02.プロポーズ
「――はひ?」
というリリの間抜けな声の後、辺りはまた静まりかえった。
ややあって――。
「リ、リヴィングストン君、気は確かか? 何を言っているんだね」
至極真っ当なことを口にしつつ、あわてて止めに入る将軍にオズワルドは言い放った。
「閣下、貴方もご承知の通り、僕は今日、結婚せねばならぬ理由がある。元より誰でも良かった。貴方の娘だろうと、そこの娘さんだろうと」
「えー、私?」
名指しされたリリは不満に声を上げたが、無視して将軍とオズワルドのやりとりは続く。
「しかし何処の誰とも分からんのだぞ」
「問題ありませんよ」
と答えると、オズワルドは神父に顔を向けた。
「神父、こちらに出入りの業者なら身元は確かなんだろうね」
神父は首肯した。
「もちろんですよ。通りを挟んで目の前の花屋を営む娘です。三代前からここの信者です」
「結構」
オズワルドは満足そうに頷いた。
「君、独身だね」
次にオズワルドはチラリと見たのはリリの両手だ。
何も指輪は付けてない。
「まあ、そうですけどー」
「ならば何も問題ない。結婚しよう」
「出会って五分くらいですが……。私と貴方が?」
リリは唖然とオズワルドを見上げる。
この人、頭、大丈夫なんだろうか。
花嫁にいきなり逃げられて錯乱したとか……。
はっ。
そう考えるとちょっと気の毒。
「そうだ。僕は結婚するには打って付けだと思うがね。軍の官僚だから給料は良い。年金もあるから老後も安心だ。さあ、結婚しよう。時間がない」
考えている間にもオズワルドは勝手に話を進めていく。
「いや、えーと、そのー……少々お待ちください」
リリの目が泳ぐ。
これは刺激しては駄目なやつか?
リリは神父ににじり寄り、囁いた。
「神父様、嘘の結婚式って出来ますか?」
神父は首を横に振る。
「神に誓ってそんなことは出来ないよ」
「ですかー」
落ち着かせるための結婚式ごっこなら付き合っても良いが、さすがのリリも同情で結婚するつもりはない。
いつの間にか近づいてきたオズワルドから距離を取るため、さりげなく神父を盾にして後ろに下がる。
ニタリと口元に広がる笑みが怖い。
「あのー、残念ですが、私、お断りします」
オズワルドは不快そうに眉をひそめた。
青い瞳が、凍り付くような色を帯びる。
「何故? 僕がいかに好条件かは分かっただろう。君はちょっと僕と結婚すればいいんだ」
「いやー、あのー、お言葉ですが、結婚はちょっとでするものではないかと……」
話しながら、リリはジリジリと後退した。
だがリリが下がる分だけ、オズワルドが追いかけてくる。
盾にしていた神父は引っ剥がされ、リリは壁際まで追い詰められた。
ドンと、オズワルドは苛立たしげに壁に手をつく。
実際に、彼は苛立っていた。もはや時間はないのだ。
このシチュエーション、どんなにドキドキするかしら、と彼氏いない歴=年齢のリリは思ったが、実際にされると恐怖しかない。
陰気そのものの男が暗黒のオーラを纏って、取って食いそうな目つきでこちらをにらんでいる。
うん、ドキドキはする。
生命の危機的に。
「いいか、確かに君の戸籍は穢れるだろう。だが、それ以上に君は大きなメリットを得る。その様子ではどうせ彼氏もいないだろう」
「うぐぅ、その通りですが……」
「であればためらう理由はない。たかが結婚するだけだ。王都で、君は今まで通りの生活を送る。まとまった金は毎月送ろう。僕が死んだら遺産は君のものだ。だが、そうだな、そこまで結婚を嫌がるなら、僕も鬼ではない。三年契約だ。三年で離婚しよう。貴族の夫婦は子供が生まれないと離婚するらしいからな。ですね、将軍」
最後の言葉は、将軍に向かって放たれた。
「……まあそういう夫婦もおる」
