03.旅立ち
オズワルドの花嫁になるはずだった将軍の娘は、逃走の際、邪魔になるウエディングドレスを脱ぎ捨て出奔したらしい。
幸いなことにウエディングドレスは教会の裏口に綺麗な状態のまま発見されたので、リリは将軍の妻の手を借り、大急ぎでドレスに着替えた。
パイプオルガンの音色が厳かに響く中、花嫁は将軍と共にバージンロードを歩き、新郎であるオズワルドの元に向かう。
結婚式は十分ほど開始が遅れたが、無事に執り行われた。
花嫁はベールを被っており、誓いのキスもなかったので、列席者からは彼女の顔は見えずじまいだった。
制約の儀式では花婿と花嫁の名が呼ばれ、神の前で宣誓する。
だが、リリは、リリアーナ・エルダー、一方将軍の娘の名はリリアンヌ・ウェルナー。
偶然にも二人は姓も名も似ていた。
それ故、皆は花嫁を将軍の娘と誤認した。
神父の立ち会いの下、夫婦が交わした書類の妻の欄にはリリの名が記されているが、世間がそんなものを見ることはない。
元より二人の結婚は形式的ものだ。
オズワルドには結婚式に呼ぶような友達はいないので、参列者は皆軍人だ。彼らにとって誰が彼の花嫁であるかより、オズワルド・リヴィングストンが結婚し、侯爵位と『かの』クリンプス領を拝受したということの方がはるかに重要な事柄だった。
結婚式を終えた直後に花婿のオズワルドと参列者のほとんどが今度は王宮で開かれる侯爵任命式に向かった。
結婚式が押したせいで、式典の時間が迫っている。
式典に間に合うよう、皆、一斉に馬車に乗り込んだ。
侯爵の任命は、国王陛下直々の儀。遅れるわけにはいかないのだ。
「さて、よっこらしょ」
蜘蛛の子を散らすように黒服の一群が消えた後、リリは一人、なるべく裾を汚さないように気をつけながら、教会を出た。そして歩いて三分の自宅兼店舗である花屋に戻った。
洗礼式、結婚式、葬式、その他。
人生の節目の式典には花が付きものだ。
ラカンタル教会の目の前に立つエルダー花店は、良好な立地にあり、商品の品質もよい。そのため商売は堅調だ。
「ただいま戻りましたよー」
花屋にはリリの他に数名の従業員がいて、今日も皆忙しく立ち働いていた。
従業員達はまずウエディングドレス姿でリリが帰ってきたのに驚いたが、さらに彼女が、「結婚して、三日後にクリンプス領に行く」と言い出したのには度肝を抜かれた。
もちろん引き止めたが、リリの決意は固い。
父親の代から働く古参従業員に店を任せる手続きをした後、リリは荷造りを開始した。
クリンプス領は遠い。
忘れ物があっても取りに戻れる距離ではないので、必要な物をせっせと荷造りする。
数時間後、式典が終わったとかで、ウェルナー将軍がやってきた。
オズワルドより常識的な性格の彼はクリンプス領に行くと言うリリを心配していた。
話せばそう悪い人ではなく、部下を呼び寄せてリリの荷造りを手伝ってくれた。
***
そして、三日後。
「お、来た来た」
約束の時間にオズワルド達はやって来た。
総勢三十名ほどの兵を乗せた馬車隊に加え、クリンプス領に持って行く荷物もあるので一行はかなりの大行列だ。
黒塗りの大きな箱馬車から男が一人出てきた。
「リリアーナ様、お待たせしました」
オズワルドではない。結婚式でも見たオズワルドの部下の男がリリに丁重に呼びかけた。
「時間ピッタリですよ」
「お荷物は?」
「これです。お願いします」
男は眉をひそめた。
リリの荷物は荷馬車二台。
うら若き女性である彼女に、自分達のように鞄一つで来いとは言わないが、荷馬車二台は多すぎる。
貴族の令嬢並みの量である。
しかしその男――アンドリューはリリの説明で文句を飲み込んだ。
「将軍様が荷造りを手伝ってくれたんです。長距離の移動にも耐えられるようにバッチリ梱包しておきました。馬も用意しましたが、御者は兵を借りるように言われました。手配してもらえますか?」
荷物は既に梱包済みで、荷馬車を引く馬も一台につき二頭ずつ、計四頭繋がれていた。
御者を割り当てるだけなら中身が何だろうと大した手間ではない。
アンドリューは「四人来い」と男は交代要員を合わせて二名ずつを馬車に乗り込むよう指示した。
ただし内心、『無駄だな』とも思っていた。
アンドリューはリリがすぐに、いや旅の途中で王都に逃げ帰ると信じていたからだ。
