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63.祝勝会とお邪魔虫

 悲願――というほどでもないが、目的を達成した翌日にも関わらず、今までと大して変わらない一日を過ごす。

 城で働いている人たちから適当に距離を取られているのも変わらない。

 別段、距離を詰めたいと思っているわけじゃないから問題ないけれど。

 違ったのは早朝にお姫様とお茶をしたこと、ゴルドルさんにお疲れさんと言われ、ダイム先生と今後の授業の方針を相談したことくらい。そういえばゴルドルさんにはあとで錬気の達人を紹介するとも言われた。

 ……けっこういつもと違うかもしれない。変わらないのは一部を除いた周りの態度くらい。


「ま、そんなもんか。俺が納得できるかどうかの問題だったし、他の人には対して関わりない話だ」


 俺の目標が達成されたかどうかなんて関わりが無いひとにはそれこそ関心のないことだろう。

 ダイム先生の座学を終えて部屋に戻る。


「さて、何をしようか」


 夕食までまだ時間がある。一昨日までは魔法を封じる方法を探していた時間だが、やることがなくなった。

 魔法への対策法を持っておくにこしたことはないが、差し迫った期限がなくなってしまった今、研究をしようとしても集中できないこと請け合い。

 そもそも対魔法の魔法陣は戦う場所を指定できるという前提のもとで作っていたので汎用性が皆無。対策の方向性も考え直さなくてはいけないがアイデアが浮かぶ気がしない。


 急にぽっかり時間が空くと、何をすればいいのか迷ってしまう。

 やるべきことはいくらでもある。

 強くなっておきたいのだから訓練をすればいい。魔法について学んで対策を練ればいい。

 だが、直近の目標をひとつ達成したことで気が緩んでいる。


「……明日から何をするか、考えるか」


 そして出したのはそんな結論。

 お姫様への報復の準備も大事だが、できない理由がタイミング。ひとまず四ノ宮が立ち直ってから考えた方がいい。

 緊張感に欠けた状態で訓練をしたら怪我をするだけ。集中できないなら勉強しても意味がない。

 せっかくなのでちょっと休んでおこう。朝までがっつり寝たからあんまり疲れてないけども。

 木刀に大きな損傷がないか確認しながらぼんやり考えていると、ドアがノックされた。

 返事をする前にドアが開いた。

 やって来たのはチファだった。別に構わないけれど、返事を待たずにドアを開けてしまうのはメイドとしてどうなのかと思わないではない。


「失礼します。タカヒサ様、ちょっとお時間よろしいですか?」

「時間はいいけど、どうかした? 夕食……にはまだ早いよな」


 腹時計的にも外の日差し的にも夕食の時間はまだ先のはず。

 他にチファが尋ねてくるような要件は思い浮かばなかった。

 もちろん要件なんかなくても歓迎するけれど。ちょっとおしゃべりしたい気分、と言われたら朝までだって付き合う所存。


「夕食といえば夕食のような。違うと言えば違うような。……ええと、来てもらえればわかります!」

「チファ、説明はちゃんとしなきゃ駄目だぞ。まあいいけど」


 チファの様子から察するに深刻な要件ではなさそうだ。重要な要件ならきちんと説明してもらわなければ困るが、そうではなさそうなので軽く注意するにとどめる。

 危険が伴うことならチファがこんなきらっきらした目をしているはずがない。もっと深刻そうな顔をしているはず。ならばそれほど警戒することでもない。嫌な予感もしないし。

 よいせと立ち上がると鼻息荒めなチファに手を掴まれ、引っ張られる。エスコートと言うにはずいぶん荒っぽい。

 年下の女の子にエスコートされる男とか、想像するだに情けない絵面なので構わないけれど。


 引っ張られて歩くのはなじみある廊下。方向から考えても目的地は途中で予想できた。

 食堂だ。夕食にはまだ早い時間。厨房はともかく普段なら誰もいないはず。

 しかしチファに手を引かれて食堂に入ると、普段よりちょっと豪華な夕食と果物の甘い香り、それからいくつもの見知った顔に出迎えられた。


「マールさんにウェズリー、シュラット、日野さんに坂上まで。これ、どういう集まりなんだ?」

「……タカヒサさん、だいたい分かって言ってますよね」

「いや、察しはつくけど。違ったら自意識過剰みたいで死にたくなるほど恥ずかしそうだし」


