第九話 古く、新しい傷跡
『龍神』のある竜ヶ丘。その真西に広がる竜ヶ守第一森林公園の中腹は、今日に至るまでコナラやクロマツを主とした落葉樹が幾重にも生い茂る場所であった。しかし現在、そこに立っている樹木の姿はほとんど見えない。あの恐竜もどきに加えて「烈怒龍」が暴れたことが原因で、彼らの進路上にあった木々が片っ端から薙ぎ倒されてしまったためである。
これまで市民の憩いの場であった森林公園は、今や樹木を失い禿げ上がった幅十五メートルほどの獣道をあちこちに通す状態になっていた。まるでとてつもなく巨大な芝刈り機で以って、行く手にある緑を手当たり次第に刈り取ったかのようだ。正直、相当に無残な状況であった。
さて、そんな禿げきった公園の中ごろにある倒木に、力なく腰かけている一人の女性がいた。彼女はその透き通るような真っ白い肌の上に、肌とは対照的な長い黒髪というヴェールを被せている。新星理恵である。
新星は萎えてしまった右足をさすりながら、一人ぼんやりと、根こそぎ倒された木々の向こう側に見える町の光景を見つめていた。彼女の近くに、水岡の気配はない。既に立ち去ってしまった後だった。
新星は静かにため息をつきながら、先ほど見た水岡の様子を思い出していた。
あの瞬間、あの怪物に襲われそうになった瞬間、確かに彼は恐怖していた。まるで生きることを諦めたようなあの態度の中に、まだ消えきらない何かを見た気がした。
だから最初の怪物と、後から現れた龍が行ってしまってから、新星は水岡に今一度声をかけたのだった。けれども、そのときの水岡は既に、最初の表情へと戻ってしまっていた。そして新星の方をちょっとだけ振り向くと、一瞬だけ見せたあの表情を悔いるかのように深くため息をつき、その場を去ってしまったのである。後を追おうとしたが、新星の足は萎えて力が入らなかった。
何とか立ち上がった頃には、水岡の姿は既に消えていた。それっきりだった。
新星は微かに俯き、右足をさする手の上にもう一方の手を重ねた。
そのとき町のほうの空から、爆音の轟くのが聞こえてきた。次第に大きくなって近づいてくるそれは森の上空へと進入し、あっという間に新星の頭上に差し掛かった。その正体は、ミサイルの様な形状をした土気色のヘリコプターであった。
* * * * *
「うっひゃー、酷ぇなこりゃ・・・・・・」
背後を歩くエイケンの口から思わずそんな呟きが漏れる。その一方で前を歩く吉田はというと、もう何も言う気にならないといった様子であった。決してエイケンのやかましさに閉口している訳ではない。町の惨状を前に何も言葉が出てこないのだ。
しかも忌々しいことに、吉田はその感覚に覚えがあった。以前にコレを体験したのはもちろん今から15年前のこと。これではまるで、
(津波ン時みてーだなぁ・・・・・・)
歩きながら周囲を見回し、吉田はそんなことを思った。
吉田とエイケンの二人はいま、前後に並んで、怪獣の破壊した自分たちの町の中を歩いていた。二大怪獣の進路にあった家屋はことごとく押しつぶされ、内側にあった家具は砕けて往来に散乱していた。木製の家具ばかりでなく、液晶テレビや冷蔵庫といった電化製品も散見される。道端ではグレーのワゴン車が一台、天井から床下まで貫く大穴を開けた状態で横倒しになっていた。怪獣のどちらかが踏みつけたりでもしたのだろうか。
それから左手に顔を向けた吉田は、何故か一瞬表情をこわばらせ、それから慌てて傍に立つ一軒の家に駆け寄っていった。驚いたエイケンが後から追いかける。
「・・・・・・・・・」
「どした、ヨッシー?」
「・・・・・・いや、なんでもない・・・・・・なんでもないよ」
そう言って吉田は首を振り、もと歩いていた道に戻って移動を再開した。
エイケンには言わなかったが、たったいま吉田が駆け寄っていった家は、彼自身が何年か前に初めて現場監督を務めた家であった。
職人である吉田にとって、建てた家はいわば自分の娘のようなものだ。愛着もある。改築や建て直しのために崩されるならまだしも、こんな理不尽な形で破壊されたのには悲しみを禁じえなかった。吉田は、胸がチクリと痛むのを感じた。
悲しみを振り払うかのごとく、吉田は前進の歩調を少しだけ速めた。
「けどアレだな、こうして見ると、結構生き残ってる家も多いんだな?」
突然背後で、エイケンがそんなことを言った。
