第七話 急襲
「ひ・・・・・・!」
聞こえるか聞こえないかぐらいの悲鳴を漏らしながら、新星はペタリと地面に座り込んだ。
目の前に迫り来る脅威に気がつき立ち上がろうとしたのだが、程なくして腰が抜けてしまった。
その脅威とは、すなわち巨大な怪物。
自分自身の優に十倍以上の背丈はあろうかという銀灰色の巨体が、いま、新星と水岡の上に覆いかぶさるようにして木立のすぐ向こう側に立っているのである。その頭部と思しき部分には丸い黄色い光が二つ揺らめいているのが見え、その真下にある耳元まで裂けたような巨大な口からは、白く尖った牙が何本も垣間見えている。
メキメキメキと再び樹の幹を引き裂く音がして、ほぼ真上を見上げていた新星の目の前にその足が下りてきた。鈍く光を反射する銀色のカタマリが、よく生い茂った緑の梢を下敷きにして広場を踏みつけ、砕く。その途端、石と石を擦り合わせる様な極端に無機質な音が響き、新星の足の下にあった石畳が一気に10センチほど盛り上がった。
比喩でも何でもなくほとんど目と鼻の先に現れたソレは、一瞬で新星の視界を覆い尽くした。距離の近さゆえに、自然と彼女の注目もそちらに向かう。
怪物の足は、上半身とあまり変わらない銀灰色だった。接地している部分には大きな二本の指が生えており、色もその先端まで周囲と同じだ。爪の有無は分からない。足首は太い幹のようなものの周囲を、また同じ色をした何本もの細長い腱が取り囲んでおり、その間には薄い車輪のようなものがくるくると―――。
その一瞬、新星は自分の正気を疑った。
怪物の足首に車輪が挟まって回転しているのだ。そんなハズはない。
しかしソレは見間違いではなかった。確かにタイヤゴムが装着されたままの自転車のスポークホイールのような円盤が、怪物の足の真ん中で縦方向にくるくると回転運動を続けていた。
よく見ると、足を覆っている腱のような部分にも何本か足の外側に突き出してあさっての方向を向いているものがあった。それらはいずれも、錆びた鉄パイプや千切れた太いケーブルのようなものを想起させた。
目の前で動くものが現実だとすれば、導き出される結論はひとつ。それは、
「ロボッ・・・・・・ト・・・・・・?」
再び見上げた怪物の巨体は、何故か当初よりも遥かに巨大で恐ろしく見えた。
* * * * *
吉田は町中を疾駆していた。
『竜神』のある丘をいったん離れ、自宅を経由したのち海に一番近い建築現場の無事を確認し、今現在は自分の会社へ向かっている最中だ。社長ならば土曜日でも事務所にいるだろうと見越してのことである。
あの後『竜神』から海のほうを確認したが、その時点で後続の波は確認できなかった。第二波以降は数十分ほどの間隔をあけて襲ってくるというし、発生地点があれだけ近ければ実際の時間はもっと短くなるだろう。よって本来ならまだ丘の上に待機しているべきなのだが、現状を見る限りは流石にそうも言っていられないのも事実だ。
ビルよりも巨大な恐竜が上陸し現在進行形で町を蹂躙しているという状況は、数十分後に来るかも分からない津波より遥かに緊急性は高い。この場合、単に高いところに逃げれば助かるという問題でもないだろうから、丘の上から状況を俯瞰していた人間が指示して的確な場所に逃がしてやらねばマズイだろう。
ちなみに、もはやお約束とでも言うべきか電話は繋がらなくなっていた。電話線が切断されたのか備え付けの電話機は機能せず、また携帯電話も朝方からの電波障害が継続しているのか圏外のままであった。吉田が危険を冒してまでも町中を移動しているのは、それがひとつの理由でもある。
「うおおー、凄ぇっっ!?」
「やべやべやべやべ・・・・・・・・!」
偶然路上ですれ違った町の人間たちが何人か、吉田の駆けてきた方角を指差しながらひたすらそんな声を上げ続けていた。彼の背後に見えるものというのは、もちろん海から上陸した巨大な恐竜である。
ただでさえ背丈がある上に、あの恐竜が向かっていったのは土地が若干高くなっている街の南側であった。よっぽど距離を離さない限り、恐竜の姿は街中の何処からでも目にすることが出来るようだった。
