28.殺意
「立てよ。どうせまた演技なんだろう?」
背中を木剣で打たれる。
衝撃。
もう痛みも大して感じない。頭では痛いとわかっているが、麻酔をかけられたように感覚がぼやけている。
ただ、熱いだけだ。
……勘弁しろよ。演技なはずないだろ。殴ったお前に分からないはずないだろうが。
衝撃が繰り返し背中を襲う。
背骨が折れるほどではないが、肋骨にヒビくらいは入っているかもしれない。もうほとんど背中の感覚がないからよくわからない。
ただただ、熱い。
ひとしきり打ち据えた後、本当にもう動けないものと悟ったのか四ノ宮は木剣を振り下ろすのをやめた。
「お前がいじめた女の子と、濡れ衣を着せた人たちに土下座して謝罪しろ。今、この場で」
足で体をひっくり返され仰向けになる。
四ノ宮が木剣で指し示した方ではチファに嫌がらせをしていたメイドたちが嗜虐的な笑みを浮かべていた。
「……か、は――ッ」
声を出そうとすると喉に何かが詰まった。
軽く咳き込むと生暖かい液体が口からこぼれた。何やら生臭い。
そうだ、謝ってしまえばいい。
四ノ宮が俺を痛めつけていたのはこのため――心を折って謝罪させるためなんだろう。
ならば要求された通り土下座して謝ってしまえばこの苦しみも終わる。
それこそが、たったひとつの冴えたやり方ってやつだろう。
俺が謝りさえすれば観衆は満足し、四ノ宮の名声は高まり、お姫様の目的は達成される。
民草に語り継がれる勇者サマの逸話がひとつ、できるわけだ。
俺もこれ以上傷つかなくてすむ。
ほら、みんなが幸せになれるハッピーエンドじゃないか。
「……べっつ、にっ、土下座するのは構わないけどさあ……。俺が謝らなきゃならない相手が、見当たらないんだけど?」
「ッ――!」
顔を真っ赤にした四ノ宮によって木剣が振り下ろされる。
額に当たり鈍い音を立てた。
衝撃で視界が揺れるがそれだけだ。もはや痛みを感じない。
怒りに歪んだ四ノ宮の表情を見て少しだけ溜飲が下りた。
きっと俺の顔はいびつな笑みを浮かべていたことだろう。
ここで謝るわけにはいかない。それだけは絶対にできない。
自分だけのことならさっさと謝っていた。
けれど、これは俺だけの問題じゃない。
俺はチファに言った。
一緒に頑張ってみようと。
なのに、その俺が。
痛めつけられたくらいでチファをいじめたクソ共に屈服するのは違うだろう――
圧倒的強者の前でも我を通した達成感を味わっていると、強かに頭を蹴られて今度こそ笑う余裕もなくなった。
「――はッ、もう終わりか。二度とくだらない真似をするなよ、ハズレ野郎」
そう言い捨てて四ノ宮は最後に脇腹を蹴りつけた。
嫌な感触。おそらく肋骨も折れた。
わっ、と一際大きな歓声が聞こえた。
抵抗する気力も防ぐだけの体力も残っていない。蹴り飛ばされ、マリのように転がっていく。
受け身もとれないでいたら観客のすぐそばにまで飛ばされた。
「へんっ、汚いんだよ、ハズレ! こっちに来んな!」
どうやら観客の一人が俺を蹴ったらしい。また転がって観客から遠ざかった。
地面にうつ伏せになる。口に砂が入って気持ち悪い。
俺を蹴ったオッサンは周りの連中に称えられている。自慢げに頭をかく姿が非常に腹立たしい。
とはいえ観客から離れるほど強く蹴られたのは僥倖だったかもしれない。中途半端な強さで蹴られたら追従した連中に死ぬまで蹴られ続けた可能性もある。
むかつくし、痛いし、屈辱的だ。全身が熱い。特に殴られた腹は血が沸騰したような熱を持っている。
まあでも、これで終わりだ。
チファとの約束は守った。意地は通せた。
四ノ宮はチファを助けようとしている。俺に勝った四ノ宮はチファをいじめから救い出すに違いない。
そうすれば俺がチファを傷つけることなくチファは俺から切り離される。
最っ高じゃないか。俺にはできなかったことを、四ノ宮はあっさり実現してくれる。
さすがは真の勇者サマだ。
四ノ宮は俺から興味を失くしたようで追撃もなくなった。あとは寝転がっているだけで全て丸く収まる。
復讐とかは考えないでおこう。どうせ無駄だ。
俺は四ノ宮とは違う。大した力を持たないし手に入れられる予定もない。
凡人は凡人らしく夢なんか見ないで平凡に生きていけばいい。強い奴には逆らわず、何かされても泣き寝入りするのが手っ取り早い。
そうするのが最終的には一番被害も少なくてすむはずだ。
やったらやり返される。それは弱いものが強いものに手を出したらの話で、逆はない。
弱いやつがやり返そうとしたらもっと酷いことをされるのがオチだ。
何も期待しない。強いやつとはぶつからず、利益を得るために可能なかぎり行動する。それだけでいい。
復讐なんて無理だ。考えるだけ無意味だ。実行なんて無謀だ。さっさと諦めてしまえばいい。いつも通りだ。
それで全てがうまくいく。
――本当に?
