12.風土病
今のところリリの症状は「なんかだるい」程度。
ちょっと風邪引いたかな、ぐらいの具合の悪さだが、いつ重症化するか分からない。
面倒くさいが、一応、上司であるオズワルドに報告することにした。
オズワルドに話す前に、リリは医官であるエイルマー・エマーソンに診察してもらった。
そして見事、「原因不明」の太鼓判を押された。
症状からして、風土病に罹患した可能性が濃厚だ。
大袈裟にはしたくないので、人目を避けられるオズワルドの執務室で話すことになった。
対談にはリリとオズワルドの他にエイルマーとオズワルドの副官アンドリューが立ち会った。
「……なんだと? 風土病?」
オズワルドは眉をひそめて、リリを見つめる。
「なんで君は風土病に罹った?」
不思議そうに問いかけられたが、そんなことはリリの方が知りたい。……推測は出来ているが。
「分かりませんが、まあ、四割くらいの人が掛かるんだから確率的に私が罹ってもおかしくないかと」
「だが、僕は罹ってない。他に体調を崩している者はいるのか?」
オズワルドが医官のエイルマーに問う。
「体調が良くない者は申し出るように通達しましたが、リリ様以外おりません」
「へー、皆無事ですか」
リリはエイルマーに聞いた。
「はい。リリ様以外は無事です。ですから私も風土病はもう根絶もしくは流行が過ぎたものと思っておりました」
エイルマーは、困惑している。
そう、風土病に罹る割合は全体の四割。
だが今回派遣された三十余名の一行のうち、実際に症状が出たのはリリが初めてだ。
罹患者が少ないのは喜ばしいが、状況はあまりにも事前情報と異なっている。
エイルマーはこれをどう解釈して良いのか分からずにいた。
「うーん、仮説に間違いがあるのかな? しかし『それ』以外は矛盾がない。だとすれば、私以外の全員が『そうじゃない』ってことかなぁ?」
リリは天井を見上げて独り言を呟いた。
一方、オズワルドは首をひねる。
「君、何か悪い物でも食ったのか? ……いや、君は僕らと同じ物しか食べてないな? では鍛え方に問題があるのかもしれんな」
確かに軍人である彼らと元花屋店主のリリでは基礎体力がまったく違う。
「ともかく、この地は君の体に毒だ。一刻も早く立ち去り給え」
オズワルドはしっしっと猫を追うようにリリに手を振った。
言い方はむかつくが、言っていることはまあまあ正しい。
しかし。
「もっと悪化しそうならそうしますが、その前に一つ試してみたいことがあるんです」
とリリは言った。
「何を試すつもりだ?」
「その前に風土病が何故起こるのか、整理しましょう。その原因は、魔境の環境――土や空気などだと考えられています。ですがその機序がまったく分からないため、詳しいことは不明です」
「そんなの君に言われなくてもとっくに分かっている」
オズワルドはぷいっと顔を横に向けて言い返した。
原因不明故に対処としてはこの土地から離れて療養する方法しかない。
いつもにまして不機嫌そうなオズワルドだが、リリはお構いなしに話を続けた。
「この辺りの人々は、風土病は魔境の瘴気が原因だと言います」
「そのようですね、科学的根拠はありませんが」
と同意したのは医官のエイルマーだ。
瘴気というのは、病気の元や汚れといった何らかの良くないものを含んだ空気のことだ。
クリンプス領では魔境の空気を吸いすぎると病気になると恐れられていた。
「いやいや、エイルマーさん、民間伝承というのはなかなか侮れないものですよ。瘴気の正体は極端にバランスを崩した魔境の魔素です。これが風土病の原因物質です」
「魔素?」
「はい、古来から世界の構成要素と考えられている概念です。元素とも呼ばれています。この世にある全ての物質がこの魔素から生まれ、形を変え、魔素に戻ります。我々の体も魔素から出来ている。まあ難しい話はさておき、ざっくりいうとこの場所は魔素が濃すぎるんですよ。濃度が濃い上にバランスが良くない。魔素は火、風、水、木の自然四属性と光と闇、合わせて六つの属性で構成されており、普通はバランス良く整っていますが、この魔境は違います。光の魔素がほとんどなく、闇の魔素が突出して濃いのです」
「……そういえば、君は大学で農耕に向いた土の研究をしていたそうだな。その時の知識か?」
オズワルドはリリに質問した。
「いえ、魔素については教会の修道士様から教わりました。元々は神学の概念なのです」
「ふん、神学か」
オズワルドは興味なさそうな声を上げた。
彼は生まれ育った過酷な環境から、信仰心がほとんどない。
「自然四属性は分かりやすいのです。火の魔素が多ければ熱く、水の魔素が多ければ湿気が多い。風の魔素が多ければ風が強く吹く場所で、木の魔素が多ければ緑豊かです。それに比べると光と闇は少し難しい。これは『もの』の性質を構成する要素なのです」
「『もの』の性質を構成する要素とは?」