 マールさんに指摘され、白状する。

 ひとまず目的を達成した俺。チファのどこか得意げな顔。豪華めな料理。集まっている顔ぶれ。

 これだけの条件がそろっていればこれが何の集まりかくらい想像できる。

 想像が間違っていたら、ミスリードのしすぎだと逆切れして誤魔化そうと思う。

 俺の返事を聞いておかしそうにくすくす笑っていたマールさんが笑いを収めた。


「たしかにそうかもしれませんけど、タカヒサさんが察した内容で間違いないと思いますよ?」


 そう言ってマールさんがチファたちに目配せする。

 チファ、ウェズリー、シュラットが小さく頷き、笑顔を浮かべながら一斉にこちらを向き、


「「「「勇者戦、お疲れ様 (でした)」」」」


 四人同時に同じような言葉を口にした。ちなみにお疲れ様にでしたを付けたのがチファとマールさんである。

 まるでシャンパンでも開けそうな雰囲気だ。特にチファはドヤ顔をこちらに向けている。なでくりたい、その頭。


「どうぞタカヒサ様、お飲物です!」


 チファはコップをお盆に乗せて持ってきた。

 コップには透明な液体。だが、水ではない。ほのかに甘酸っぱい柑橘系の匂いがする。果実水か。

 遠慮なく受け取って、空いた片手で実際に頭をなでくってやる。ふへー、と笑ったチファは抵抗する素振りを見せず、おとなしくなでくられる。


「ありがとな、チファ。わざわざこんな企画立てて、料理まで用意してくれて」

「あ、お祝いをしようって言ったのはマールさんです。食材の準備もしてくれたんですよ」

「そうなのか。マールさん、ありがとうございます」

「いえいえそんな。食材の使用はジア様が許してくれたんです。それに料理を作ったのはチファだもんね?」

「はい! マールさんとがんばりました!」

「そっかー、えらいぞー」


 褒めて! と言わんばかりに目を輝かせていたので、もうちょっとなでくり続行。適度にわしゃっとした感触が手に心地いい。


「それと、果物を買うお金はお二人がくださったんです」


 マールさんが日野さんと坂上のいる方を示す。二人はちょっと居心地悪そうにしながらもぺこりとこちらに頭を下げた。俺もついお辞儀で返す。ひとまずお辞儀をしてしまうのは日本人の性というものか。


「……とは言っても買ってきてくれたのはウェズリーとシュラットなんだけど」

「わたしたち、こっちの食べ物のことはあんまり知らないから、任せちゃったんです」


 ふたりはこちらに歩み寄り、こそっと白状する。その後ろでウェズリーとシュラットが謎のポーズを決めていた。

 日野さんと坂上は自分たちだけ手抜きをしたように感じているのかもしれないが、そんなことはない。

 リンゴっぽい果物とかがあることは確認済み。しかしそれがこちらでもリンゴという名前で売られている保証はない。同じ見た目、同じ名前でも味が違うことだってあるかもしれない。

 だったらこちらの常識をよく知ってる人に任せるというのは普通に妥当な選択だ。


「それよりも俺には二人が金を持ってることが不思議なんだけど」


 こちらに来て以来、訓練場とお披露目の時以外は城から出ていない。おかげで金を使う機会なんかなくて気付かなかったが、俺は無一文である。

 やはりチーム勇者には金が支給されているのだろうか。


「わたしは治療院で働いてますから。お給料もちょっともらっています」

「私は詩穂みたいに特定の場所で働いているわけではないけれど、魔法の練習がてら訓練場の整地とかをしたんだ。ちょっとした御用聞きをして、その報酬をもらっている」


 坂上はともかく、日野さんも案外馴染んでいるらしい。正直以外だ。

 一瞬、日野さんの所持金はお姫様からカツアゲでもしたのかと思ったことは秘密にしておこう。


「まずは、お疲れさまでした、先輩。それと、ありがとうございました」

「……ありがとう?」


 坂上がぺこりと頭を下げた。

 お疲れ様、は分かる。けれどありがとうと言われる覚えはない。


「はい、ありがとう、です。お願いを聞いてくれました」

「お願い……ああ、むしろ悪いかった。もう少しで四ノ宮をやっちゃうところだった」

「それでもちゃんと征也くんは生きています。それに、もうひとつの方も。先輩はケガしないでくれました。……わたしが気付いてないだけで実はケガしてるなんてないですよね?」