御者に指名された兵士は乗り込む前に不審物がないか確認するため荷馬車を覗き込んで、「おや」と驚いた。
中はてっきり女性用の洋服か何かではと思ったが、そこに積まれていたのは、様々な種類の植物の苗木だった。
アンドリューはリリに「リリアーナ様はこちらに」と自身が乗っていた箱馬車へ誘導する。
軍の高級官僚用の大型の馬車だ。一般的な馬車よりはずっと乗り心地が良く出来ている。
馬車に乗り込むとオズワルドは結婚式以来三日ぶりに会う新妻をジロリと見やり、不機嫌そうに尋ねた。
「本当に一緒に行くつもりかね」
「そのつもりですよ、ボス」
そう言うと、リリはオズワルドの対面に座った。
オズワルドは、軍服姿だった。
今度は中央軍の黒の軍服ではなく、地方軍に支給される濃紺色の軍服を着ている。
結婚の時は儀礼服と呼ばれる礼服だったが、今来ているのは通常勤務服だ。
リリとオズワルドと共に馬車に同乗する先程の男、オズワルドの副官もこの軍服を着ていた。
リリはというと、庶民の娘が着るワンピース姿だった。以前に見た時より更にこざっぱりとして実用性に富んでおり、到底侯爵夫人には見えない。
何より、妻は夫にボスとは呼びかけない。
「――ボスはやめたまえ」
「じゃあ侯爵閣下」
「侯爵はなしだ」
「では、閣下。行きますよ、なんせこれは偽装結婚の条件ですからね。追い返そうったってそうは行きません」
オズワルドは不服そうに鼻を鳴らす。
「僕は追い返したりはせん。尻尾を巻いて逃げ出すのは君だ。君はどこに行くと思っているんだ? クリンプス領だぞ」
クリンプス領――。
王国の南東に位置する広大なこの土地のことを知らぬ者はいない。
その広さは国土のおよそ六分の一。一諸侯の領土としては王国最大の規模を誇る。
小国ならすっぽり収まるほどの大きさだ。
しかし、王国ではここは魔境と怖れられていた。
「クリンプス領のことはどのくらい知っている?」
オズワルドの質問にリリはスラスラと答えた。
内容はかなり恐ろしい。
「作物はまったくと言って良い程育たず、領民もほとんどいない。過去に流刑地として使われ犯罪者をこのクリンプス領送りにして開拓させたことがあったそうですが、風土病でほとんどが死んだと言われています。この風土病のため、民間人は立ち入り禁止。後、魔物が出るそうで」
オズワルドは頭を振る。
「出るなんてものじゃない。去年は百人近く殺されたそうだ」
リリが住むサンレイア王国の東と南、国境線の実に三分の一がこのクリンプス領になる。
大陸のど真ん中に存在するこの得体の知れぬ魔境の周辺にサンレイア国を始め国々が存在するというのが実情だ。
国境付近に領土を与えられ国を守る諸侯を特に辺境伯と呼ぶ。
これに習えばクリンプス領の領主は伯爵なのだが、この広大さから侯爵の地位を与えられていた。
まったくうま味のない土地なので、隣国もクリンプス領に手出しはしないが、魔境からやってくる魔物が悩みのタネだった。
魔物とは正体不明の化け物である。
風のように素早く、爪や牙は刃のように鋭く、胴体と頭を切り離してもなお再生するという生き物で、恐ろしい程強い。
クリンプス領から稀に領外に出て田畑を荒らす。場合によっては人や家畜なども襲う。
この魔物退治が、領主の主な役目である。
そのため、領主自らが戦うか、強い軍隊を統率出来る能力が必要であり、代々の侯爵はその名を知られた軍人が多い。
だが、その息子達が全員父親と同じほど勇猛果敢かというとそうはいかず、大抵が数代で爵位を返上する。
いや、無事に爵位を返上出来たなら歴代の侯爵の内ではまだ幸運な者だったと言えよう。
前任者だった侯爵は前年にこの魔物に食い殺されている。
英雄オズワルド・リヴィングストンが拝領した土地は、そういう場所であった。
話をしているうちに外の景色は王都の街から、のどかな田園風景に変わっていた。
「おおっ」
リリは花屋の店主業が忙しく、買い付けの時以外、王都の郊外に出る機会がない。歓声を上げ、興味深そうに外を眺めている。
オズワルドは偽装結婚の妻に尋ねた。
「そんな土地に君は何をしに行く気だ?」
リリはオズワルドを振り返ると、不敵に笑った。
「ふふふっ、良く聞いて下さいました。あそこはね、閣下、私の推測が正しければ、宝の山なんです」




