01.花嫁に逃げられた花婿と花売り娘
その場は、静寂に包まれた。
花嫁が逃げた。
一報を聞いて、慌てふためくはずの新郎は、椅子に腰掛けたまま足を悠然と組み直し、対面に座る男に冷たく語りかけた。
「――それで、将軍閣下はいかがなさるおつもりで?」
問い質された将軍は、眼前の男の幾つも階級が上の上司だった。
男が身に付けているのは、この国の高級将校が着る儀礼用の軍服だ。この男と、それを囲むように直立不動する四人の男達は似通ったほぼ黒一色の儀礼服と呼ばれるこの服を着込んでいる。
将軍もまた軍の黒色の儀礼服だが、そこここを金糸で飾り付けられ、胸には勲章がズラリと並び、輝いている。
一目で一般の将校より高位と判別できる装いだった。
立場も違えば、年齢も違う。
二十代後半のこの男の父親のような歳だ。
だが将軍は、男の不遜な態度をたしなめられる状況にない。
黒服だらけの室内で、一人白の司祭服を着た神父が、所在なさげに脇でオロオロとやりとりを見守っている。
将軍は苛立ちを押さえ込み、言った。
「もちろん、人をやって娘を探させている」
「結構。そうなさって下さい。ただし、時間はない」
そう言うと男は、礼服のポケットから懐中時計を取り出し、視線を落とす。
「待って一時間というところですな」
「それは。リヴィングストン君、もう少しだけ……」
リヴィングストンと呼びかけられた男は、上司の嘆願につれなく手を振ってみせた。
「おや、閣下は僕が待てぬ理由をご存じでしょう。国王陛下が執り行われる爵位叙位の式典を遅らせるおつもりですかな?」
「……君。言葉が過ぎやしないかね」
将軍の声に男は気取った様子で胸に手を当て、頭を下げた。
「失礼、傷心のあまり取り乱したようです。どうかご容赦下さい。何せ僕は結婚式に花嫁に逃げられた男ですので。義父上様」
口では愁傷なことを言うが、鋭く将軍を見据えた目つきは雄弁に彼の心境を物語る。
そちらの失態だろうが、じじい。
静まりかえったこの部屋は、王都に建つとある由緒正しい教会の新郎控え室だった。
国内に三人いる将軍のうち、妙齢の娘がいたこの将軍が救国の英雄オズワルド・リヴィングストンの岳父――義理の父親となる予定だった。
娘には好いた男の一人もいたようだが、無理に別れさせ、オズワルドと結婚させようとしたのは、将軍の野心故だ。
この男の首に鈴を付ければ、生涯安泰。
近寄りたい訳はないが、外国に亡命でもされれば、国ごと滅びかねない。
戦場では黒い閃光と怖れられたのが、このオズワルド・リヴィングストン中佐であった。
長きに渡った戦争で自国を勝利へと導いた英雄でもある。
だがその娘が、この男の妻となるのを嫌がり、逃げた。
オズワルドを見て、かの英雄と見抜ける者はおるまい。
軍人なので最低限は鍛えているのだろうが、周囲の男達はもちろん、今だ肉厚で力強い肉体を誇る将軍に比しても体つきは細く、顔も軍服から覗く手も病的に青白い。
背も高くはあるが、長身が多い士官達の中では抜きん出たものではない。
黒い閃光の通り名通り漆黒の髪で、青い目は氷のように冷たく、今は陰険な光を孕み将軍を見つめていた。
「花嫁が見つかるのをこちらで待つと致しましょう」
と言うと、オズワルド・リヴィングストンは瞳を閉じた。
正確に十五分後に目を開けると、彼は懐中時計を取り出す。
「後、四十五分」
それだけ言うと、また彼は目を閉じた。
そして十五分後。
「後、三十分」
「後、十五分」
沈黙に耐えかね、将軍の唇からため息を漏れたその時、
「ちわー、花屋です」
バタンと無作法に扉が開き、花屋が来た。
***
花屋は若い女性だった。
まだ二十歳になるかならないかという年齢だ。
娘は、肌の露出を避けたいささか野暮ったいモスグリーンの簡素なドレスを来ていた。
余分な飾りが一切ないその服は結婚式の参列者のそれとは一線を画している。
