制作部デザイン課①
翌朝、千夏が出社すると、エントランスには美穂と総務部の男性社員が立っていた。
「ちなっちゃん、おはよー」
美穂が両手で大きく手を振ってきたので、千夏は驚いて目を見開く。
「お、おはようございます。美穂さん、転職先ってうちだったんですか」
「お二人、お知り合いですか」
男性社員が尋ねると、美穂は笑顔で頷く。千夏が微妙な表情をしたのを察したのか、美穂は事実と違うことを言う。
「この子、うちの娘の友達なんです。ちなっちゃん、そうなの。このビル、デザイン会社が入ってるって聞いたからもしかしてって思ってたけど。今日から私、こちらでお世話になるの。掃除のおばちゃんとしてよろしくね」
男性社員はさして興味もなさそうに頷く。一方の千夏は美穂の機転に感謝しながら、猛然と頷く。ジム通いしているなどと、会社の人間にバラされたくないのだ。
「よろしくお願いします。また後でね」
「はい、また」
千夏は立ち去る前に、美穂へ熱烈に手を振った。
ヒロイン・デザイン株式会社社内、ビルの六階は制作部、営業部、総務部の三つのエリアに分かれていた。そのうちの制作部は南北に細長い部屋だった。南側のデザイン課と北側のウェブデザイン課に分かれており、印刷することを前提にパンフレットやリーフレットなどをデザイン課が、ウェブページやバナーをウェブデザイン課が制作していた。千夏はデザイン課に所属する進行担当だった。進行担当というのは制作物の進捗確認を行い、それをクライアントに伝えたり、アートディレクターやデザイナー達のスケジュールを確認・調整を行ったり、印刷を手配するのが主な業務内容だった。
千夏は制作部の部屋に入ると、社員達に挨拶しながらタイムカードを通し、自席の椅子の背もたれにもたれて座り、パンプスを脱ぎ、ゆったりしたスリッパに履き替えた。パソコンを立ち上げている間、水筒に入れてきた砂糖たっぷりのミルクティーを飲んだ。
ミルクティーを飲みながら社内メールをチェックしていると、正秋が部屋に入ってきた。千夏の方へきて声をかけようとしたようだが、ちょうど九時になってしまった。この日は朝から社長をまじえた重要な会議を予定していた。千夏は後にして、と正秋にいい、他のメンバーとともに隣のミーティングルームへ移動した。
制作部デザイン課のメンバーは全員揃い、長テーブルを囲んだ。千夏は一番奥から、順々に皆を見ていった。
制作部部長の長谷川は四十代前半の男だった。制作物のビジュアル面の総指揮をとり、実作業を担当するデザイナー達に指南するアートディレクターでもあり、ヒロイン・デザインの重鎮だった。本人は既婚者だが子どもはいないらしかった。背丈は百七十センチほどでスリムな体型をしており、アッシュブラウンの髪にゆるいパーマをかけ、前髪はセンター分けしていて、逆三角形の顔立ちはなかなか爽やかだった。個性的な丸メガネをかけ、オーダーメイドしたらしい体にフィットしたブランドスーツを着て、緩やかな曲線が美しいブラウンの革靴を履いていた。
長谷川は美大卒で、海外留学の経験もあり、その話を千夏はよく聞かされた。芸術家肌で話し方はいつもねちっこく、鼻にかかった甘ったるい声が特徴的だった。仕草が芝居がかっているので、千夏はいつも気持ち悪いと思った。さらに、管理職のくせに時間の管理がまったくできないところに千夏は年中、イライラさせられていた。だが、審美眼は確からしく、デザイナー達への指導は理にかなっていた。どうすれば「伝わる」デザインになるかを知り尽くしているようだった。
長谷川の正面に座るのは課長の住谷だった。住谷は長谷川と同じくディレクターだが、アートディレクターではなかった。元々が営業畑の人間だから、制作物のビジュアル的な専門知識はないようだった。ただ、クライアント先に営業とともに出向き、パワーポイントを使ってデザインのラフをつくることはできた。
住谷も長谷川と同じく四十代前半の既婚男性だが、二児のパパでもあった。背は長谷川より少し低いが、体重はその倍はありそうだった。ファッションセンスはゼロで、アイロンのかかってなさそうなスーツとシャツとネクタイ、それにくたびれた革靴で出社してきた。ベルトは腹に食い込み、ほぼ見えなかった。
