制作部デザイン課②
今朝の占いの結果によると、双子座の順位は八位だった。よくはないが、悪くもな買った。そんなことを思い出しながら千夏が返事すると、長谷川はタブレットを見せてきた。
「プライム・ライティング社のカタログ制作。リスケしてもらうよう、先方に言って」
画面にはスケジュール表が映し出されている。千夏はまたか、と思う。仮にも長谷川は中間管理職であり、ディレクターだ。スケジュール調整は自分の仕事ではないか。ディレクター抜きで進めるライトな案件ならともかく、千夏が入る義理はない。なのに後出しジャンケンをするように、納期を遅らせてくれるよう頼んでくれ、と千夏に振ってくる。納期を守らないのは会社の信用に関わるというのに、アーティスト気取りはそれを分かっていない。しかも、腹の立つことに「こういうことは女性の方がソフトに伝えられるから」と言い訳するのが決まり文句だ。
「印刷会社のスケジュールもありますから」
千夏は遠回しに、納期は守れと言ってみた。が、長谷川には通じなかった。
「うーん。じゃあさ。明日の朝じゃなくて、明日の二十三時五十九分までってことにしてもらって」
「いや。このタイミングでそれは厳しいかと」
「いいから。聞いてみてよ」
長谷川はそう言うと、そそくさと外出してしまった。千夏は眉間にシワを寄せ、固定電話のプッシュボタンを押した。
案の定、クライアントからはお叱りの言葉をいただいてしまった。千夏はひたすら謝って電話を切ると、今度は長谷川の向かいの席、住谷が声をかけてくる。
「天野さん、悪い。A1のポスターの件、関口さんに早くやれって尻叩いてもらえる」
「分かりました」
千夏は住谷の顔も見ず、いやいや返事する。フリーランスのデザイナー、関口は怒りっぽい。せき立てるのは御法度だというのに。住谷はビジネスバッグに書類を突っ込むと、ドタドタと部屋を出ていく。千夏は関口に電話をかけ、用件を伝えた。案の定、関口は「スケジュールには間に合うようやってるのに」と怒りを露わにする。千夏は再び謝り倒す。
「やっといなくなった」
大きめな声で言ったのは、二つ右隣の席に座る黒岩だ。千夏は受話器を置き、辺りを見回す。住谷も長谷川も外出したし、亀石も席を外したようだ。自分より若い社員だけが部屋にいる。千夏は黒岩の方をちらりと見る。今日もまたあれが始まる、と思った。住谷は自分の仕事は遅いくせに社内・社外問わず、デザイナー達への仕事は常にせかしてくるので、住谷が外出すると決まって悪口大会が始まるのだ。白井は黙っているが、新入りの冬馬はへーとかそうなんですかとか、いい加減に黒岩に同調している。耳を疑うような暴言に千夏は含み笑いしつつ、パソコンの画面に向かう。
メールを読みながら、千夏はぼんやり考えごとをする。
クライアントというものは、だいたいどいつもこいつも無理矢理な制作スケジュールをぶん投げてくるものだ。なので、千夏は予定を確認しつつ、いつだったら可能かを伝えたり、必要に応じて営業やディレクターを巻き込み、予算アップしてもらうよう要求する。メールやチャット、電話を使って交渉したり、お世辞を言ったり、謝罪したり、はぐらかしたりすることが業務の大半をしめるため、必然的に千夏は言い訳のスキルが上達してしまった。ただ、営業やディレクターとは異なり、客先に出向いて顔を合わせることはほとんどない。それは千夏にとっては好都合である。自分の容姿は気にしなくていいし、電話口ならなんとでも言えたので、その点は楽だ。
一方で、社内ではそれが通じない。千夏のストレスの根源は、もっぱら同じ社内にいる人間達だ。当然、ここでは顔が見える関係ができている。今日も彼らの機嫌をとり、操縦しなくてはならない。
千夏はうんざりしながら、深くため息をついた。
昼休みになった。
皆は食事に出かけたり、自席でお弁当を広げている。千夏はもちろん外食はしない。そんなのは金の無駄だ。持ってきた大きなおにぎりを三個、巾着から取り出した。中身はそれぞれ梅干し、鮭、明太子で、海苔は巻いてない。一個ずつ平らげていく。
おにぎりを食べながら片手でメールを打っていると、正面の席に誰かが座るのが視界に入った。そこは空席で、荷物置き場になっている。
「天野さん」
男性の声に千夏は顔を上げた。冬馬だ。
「何ですか」
千夏は自分で思う以上に、怒気を含んだ声で返してしまう。
「そんなに怒らないでくださいよ。今、話しかけてもいいですか」
