29.ひきこもる
お騒がせしました、ひとまず主人公が立ち直るところまでの修正を終えたたいやきです。
あらためて第30部分を投稿させていただきます。
活動報告の方に簡単に勇者のこれまでの動向をまとめました。よろしければお読みください。
「何にもできないハズレ野郎」
「あなたの居場所はありません」
「弱い子供をいたぶるクソ野郎」
「あなたの命は不要です」
聞き覚えのある男と女の声とが繰り返し鼓膜を揺さぶる。
全身に痛みが走り、動けない。
「「消えて「ハズレめ」期待外れ「いらない「ゴミクズ」ざまあみろ「そんなことをするから「さすが勇者さま「ハズレなんて「殴って「斬って「殺してしまえ」」
無数の声が耳に届く。
声は歓声となり、圧倒的な音の暴力で傷口を抉る。
痛い、怖い、なんなんだ、分からない、痛い、うるさい、痛い、熱い、怖い。
耳を塞いでも頭に直接響く言葉。聞き取ることもできない言葉。悪意だけが伝わる言葉。
痛みと言葉で打ち据えられて、やがて真っ暗などこかに落ちていく。
熱くもない。冷たくもない。音もない。痛みもない。
何もない。何もなくて、何も、何もなにもなにも何もなにも何も何も何も――
「――――っ!?」
体が痙攣したように震えた。
目が開く。
暗くなかった。
頼りない灯りが、俺を照らしていた。
―――
目覚めるとオレンジ色の光が目に入った。蛍光灯やLEDとは違う、不安定に揺れるぼやけた明り。
視界がはっきりしない。ここがどこなのか、どういう状況なのか理解ができない。
もう一度、目を閉じる。嗅ぎなれた甘い匂いがした。
目を開く。
ここは、俺の部屋じゃない。俺が使っていた部屋より数段広い。広すぎて落ち着かないほどだ。
この匂いのもとは布団とシーツらしい。いつも使っているものに比べると柔らかくて清潔そうだ。
どこかの部屋に寝かされていたことは理解できたが、ここで寝るまでの記憶がまるでない。
深呼吸してあいまいな記憶を掘り起こす。
……そうだ。俺は四ノ宮に負けたんだった。
逃げ回って、反撃しようとして、魔法を使われて、一方的に殴られた。
殺すつもりで逆襲したら、横やりが入って結局中途半端に終わった。
「……ぅソが!」
どれだけ寝ていたのか。喉がうまく開かず声が中途半端に漏れた。
全身の痛みが蘇る。いいように殴られた怒りが再燃する。
何が勇者だ。何が騎士だ。やってることは自分より弱い相手を圧倒的に有利な状況で痛めつけているだけじゃないか。
呼吸が乱れる。心臓が脈打つ度に体が軋む。
ひどく体がだるい。全身がひきつる。まるで骨まで響く筋肉痛だ。
痛みをおして上体を起こす。それだけのことがひどく大変だった。
ギプスがないのか左腕は包帯でぐるぐる巻きにされている。どんな薬を使ったのか、それとも魔法を使ったのか、不思議と痛みは消えている。骨も繋がっているようだ。
顔や手についた裂傷もふさがっているが、はらわたが煮えくり返るような感情は消えない。
殴られた時のことを思い出すと治っているはずの傷口が痛む。
ああクソ、何をどうすればよかったんだよ。
魔力もない。特殊能力もない。あったのは手のひら返しの嫌がらせ。
そんな状況下でも腐らず頑張っただろう。
短気を起こしたこともあったが少しでも状況がよくなるように考えたし、訓練にだって真面目に取り組んだ。
結局、才能か。
異世界に召喚された勇者サマは、チートスキルを持っていなければ何もできないってことか。
「そんなもん、どうしようもないじゃないか」
ベッドに身を倒す。衝撃が骨に響く。超痛い。
この城に俺の味方はいない。あれだけ群衆が集まっていた以上、公開処刑が実施されると知らなかったのは俺だけだろう。
頼りにしていたジアさんは止めなった。ダイム先生も見過ごした。俺の練度を理解しているゴルドルさんすら四ノ宮との試合を決行させた。
短い間とはいえ一緒に訓練していた兵士たちは俺が叩きのめされる様を見て笑い、メイド連中は四ノ宮をたきつけて俺を見下した。
くそ、くそくそクソっ! こんな世界、絶対抜け出してやる!
