表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/7


 翌日からの二日間の現場は壮絶だった。それらはどちらも遺体が死後数週間、放置されていたために損傷が激しかったらしく、その分、腐敗臭もかなりあり、虫なども当然いた。

 翌日の現場は典型的な8050問題を抱えていた。母親が亡くなったのに息子が届け出をせずに自宅に放置していたらしかった。親が亡くなった直後は、冷蔵庫に遺体を保存していたが、電気が止められてしまい、腐敗が進んだ結果、悪臭が外部に漏れて発覚したらしい。息子は親の年金が止められるのを恐れて放置してしまったということだった。

 その次の日の現場はどうやら住人が自殺したらしく、こちらも死後数週間経過していた。詳細は分からないが、アパートの住人の話によると、三十代くらいだろうということだった。タックンやぼくとそれほど変わらない年齢だから、何ともいえない感情を抱きながら部屋の清掃をした。

 これらの現場があまりにも辛かったので、つい弱音をはいたり、辞めたくなったりしてしまった。そんなときは飲食店で楽しく働いていた頃を思い出す。そしてぼくから飲食店の仕事を奪ったパンデミックを心の底から憎んだ。

 この間、ぼくたち素人探偵の活動はほとんど進んでいなかった。レンタカーが乗り捨てられていた場所に実際に足を運んでみたかったが、仕事が立て込んでいて時間的にできなかった。できたことといえば、亡くなった男性の銀行の通帳記帳くらいだった。男性の銀行からはここ数か月間、引き出しはされていなかった。でも、この結果だけでは次女のメイさんが父親の金を使っていないとは断言できない。もしかすると、他にも父親名義の銀行の口座があるかもしれない。

 レンタカーショップに行ってからちょうど一週間後は休日だったので、赤城メイさんが勤めていた病院に聞き込みに行く計画を立てていた。朝早く起きて出かける準備をしていると、スマホに着信があった。タックンからだった。第一声からして深刻な話らしいのは想像がついた。

「赤城メイさんが見つかったって」

「本当?」

 タックンによると、赤城メイさんは長野県上田市の市道を歩いているところを保護されたという。衰弱していたが命に別状はないそうだ。病院で静養した後、遺体遺棄の容疑で逮捕され、今は長野市の警察署に身柄があるという。これらの情報はタックンが以前、清掃の現場で知り合った刑事から聞いたらしい。

 そこで急遽、長野に向かうことになった。電話から一時間でタックンが車で迎えに来てくれた。コンビニで食事を買ってから長野に向けて出発する。

 こういう状況じゃなかったら、ドライブを満喫するのだろうけど、二人ともどちらかというと暗い気分だった。もちろん、赤城メイさんが無事見つかったことは嬉しかったが、彼女の行いが行いなだけに、素直に喜べないでいた。タックンもいつもより口数が少なかったし、ぼくの頭の中ではあの疑問が離れなかった。

『なぜ父親の遺体を放置したのか』

 いくつかの高速道路を経て長野市に入った。一般道を走ること三十分ほどで、目的の警察署が見えてきた。スマホのナビに従って走ってきたので、全然迷わなかった。

 タックンの知り合いの刑事が話を通してくれていたらしく、署内に入って名前を告げると、すんなりと事が運んだ。警察官に案内されて廊下を歩く。彼はある一室で足を止めると、ドアを開けて中に入っていった。ぼくたちも後に続く。

 アクリル板の向こう側に女性が座っていた。女性は俯いていて、ぼくたちが入ってきても顔を上げる気配がない。この女性が赤城メイさんに違いない。

 警察官が感情を込めずに、

「十五分ですので、三時二十分までです」と言って、ドアの横に立った。

 アクリル板の前に置かれている椅子に腰を下ろす。赤城メイさんはまだ俯いたままだった。顔の頬はこけて、顔色もあまり良くない。いざ対面してみると、どう切り出していいのか分からない。タックンがとりあえず、

「こんにちは」と挨拶をした。するとゆっくりと遠慮がちに顔を上げた。それから消え入りそうな声で、

「こんにちは」と言ってくれた。やつれてはいるものの、写真立てに写っていた女の子の面影があった。

 いつもならば、タックンが得意の世間話をして心理的な距離を縮めるのだが、接見の時間が十五分しかないので、彼は名前と自分たちの身分を手短に話し、彼女が無事に発見されたことを嬉しく思うと告げてから、早速、本題に入った。