明らかに教会に出入りする業者だ。
その女性は、馴染みの業者らしい図々しさで部屋にズカズカ踏み込むと、脳天気な声を張り上げる。
「あっれー、神父様、暗くないですかー? 今日は、良いお天気ですよー。結婚式日和です。教会にお花、納品して飾り付けまで全部終わりましたので、こちらにサインを」
とペン片手に神父に近づき、伝票にサインを求める。
「ああ、リリ、元気そうだね」
サインを受け取り、リリは神父に笑顔で頷いた。
「はい。聖歌隊もバッチリスタンバイ、いつでもいけますヨー」
と指でわっかを作る。
今日の客は上客らしく、花代はケチってない。
若い夫婦が精一杯用意した慎ましい式も良いが、花屋としてはふんだんに花の飾られた教会は見ていて気持ちの良いものだ。
上々の出来映えのうえに天気まで良い。
「リリ、あの、今取り込み中でね……」
「ああ、私、花ムコ様の、お胸に付けるお花をお渡ししに来たんです」
そう言うと、リリはぐるりと周囲を見回し、花婿……は全員似た服だったので分からず、黒の一群にペコリと頭を下げる。
「あのー、ご新郎様は?」
「僕だ」
とオズワルドが手を上げる。
「本日はご結婚、誠におめでとうございます。こちらね、お式の時に付けるお花です。ご入場の時にお付け下さい。テーブルの上に置いておきますねー。それで、付き添いの方は……あ、こちら様。付き添いの方の飾りはこちらです。ボタン穴に挿してください」
リリは付き添い人と呼ばれる友人代表達にも花飾りを渡す。
男性用の礼服には左襟にラベルホールという、ボタン穴が作られている。これは花を挿す用の穴なのだ。
更にリリは将軍を覗き込む。
「あら、花嫁様のお父様? こちらでしたか、いえ、先ほど花嫁様の控え室にいらっしゃらなかったから。あのー、お部屋の方にお父様用のお飾り、置いておきましたのでお戻りになったらご確認下さいネ」
顔を上げて、リリはようやくいつになく重苦しい部屋の空気に気付いた。
特に花嫁の父は偉い将軍と聞いたが、顔面を蒼白にしている。
手塩に掛けて育てた娘の結婚。
嬉しくないわけじゃないけど、お父さん、複雑……みたいな花嫁の父は珍しくない。
普通だ。
だが、こんな人はあまりいない。
今にも死にそう。
リリは先ほどブーケを届けに行った花嫁の控え室の光景を思い出していた。
部屋にいたのは蒼白な顔した花嫁の母一人だけ。主役の花嫁の姿は見えなかった。
トイレか何かで離席しているのは良くあることだ。
リリは別段気にしなかったが、今となってはあれは……。
リリはつつーっと馴染みの神父に近づく。
口元に手の甲を当てて、小声で耳打ちをする。
「神父様」
「何だいリリ」
「これってアレですか。花嫁が逃げちゃった……」
「そう」
と神父は頷いた。
「あらー」
リリは口に手を当ておばさんぽい声を出した。
そして残る片方の手は花婿に向かっておばさんぽくパタパタと振られた。
「たまーにね、あるんですよ、お嫁さん逃げちゃうこと。貴方だけじゃないの。辛いでしょうけど、きっとね、また出会いがあるから。元気出して下さいね」
とリリは男の方を向いて慰めた。
何か企んでそうな陰気な雰囲気の男だが、よく見たら顔の造作は整っている。
花嫁は何が不満だったのだろうか。
『くっ、私なんて彼氏もいないのに』
世の不条理を噛みしめつつ、リリは今度は直接の発注者である神父の方を向く。
「じゃあお式はキャンセルですか? 当日キャンセルはキャンセル料100%ですから返金は致しかねます。ああ、こうしちゃいられません、お花片づけないと」
そうして部屋を出ようとしたリリは呼び止められた。
「その必要はない」
声の主はオズワルドであった。
オズワルドは立ち上がると、ニヤリと笑った。
「式はこれより開始する。花嫁は、今届いた」