……なんて意気込んでみても八方塞がりだ。怪我で動けないし一人で生きるには力が足りない。お姫様に送還してもらう以外は日本に帰る方法の検討もつかない。
いったいどうしろと言うんだ。
「ああクソ……やってられっか」
―――
不貞て寝転がっていると控えめなノックの音が響いた。
外もまだ薄暗い。時刻はおそらく早朝。夜が明ける直前だろう。
こんな時間に、誰が、何の用だ。
「失礼します」
扉を開いたのはマールさんだった。手には水に満ちたタライと包帯を持っている。
「! ムラヤマ様、目が覚めたのですね!」
目を見開くマールさん。
横目に見て、すぐに視線を前に戻す。
「何の用ですか」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
これ以上敵を作っても仕方ないとはわかっていても、自分が痛めつけられているところを見て笑っていた人を相手に愛想をふりまくつもりにはなれない。
「その、包帯を取り換えに参りました。薬も――」
「帰れ」
傷はとっくに治っている。今さら薬も包帯も必要ない。
なにより、親身を装っても腹の中で何を考えているかわからない。
よわっちいゴクツブシを体よく処分するために毒を塗りこまれるかもしれない。それとも傷ついたところに優しく付け入って懐柔するつもりかもしれない。ハズレでも生かしておけばまた同じように不満のはけ口に使えるだろう。
被害妄想? そうかもしれない。
だがそれが何だ。それくらい身構えていないとまた同じことをされかねない。
「でも、幻痛の治療はまだ途中で、」
「帰れっつってんだろ。目障りだから」
ひときわ冷たく重い声が出た。自分の声ではないようだ。
肚の中から熱が湧き上がってくる。四ノ宮を殺そうとした時と同じ。
横目に睨みつけると、マールさんは「ひっ」と喉をひきつらせる。
「……失礼しました」
彼女は静かにそっと退室した。
―――
「失礼します」
しばらくするとまた訪問者があった。今度はノックもなく無遠慮に扉が開けられた。
マールさんに比べてだいぶ小さい。年齢は十歳と少しくらいか。
……なんて、見るまでもなく声でわかる。チファだ。簡素だが真新しい服を着ている。両手には大きなプレートを持っていた。
「お食事をお持ちしました」
「いらん。帰れ」
今回の一件で自分の嫌われ具合を痛感した。
チファだって変わっていないとは限らない。
仮にチファが「迷惑をかけたくない」と言っていたまま変わらないでくれていたとしても、ここで俺に味方したら立場はさらに悪くなるだろう。
もう、疲れた。
このうえさらにそばにいる人を慮ったり、疑ったりなんてしていられない。
どうにもジアさんやゴルドルさん、ダイム先生がかばってくれなかったことが想像以上にショックだったらしい。
まだ出会ってひと月も経っていない人を相手に裏切られた気持ちになるとか、我ながら馬鹿げている。
勝手に信用して勝手に裏切られたつもりでいるとか、無いわ。
あの人らはもともとお姫様に雇われてるんだからお姫様の味方に決まっているのに。
「冷めないうちに、どうぞ」
……どうして帰らないんだよ。帰れって言っただろ。
チファはベッドの横にあるテーブルの上にプレートを置いた。食事はもはやおなじみの黒パンと野菜のスープ。ただし、いつもより器が大きくて、細かくカットされた肉や野菜がたくさん入っている。
珍しく果物もついている。リンゴによく似た果実だ。
「いらない。帰れ」
「食べないとケガも治せませんよ」
「帰れと言っているんだ!」
「タカヒサ様がご飯を食べたら帰ります。食器を下げなきゃなりませんし」
静かながらも頑なな態度で動かないチファに苛立ってつい声を荒げてしまう。
マールさんに向けたのと同じような目を向けただろうにチファは動じなかった。すまし顔のままこちらを見ている。
「――っ! 帰れって言ってるだろうが! メシもいらん!」
穏やかな顔を見るとなぜだか心がささくれ立つ。
