39.提案と証拠の開示
遅くなりました。
本日は二話投稿予定です。最後の見直しで重大な瑕疵が見当たらなければもう一話投稿すると思います。
「わたくしとお友達になってくださいませんか?」
「はあ?」
頭を抱えたくなった。
聞いて数秒は意味が分からなかった。
言葉の意味を理解してからはそんなことを言い出したお姫様の意図が分からず、混乱した。
小さく深呼吸して気分を落ち着けて、それでもわけが分からない。
「……正気?」
ハズレの勇者と友達になりたいのか、とか。
俺がお姫様に友情を感じる可能性が素粒子レベルでも存在すると思ってるのか、とか。
尋ねた意図はいくつもある。
それら全てを一言で表してみた。
「ええ、もちろん正気ですわ」
「自分が殺そうとした相手と友達になれるとか正気で、かつ本気で言ってるならあんたの正気は狂ってる」
「殺そうとした?」
お姫様はきょとんと首をかしげた。
怒るよりも先に呆れてしまう。
契約云々などは伝聞でしかないがお姫様から攻撃を受けたのは意識が落ちる前。魔法を撃った直後の姿をこの目で見ている。
お姫様だってそれくらいわかっているだろうに。
「あの氷の礫。あんただろ。しかも倒れた俺に追撃までしたらしいじゃないか」
「ああ、あれですか。仕方がないではありませんか。ユキヤ様を殺させるわけにはいきませんもの。それに、殺すつもりなんてありませんでしたよ? もしもムラヤマ様を殺すつもりで魔法を放っていたとしたら、あなたを庇った女給が生きているはずがないではありませんか」
「む」
それは、そうかもしれない。
お姫様から感じる魔力はかなり大きい。ジアさんには及ばないが、普通の魔法兵たちの二、三倍程度の魔力を持っている。
そのお姫様が殺すつもりで魔法を放っていたとしたら。
俺を殺せるほどの威力の魔法を、筋肉も脂肪もろくにないチファが受けていたら。助かるとは思えない。
坂上の治癒の賜物かもしれないが、そもそも俺を殺すつもりだったなら弾丸の先端を尖らせておけばよかったのだ。
氷の礫で弾き飛ばすなんてまだるっこしいことをするよりも氷の槍で刺し殺すほうがよほど確実だ。
「ですが、ムラヤマ様を行動不能にする意図を持って追い打ちをかけたことは否定いたしません」
お姫様は神妙な顔になり、俺の足元に跪いた。
「遅くなりましたが、謝罪させていただきます。ムラヤマ様の意思を無視してこの世界に召喚したこと。魔力がないとわかり冷遇を始めたこと。まともな食事もさせなかった女給たちを見過ごしていたこと。ユキヤ様をけしかけたこと。攻撃魔法を放ったこと。謹んでお詫び申し上げます」
そして、頭を下げた。
俺はどう反応すればいいのだろうか。
お姫様の態度のあまりの変わりように戸惑ってしまう。
思えば召喚された日と、私刑の前に呼び出された時、そして今とでお姫様の様子が違い過ぎている。
初対面の時には考えが足りずとも民を思う姫のように振る舞っていた。
私刑の直前は俺に魔力がないこともわかっていたからだろう。そっけなく、冷たい態度だった。
しかし今は不自然なほどに丁重に接してくる。親愛を抱いているようなそぶりすら見せている。
……魔王に憑かれて人格が変化した、とかじゃないだろうな。
謝られたくらいで許すつもりは毛頭ない。頭を下げられて許せる範囲を越えている。
だが、ここで下げられた頭を踏みつけるのはいろいろ拙い気がする。
小物感丸出しだし。防御魔法が発動して正当防衛を食らう危険があるし。
「なんて、謝った程度では許されませんわよね」
しばらく無言で考え込んでいると、お姫様が顔を上げた。自嘲じみた表情が張り付いている。
「償いは、いかがいたしましょうか。この身は商売道具なので壊されるのは困りますが……抱きたければいくらでもどうぞ。経験はありませんので病の心配も御不用ですわ」