どくん。
心臓が強く脈打つ。
――本当に、諦めるのが一番なのか?
どくん。どくん。
全身を巡る血液の流れを感じる。
――いつも通り諦めて、また適当に流されるのか?
どくん。どくん。どくん。
殴られた部分に感じていた熱が、血の流れに乗って全身に伝わる。
焼け付く筋肉。ひりつく肌。
不思議と不快ではない。むしろ力が満ちていくようだ。
だが、体は動かない。足をひどく痛めつけられているのだ。立ち上がれるはずもない。
さっさと諦めてしまえ。そうするのが一番楽だ。ずっとそうしてきたんだ。今さらためらうことなんて何もない。
意識なんて手放してしまおう。きっと痛みも悔しさも感じずにいられる。
――お前は、それでいいのか!
どくん!!
ひときわ強く心臓が鳴った。
その瞬間に思い出されたのは、片腕を食われた青年の姿だった。
頭に浮かんだ映像はすぐに切り替わる。今度現れたのは高校の制服を着た俺自身だった。
ずっと諦め癖が付いていた。
自分よりはるかに優秀な弟。必死に頑張っても上の下止まりの学力。鍛えてもちっとも筋肉の付かない体。中学に入ってすぐに伸びなくなった身長。どこにでも、いくらでも転がっている容姿。
いつからだろうか。死に物狂いの、本当の努力をしなくなったのは。
つい最近のことにも思えるし、ずっと前からそうだった気もする。
何事も呑み込みが早い方だった。
小学校でも低学年の頃は身長も高い方で、スポーツだって得意だった。
けれど、弟が小学校に入ってから変わり始めた。
身長の伸びが緩やかになって、どんどん周囲に埋もれていった。
小学校六年になった頃には弟の身長が俺に追いつき、何をやらせても俺以上の才能を発揮して。
負けるわけにはいかなかった俺はいろいろな分野に手を出した。
弟がついてきたら小狡い手を使って勝って、そのスポーツや習い事をやめた。
高校受験を考える頃にはスポーツに打ち込むことはなくなり、高校に入ってからは勉強も中の上をキープできる程度に留めた。
全力でベストを目指すのではなく、ほどほどにベターを拾う努力。
そんなのは本当の努力じゃないと知っていた。
ただの妥協だ。
妥協は楽だった。
本気で頑張って平凡よりちょっと上の結果を出すよりも、手を抜いて、そこそこ頑張って平凡な結果に満足する方が簡単だった。
こっちに呼ばれた時だってそうだ。
要求を口にして抗いはしたけれど、それはあくまで『言いなりにはならないぞ』というポーズに過ぎない。
もっと強硬に主張し続けることもできたのに、すぐに妥協して、四ノ宮たちに流された。
それじゃあ駄目だ。
日本ではそれでもよかった。
妥協して、周囲に流されて、平凡でいても何も悪くない。
変に突出するくらいなら、どこにでもいる『みんな』になることを望まれるのだから。
こちらは違う。諦めが、妥協が死に直結する。
もう一度、片腕を食われた彼の姿が蘇る。
諦めたらそこで試合終了どころじゃない。諦めた瞬間に人生が終了する。
なら、戦うしかないじゃないか。
諦めてはいけない。諦めたら誰かに食われて、生の通過点にされて終わる。
食われたくないなら、死にたくないなら、死ぬまであがくしかないじゃないか!
全身に伝わった熱が燃え上がるように温度を増した。
――やる。
諦めない。それならどうする。食われたくないならどうすればいい。
立て。立ち上がれ。歩みを止めたら即ち死だ。
こんなクソッタレな茶番に殺されていいのか!