「ないよ、一発ももらってないし」


 攻撃は何度も受け止めたが、全て勢いが乗る前のもの。錬気を使えばあの程度でダメージを受けたりしない。

 むしろ、錬気解放で受けた反動が一番きつかったりした。


「私からもありがとう。あの馬鹿の目を覚まさせてくれて」


 次いで日野さんも頭を下げる。

 俺は浅野が四ノ宮に説教してるところまでしか見ていないが、日野さんの口ぶりからするとうまくいったらしい。

 しばらく四ノ宮の目が浅野に向かえばいい、そのまま仲直りして浅野がブレーキ役になってくれればいい、という程度の目論見だったが予想以上に順調なようだ。

 ……順調過ぎて男女の関係になってなきゃいいけど。


「それもお礼言われることじゃない。四ノ宮に浅野をあてがったのは俺の都合だし」


 四ノ宮がまともな状態に戻るよう趣向を考えたのは日野さんのためじゃない。

 俺はこれから四ノ宮を活用していきたい。

 お姫様が帰る方法を準備してくれているらしいが、それも確実というわけではない。お姫様と日野さんの契約は「可及的速やかに送還する」こと。つまりお姫様が魔力の調達とかに失敗したら帰れなくなる。

 帰るためにはやっぱり魔王を倒してもらえると助かる。

 それに、四ノ宮がきっちりフォルトを守ってくれれば俺の安全レベルも上がる。

 つまるところ、四ノ宮を殺さなかったのも説教したのも、完全に自分の都合なのである。


「ううん、お礼を言うべきことだ。いちおう征也は弟みたいなものではあるから。あんまり考えなしなのも、人に迷惑をかけるのも見ていられない。おかげで少しは視野が広がった――と思いたい」


 最後にちょっと日野さんは目を逸らした。

 ここ最近の四ノ宮の振る舞いを鑑みたら不安になったらしい。

 俺としても不安は残る。

 浅野は四ノ宮信者みたいな一面があった。最近はそうでもないと思えてきたが、四ノ宮が復調したことで再発しないとは限らない。

 俺にとって最悪の展開は浅野が四ノ宮のアクセル役になってしまうこと。

 さすがにまた俺につっかかってくるとはないと思いたいが、そうでなくても四ノ宮がバカした時にアクセルをかけられるとか、大真面目に御免蒙る。


「それに、村山くんにとって一番簡単なのは征也を殺すことだったでしょう? 殺してしまえば逆恨みされる心配もない。アルスティアの思惑もくじける。それでいてアルスティアは送還をやめることはできない。なのにわざわざ征也を殺さないようにしてくれたんだから、やっぱりお礼は言うべきだ」


 確かに手っ取り早さで言ったら殺すのが一番だった。

 行動不能になるまで殴り倒すよりも具現化させた刃で喉を突く方が簡単だし。殺す気だったら最初の突きで勝負が決まっていた。

 送還魔法を使わせる上で行動が制限されているのは日野さんだけ。俺も他国に亡命したらアウトらしいが、逆を言えば亡命しなければ四ノ宮を殺そうがお姫様を半殺しにしようが契約には抵触しないわけだ。

 手軽さでも確実性でも、生かすより殺す方が上だった。

 それでも殺さなかったのは、俺に四ノ宮を殺す度胸がなかったのと、生かしておけば今後利用できる気がしたからである。


「……ん、じゃあ、どういたしまして」


 とはいえわざわざお礼を遮って押し問答しても仕方ない。ここは素直に受け取っておくことにする。

 お礼を受け取ると日野さんも満足そうにうなずいた。


「はいはい。物騒な話はそれくらいにして、食べましょう? せっかくチファが腕によりをかけて作ったのに、冷めちゃったらもったいないよ。夕食の時間になったら他の人たちも集まってきちゃうし」