と将軍は頷いた。
何を言っているのかサッパリ分からんが、これは錯乱とはちょっと違う。
もっと変だ。
「つまり、それは偽装結婚」
「名義上、僕らは今日、夫婦となる。僕は今から二時間後に侯爵位を叙位される」
「へー、侯爵様におなりで」
「爵位なんて気持ちの悪いものはいらないが侯爵位と辺境領はセットらしい。更にこの国の貴族法では、高位の貴族が新たに家を作る場合は、当主は結婚していないといかんらしいのだ。だから僕は今すぐに結婚せねばならない」
「あのー、質問なんですが、私、庶民ですよ。侯爵夫人なんかそんなそんなとてもとても」
リリは非常に常識的なことを口にしたはずだが、オズワルドからは軽く手を振られただけだった。
「ああ、そんなことか、心配ない。僕も庶民の出だ」
「はあ」
とリリは改めて目の前の男を見る。
彼は痩せぎすの男で、目の下にものすごいクマもあり不健康そうだ。決して強くは見えないが、軍服を、それも将校の軍服を着ているのだかられっきとした軍人なのだろう。
例えば戦争で功を上げて庶民から男爵だの子爵だのを叙位されるというのはありだ。
だが、一足飛びに侯爵に成り上がるのは、聞いたことがない。
『何したらこんな若い人がそんな大出世を?』
西の方の国との長い戦いがようやく終わった話はリリも聞いている。
王都辺りだと週に一度新聞が発行されるので、庶民も読むのだ。
戦争が終わった時には特別に号外が出た。
確か劣勢だったところを若い将校が数名の部下だけを連れて敵司令部に乗り込み、敵の総大将を倒したとかいう英雄行為がでかでかと書かれていた。
新聞には一緒にその将校の姿絵も載っていて、若いなかなかの美男子が爽やかそうなスカッとした微笑みを浮かべていたが、……まさかこいつか?
美化ってレベルじゃないぞ。
戦争の英雄オズワルド・リヴィングストンはリリに口元に陰険そうな笑みを称えて言った。
「この将軍閣下が直々に君の後見人となる。何でもかんでも一切合切面倒を見ていただけるはずだ。なんせ君は、失踪した彼の娘の代わりにこの僕の妻となってくれるのだからな。そのくらいは安いものだ」
おそるおそるリリが将軍を見ると、将軍もリリを見つめていた。
彼は将軍らしい冷酷な計算と果断な決意が入り交じった表情でリリを見つめた後、おもむろに口を開く。
「分かった。それしかあるまい。リリ君と言ったな。この子の面倒は私が見る。式を執り行おう」
「えー」
将軍は良識的そうなおっさんに見えたが、駄目だった。
オズワルドの四人の部下は……気まずそうに目を反らした。こいつらも駄目だ。
味方は神父しかいない。彼は果敢にもこの事態を止めようとして「あのー」とオズワルドに声を掛けるが、駄目だ。
誰も聞いてない。
将軍はリリに言った。
「君、どうしても彼は今日結婚しないといけない理由がある。彼が言う通り、結婚するだけだ。彼は三日後には彼が授かる領地に向かう予定だ。もちろん君は一緒に行く必要はない。すべて、不自由がないように取り計らうことを約束する。結婚相手は無理だが、愛人なら用意しよう」
「えー、愛人てそんなの用意されても……」
何だか分からないうちに退路を断たれたリリとは対照的に、オズワルドは満足げにニヤリと笑みを深める。
「そういうわけだ。待ちに待ったこの日この時を逃す気はないぞ。僕はようやくこの忌々しい王都を離れ、クリンプス領に引きこもるのだ」
リリの目が大きく見開かれる。
「クリンプス領……魔境……」
「怖れることはない。彼の地に行くのは僕と僕の部下だけだ。君は王都に残り……」
オズワルドが皆まで言う前にリリは宣言した。
「ハイハイ、結婚しますします。ただし、私も連れてって!」




