058 小さな変革
「情けないところを見せてしまって、すみませんでした」
農地からの帰り道。
セラは、俯いていた顔を上げ、控えめにそう呟いた。
「むしろ、セラさんのことが少しわかって、嬉しいです」
セラは少し照れくさそうに笑い返す。
「……ありがとうございます」
そこへ、後ろを歩いていたオリバーが軽く手を掲げる。
「じゃ、俺は詰所に戻る。元気でな、セラ」
オリバーの声は今朝より随分明るかった。
「オリバーさんもお元気で。奥さんと息子さんにも、よろしくお伝えください」
セラが丁寧に頭を下げると、
オリバーは片眉を上げ、どこか名残惜しげに笑った。
「ああ、伝えとく」
――最高の別れの空気は、そこまでだった。
「ところで、オリバー」
唐突にカーヴェインの声が空気を裂く。
オリバーは露骨に嫌そうな顔で振り返った。
「なんだよ、ゼフィ」
「文句でもあるのか」と続きそうな不機嫌に満ちた声を意に介さずに、カーヴェインが淡々と続ける。
「その胸に掲げている星は飾りですか?年端もいかない少女でも、八十年幽閉されていたわけでもないでしょう。
あの帳簿を見て違和感を覚えないなど、浅慮も甚だしい」
「悪かったよ!!!」
オリバーはヤケクソ気味に怒鳴り返し“この場から一刻も早く離れたい” と言わんばかりに足早に詰所へ向かう。
だが、カーヴェインは追撃の手を緩めない。
「師団長たる者がこの有様では、風聖の格を疑われます。
星を返上して、衛士からやり直すことをおすすめします」
「お前は”人間”を一からやり直して来い!ばーーーか!!」
普段見ることのないオリバーの子供っぽい言動に、セラは堪えきれずに笑い声を漏らす。
吹っ切れたような、晴れやかな笑いだった。その変化が嬉しくて、リリメルの頬にも自然と微笑みが広がる。
宿屋に戻ると、玄関先で杖をついた女性が落ち着かない様子であたりを見回していた。
肩を震わせ、今にも泣き出しそうなその姿を見て、セラは息を呑む。
「お母さん! どうしたの?」
駆け寄った瞬間、女性はしがみつくようにセラを抱きしめた。
「急にいなくなったりするから……!ビックリしたじゃないの!」
「急にって、出かけてくるって言ったでしょ?」
セラは自分よりひと回り小柄な母をそっと支え、宿の扉に手をかける。
セラはミモナを支えながら、ロビーのベンチへ座らせる。
「あんた、また農地に行ってたんでしょ?やめてって言ったじゃない。どうして他人のために、私たちがこんな目に遭わなくちゃいけないのよ!」
セラは母の前にしゃがみ込み、膝をついて手を包み込むように握った。
「お母さん、落ち着いて」
「あんたも、お父さんもどうかしてるわ!みんな見て見ぬ振りしてきたのに、私たちが犠牲になったって、いったい何が変わったっていうの!」
悲鳴に近い声がロビーに響き、セラのまつ毛がかすかに震える。
リリメルはその横にそっと立ち、柔らかく微笑んだ。
だがミモナは警戒心むき出しで、獣のように目を細めて睨み返す。
「お膝が悪いのですか?」
リリメルの丁寧な問いかけも、ミモナはセラに視線を投げるだけで答えない。
「お母さん、どこが痛いの?」とセラが促すと、ようやく蚊の鳴くような声で「ひ、膝だよ……」とつぶやいた。
リリメルは穏やかな声で「失礼しますね」と告げ、ためらうミモナの膝にベールをそっと広げる。
胸元の宝石が光を帯び、翠輝が法術陣を描き出す。
優しい温もりがミモナの膝に染み入り、張りつめていた筋肉がほどけるように緩んでいく。
数分後、光がすっと消えた。
「どうですか?」
「……痛くないわ」
ミモナは信じられないといった様子で立ち上がり、恐る恐る膝を曲げ伸ばしして、ロビーを歩き回る。
「本当に痛くない!痛くないわ!」
その声には、年甲斐もなく弾んでいた。
セラは胸を撫で下ろし、深く息を吐き出した。
リリメルに向き直って頭を下げる。
「ありがとうございます。紹介します、母のミモナです」
「初めまして。私は華教徒のリリメル・ベルと申します。そして、こちらは随人の——」
ミモナの杖が高い音を立てて木の床に転がった。
「ゼフィルド・カーヴェイン……」
ミモナの震える声が、リリメルの言葉を遮った。
小柄な体は一瞬でこわばり、背筋が硬直したように伸びる。
目はいよいよ見開かれ、恐怖で潤み、声にならない息だけが漏れる。
「お、お母さん、落ち着いて……!」
セラが慌てて抱きとめるが、ミモナの恐怖は収まらない。
ついには顔を両手で覆い、子供のように泣き出してしまった。
(……この状態でアドガード・ウィキまで紹介するのは酷ですね)
リリメルは胸の内で小さく溜息を吐く。
セラの献身に任せるのが最善だと思い、そっと一歩下がる。
しかし、どれだけ泣いても、ミモナの不安は簡単には晴れなかった。
セラは涙声の母を抱きしめながら、リリメルの方へ小さく顔を向ける。
「すみません……少しの間、二人にしてもらえますか?」
「もちろんです。では、外で食事でもしてきますね。お二人の分も、何か買ってきます!」
リリメルは踵を返し、カーヴェインの袖を軽く引くと、気分を切り替えるように宿を後にした。
***
夕暮れの光が水面で揺れ、田畑一面が赤銅色に染まっていた。
マルタは、怒りを隠そうともしない荒々しい手つきで夕食の支度を続けている。
包丁がまな板を叩くたび、子供たちは不安そうにその背をちらりと見ては遊びに戻った。
父親はその様子を交互に見ながら、ふと小屋の中へ目を巡らせる。
古びた柱、煤けた鍋、土の匂い。
どれも四十年、この家族とともにあった景色だ。
煙管を口に含んだとき、商人の言葉がふと脳裏をよぎる。
「紙のタバコは高くつきますよ」
燻らせた煙を見ながら、あれは本当のことだろうか、と考える。
「ハルヴィンさん、捕まっちまったんだってなぁ」
誰に言うでもなく呟いた言葉に、マルタは手を止めた。
部屋には、子供の遊ぶ音だけが残る。
「セラちゃんが、明日ここを出ていくのと、なんか関係あるんかねぇ……」
マルタの肩は固まり、息を呑む。
今の生活が不自由だと思ったことは本当になかった。
父親は煙管に視線を落とす。
(紙煙草の値を俺は知らねぇな……
『不満』ってのは、選択肢がないと湧かないもんなのかね)
父親には不思議と苛立ちはない。
むしろ引っ掛かりが取れたような、すっきりした気持ちすらあった。
しばらく沈黙が続き、長く息を吐いて煙を吐き出す。
「……学校、行かせてみようか」
子供たちが、『不満』に気付く未来も悪くないのかもしれない。
マルタはすぐには答えられなかった。
夕焼けがゆっくりと沈み、家の内側に影が広がっていく。
その影の中、マルタはほんの少しだけ肩を落とす。
「……好きにしなよ」
小さく呟き、また包丁を握り直した。
その音はもう怒りは含まれていない。
最後まで読んでいただきありがとうございます!
続きは7月21日(火)20時に59話公開になります。
以後毎日更新復活いたします。
また、6月8日より公開しております『異世界転移してもガチ営業かけてたら、結果的に世界が救われてました。』もよろしくお願いいたします。
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