 話が一区切りついたと見るや、マールさんが小皿に取り分けた鶏の焼き物を差し出した。

 ほんのり湯気を立たせる鶏肉はじっくり焼いたことが見て取れる。鶏肉からにじんだ脂で皮もぱりぱりに焼かれていて、香ばしい匂いが食欲をそそる。

 確かにこれは熱いうちに食べた方がうまそうだ。

 さっそく頬張ると、ぱりっとした食感と適度に馴染んだ塩味が肉の旨味を引き立てていた。期待を裏切らない見事な出来だ。


「おお、うまい」


 こういう賛辞は素直に口に出すに限る。

 チファはぱっと顔を明るくして、鶏の追加と野菜や果物をかいがいしく取ってきてくれる。

 あんまり年下の女の子に世話をされるばかりというのも情けないが、チファが楽しそうだからいいか。マールさんたちも生暖かい目でこちらを見ていた。


 いつもよりちょっと豪華な料理を食べたり、雑談したり。久しぶりに平穏な時間が流れる。

 やっぱり、誰それを叩きのめすとか復讐するとか考えているよりもこっちの方が楽しい。

 企画を立ててくれたマールさん、料理を作ってくれたチファ、ふたりに協力してくれたウェズリー、シュラット、坂上と日野さんには感謝だ。


 しかし、平穏な時間はそう長く続かなかった。

 料理を平らげ片づけを始めようとした頃だった。

 魔力感知に、こちらに向かう膨大な魔力が引っかかった。

 先日四ノ宮と予期せぬ遭遇をしてしまったことを教訓にして、常に軽い感知を続ける練習をしていたのだが、さっそく役に立ってしまった。

 俺の様子で気付いたのか、坂上と日野さんも魔力の気配がする方を向いた。

 続いてウェズリーとシュラットも気付き、チファとマールさんも俺たちの様子がおかしいことを察して周囲を警戒し始めた。

 食堂に気配の源が足を踏み入れる。

 言うまでもない。魔力の持ち主は四ノ宮と浅野だった。


 四ノ宮たちはこちらに向かってきた。

 殺気は感じない。武器も持っておらず。魔力の高まりも感じられない。

 だからと言って油断する気にもならないが。いざとなったら即逃げられるように立っておくか。


「な……」

「何の用ですか」


 俺が何の用かと聞く前にチファが四ノ宮の前に立ち塞がる。

 がるるー、と四ノ宮に向かって牙をむく。ちょっと俺の立つ瀬がない。実際立ちそびれた。


「あ、いや、その……」


 チファに詰め寄られて四ノ宮はへどもどしている。さんざん偉そうに正義の味方を気取っていたくせに幼女に圧される四ノ宮。滑稽である。

 四ノ宮は歯切れ悪くチファに言い訳にもならない言い訳をしている。要領を得ない言葉ばかりで要件はよくわからない。とりあえずこちらに危害を加えようとしていないということだけは分かったが。

 そんな四ノ宮を見かねたのか、四ノ宮の後ろに控えていた浅野が一歩前に出た。


「楽しそうなとこ、邪魔してごめん。でも、迷惑かけに来たんじゃないのよ。……謝りに来たの」


 浅野の言葉にチファはむっとしながらもふたりの前からどいた。

 立つタイミングを逸した俺は座ったまま浅野と四ノ宮の動向を伺う。

 四ノ宮はチファがどいてもまごついている。そんな四ノ宮に手本を見せるように浅野が俺のすぐそばまでやってきた。


「よくよく考えると、前の試合の時にあんたに濡れ衣着せてひどいこと言ったのも謝ってなかったわよね。

 ――ごめんなさい。濡れ衣を着せたこと、根拠もないのにひどく罵ったこと、それからこないだも疑ったりしたこと。謝ります。本当に、ごめんなさい」


 浅野はぐっと腰を九十度曲げて頭を下げた。

 それきり頭を上げようとしない。俺が何か言うまで頭を下げているつもりなのだろうか。


「いいよ、べつに。そんなに怒ってないし。今後は変な噂を聞いても自分で真偽を確かめてくれると助かるけど。あとそこのバカが暴走しそうな時に止めてくれれば」


 確かに一回目の試合が始まる直前、浅野にはえらく罵られた記憶がある。

 けれど、あの時は浅野の悪態なんかに構っていられるほど精神的余裕がなかった。ゆえに悪態はほぼ聞き流した。罵倒されたことは覚えているが、なんと言われたか思い出すことも難しい。その程度のことで怒るだけ体力の無駄遣いだ。

 濡れ衣に関しては今後、ぜひ注意していただきたい。今の浅野には力がある。四ノ宮が実証してくれたように力を持ったやつがバカだといろいろ被害が出る。力がないやつに知恵が必要なのは言うまでもないが、力を持ったやつが浅慮だと周りが苦労する。

 こないだ疑った、というのは中庭で会った時だろう。あれは誤解もすぐに解けたし、回復魔法をかけてもらった恩で俺の中ではチャラになっている。提供した情報もわざと歪めたのだったし。どちらかというとむしろ借りか?