そう言われてみて、吉田は改めて道の周囲に広がる町並みを見回してみた。すると確かにアレだけのことがあったにしては、壊れず残っている家が意外にも多いような気がした。破壊された家は徹底的に破壊されているが、そうでない、怪獣たちの進路から外れた建物に関しては殆んど無傷に近かった。
まあ、散々地面が揺れていただけに中身はどうなっているか分からないが、少なくとも家屋自体は直接体当たりでもされない限り、ちょっとやそっとでは崩れなかったようだ。流石にその点は、あの震災後に建てられた家なだけはある。
けれどもだからといって、15年前よりマシであるなどとはお世辞にも言えなかった。町の何分の一かが壊滅したのは紛れもない事実だし、何より”町全体”としての被害が少なくとも、実際に家を壊された人々からすれば重大な問題であることに変わりはない。
「・・・・・・守護神サマも、ずいぶん派手にやってくれたよなぁ・・・・・・」
吉田はポツリと、そんなことを呟いた。
そのとき、二丁目の角を曲がってすぐのところの交差点で、吉田とエイケンの目に留まるものがあった。
彼らの立つ位置からから20メートルほど離れた場所だろうか。そこに小さな人だかりが出来ているのだった。なんだか妙に騒がしく、大半が携帯カメラを構えてパシャパシャと写真など撮影している。吉田はなんとなく、それに興味を引かれた。
「・・・・・・なんだろうね?」
エイケンがそう言う前に、吉田はそちらに近づいていっていた。エイケンも再びビデオカメラのサイド画面に目を戻し、慌てて彼の後を追いかけてくる。その途中で、傾いた電柱に頭をぶつけそうになったりなどしていた。
人だかりの背後に近づいてみると、そこに何か巨大なものが横たわっているのが分かった。どうやら彼らはその物体を見て騒いでいるらしい。一体なんなのだろうかと、気になった吉田は彼らの後ろを通ってその巨大な物体の右側に回り込んだ。別に人ごみを押しのけたりしなくとも吉田の身長は174センチもあるので、変わったものがないかどうか、人ごみの頭上から覗き込みさえすればよかった。
その錆びたような銀色の物体は前後に長く、中央部が縦に大きく膨らんでいた。遠くから見たときは、その部分がまるで山の頂の様に見えていた。そんな頂上付近には大きく亀裂が走り、さっき吉田たちがいた交差点の方向目掛けて内部から破裂したように、鈍い灰色の突起がいくつも突き出ている。その中からは更に、まるでビニール配線のようにも見える赤や青の細長いものが幾重にも飛び出している。そしてそのすぐ傍には、瑠璃色をした鉱物の結晶体のようなものが・・・・・・。
「・・・・・・ってあれ、コレまさか」
吉田はそこで初めて目の前の物体の正体に気がついた。余りに接近していたのでしばらくの間気付かなかったが、なるほど、それならば人だかりが出来るのも頷ける。吉田は物体の正面にあたる場所で足を止め、そこに横たわる怪物の骸をじっと見つめた。
それは一見すると肉の削げ落ちた頭蓋骨のように見えたが、細部にいたるまでを注意深く観察してみると、やはりガラクタの塊でしかないようだった。
目の前の物体は遠くから見た輪郭こそ図鑑で見る恐竜のようであれ、近づいて観察すればその質感や、表面から突き出た突起などの形状は明らかに生物のソレではない。かといって、先の戦闘時に見せた異常な能力を目撃しているためか、ロボットという感じもしない。とにかく得体が知れない。こんなものが動き回り、あのドラゴンと一戦を交えていたとはにわかに信じ難い。
そこでもっと近づいて見ようと一歩踏み出した途端、吉田の足元でピチャッという液体の跳ねる様な音がした。それに気付いた吉田が足元に視線を遣ると、そこにはぬめぬめと光る薄くて黒っぽい液体が広がっていた。足を持ち上げると、若干の粘着性があるようで靴の裏にへばりついて伸びてくる。恐竜もどきの死骸の隙間から漏れているようだった。
それを見て、傍で見ていたエイケンが不安げな声を上げた。
「お、おい、何だよこれ?」
「俺が知るか」
そう言いながらも吉田は、そばに転がっていた角材を一本拾い上げると、先端を液体に突っ込んでから目の高さまで持ち上げた。くっついてきた液体はやたらとネバネバしていて、しかも卵が腐ったような嫌な臭いを発していた。
すぐ隣ではエイケンが鼻を摘まんで顔をしかめていたが、吉田はさして表情も変えなかった。建築現場で普段から散々ペンキの臭いなど嗅がされているので、鼻がすっかり慣れきってしまっているのだった。
いや、むしろ麻痺していると言ったほうが正確か。
その様子を見ていたエイケンは益々嫌な顔をして、吉田に忠告を発した。