「冗談。生ゴミ寄越して詫びとか笑わせる」
「なま……っ!? 言うに事欠いて、生ゴ……!?」
あ、すごい顔した。ざまあ。
この顔を見れただけでもノコノコついてきた甲斐があったというものだ。
頬が引きつり崩れた笑顔を取り繕うお姫様。対する俺はすっごく自然に、心から笑えている。ちょうどさっきまでと立場が逆になった。
「償いっていうなら今すぐ送還してくれればいいんだけど? まあ、今となっては本当に送還魔法があるのかどうかも疑わしいところだけど」
送還魔法はある、魔力があれば帰れると言っていたが、今となってはそれすら疑わしい。
あると公言した以上、あるのだとは思うが。
いくらなんでも帰りたければ魔王を倒せと言っておきながら、いざ魔王を倒した後に「実はないんです」とか言わないだろう。
そんなことになったら魔王を倒した勇者が敵に回る。
……もしも送還法方法ないとしたら、俺なら勇者に毒盛って殺すな。もしも魔王を倒したとしてもしばらくは飲まず食わずでいよう。
「今はまだ準備が整っておらず使えませんが、送還の魔法は間違いなく存在しますわ」
そう言ってお姫様は本棚に向かい、水晶玉のようなものを取り出した。先ほど魔力感知に引っかかったものだ。
よく見ると水晶玉の中には本が入っていた。
「これが、異世界召喚の魔法書。四百年前から伝わる一冊ですわ」
「……と言われたって俺には分からないんだが」
四百年前の魔法書といったらものすごい魔力を放っているイメージがあるが、この本……というか水晶玉からは微弱な魔力しか感じない。
それに本の内容なんて読んでみなければわからない。
ドヤ顔で水晶玉の中にある本を見せられても反応に困る。
察したのか「それもそうですわね」とお姫様が水晶玉に魔法を使う。
すると水晶玉は氷のように溶けて消えた。無論、本は濡れていない。
「ご覧になりますか?」
「……触っただけで破れたりしないよな?」
「はい。脆くなっておりますが、補修も施してあるので丁寧に扱えば問題はありません」
分厚い古書を渡される。四百年前の本なんて言われると乱暴に扱ったらすぐにばらけてしまいそうで怖い。丁重に受け取る。
おそるおそるページをめくる。
この本が作られた当時は製紙技術が今より未熟だったのだろう。かなり紙が厚い。ページはほとんど文字で埋まっているが、見た目ほど文量はなさそうだ。
本のつくりは思いのほかしっかりしていた。触れてもばらけそうな感じはしない。
内容は古文のような文体で書かれていてかなり読みづらい。理解できる部分だけ拾っていくと、確かに異世界召喚について書いてあるようだ。
理論を理解できないため、これが本当に召喚の魔法書なのかは分からない。本の古さからしてまるっきり偽物ということもないと思うが。
ぺらぺら読み流しつつページを進めていくと、送還魔法に差し掛かった。
送還魔法の解説らしき部分を読んでみてもやはり意味が分からない。俺がこの本を読むのは、四則演算を覚えたばかりの小学生が数学の専門書を読むようなものなのだろう。
日野さんたちは軽々こなしているが、魔法には魔法で理論と法則がある。呪文を唱えるだけでハイ成功とはいかないようだ。
分かる部分だけを拾い読みしているとすぐに送還魔法の部分も終わる。
その後にもそれなりのページがあった。
手記のようだ。字は少し汚くなっているが、内容は問題なく理解できた。
なんでもこの送還魔法は先代勇者が作り出したものらしい。
先輩の手記で、しかも理論部分と違って内容を理解できる。俄然興味が湧いてきた。
と、そこに。
「……そろそろよいでしょう。返してくださいな」
お姫様が水を差してきた。
「……償いってことでこれをくれてもいいよ?」
俺は送還魔法の理論が理解できない。でもダイム先生に渡せば何とかなる気がする。