頭に熱が昇って、一瞬意識が真っ赤に染まる。コンマ一秒、体が俺の意思の下から離れ、苛立ちに任せて動いた。
俺は、チファに向かって枕を投げつけていた。
力任せに投げつけた枕はチファの頬をかすめて扉に激突した。ばずん、と耳障りな音を立ててから床に落ちた。
チファは目を見開く。じんわりとその目に涙がにじむ。
俺自身、自分の行動を理解するのに数秒かかった。理解して、自分のくだらなさに内心で笑ってしまう。
俺なんてこんなものだ。迷惑をかけていい、なんて言っておきながら本当に迷惑をかけられる可能性が出たら怖くなって、苛立ったら八つ当たりする。
無辜の女の子を傷つけるなんて間違っている、なんて格好いいことを考えていたくせに、結局こうして傷つける。
勇者気取りで、悲劇の主人公を気取っていたのは俺だ。
四ノ宮のような英雄願望よりもよっぽど性質が悪い。
本当に、どうしようもなく、俺はハズレだ。
……嫌われただろうなあ。泣かれるか。ボロクソに言われるか。両方か。
チファは無言で踵を返した。予想とは少し違うが、愛想を尽かされたことは間違いない。
「では、わたしは失礼します。また後で食器を下げに来ますから」
――間違いない、はずなのに。
チファはぺこりと一礼して部屋を出た。
と思ったらまたすぐに入ってきて枕を拾って、こちらにとてとて歩いてきた。黙って枕をベッドに置いて、黙礼。今度こそ部屋を出た。
「なんなんだよ、ちくしょう……」
苛立って怒鳴り散らし、暴力まで振るった自分への嫌悪と少しも揺るがないチファへの反感。心がささくれ立って仕方ない。
ベッドを殴るが少しも気が晴れない。
くそ、くそ、くそ。全身が熱くて仕方ない。
ふと視界にチファの持ってきてくれたプレートが入った。
……これをブチまけたらチファはどんな顔をするんだろうな。
ほんのわずかに嗜虐的な考えが頭をよぎり、その空想に薄暗く後ろ暗い満足感が生まれた。
どうせみんな敵なんだ。誰がどんな顔をしようが思ったままにすればいい――
ぐぎゅるう。
鳴り響いた間抜けな音。発生源は俺の腹。
「……うん。食べ物に罪はないよな、うん」
しばらくして食器を下げに来たチファは空っぽのプレートを見て満足げに頷いた。
ひさしぶりにまともなものを食べた気がする。二日目の朝以来か。
その後もチファは食事を届けに来た。
睨みつけても無視をしても構わずにこちらを見つめる。
俺はもう何も言わない。言い負かされるわけでもないのに、チファの目を見ると負けた気分になってしまう。目を見ないで何か言おうと思ってもなんでか躊躇われて、何も言えない。
チファから話しかけてくることもあったが全て無視した。
ひとことでも答えてしまったら決壊する。
自分が今何を考えていて、どんな気持ちで、どれだけ悔しいか。弱音を吐いてしまう。弱い部分をむき出しにしてしまう。
今もただ部屋に引きこもっているだけだ。無様なのは承知している。
自分の無様さを承知していても、それ以上に怖いのだ。
部屋の外には誰ひとりとして味方がいない世界が広がっている。
考えるだけで足がすくむ。
誰かに弱音を吐いてしまったら、俺はもう強がれない。弱音を吐くほど誰かに心を許したら『どうせ知られてしまった』と見栄を張ることもやめて依存を始めてしまう。
だから絶対に話さない。目も合わせない。ただそこにいることだけを認識して、干渉はしない。
部屋の外には出ない。だって傷が痛むし。怪我が治っていないし。
この部屋には内鍵があったのでかけてみたが、あっさり開けられてしまった。ドアも内開きなのでバリケードを作れると思ったが、この部屋には俺にも動かせそうで、かつバリケードになりそうなものはなかった。チファを拒む術はないわけだ。
やり場のない感情を腐らせながら、時間を浪費する。
チファの持ってくる粗末な飯を食べて、寝て、悪夢に目を覚まし、あの騒ぎを思い出しては腹を立てる。
俺は二日ほどそんな時間を過ごした。