「それでお部屋の清掃をしていて思ったんです。プライベートなことだし、差し出がましいとは思うんですが、どうしても聞かずにはいられなくて。なぜ赤城さんは、お父さんの遺体を放置してしまったんですか。玄関口で赤城さんの家族写真を見つけました。そこに写っている赤城さんはなんの屈託もない笑顔をしていて、この人がそんなことするはずない、なにか理由があるはずだって思ったんです」

 赤城メイさんは、タックンの必死の問いかけに、わずかに眉を動かしただけで、ほぼ無表情だった。それはまるで心ここにあらずといった感じだった。数秒の沈黙の後に、

「あんなに汚い部屋を掃除して下さって、また、わたしなんかのことを気にしてくれてありがとうございました。でも父の遺体に関してはお話することはありません」と蚊の鳴くような声で答えた。

「どうしても話していただけないんですか」

「申し訳ありません」また俯いてしまった。もうぼくたちとはこれ以上、話したくないというサインだろう。それでもタックンは彼女に向かって、

「長野には何をしに来たんですか?」とたずねたものの、赤城メイさんは顔を上げることなく、

「それにもお答えできません」と言って、口を固く結んでしまった。

 あといくつか質問してみたが、まともな答えが返ってくることはなかった。ぼくたちは顔を見合わせて席を立った。タックンが背後にいる警察官に接見はもう終わりますと告げた。警察官は眉を上げて、

「もういいの?」と聞く。

ぼくたちがうなずくと、その警察官はドアを開けてくれた。廊下に出るとき、部屋を振り返ってみたが、赤城メイさんはずっと顔を伏せていた。

 車に乗ってから、しばらくは二人ともそれぞれの考えの中に沈んでいた。高速道路に乗ってから、ぼくが、

「せっかく長野まで来たのに、なにも分からなかったね」と言うと、

「この目で彼女が無事だったのが見れただけでも収穫だったよ」と疲れたような声でつぶやいて、再び運転に集中した。その後の車内は、ラジオと音楽と弾まない会話を繰り返した。

 結果はどうだったにしろ、赤城メイさんとの会見を果たしたことで、ぼくたち、にわか探偵の活動は終了ということになった。冷静に考えてみれば、特殊清掃の作業員である赤の他人が、現場の住人についてあれこれ詮索するのは失礼だろう。まして、なぜ遺体を放置したのかという心の問題ならば、なおさら他人がでしゃばるべきではない。自分にそう言い聞かせて、仕事に励むことにした。

 一日ごとに気温が上がっていき、春の足音が聞こえてくるにつれて仕事の依頼が増えていった。休みもなかなか取れなくなり、次第に赤城家のことは意識から離れていった。仕事も少しずつ慣れてきて、タックンにあれこれ指示されなくても動けるようになっていった。

 仕事自体は決して楽ではなかったが、ほんのわずか、やりがいを感じるようになってきた。

 現場の場所は様々で、県内が多かったが、時には県をまたいで依頼が来ることもある。ある現場の作業を終えて、トラックで帰り道を走っていると、途中で交通渋滞が発生していた。あまりにも動かないので迂回することにした。狭い住宅街を走っていると、見たことのある風景が視界に広がってきた。偶然にも赤城家のアパートに通じる道路を走っていたのだった。

 そのアパートを見ると、やはり赤城メイさんのことを思い出してしまう。そこから数分先にあるレンタルボックスに近づいてきた。全然そんなことを言うつもりはなかったのだけど、つい口から言葉が飛び出した。

「あの赤城さんのレンタルボックスの鍵ってまだ持ってるの?」

「え?鍵?あるよ」

「もう一回だけ調べてみない?」自分でも自分の発言に驚いた。そしてタックンに怒鳴られるんじゃないかと身構えた。でもタックンは、ぼくの提案には答えずに、前を向いたまま運転を続けている。もうあのことは蒸し返したくないのだろうなと思っていると、本来は直進するはずの交差点を右に曲がって、その先にある空き地にトラックを停めてくれた。横にはレンタルボックスがある。エンジンを切ったタックンはダッシュボードを開けて鍵を取りだした。