「なあ、それってこの怪獣の血液とかじゃねえの? あんま触らないほうが・・・・・・」
「メカゴジラってのは血が流れるモンなのか?」
「えっ? あぁ、そういやそうだね」
―――ってそれで納得してしまうのかエイケンよ。
「つうか、ホントに何なのよこれ?」
「たぶんこれは、」
「あーーーーーーーーーーっ!!」
それを聞いてエイケンが飛び上がった。
突然辺り一帯に響いた誰のだかも判らない叫び声に、その場にいた住民全員が、なんだ?という顔で周囲を見回していた。
が、吉田にだけはそれが誰の声か見当がついた。何せ、ついさっきまで『竜神』で会話していた相手だ。吉田は角材をその場に置いて、怪獣の背中側に引き返した。
行ってみると案の定、声の主は漁師の八五郎であった。なんとまぁ呆れたことに、瓦礫の中に横たわった怪獣の死骸の上によじ登っている。よく分からないが、怪獣の背びれの脇から突き出た、彼の身長よりも大きな三角形のパーツを熱心に調べているようだ。
「親父の・・・・・・何でこんなところに・・・・・・」
「おい八っつぁん、どうしたよ変な声出して?」
「お? おぉ、ヨっちゃん無事だったか。それよりコレ見てくれ、大変なんだよ」
「・・・・・・ん!? おいヨッシー、あの文字!」
そう言っていきなり、エイケンが興奮した様子で、八五郎の触っている三角形のパーツを指差した。吉田は何事かと思い、彼の指差した部分に目を凝らす。
すると、どうだろう。そこに見えたのは、双眼鏡を通して確認したあの―――、
「―――あの文字か!」
吉田もようやくその意味するところに気付き、慌てて八五郎の下へと駆け寄っていった。そう、八五郎が調べているパーツの表面には、遠くから見えたあの『MG2』から始まる謎の文字列が書かれていたのである。
八五郎が、よじ登った場所から熱心に手招きしている。
ところがその時、吉田らの背後から電子的な音を含む大きな男性の声が響いてきた。
『そこの人、危険ですから下りてください!』
集まった住民たちが一斉に、声のしたほうを振り向く。拡声器を手に持ちつつその場に駆けつけてきたのは、上下ともに緑を基調とした迷彩服に身を包み、同じ柄のヘルメットを深く被った一人の男性であった。体格は吉田と同じかそれより少し小さいぐらいで、顔つきは20代後半といった感じだ。一瞬の間があって、それが自衛隊員であることに皆が気がついた。
その自衛隊員は人々に囲まれた恐竜もどきの死骸の前で立ち止まると、腰に下げた大きな箱型の装置から太いコードで繋がった銀色のマイクのような機器を取り外してスイッチを入れ、それを目の前にうず高く積まれた鉄くずの山へと近づけた。殆んどすぐに、箱型をした本体からブザーのような音が鳴る。
自衛隊員はさっと死骸から離れると、怪訝な顔で事の成り行きを見つめていた住民たちのほうを振り向き、大きな声で話し始めた。今度は拡声器を使わず、両手でメガホンを作っている。
「皆さん、落ち着いて聞いてください。我々は陸上自衛隊・東北方面航空隊の者です。今ここにある死体を含め、怪獣の通過した場所を中心に、この市街全域で低レベルの放射能汚染が確認されています。これより調査と安全確認を実施しますので、住民の皆さんは誘導に従い速やかに避難してください! 繰り返します――――」
吉田は一瞬、耳を疑った。いや今回に限らず、その日は一日中、常に自分の目やら耳やらを疑いっぱなしだった。
津波? 町が壊滅した上に放射能? そろそろ、いい加減にして欲しいと思った。どれもこれも狙いすましたように15年前の出来事を思い起こさせるものばかりとは、いくらなんでも出来すぎている。相当に性格の捻くれた誰かが、分かっていてワザとやっているとしか思えなかった。吉田は極力現実逃避はしない主義だったが、それでも流石に今のこの状況は理解し難かった。
吉田が混乱して頭を抱えていると、不意に頭上から八五郎の声が聞こえてきた。
「頼むから待ってくれ、こいつは俺の親父の―――うわぁっ!?」
「危ないっ!」
恐竜もどきの死骸によじ登っていた八五郎が足を踏み外して転落しそうになったのを、いつの間にか十数人ほどになっていた自衛隊の隊員たちが下のほうから受け止めた。その声でハッと我に返った吉田は、つかつかと八五郎のところまで行くと、彼の腕を掴んでさっさとその場を離れようとする。
が、すぐに傍にいた隊員の一人に引き止められた。
「万が一ということもありますので、念のため放射能検査を受けてからでお願いします」