この場所を通るまでに、吉田は彼ら以外にもいくつも同じような光景を目の当たりにしていた。その殆んどの人がリュックを背負うか防災頭巾を被っていたところを見ると、津波警報のサイレンを耳にし、家から出てきたところでちょうどあの恐竜を目撃したのだろう。
感心してないでさっさと逃げろ、と言いたいところだが、彼らの気持ちも分からないわけではなかった。かつての津波でもそうだったように、人間は想像を絶する光景に出くわすと現実味を感じなくなり、次第に恐怖の感情すらも飛び越してしまう。
ましてや現在、恐竜という目に見える脅威は彼らから見て遠ざかっていっているのだ。ならば、あんな反応に行き着くのも無理なからぬことだろう。後でグチャグチャにされた家や店を見たときの彼らを思うと、やはり心が痛む。
吉田は急いで二丁目と三丁目の角を曲がるとそのままのスピードで、北に向かってやや傾斜した舗装済の坂を上り始めた。ここを越せば、すぐに吉田の会社である。
やがて十秒もかからずに坂の頂上に来た吉田が反対側に降りていこうとするとき、突然、
「あれ、ヨッシー、ヨッシーか!?」
「んん?」
急いで走っている吉田のことを、誰かが中学時代のアダ名で呼び止めたような気がした。一瞬何処からした声だか分からずに、慌ててあたりを見回してみる。すると上ってきた坂の、数メートル低い位置でついさっきすれ違ったばかりの男が自分のことを見上げ、懸命に手を振っているのが見える。
レンズの分厚い眼鏡を着用し、その短い手足を懸命に動かす身長150センチぐらいの小男。吉田はその人物をよく知っていた。
「エイケン! お前どうしたんだ?」
「見てのとおりだっ」
頂上まで上った坂を数メートル下りて戻ってきて自分に声をかけた吉田に対し、”エイケン”と呼ばれた男はその顔も見ずに返事をした。というか見れないのだ、既にサイドスクリーンを覗いているから。
坂の上から見て道の左端に寄ったエイケンはその手に一般家庭用のデジタルビデオカメラを携行し、街の向こう側に見える恐竜の背中を映し続けていた。ちなみに一般用といっても、その実は200ギガバイトのHDD内蔵にフルハイビジョン画質で光学20倍ズームも可能といった化け物級のスペックをもつ機体である。普通は一般人が持つ代物ではない。
「またお前は危機感のない・・・・・・死にたくなかったら避難しろよ!?」
戻ってきたは良いものの、吉田は古い友人の行動に思わずあきれてしまった。
常時撮影機器を携帯し映画研究会まで作っていたこの男が怪獣マニアだということは、学生時代からよく知っている。が、それにしてももう少し時と場所を選んでも良いと思う。
それでもエイケンは素知らぬ顔。
そればかりか懐から何かを取り出すと吉田に差し出して言った。
「それより見てみろ・・・・・・どうも普通じゃないよ、あの怪獣は」
もちろん、スクリーンからは目を逸らさずに。ちなみに取り出したのは双眼鏡であった。
今それどころじゃない、と言ってスルーすべきかどうか吉田は一瞬迷ったが、すぐに社長に頼んで仲間たちに連絡をまわすという目的を思い出し、自分自身がある程度は詳細を把握する必要があるという結論にたどり着いた。
「やれやれ・・・・・・」
吉田はその手から双眼鏡をひったくると、エイケンと同じように街の向こう側に見える恐竜の背中に照準を合わせた。
竜ヶ守のある土地は十五年前の地震の影響もあって、全体として南北に緩やかな隆起を繰り返す形状になっている。『竜神』のある竜ヶ丘も、吉田とエイケンが立っているこの坂もその中のひとつであり、お陰で建物などが邪魔にならずに街の南側に立っている恐竜の姿を確認することが出来た。
恐竜は、森林公園の中で立ち止まっているようだった。少しだけなら余裕がありそうだ。
双眼鏡のレンズ越しに見える恐竜の背中は随分と光り輝いて見えた。比喩的な意味ではなく、全身の殆んどが夏の日差しに銀色の光を反射して見えるのである。また背中の中央ラインからは半透明で瑠璃色の結晶のようなものが無数に突き出して見える。遠くから見ると背びれの様に見えたのだが、こうして拡大して見るとどうも鉱物かなにかのようだ。