「一時間だけな」

 ボックスの中は、以前入った時のままの状態だった。それもそのはずで、赤城家の唯一の遺族である長女はまだ海外から帰国していないらしいので、誰もここに入る人はいない。

 もう一度、ざっと遺品を調べていった。ぼくは熱心だったが、タックンはもう熱が冷めているのか、あまり乗り気ではないようだった。

 一時間の苦労は報われなかった。やはりなにも参考になるものはみつけられなかった。さすがに諦めて入口ドアに向かって歩いていく。タックンはドアノブに手をかけて外に出ようとしている。

 そのとき、部屋のどこかから何かが落下するような音がした。音はそれほど大きくはなく、小さなものが落下したような音だった。足もとを見ると、赤城家の家族が写っている写真立てが転がっていた。それは赤城家の靴箱の上にあったものだった。どうやら、積んでいた遺品から落ちたようだ。

 ぼくはその写真立てを拾った。旅行先で撮った和やかな家族写真。

「あ!」思わず声を出してしまった。すかさずタックンが振り向く。

「どうした?」

 写真立てには後ろにもう一枚、写真があったのだ。落下した弾みに、後ろにあった写真が横にずれて見えるようになったのだった。その後ろにあった写真をつまんで引き出す。それも家族で撮った写真だった。亡くなった男性、メイさん、長女、そして母親と思われる女性。だが場所が違っていた。家族はある建物の正面で写真を撮っていた。そこは長野県の美ヶ原高原美術館だった。そこにはぼくも行ったことがあったのですぐに分かった。と同時に、頭の中で今まで集めた情報を思い出した。美ヶ原高原美術館、赤城家のアパートにあった遺品、メイさんがレンタカーを借りたこと、レンタカーに残されていたもの。

「そうか」

「どうした?」タックンがぽかんとしている。

「赤城メイさんって今どこにいるんだろう?もう一度、会えないかな」

「なんか分かったの?」

「たぶん」

 タックンが知り合いの刑事に電話をしてみた。以前、メイさんとの接見を取り計らってくれた刑事だ。彼によると、彼女は現在、地元の警察署に移されたらしい。タックンがもう一度、彼女に会いたい旨を話すと、話をつけてくれた。

 警察署には三十分ほどで着いた。中に入って事情を説明すると、少し待たされたあと、ある部屋に案内された。ドアを開けると、アクリル板の向こうに赤城メイさんの姿があった。前回会った時よりもだいぶ顔色が良く、表情にも生気が感じられた。ぼくたちはその透明な板越しに向かい合って座った。

「こんにちは」ぼくたちのあいさつに、

「こんにちは」と元気な声で返してくれた。それを聞いて、タックンはこれはいけると思ったらしく、当たり障りのない世間話を始めた。ぼくはドキドキしながら彼女の反応を待った。でもぼくの心配をよそに、彼女はきちんと受け答えをしてくれた。数分間喋ったあと、

「なんか彼が聞きたいことがあるって」とぼくに話を促す。

 ぼくは姿勢を正して椅子に座りなおす。

「あの、しつこいし、おせっかいだと思われるかもしれませんけど、ぼくは赤城さんがどうしてお父さんの遺体を放置してしまったのか考えていました。そしてあることに思い至りました。赤城さんがレンタカーを借りて長野に行ったのは、お父さんと天体観測をするためだったんじゃないですか。家族写真の中に美ヶ原高原美術館で撮った写真がありました。あそこは美術館で有名ですけど、星空がきれいな場所としても有名なんですよね。でも長野に行く直前にお父さんが亡くなってしまったんじゃないですか」

 ぼくの言葉に彼女ははっとした表情をした。しかし、口は閉ざされたままだ。

 なにも言葉を発しようとしないので、

「違いますか」と優しくたずねた。

 すると俯いていた彼女の目から一筋の涙がこぼれた。それからゆっくりと顔を上げて静かに話し出した。

「あそこは私たち家族の思い出の場所なんです。長野に旅行に行くと、父はいつも天体望遠鏡を持っていきました。夜になって満天の星空を眺めるのが父の楽しみでした」もう一筋、涙がこぼれた。