内容の解読さえできれば、あとはこの本を対価に他国で魔力提供を受けて帰るという選択肢も生まれる。手放す理由はない。
じり、とにじり寄るお姫様。
俺は本を閉じて背中に隠す。
無言で見つめ合うこと数秒。
お姫様が「はあ」と息をついた。
「別に構いませんが、この部屋から持ち出したら燃えますよ、その本」
「……なんだと?」
「その本には窃盗防止用の防犯魔法をかけてあります。わたくしの部屋から出したら最後、本は燃えます」
「ハッタリだな。間違ってもこの本を燃やしたくはないはず。そんな魔法はかけられない」
「わたくしはその本が燃えても困りませんもの。内容は覚えるほど読み込みましたし」
「……腹立つなあ」
魔法書をお姫様に向かって軽く放る。放物線を描いてお姫様の手に納まった。
心情的には全力で投げつけたいくらいだったが、本がバラけたら困る。
本当にそんな魔法がかけられているかどうか分からない。十中八九ハッタリだと思っている。少なくとも重要な部分の写しは作ってあるはずだ。
だが、この部屋には魔力が充満していて、本に魔法がかけられていることは確か。
万が一にも本当で、もしも本が燃えたら送還は完全にお姫様頼りになる。他国にも送還魔法はあるかもしれないが、今は存在を確認できていない。
元の世界に帰る方法を探して肝心の方法を失わせるのでは本末転倒。お姫様の言葉が嘘だと確信できない限り下手なことはできない。
できれば本を盗むか写しを作って持ち出したいところだ。
とはいえ今は不可能。とりあえず本の存在と所在を知れただけでもよしとする。
おぼろげにでも覚えた部分をダイム先生に伝えて判断を仰いでみよう。
「ていうかその代えがきかない一冊をなんでお姫様が持ち歩いてんのさ」
勇者が世界の危機を救えるほどの戦力だとしたら、その勇者を召喚する方法が記された本なんて相当凶悪な兵器みたいなものだ。
もっとも、召喚した勇者を隷属させられないという点がネックではあるが。俺なら禁書指定して厳重に封印する。本当にどうしようもない状況に陥りでもしない限り封印は解かない。
「わたくし以外価値を見出す者がいなかったからですわ。王宮図書館に隠されていたのですが、存在を忘れ去られていたようですの」
「……他国にも勇者が現れたって騒いでたんだし、勇者召喚って国の切り札みたいなもんじゃないのか? その切り札が忘れられるとかありえないだろ」
「確かに最終手段ではありますね。しかし、アストリアスには五人の勇者の伝説こそ伝われど、召喚法や送還法が失われていたのです。厳密には隠されていたというべきですか」
「隠されていた?」
「ええ。先代の五人の勇者のうち四人は送還魔法によりもといた世界に帰還したそうですわ。けれど一人はこの世界に残ることを選んだのです。残ったひとりの著書――この本によると、残った勇者様は勇者召喚についての知識を禁忌として口伝にて継承させていた神官を隔離し、途絶えさせたとあります」
……先代勇者ェ。
彼? がどういった目的でこちらに残ったのか知らないが、勇者召喚を途絶えさせようと思ったなら魔法書なんて残すべきじゃないだろう。むしろ口伝より伝わりやすくなっている。
誰かがこっそり書き残していたのだろうか。
「当代の図書館長に聞いてもこの本のことは知りませんでした。数代前の図書館長が病で急死したらしいので、そのせいで秘密が引き継がれなかったのでしょうね」
そしてそのまま忘れられた、と。
確かにつじつまは合うが、そうするとどうして歴代図書館長が勇者召喚を秘匿するのに協力していたのか疑問が残る。
本の存在が忘れられた瞬間から真実を知ることは不可能になったのだろう。もしかしたら手記部分に何か書いてあるかもしれない。
とはいえ真実なんてわりとどうでもいい。俺にとって大事なのは送還魔法が使えるかどうかだ。