――てやる。
死にたくないなら。食われたくないなら。
そうだ。食い物にされるくらいなら。
殺されるくらいならいっそ――
そもそも、なんで俺が諦めてやらなきゃならない?
なんでこんなクソみたいな連中のストレスのはけ口になってやらなきゃならない?
希望? 未来? くっだらない。そのために俺が犠牲にならなきゃいけない理由がどこにある。
それに――四ノ宮がチファを救ってくれる?
どうだか。四ノ宮のことだから裏に隠れたより陰湿ないじめに気付かないもしれない。
助けただけでその先があることを考えてくれる保証がない。自分が助けたメイドたちがそんなことをするなんて考えもしないだろう。
あいつのおめでたい頭じゃあ、助けたところでハッピーエンドになりかねない。
全部台無しにしてやろうじゃないか。弱いやつが強いやつに逆らえないというのなら、全力で歯向かって立場を逆転させてやる。
俺にだって望みはある。
立ちはだかるというなら、とるべき行動はただひとつ。
この茶番を潰すための方法は至ってシンプルだ。
四ノ宮が負ければいい。
真なる勇者がハズレの勇者に負けてしまえば威光は地に落ちる。希望の旗印である勇者が負ければ連中の望みも潰えるだろう。
幸い、四ノ宮はまだバスクから勝ち名乗りを受けていない。まだ試合が終わったのではないわけだ。
四ノ宮。お前が俺を踏み潰して糧にしようとするのは構わない。
だがな、覚えておけよ?
強いやつがいつまでも強くいられる保証はない。誰かを簡単に踏みにじって殺そうとすれば、いつか立場が変わった時に自分がそうされるんだ。
それを今、教えてやる。
もっともお前がその教訓を活かすことはないだろうが。
――殺してやる!
もう、いい。
後先とか小難しいことを考えるのはやめだ。
四ノ宮が、観衆が。
俺が潰れるか、あのクソ連中に土下座する以外を許さないというなら。
許しを乞うつもりはない。
お前らがいなくなればいいだけのことだ。
全身に廻った力が爆発する。
足が痛い? 骨が折れたわけでもない。立てるはずだ。
剣が折れた? だからどうした。木剣なんざなくても戦える。
片腕が砕けた? 何のためのもう片方だ。右腕はまだ動く。
本当に血が沸騰したようだ。全身が熱い。戦う前より力がみなぎっている。
右腕を杖代わりにして体を持ち上げる。
胴体と地面の間にできた隙間に右足を通して身を起こす。
左足もまだ動く。感覚はほとんどないが、それでも切り落とされたのではない。意識して動かそうとすれば動くのだ。
あとは力ずく。全身の筋肉を使って立ち上がった。
「な、なんだ……?」
耳障りな歓声が止んだ。
俺が立ち上がったことに気付いた奴が小さく声を上げる。
なんだ、じゃねえよ。立ったんだよ。見て分からないのか、ボンクラめ。
「ひ……っ、バケモノ! これでも食らいやがれ!」
さっき俺を蹴ったオッサンが石を拾って投げつける。
それを右手で受け止める。結構な勢いで飛んできた石にはそれなりの重みもあったのに、少しも痛くない。
他の観客もみんな石を拾おうとしゃがみだした。
さすがに石の雨は痛そうだ。どうにかして止めようか。
右手に持った石を、受け止められたことに驚いて惚けていたオッサンに投げ返す。
「ぐぼっ!?」
おお、我ながらナイスシュート。石はちょうどオッサンの口の中に入った。オッサンは変な断末魔を残してその場に倒れた。
観客連中の動きが止まり、ざわめきが起こる。
「石を投げたいやつは投げればいい」
小さく声をかけるとざわめきが収まり、沈黙が連中を支配する。
「そのかわり、覚悟はしろよ」
もう一声かけて群衆を睨みつける。
正体がない『みんな』と戦うのは難しいが、ここにいる群衆を相手取るのは簡単だ。
群衆は、確かにここにいるのだから。
目の前にいるのなら、簡単に殴れる。
「な……」
四ノ宮がこちらを向いて唖然としている。
無理もない。ついさっきまで殴られても身じろぎひとつできなかった奴が立ち上がっているのだから。