「うん、わかった。確かめもしないで噂を信じ込んだりしない。間違ってると思ったらきちんと征也にでも言う」

「それがいいと思うな。もしまたそこのバカが暴走したらぜひ止めてくれ」


 切実に。

 また同じような厄介ごとが発生するとか絶対に御免だ。もしも四ノ宮が本格的に魔法を乱発し始めたら被害は今回の比じゃない。ていうか俺じゃどうしようもない。

 四ノ宮のブレーキになってもらうために下手くそな筋書きを書いたと言っても過言ではない。ぜひぜひ頑張っていただきたい。そのためならサポートは惜しまん。


「……わかった、注意する」


 浅野は苦笑いを浮かべて一歩下がった。

 俺から浅野に言うことはもうない。

 四ノ宮の扱いに関して事細かに注文をつけたい気持ちもあるが、俺に脚本家の才能がないことは実感した。これ以上の口出しは蛇足にしかならないだろう。

 ……あ、でもこれは言っとかないと。


「あとひとつ。どんだけ気分が盛り上がっても安易に行為に及ぶなよ。こっちには避妊具もないんだから」

「何の話だ!?」

「――!? げほっ!」


 浅野が顔を真っ赤にして怒鳴り、四ノ宮がむせた。

 後ろからもがたがたっと物音がした。


「……まさか、昨夜はお楽しみでした、とか言わないだろうな」

「ないわよっ! ていうかなんであんたがそんなこと気にすんの!?」

「いやさ、先輩からのアドバイスっつーか。こっちで一生過ごすつもりならまだしも、この歳で子供なんか作ったら帰ってから苦労するだろうし。出産もこっちの医療じゃサポート万全って保証もないし」

「こど……!? しゅっ……!?」


 浅野が目を白黒させる。想像でもしているのだろうか。


「妊娠されて戦力減っても困るし」

「あんたはそれが本音でしょうが!」

「否定はしない。だから誰のためにも節度のある異世界ライフを送ってくれ」

「言われるまでもないわよ!」


 ぷりぷり怒って浅野が引いた。

 これだけ釘をさせばそうそうアホなことはしないだろう。

 一仕事終えた感慨にふけっていると四ノ宮が一歩前に出た。


 チファは変わらず警戒している。

 ウェズリー、シュラットも緊張しているのが見なくても分かる。

 日野さんと坂上はチファたち3人とはまた違った緊張感を放っているように思える。

 マールさんは静かに成り行きを見守っている。

 辺りに目を向けると城で働いている人たちが食堂に集まり始めていた。こちらの雰囲気のせいで立ち入ることはできずに黙って俺たちの様子を伺っている。


「村山、その、今回は、俺がわ――」

「謝んなくていいから」


 しばらくの逡巡のあと、謝罪の言葉と共に頭を下げようとした四ノ宮を、俺は制止した。

 四ノ宮は曲げかけていた腰を伸ばし、ぽかんとした間抜け面をこちらにさらす。


「……許して、くれるのか?」

「はあ?」


 まるでドラマの一場面のようなセリフを抜かす四ノ宮。

 雰囲気に酔っているようにしか思えないその言葉を、俺は一蹴した。


「あのさあ、お前、自分が何をしたのか、正確に認識しているか?」

「……している。俺は村山に濡れ衣を着せて、さんざんに殴った。そのことを申し訳ないと思っているから、きちんと謝ろうと思って、」

「お前が楽になるための謝罪なら結構だ」


 話に割り込むようにしてばっさりと切った。なるべく感じ悪く聞こえるように。

 それはとても簡単なことだった。

 だって、素直に思っていることを態度に出せばいいのだから。


「お前は俺に濡れ衣を着せて殴った。ああその通りだ。間違いない。言葉にすればたったそれだけのことだよ。けどさあ、俺が聞いてるのはそういうことじゃない。お前は実際に殴られた俺がどんだけ痛かったか、それを分かってるのかって聞いてるんだよ