オズワルドの問いにリリは首を横に振る。
「神学上の難問ですよ。私ごときにはとてもとても説明なんて不可能ですが、ある側面を単純に言うと、人間にはこの闇の魔素が体に負担になる者とそうでない者がおります。私を含め、我が国の人口の約四割程が体内に入り込んだ闇属性の魔素を上手く処理出来ない体質と推定されます。つまり、持って生まれた体質が風土病に罹患するか否かに関わっています」
「……なるほど、体内で上手く処理出来ないから、一部の人間には毒になるのですね」
リリの話を聞いて、エイルマーは感心したように声を上げる。
「そういうことです」
オズワルドは冷酷に告げた。
「だったら、やはり君は今すぐここを出て行くべきだ」
リリはニヤリと笑った。
「嫌だなぁ、閣下。ここからがいいところじゃないですか。何故四割の人間がこの病に罹るのかとか、どうすれば症状を抑えられるのかとか、知りたくありませんか? 証拠はないので推論ですけど」
オズワルドが口を開くより先に、エイルマーが食いついた。
「是非とも知りたい。リリ様、根拠は何ですか?」
オズワルドも眉間の皺が深くしながら、聞いた。
「何故、そんなことが分かる?」
彼も気になるのだ。
リリは得意そうに話し出す。
「単純な推測です。この領主の館に住む使用人はあなた方軍人と違い、特に鍛えてはいない。だが風土病に感染していない」
リリは鍛えてはいないが、花屋は案外力仕事が多いので、体力には自信がある。領主の館の一般使用人と同程度には健康だ。
「ふむ」
そう言われて、オズワルドは一瞬考え込む。
「長年ここに住んでいる彼らは耐性があるのだろう」
リリはオズワルドの言葉に頷いた。
「その通りです。館の皆には耐性がある。故に無事なのです。新たにここに来た者は、今は無事でもこの後私以外に体に不調が出てくるかもしれません。だが使用人やここの古参の兵達は風土病の症状が出ない。闇の魔素は彼らの体にとって毒ではないと断言できます」
「その通りですね」
「だな」
とエイルマーとアンドリューが頷きあう。
オズワルドはキッとリリをにらみつけた。
「小難しい言い方をするな。要は君は風土病が原因で不調なのだろう? さっさとこの地から離れろ」
「まあ、お聞き下さい、閣下。面白いのはここからですよ」
リリは普段より若干やつれているが、それは風土病のせいではなく、このところ調査が楽しくて睡眠不足だからだ。
リリは眼鏡の下の瞳を爛々と輝かせながら、言った。
「探検家カヴァナー老師の手記と皆さんが中央軍から提供された資料はかなり大きく食い違っていた。しかしどちらも間違いではなかった。これはよろしいですね」
オズワルドは頷いた。
「報告は受けている」
***
リリの持つカヴァナー老師の手記には、『私は魔境に入り、まず冒険者の集落に立ち寄った』と記されていた。
一方オズワルド達が引き継いだ軍の資料には、何十年に渡り魔境に立ち入った者はいないと書かれていた。
異なる二つの情報は、どちらも正しかった。
手記が書かれたのは五十年前。
オズワルド達が受け取った資料はここ三十年間のクリンプス領であった出来事を記したものだ。改めて領主の館を探すと、三十年より前に記された文書が見つかった。
それによると、五十年ほど前には魔境に立ち入り、魔石などの貴重な物品を採取する冒険者と呼ばれる者達がいたらしい。
文書によると魔境ではこの魔石が道ばたに『落ちていた』という。
もちろん魔境の中は危険がいっぱいで襲い来る魔獣と戦いながらの採取となるが、魔獣は例外なく体内に魔石を内包しているので、倒せばその魔石も手に入る。
危険だが、無事に戻れれば大きな富が手に入る。
当時、クリンプス領は彼ら冒険者で栄え、領内に町まであった。
だが技量を伴わない者達が魔境に入り、魔獣達の餌食になる事件が多発した。そのため、時のクリンプス領領主は四十年ほどに、民間人の魔境への立ち入りを禁じた。
しばらくは領軍がこの冒険者の集落を管理していたらしいが、幾度も魔獣の攻撃を受け、その後放棄されたそうだ。
当時あったという領内の町も冒険者達がいなくなると次第に衰退し、今は廃墟と化しているらしい。
「館に残された文書によると、風土病はここ三十年以上クリンプス領を煩わせてきた厄介な病気ですが、それ以前にはそこまで流行っていなかったようなんです」
リリの言葉にエイルマーが横から補足を入れた。
「そうなのです。よくよく精査すると、風土病は昔からこの辺りの人々を悩ませていたものですが、この三十年ほどで罹患者が増えました」
そう言われてオズワルトは少し考えた。
風土病の罹患者が増えた理由は?
「……三十年以上前とその後で、何らかの条件が変わったということか?」
リリは頷いた。
「はい、昔の方が魔境に立ち入る人間が多かった。なのに今の方が風土病が増えている。五十年前と今との違いはただ一つ、魔石の流通が止まったことです」