まあ、俺には関係のないことだ。
やることはひとつ。
四ノ宮を、
「ブチ殺す」
―――
「なッ! ……っ、礫よ! 大いなる信仰にその身を焦がす幼子らよ! 神の敵を打ち滅ぼせ! 『火炎礫』!」
詠唱が終わり魔法の名前を叫ぶと、四ノ宮の周囲にいくつもの燃える石礫が現れた。
いきなり魔法攻撃を仕掛けてくるとか、剣術の試合だということを完全に忘れたらしい。
十数の礫が俺めがけて飛んでくる。
が、その軌道はまっすぐ。速度もそんなに速くない。
石礫の群れに突撃する。四ノ宮の周りに広がっていた礫は俺が立っていた場所めがけて飛んでいく。
それはつまり、四ノ宮に近い位置の方が礫の密度が低いということだ。
四ノ宮に近づきながら前掲姿勢をとる。案の定、礫は体を傾けるだけで避けきれた。
目標を失った礫が後ろにいた連中に当たったらしく、悲鳴が響く。
「なんだと!? ……くっ、炎天を統べる――」
避けられるとは思っていなかったのか、四ノ宮は動揺を見せる。だがすぐに立て直し、新たな呪文を唱え始める。
――あれはヤバい。使わせてはいけない。
直感が警告する。流れる魔力の量からしてもかなり強い魔術だと分かる。
同時にわかったことがある。四ノ宮はバカだ。
一般的に、強力な魔法ほど魔力を練り、術式を構築し、起動するまでに時間がかかるという。
魔法の威力と呪文の詠唱の長さは比例する。
そんな大がかりな魔法、敵の真ん前で唱え切れると思うな!
右足にありったけの力を籠めて地面を蹴る。わずか一歩で四ノ宮に肉薄した。
「くそ、くそくそくそっ!」
何の躊躇もない。何やら喚いている四ノ宮の顔めがけて全力で拳を振るった。
殴られることは予想できていたのか、四ノ宮は顔の前に盾を構える。
思い切り盾を殴りつけるが四ノ宮がしたように砕くことはできなかった。盾越しに四ノ宮が安堵の息をついたのを感じる。
バカだろう。まだ終わっていないのに安心してどうするよ。
人間の手は誰かを殴るためのものじゃない。何かを掴むためのものだ。
俺は握った拳をほどいて、盾の縁を掴む。引っ張ると四ノ宮が押し返そうと加えていた力も合わさり、簡単に盾をどかすことができた。
露わになる四ノ宮の顔。俺はその目を思い切り睨みつけた。
――殺してやる。
「うっ、ぁ、わああああぁぁぁあぁああああ!」
剣術も何もないでたらめな一撃。さらに一歩四ノ宮に近づくことで簡単にかわせた。
目の前には四ノ宮の首。儀礼用ゆえか見栄えを重視した鎧は喉元を守っていない。
俺は、頸脈を食いちぎるつもりで、四ノ宮の首に噛みついた!
「あ、がっ、あぁぁぁああっぁ!」
四ノ宮はパニックを起こして暴れるが、俺は木剣のリーチのさらに内側にいる。力任せに振るわれるだけの木剣は当たらない。
それにしても堅い。四ノ宮は防御魔法でも使っていたのか体の表面に見えない膜のようなものがあって、それが邪魔で脈を食いちぎることはできない。
くそ、そんな魔力の流れは見えなかったのに!
……まあいい。この防御膜は薄い。今でも軽く軋んでいるのだ。全力を込めれば破れるはず。
渾身。全身に溢れる熱を全て顎と犬歯に集めるイメージ。それだけで本当に歯と顎の力が強くなったように感じる。めしっと防御膜が潰れるような音を立てた。
さあ――もう一息だ!
そんな、フラグのようなことを考えてしまったからだろうか。
俺は横からの唐突な衝撃に襲われ、四ノ宮から引きはがされてしまった。
右頬を打ったのは氷の弾丸だった。立て続けに何発も撃ち込まれて四ノ宮と距離を取らされてしまう。
弾丸が飛んできた方を見ると、お姫様が杖を持ってこちらを睨みつけていた。
あんのアマ! ここでも俺の邪魔をするのか!
お姫様に気を取られて四ノ宮への警戒がおろそかになったと同時に、でたらめに振るわれていた木剣が俺の鳩尾を捉える。
「……っ、がぁ……ッ!」
今度こそ意識が闇に沈んでいく中で。
小さな影がこちらに向かってくるのを見た。