「わかっているつもりだ。俺だって、お前にさんざん殴られた」

「錬気の鎧と金属の鎧越しにな。……いいやめんどくさい。単刀直入に言わせてもらう。謝ったって事実を作りたいだけのお前が謝る必要はない。耳ざわりなだけだからな」

「そんな言い方ないだろ! 俺はちゃんと謝ろうと――!」

「だから、謝ろうとするのはお前が楽になりたいからだろ。そんなお前の都合に付き合ってやる理由はない」


 我ながら実に感じ悪い。自分は被害者ですと全力で主張する感じがなお鬱陶しい。

 だが、それでいい。四ノ宮を利用したいと思うが、それは四ノ宮と仲良くすることとは意味が違う。

 むしろ四ノ宮には俺への反発心をしっかり養ってもらいたい。俺にだけは負けたくないと思ってもらえれば最高だ。

 こうして俺が『嫌なヤツ』になるほど周りも四ノ宮を受け入れやすくなるはず。うまくいくかは四ノ宮次第だが、とっかかりくらいは作っておこう。


「そんなに謝りたいならお前が俺にしたこと全部、本当にやり返してやろうか? 試合じゃほとんどやり返せてないからな。鬱憤溜まってるんだ。肋骨折られて腕砕かれて、内臓潰されかけて――そんだけやられてお前が俺を『ごめんなさい』の一言で許せたならお前の謝罪も受け入れよう。どうだ?」


 言うと四ノ宮の顔からわずかに血の気が引いた。

 坂上からある程度、俺が負った傷のことは聞いている。

 まずは左腕。粉砕骨折。粉砕骨折とはひとつの骨に複数箇所の亀裂が入ることを言う。状態によっては後遺症が残ることもある症状だ。

 次に肺。脇腹を蹴られた時に折れた骨が刺さっていたらしい。そのあとにもさんざん背中を打たれ、肋骨の何本かはヒビが入っていた。背骨に損傷がなくてよかった、という坂上の言葉を聞いて背筋が冷たくなった。

 木剣で殴られた額も亀裂骨折。同じく左足の大腿骨にもヒビ。

 主な骨折関係だけでもこんなにだ。殴られた箇所はだいたい打撲になっていたとのこと。

 聞いてるうちに痛み出してくる気がしたので全ての怪我の詳細は聞いていない。特に内臓系。


 対して四ノ宮はどうだ。さんざん殴った頭ですらもう傷一つない。……これは坂上の功績か。俺も目に見える怪我は残らなかったし。

 俺は四ノ宮の腕も足も鎧のせいで折れなかった。喉に一撃入れたが錬気の鎧のせいでそこまでダメージが通っていない。腹への攻撃は錬気の鎧と金属の鎧、両方に阻まれてほぼノーダメ。

 こいつが負った一番大きなダメージは鼻骨骨折だろうか。

 腹を蹴った時に内臓をやったような感触があったから腹パンの分は忘れてやるにしても、まだまだぜんぜん物足りない。せめて腕の一本くらいはもらわないと。


 そんなことを考えながら四ノ宮を見ていると、本当にやりかねないと悟ったらしく目を逸らしながら引き下がった。


「まあ、試合の件は後腐れなく終わらせるって言ったのは俺だからな。そっちが蒸し返してこない限り、俺も試合のことをぐちぐち言ったりしない。それでいいだろ」

「……ああ、わかった」


 再試合で決着をつけてそれで終わりにすると俺は言った。

 けれど、人間の感情はそう簡単に決着がつくものではなかった。

 試合に勝っても四ノ宮に対する嫌悪は消えないし、謝罪を受け入れようとも思えない。

 もしも負けていたとしたら、今頃さらに恨みや憎しみを募らせていたことだろう。

 四ノ宮だって謝ることに逡巡を見せていた。

 二人の人間が悪意を向け合って、それを後腐れなく終わらせるなんて無理な話だったのかもしれない。決着をつけると言って本当に決着がつくなら、世界はもっと平和なはず。


 俺は四ノ宮への視線を切った。

 決着をつけても感情のしこりは消えない。

 だが、前に自分が言った通りいつまでもいがみ合っているのは不毛。

 臭いものにはふた。捨てられないなら臭わないよう厳重に封印し、どこか深いところに押し込めておくべきだ。

 俺と四ノ宮はお互いに試合の件を蒸し返さないことで合意した。


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