あの銀色の身体といい、背びれといい、これではまるで―――。
「ヨッシー、どう思うよアレ」
「・・・・・・・・・金属なのか、まさか。体中が?」
だとすれば、身体のあちこちに見える赤黒い染みは”錆び”なのだろうか。
しかし余りにも常軌を逸していて、信じ難い。普通の人間なら見間違いと言われても仕方ない話だが、吉田の場合知人たちの中でも突出して視力がいいため、そうとも言い切れない。
左隣で撮影中の映像を覗き続けるエイケンは、少しホッとした様に言った。
「だよな、俺の見間違いじゃなくて」
「見間違いってほうが正常だろコレは・・・・・・・・・ん?」
突然吉田が、やけに素っ頓狂な声を上げた。
それまで恐竜の背中を上から下まで観察していたようだが、何か発見したのだろうか。
吉田は、双眼鏡を構えたまま自然と体を前のめりに動かしていた。そのままの体勢で5秒ほどある一箇所を見つめてのち、ポツリと呟く。
「・・・・・・文字」
「え、何?」
「文字が書かれてる。あの恐竜の背中に」
そう言って吉田は再び双眼鏡越しに、拡大された恐竜の銀色の背中を見つめた。
「『MG2』・・・・・・『MG2』の・・・・・・駄目だ、あとが分からない」
「嘘だろおい、『MG』ってまさか――――」
エイケンは、吉田の隣で珍しくカメラの画面から目を離して、愕然とした風に言った。
「――――メカゴジラ?」
「はぁ?」
この怪獣バカ、少し空気を読んだらどうなんだろうか。
* * * * *
再び、森林公園の広場内。
目の前の怪物が、足の隙間で回転していた車輪を急に停止させたかと思うと、その左足を静かに持ち上げた。
踏み潰される。そう確信し、新星は思わず目を瞑った。
だが怪物の足は、まるでそこにいることすら気付いていないかのごとく新星の上を通り過ぎると、スローモーションを掛けた様にゆっくりと、離れた位置にある地面を踏みつけたのだった。
ガシャッ、と機械の関節が動くような音がして、怪物の足を覆っている銀灰色の鎧のようなものが僅かに押し上げられた。同時に再び突き上げるような震動が足元から伝わり、怪物の足の下にあった石畳が砕けて盛り上がる。
その足の数メートル先では、水岡が棒立ちになって頭上を見上げていた。
新星は、そんな水岡の様子に気付いたのか、慌てて彼の名前を叫んだ。
「水岡さん!」
反応はない。
水岡の眼前に足を下ろした銀色の怪物が、その姿勢をゆっくりと下げ始めた。背後から見ていても、怪物が徐々にその口をあけていく様子が分かる。
新星は、背筋にぞっとするものを覚えた。
「水岡さん、逃げて・・・・・・水岡さん!!」
何とか立ち上がって水岡の元へ行きたい。だが、どうしても足が言うことを聞いてくれない。
立つこともままならぬまま、新星は必死に声を嗄らして叫び続けた。
「水岡さん! 水岡さん!!」
水岡の頭上にしゃがみ込む形になった怪物が、もうハッキリと分かるぐらいに大きくその口を開いた。鋭くとがった白っぽい物体が、上下に無数に立ち並んでいるのが見えた。
新星が、ますます絶叫する。
だがしかし、新星が必死で叫んでいるのと対照的に、当の水岡は徹底的に無反応であった。目は虚ろなまま、もはやどうでもいいという具合に眼前の巨大な口を見つめ続けている。いやもしかすると、目の前で起こっていることに気付いてすらいないのかもしれない。
そう、思えたのだが。
「ギェギェギェギェギェギェ!」
怪物がその腹の底から、思わず耳を覆いたくなるような不気味で耳障りな鳴き声をあげた時。
「・・・・・・・・・っ」
一瞬。
ほんの一瞬であったのだが。
「あ・・・・・・」
数メートル離れた新星の目から見てもハッキリそうと判断できるぐらいに、明確な”怯え”の感情がその顔を横切っていった。
確かに恐怖していた。
その瞬間、待ってましたとばかりに叫び声を上げ、しゃがんでいた怪物が大きくあけ広げたその口を水岡の頭上目掛けて降らせていった。
新星の頭が真っ白になった。その瞬間、
ドンッ!