「すでに話しかけられています」
「はー。せっかく気分転換させてあげようと思ったのにな」
冬馬は椅子の背もたれに寄りかかり、腕と足を組む。千夏はおにぎりを頬張りつつ、その様子を目を細くして見る。
「入社した翌日にもう先輩に気分転換させてやるなんて、さすが敏腕デザイナーですね、杉崎さん」
嫌味ったらしくバカ丁寧な口調に、千夏自身も笑えてくる。
「まあね」
冬馬はそれには動じないようだ。
「私のことより社長のご機嫌とりでもしにいってください。社内が平和になりますから」
「あー、気が向いたらとりにいくよ」
「『とりにいくよ』じゃなくて、『とりにいきます』」
「すいません。とりにいきます。仕事の話、してもいいですか」
冬馬は面白そうに笑い、敬語で言い直す。千夏は話せて嬉しい気持ちを隠しながら、怒ったような顔をしてみせ、冬馬の顔をじっと見つめる。冬馬も見つめ返し、パンフレットを目の前に差し出す。
「過去にうちがつくったミトモ食品の会社案内のパンフ、八ページもの。写真と原稿、ちょっとだけ差し替えて、また刷りたいそうです。構成は変えないからディレクターつけなくてもいいだろう、って長谷川さんが言ってたんですけど、これって白井君でもできる内容じゃないですか」
冬馬はどうやら、これくらいの仕事は中堅社員の自分には見合わないと思っているようだ。確かに冬馬にはもっとヘビーな仕事をやらせた方がいいだろう、生意気な口が聞けないくらいには。千夏はメーラーの受信トレイを見ながら、他に振れる仕事を探す。
「ちょっと待ってて。白井君」
千夏は部屋の隅にいる白井を呼ぶ。
「いつ頃、できそう?」
千夏はミトモ食品のパンフレットを見せつつ、白井に確認する。
「そうですね、明後日の午前中にはできます」
白井はパソコンで予定を確認しながら答える。
「クライアントとのやりとりって、天野さんにお任せしていいんですか」
冬馬が礼儀正しく尋ねたので、千夏は鷹揚に頷く。
「はい。印刷屋にも連絡入れておきますね。部数は?」
「印刷メニューの詳細はこの後、営業部の方から天野さん宛にメールしてもらうようにします。あー、助かった」
「何がですか」
千夏は面倒臭いながらも尋ねると、冬馬はにやりと笑う。
「つまんない仕事は俺、やらない主義ないんで」
主義、という言葉が、千夏には聞き捨てならない。中途とはいえ新入社員のくせに仕事を選ぶとは生意気だ。黒岩をちらりと見ると、声を出さずに全力で笑っている。おおかた、仕事を選ぶこともできず、制作部の雑用係化している千夏をバカにしたいのだろう。千夏が冬馬に何か言い返そうとしたタイミングで、部屋に社長の亀石と制作部次長が戻ってくる。
「あまなつ。ちょっと来い」
亀石だけが唯一、千夏のフルネームを省略してあまなつ、と呼ぶ。
「はい、社長」
千夏は亀石の前で「気をつけ」の姿勢をする。
「この封筒。投函しといて」
「はい」
「あとさ。コンビニでキャラメルマキアート買ってきて」
「はい」
「間違えんなよ。ホットじゃなくてアイスだ」
「はい」
「こないだ、暑いときにホット買ってきたもんなー。女は三十過ぎるとヤキが回るんだろうなー。ハッハッハ」
亀石は次長に向かって笑いかけた。次長はまったくです、と笑い返した。
亀石が自分をこき下ろすのを聞きながら、千夏は自虐的に笑う。笑いながら、ぼんやり考えごとをする。千夏が見る限り、亀石は仕事がとても早い。クライアントの話を聞き取って理解するのも、メールを読み取るのも早い。決断も早いし実行も早いので、クライアントから評価は高いようだ。ただ、部下には平気で不愉快なことを言う。仕事が出来る男なら、部下をむげにしていいわけがない。しかも、コンビニへのお使いはいい加減、もっと若い部下にやらせてほしい。どうせ私はヤキが回ってる。そうだ、冬馬が適任だろう。社長の機嫌とりますと宣言したばかりじゃないか。
千夏が冬馬に向かってお使い役をぶん投げようとすると、ドア口に立つ正秋が視界に入る。正秋は部屋の奥にいる亀石の方に向かって、大きな声で呼びかける。
「社長。キャラメルマキアートなら俺が買ってきますよ」
「おう、マサ。頼む」
亀石は機嫌よく頷く。
千夏はふと、こちらを見ている冬馬を見る。まだニヤニヤしている。どうせお使いも「つまらない仕事」だと言いたいのだろう。千夏はその顔を睨めつけると、大股で正秋の後を追った。




