4話 夕闇の共犯者
心臓の音が、耳元で鐘のように鳴り響いている。
佐藤さんの掲げたスマホが、私を射抜いていた。
「あ、……あ、あ……っ」
声が出ない。言い訳も、否定も、なにもかも。
私のスマホに表示された『投稿完了』の通知。そして湊くんが今、自分のスマホで読んでいる『ひふみ』の最新話。
この状況で「違う」なんて、誰が信じてくれるだろう。
「ねえ、湊くん。羽住さん、何か隠してるみたいだよ? そのスマホ、私たちにも見せてよ」
佐藤さんが一歩、踏み込んでくる。後ろに控える女子たちが、クスクスと品定めするような笑い声を漏らした。
私は反射的に、自分のスマホを胸元に抱え込んだ。
バレる。クラス中に言いふらされる。
「喋れない羽住が、ネットでは『ひふみ』なんて名前でカッコつけてる」って、笑いものにされる。
その時だった。
「——わりぃ、佐藤。今、大事な作戦会議中なんだわ」
冷たい空気の中に、湊くんの声が低く響いた。
「作戦会議? 何の?」
「こいつに、俺のサッカー部の紹介文、頼んでたんだよ。羽住って言葉のセンスすげーから。だから俺が無理言って、頼んだんだ。今ちょうど、その書き出しが完成して、俺のスマホに送らせたところ」
湊くんは、自分のスマホの画面を佐藤さんの方へひょいと向けた。そこには、私の小説の最新話ではなく、SNSのメッセージ画面が表示されていた。
佐藤さんは、掲げていたスマホをゆっくりと下ろした。
「……なんだ。湊くんの頼みだったんだ。……てっきり、羽住さんが変なことしてるのかと思っちゃった」
「そんなわけねーだろ。……じゃあな。続き書かなきゃいけないから、入ってくんなよ?」
湊くんの有無を言わさないオーラに押され、佐藤さんたちは「行こっか」と小声で言い合いながら、図書室を去っていった。
静寂が戻る。
私は、膝の震えが止まらなかった。助かった、という安堵よりも、彼に嘘をつかせてしまった申し訳なさと、そして——結局、彼にはバレてしまったのだという事実が、重くのしかかる。
「……羽住」
湊くんが、パイプ椅子から立ち上がった。
彼は私の前まで来ると、少しだけ困ったように眉を下げて笑った。
「……嘘下手すぎ。顔、真っ白だぜ」
「……あ、……あ……、ごめ、……なさ……」
「謝んなよ。……それより、さ」
湊くんは、私の手元にあるスマホを指差した。
「……『ひふみ』の最新話。あんなところで終わるの、反則だろ。続きが気になって、心臓持ちそうにねーよ」
彼は、私の正体を「最高だ」と認めてくれた。
あの日、ノートを「すげぇ」と言ってくれた時と同じ、真っ直ぐな瞳で。
「お前が書く言葉、俺、やっぱり大好きだわ。……これからも、俺にだけは一番に読ませてくれよな。作者さん?」
夕闇の図書室で、私たちは「共犯者」になった。
湊くんが軽く手を振り、先に部屋を出る。残された私は、幸せな余韻の中で自分のスマホを手に取った。
けれど、画面を見た瞬間、血の気が引いた。
『メッセージが1件届いています』
送り主は、『ポート』。
初期から欠かさず感想をくれる、熱心な読者。
震える指で開いたそこには、いつもの簡潔な感想ではなく、悲鳴が綴られていた。
【ひふみさん。……助けてください。俺、もう笑うのが限界なんです】
湊くんのスマホが鳴った時の「音」が、頭の中でリフレインする。彼は、正体を知っていたから助けてくれたんじゃない。
ファンとして、顔も知らない作家に、誰にも言えない限界を打ち明けていたのだ。太陽のように笑う彼の、本当の叫び。
私が彼に救われていたその裏で。彼は、私の小説
(言葉)に、命綱を求めていた。ガタガタと、指先が止まらない。
図書室の扉の向こう、廊下を歩いていく彼の足音が、やけに重く、寂しく響いていた。