「それで、その隠されていた非常に貴重な文献をあんたが独占している理由は?」
「先ほど申し上げました通り、わたくし以外誰も価値を見出さなかったからです。先代の五人の勇者が召喚されて以来、わたくしがムラヤマ様方を召喚するまで勇者召喚は行われておりませんでしたの。その間四百年ほど。当代の館長すら偽書だと疑いました。父も、わたくしが勇者召喚をすると申し出ても信じておりませんでした。……言ってしまえば、わたくし以外に勇者召喚ができると思っていた者がいなかったのですよ」
「なるほど、異世界からの勇者なんて存在を疑われていて、仮に事実でも伝わっている話は誇張されたものだって解釈が主流なわけか」
「今となっては勇者の物語はおとぎばなしのようなものですもの。わたくしもまさか召喚された勇者様があれほどの力を持っているとは思いませんでしたわ」
前の勇者召喚から四百年。
それ以来、勇者は召喚されていなかった。
歴史はやがて物語になり、物語はおとぎばなしになった、というところか。
史実をもとにしたフィクションなんて日本にも山ほどある。それと似たようなものだと思われたのだろう。
「内容を紐解いたって言ってたけど、それは送還魔法も?」
「問題なく。召喚する前に一冊全て解読しましたもの」
召喚された勇者は送還魔法を編み出した。
それが意味することは簡単に想像できる。
彼らも元の世界に帰りたかったのだ。
お姫様も分かっていたようで送還法も確保していたらしい。すぐには発動できないが、魔王を倒させるにはその方が都合がよかったのだろう。
いちおう、筋は通っているように思える。
もしも魔王を倒せるほどの力を持つ勇者が帰れないと知れば、怒り狂い人族の敵に回る可能性がある。そうなった場合、被害は魔王と同等かそれ以上だろう。
以前の勇者が帰りたがったというなら今回の勇者が帰りたがることも予想して然るべきだ。
「分かった。送還法があるってのは信じよう」
というか信じたい。この世界に骨をうずめるとか御免こうむる。
「だとしても、俺と友達になろうなんて言った理由が分からない。何のためにそんなことを持ちかける?」
「純粋に、わたくしがムラヤマ様に惹かれてお友達になりたいと――」
「思ったからなんて言われて信じると思うか?」
「……信じてくださらないでしょうね」
本音なのですが、と呟く声を無視する。
黙って睨みつけていると、やがてお姫様はため息をついて白状した。
「確かに、打算もありますわ。けれど、ムラヤマ様にとって不都合なものではないかと思いますわよ?」
「ならちゃんと言え。打算があるのはいい。無償の善意なんかより打算の方が信用できるからな。でも、打算があることを隠そうとするやつは信用できない。友達になろうって言うならまず俺に信用させてみろ」
信用できない相手と友達になるなんて俺には無理だ。
お姫様相手に友情を感じる日は永久に来ないだろうが、ビジネスライクな関係なら別かもしれない。
ただし、それも利害が一致していてこそ。
目的が分からず人格にも能力にも信用をおけない相手と取引するつもりにはなれない。
お姫様は再びため息をつく。今度は自嘲の笑みと共に。
「……その通りですわね。あれだけのことをしておいて、本心も語らず友達になろうなんて言っても、受け入れられるはずがありません」
お姫様は俺に視線を向ける。
都合の悪いことを言われて目を逸らしていた、召喚初日とは明らかに違う目つき。
お姫様は体を投げるようにベッドに座った。貴族らしからぬ乱暴な動作。
「わたくしは――」
お姫様の口角が上がり、ひどくあやしい。
しかし、次の瞬間。俺の目を見るように上げられた顔には、見覚えのある表情が張り付いていた。
「もっともっと、ユキヤ様を追い詰めたいのですわ」
お姫様は、親近感を覚えずにいられない醜悪な笑みを浮かべ、そう言った。