「赤城さんは、お父さんのために一月五日に長野に連れて行ってあげようとしたんですね」

「はい。でも父の容体が急変してその前の日に亡くなりました。私はそれが信じられなくて、なにをしたらいいか分からなくなってしまいました。本来ならすぐに警察とか救急車を呼ぶべきだったんですけど、父をもう一度、あの場所に連れて行ってやりたくて、父の遺体を乗せてレンタカーで長野に行くことを思いついたんです。そして思い出の場所に記念碑を立てようと思っていました。今思うとどうかしていました。出発の直前になって、さすがに自分のしようとしていることがおかしいと思って、父の遺体は車に乗せず、冷凍庫に入れました。でも私の気持ちが収まりませんでした。気がついたら半ば無我夢中で、私だけ長野に向かって車を走らせていました。家族でいつも天体観測をしていた場所に着いて空を眺めました。そこでふと我に返って、急に絶望的な気分に襲われました。あのときは仕事でもプライベートでも行き詰っていました。追い打ちをかけるように父が亡くなってしまいました。もう生きていく気力がなくなりました。車はそのままにして、死に場所を求めてその辺りをさまよい歩きました。でも死にきれませんでした」またメイさんの頬を涙が伝った。

 部屋にはメイさんの鼻をすする音の他には、なんの物音もしなかった。

「無事でよかったです」タックンの言葉に、

「わたしなんか生きていたってどうしようもありません。毎日、死ぬことを考えています」

「生きてください!」自分でもびっくりするくらいの大きな声を出してしまった。隣にいるタックンや、後ろの壁に寄りかかっている警察官も驚いたようだ。

「生きてください」もう一度、今度は普通の声量で言った。

「お父さんがお亡くなりになられたことは本当に残念です。お悔み申し上げます。それにいろいろと上手くいかないのも心中お察しします。でも生きてください。死ぬことを考えてるなんて言わないでください。生きていればきっと良いことや希望があるはずです。ぼくも今回のパンデミックで仕事を失いました。それが原因で彼女との関係もぎくしゃくして結局、別れました。一時は絶望して自暴自棄になっていました。それがこの仕事に出会って少しずつ良い方向に向かっています。だから赤城さんも生きてください。それをお父さんも願っていると思います。そして生きていくのに疲れてしまったら、また長野に行って、満天の星空を見上げてください。星になったお父さんが見守ってくれてますよ。ちょっと説教くさくなってしまってごめんなさい」ぼくは赤城メイさんやタックン、それから背後にいる警察官から顔を背けるようにして立ち上がり、部屋を飛び出した。涙が流れているのを見られたくなかったからだ。そのまま廊下を小走りに通り過ぎて警察署を出た。

 外はすでに夕闇が広がっていた。上着の袖で涙を拭いながら突っ立っていると、タックンが出てきた。彼はぼくをみつけると肩に手を乗せた。

「赤城さんが、アッキーにありがとうって伝えてくれだって」

「お礼を言われるほどのことは言ってないよ」

「星になったお父さんが見守ってるか。そうかもしれないな。ところでアッキーって、彼女と別れてたんだ。なんか大変だな。この仕事だって辛いだろ。もし本当に辛かったら、やめて前にやってた飲食店の方に行ったっていいんだよ」

 涙で濡れているのを見られたくなかったので、顔を背けていたのだけど、そんな感情を振り払ってタックンに向き直った。

「ぶっちゃけ言うと、現場は悪臭がひどかったり、ごみで散らかってたり、虫なんかもいて、正直、何度もやめようと思ったんだ。でもこの仕事って、そこに住んでた人の人生の最後のお手伝いをさせてもらってるって思うと、やりがいがあって、けっこう楽しいってことに気づいたんだ。だからぼくはこの仕事、続けていこうと思ってる。タックン、今後ともよろしく」

 ぼくは右手の親指を立てて、胸の前に掲げた。タックンはぼくの話を聞いて、一つ大きくうなずいてから、右手の親指を立てて、ぼくの右手に軽くタッチした。それから、

「あーあ、それにしても腹減ったなあ。なんか食いに行こうぜ」

「駅前に新しく寿司屋ができたんだよ。たしかオープンセールやってたはずだよ」

「じゃあ、そこに行くか。明日からまた大変な現場が待ってるぞ」

 都会の夜空には、あいにく数えるほどしか星は瞬いていなかったが、ぼくは心の中で満天の星空を重ね合わせていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