「え・・・・・・あぁ、はいはい。分かりました」
何故か吉田が代わりに返事をし、すぐに機器を備えた別の隊員が駆け寄ってくる。同時に彼は、脇に抱えた八五郎に対して叱りを入れた。
「・・・・・・ったく、何考えてんだハチ公よ? みっともねぇから、中学生みたいなことするんじゃねえよ」
「違うんだよ、そういう意味じゃない。アレは親父のなんだ」
「お前の親父さんが、どうしたってんだ?」
八五郎と同じ漁師であった彼の父親は、15年前の震災で倒壊した家屋の下敷きになり、当時高校生だった彼の目の前で息を引き取った。その直後に津波がやってきて全てを押し流していった為、遺体は海に攫われ、未だに発見されていない。冷静に考えると、そんな状態から一人前の漁師として立ち上がった八五郎も実は凄い奴なのだが。
「アレは・・・・・・・・・」
全身をくまなく線量計で調べられながら、吉田に向かって八五郎は言った。
「あの『第五八幡丸』って船は、15年前に津波で流された俺の親父の船だ。流されたハズの親父の船が・・・・・・・・・あの化けモンの体に合体してた」
* * * * *
竜ヶ守一丁目と二丁目を隔てる交差点は、人がごった返していた。
町の東端に当たる海岸から上陸した怪獣は、その後の烈怒龍との戦いでも森林公園をはじめとする町の東部・南部を主戦場としており、不幸中の幸いとでも言うべきかほぼ全ての被害はそれらの地域に集約されていた。もちろん吉田の思っていた通り、それでも大惨事であることに変わりはないが。
一部、怪獣に踏み抜かれたりした市街地を東西に分断する道路には、警察が既に立て看板やカラーコーン、ビニールテープなどを用いて立ち入り禁止ラインを設定し、被害地区から避難所に向かう住民や、調査や作業に向かっていく自衛隊員以外の出入りを規制していた。規制ラインは怪獣の上陸した海岸から、海沿いの竜ヶ守町二丁目、第一森林公園までを含む直径1キロほどの範囲をぐるっと取り囲んでいる。
規制ラインの外側には、怪獣上陸時に海岸にいた海水浴客をはじめ、被害を免れた地区の住民たちなどによる野次馬で溢れている。それを中に進入する者など出ないよう、見張っているのが警察の役割である。放射能まで検出された今となっては調査は自衛隊に任せるほかないのだが、警察とて役に立たないということはない。またより正確に事態を把握すべく、自衛隊員が地元警察の人間に話を聞いているという光景もあった。
既に一度震災を経験したためか、今更”縄張り争い”などという馬鹿なことは起こらない。
そんな中に、である。
明らかに異質な人間が約一名いた。
水岡真悟である。
彼の発するオーラはどう見ても警察官のソレではなかった。いや、それは普段からそうなのかもしれないが、この場合、被災地区を封鎖したり、自衛隊員と情報交換したりしている警察官たちの中にあって、その異質さが際立っているのである。
どういった経緯からか作業に借り出されたらしい彼の仕事は、野次馬がラインの内側に入ってこないよう見張る係であった。だが彼の目の前では、そんな無謀な輩は決して現れないだろう。何せ顔に大きな傷のある男が、腕を組み、仏頂面で仁王立ちしているのである。やかましい野次馬も、彼の近くだけは妙に静かであった。
というか、恐らくは野次馬の関心自体も水岡のほうに集まってしまっていた。どうみても警察官に見えないその態度は、規制テープの外にいる人々から頻繁に視線を向けられ、ときどき通りすがる自衛隊員にすら怪訝な目で見られている。そして時折彼がジロッとそちらを睨み付けると、皆して一斉に目を逸らされ、その都度「ケッ」とか呟くのである。制服がなければ、もう職質を受けているレベルだろう。
そのやり取りが交わされる度に、水岡の表情は険しくなっていく。
いずれにしても、彼をこの場所に配置した人間が相当な愚か者であることだけは容易に想像がついた。
* * * * *
その日の夕方。
森林公園の西側の出入り口付近には、陸上自衛隊の1トン半救急車が停車していた。医療用車両であることを示す赤十字マークを掲げたその荷台は、奥羽山脈の向こう側に沈みかけた夕日を吸収して茶色っぽく見えている。
不意に荷台から、右足に包帯を巻いた新星が降りてきた。
自衛隊に保護されてから応急手当を受けていたらしく、車両内の隊員に礼を述べると町のほうに向かって歩き始めた。
夕日を背後に背負ったことで彼女の美しい黒髪もまた、茶色味を帯びていた。
(第十話へ続く)




