゃったみたい。」

 優理に抱きかかえられた佳奈は、優理の肩に頭を預ける様にして可愛らしく目を瞑っていた。泣き腫らした目元には、涙の後が薄っすらと残っている。

「そっか……。とりあえず落ち着いて良かった……。」

 結衣がそう言った直後くらいに優仁が、階段のある廊下側の扉を開けて入ってきた。優仁の部屋は、階段のちょうど正面にあるので、ダイニングキッチンから比較的近く、事態を察知して起きてきたのだろう。

「どうしたの、皆こんな時間に。何かあった?」

 優仁は眠そうな目を擦りながら言う。

「お父さん、遅いよ……。もう大体落ち着いちゃったよ……。」

「優仁は、肝心な時にいないんだから……。」

「えっ、うそ……。ごめん、ごめん。寝てて気づかなかったよ……。」

 結衣と優理の手厳しい言葉に、優仁は眉間にシワを寄せ苦笑いをすると、少し申し訳なさそうな顔をする。私達は優仁に、佳奈が夜中に泣き出して、みんなで介抱をしていた事、今はもう優理に抱っこされて落ち着いて寝てしまった事を伝えた。優仁は、「さすが、「こもれび」の女子達は頼もしいな〜。みんな、夜遅くにありがとう。」と言う。

「お父さん感度低すぎ〜。ハナちゃんなんて、2階に居るのに一番に佳奈の異変に気付いて来てくれんだよ。」

「えっ、そうだったの?小華さん、凄いね。良く気付けたね。本当にありがとう。」

「いえ、何かいつもと違う雰囲気を感じたので、少し心配になって……。」

 そう言えば私は、これまで誰かに褒められたり、感謝されたりという経験が、あまりなかった。優仁に真剣にお礼を伝えられて、少しむず痒い様な、気恥ずかしい様な気持ちになってしまう。 

 事態も落ち着いた所で、優理が佳奈の事をゆっくりと彼女のベットに寝かせ、他のみんなも寝床につくことにした。時計は23時半になろうとしている。私も部屋に帰り、ベットで横になった。そして目を瞑ると、さっきの優理の言葉と表情を、脳内で何度も何度もリフレインした。

 

 (そっか〜。佳奈も私と一緒だね〜。私もお母さんに会いたいよ〜。)


 その時の優理の笑顔が、脳の表面にべっとりとこびりついて離れない。あの、憂いを含んだ不思議な笑顔。いつもの天真爛漫な笑顔とは、一線を画す物だった。あの時、優理はどんな気持ちだったのだろうか。どんな感情だったのだろうか。優理のお母さんは、どんな人で、今どこに居て、果たして生きているのだろうか。死別や離婚、刑務所など、考えるのも憚れる様な様々な可能性が頭の中を駆け巡った。純粋に私は、優理をあんな表情にさせる、彼女の母の事を知りたかった。結衣は、別に特別な事はないと言っていた。それならば、これまでに話してくれても良いはずではないか。私は、これまで優理と、かなりの距離を縮める事ができたと思っていたが、きっと私は優理に、まだそこまで信用されていないと言う事なのだろう。それはそれで仕方のない事だと思うし、私もそこまで自惚れている訳ではない。優理の、あの強烈なキャラクターがあるから、私でも近づくことができたのだ。元来私は、根暗で引っ込み思案で、他人とコミュニケーションがまともに取れない人間だ。そんな人間が、世の中で信用されないのは普通だと思うし、優理の判断は間違っていない。もしかしたら全く別の理由があって私に話せないのかもしれないが、たとえ私は、彼女にどう思われていたとしても、彼女自身の気持ちを一番に尊重したい。この思いだけは決して揺るがない。私は、優理のことが大好きだから。

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