「ギイィィィィィィィィッ!?」
広場に腹の底から響くような衝撃が広がり、銀色の怪物が悲鳴を上げて弾き飛ばされ、後方の木々を更に数本なぎ倒して引っくり返っていた。
新星は、そして水岡も、その瞬間何が起こったのか全く理解が出来なかった。
突然引っくり返った怪物は、体の上に倒れてきた何本もの木々に揉まれながら足掻きもがき、必死になりながら手足を地に突き立て、立ち上がろうと苦闘していた。パニックを起こしているように見える。
そしてどうにか四つん這いになった怪物が、金属を擦り合わせるような音を小さく歯の間から発しつつ、自らの目の前、すなわち水岡の背後の空間を憎々しげに睨みつける。
思わずハッとなり、水岡も新星も怪物の視線の先を確認し、そちらに顔を向ける。
怪物が更に甲高い叫び声を上げ、立ち上がったそのとき、
「グルアアアアアアアッ!!」
再び腹の底から響いてくるような低く深い吼え声と共に、紅く染まった影が水岡の背後から飛び出し、銀色の体を持つ怪物目がけて颯爽と襲い掛かっていった。
赤い影と、銀色の怪物の体とがぶつかり合い、大地が大きく揺れ動く。
銀色の怪物は、その両腕の先に伸びた鎌のような形状の爪を頭上に振り上げ、敵目がけて力任せに振り下ろそうとする。が、赤い影は咄嗟に両腕を伸ばすと振り下ろされた敵の両腕の手首を捕まえ、下から最小限度の力で支えると、一瞬のうちに突き返して後退させる。
両腕を弾き上げられ、ガードの開いたところに赤い影が突っ込んでくる。ボディタックルを受けた銀色の怪物は再び引っくり返りそうになるも、その莫大な重量を両脚と太く長い尾部とに分散して支え、どうにか大地に踏みとどまる。
しかし次の瞬間、赤い影は銀色の怪物の懐に飛び込むと、左腕で敵の肩を、右腕で股関節の部分を押さえると、その両腕で挟み込むようにして怪物の体を捕らえて頭上へと持ち上げた。
空高く持ち上げられた怪物は手足をバタつかせ抵抗を試みるも、効果がない。
敵を抱え上げた赤い影は、先ほどよりも長い長い咆哮を放ちながら、その左足を軸にして横に大きく一回転するとその手を放し、殆んど力任せに敵の体を遠くの場所へと投げ飛ばした。
森の上空を投げ飛ばされた銀色の怪物は、怒りとも悲鳴ともつかぬ不気味な金切り声を上げながら100メートルほど離れた位置に立っていた白い風車小屋に激突し、白いペンキ塗りの木材を森中に撒き散らしながら、倒れていった。
敵を投げ飛ばしたばかりの赤い影は、その相手に向かって参ったかと尋ねるかのごとく、姿勢を低くし飛び掛ったときのような構えを見せて、腹の底から森全体の空気を震えさせると言っても過言ではない巨大な咆哮を吐き出した。
「ギャオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!」
* * * * *
街の北側で坂の上から森の様子を見守っていた人々は、しばらくの間、唖然としてその場に立ち尽くした。
誰も予想だにしなかった、予想できるハズもなかった龍の出現。
町に上陸した怪物の前に颯爽と立ちふさがり、圧倒的な力で叩き潰さんとする紅き龍。
彼らの知る限り、その存在はひとつしかない。
その名は。
「・・・・・・・・・烈怒龍だ」
誰かが、何の前触れもなくそう呟いた。
「烈怒龍が復活したんだ!!」
「「「うおおおおおおおおっ!」」」
一瞬のうちに坂の上から町中に至るまで、その光景を目撃していたありとあらゆる場所から天を突くような凄まじい歓声が上がった。町が、人々の叫びに震えている。
そこに、一旦事務所に行ってからまた戻ってきた吉田が姿を現した。彼は坂の上から、目の前で繰り広げられる光景を見て言葉を失った。それから、さっきまで巨大な恐竜もどきが立っていたハズの南の森林公園に目線をやり、そこに新たに出現した存在を認め、目を見開く。
その正体は、吉田にも殆んど一瞬で理解できた。
町を、警報のサイレンすらも押しつぶすような巨大な叫び声が覆いつくしていった。
(第八話へ続く)