千夏はこの男が嫌いだった。空気は読めないし仕事は遅いのだ。口下手で駆け引きも下手でいつもクライアントのせいにするくせに、年がら年中「仕事デキる風」な喋り方をする。ラフを作るのも遅く、作業するデザイナーを待たせがちだ。そのわりに、デザイナーに仕事を投げると、今度は必要以上にせき立ててくるのが常套手段だった。
住谷の隣に座るのは黒岩だった。黒岩は入社六年目、三十歳の女性デザイナーだった。ヒロイン・デザインが使っているデザイナーは社外にもいたが、社内デザイナーで一番の古株は黒岩だった。
黒岩は千夏より少し背は低いが、千夏同様スリムではなく、ややぽっちゃり体型だった。黒髪でローポニーテール、凹凸の少ない平べったい顔にファンデーションを隙間なく塗りたくり、いつも完璧な角度、完璧な太さの眉毛を描いていた。リップも口角の隅まで細いリップブラシで完璧に塗り込んでいた。そして、ゆったりめのカットソーにフレアスカート、窮屈そうなミュールを履いてくるのが定番だった。
この女のことも、千夏は嫌いだった。本人は千夏より若いことを幸いだと思っているらしく、何かと年齢の話を持ちかけてきた。だが、千夏同様に彼氏はいないらしく、二言目には「自立した女性は結婚なんて不要」と言っていた。さらに、万年ダイエッターらしく、いつもヘーゼルナッツクッキーを食べているくせに、昼ごはんを食べないことを徹底していた。それでも、黒岩の実力は本物だったし、亀石やクライアントから褒められているのを、千夏は何度となく見た。それにデザイナー達のなかでは事実上、ボスだったので、千夏は日々、黒岩を怒らせないよう気を遣った。
黒岩の正面に座るのは白井だった。白井は入社してまだ五ヶ月、二十五歳の男性デザイナーだった。身長は冬馬よりは少し低いくらいでひょろひょろしていて、硬そうな髪をワックスで立てていた。面長の顔でぱちくりした目をしていて、ゆったりした白いロンTに細身のダメージジーンズを履き、ゴツめのソールのスニーカーを履いていた。
千夏は白井だけを唯一「無害」認定していた。他のメンツは何らかの有害要素を含んでいるが、白井だけにはそれがなかった。本人は実直で不愉快な発言は一切しなかった。というか社内の人間にほぼ興味ないようだった。デザインすることが大好きで、黙々とパソコンに向かっていた。これが天職なんだろうと千夏にも分かった。ただ、本人は女子高生と付き合っているらしく、「ロリコン」「犯罪者」と女子社員に陰口を叩かれているのには閉口した。
そして白井の隣に座るのが途中入社したばかりの冬馬だった。この日はスーツではなかった。綺麗めなブルーのハイゲージニットを着て、濃いめのブルーグレーでチェック柄のストレッチパンツを履き、ライトグレーに赤の差し色が効いたスリッポンを履いていた。いかにもデザイナーらしくラフで、且つセンスのいい着こなしをしているところが、千夏は腹立たしく思った。デザイナー経験は六年あるらしいので、キャリアをいえば黒岩と変わらないものの、せいぜい性悪な黒岩にいびられてしまえと、千夏は目を細めながら念を送った。
以上、アートディレクター、ディレクター、進行担当、デザイナー三名、計六名が制作部デザイン課のメンバーだった。それと次長兼ウェブディレクターもミーティングに参加した。次長はもっぱらウェブデザイン課の仕事をみていることが多く、デザイン課とはあまり接点がなかった。そこへ、社長が部屋に入ってきた。
社長の亀石は五十代半ば、妻子持ちの男だった。背丈は百七十五センチほど、筋肉質な体で、髪は白髪まじりの短髪で、清潔感があった。目鼻立ちが整っていて、この日はパリッとしたワイシャツに明るいスカイブルーのネクタイ、グレーのジャケット、ベスト、パンツの三点セットに、お気に入りらしいストラップ付きの黒い革靴を履き、ダンディーにキメていた。
亀石は美大卒ではないようだが、本人の美意識の高さはクライアントから評価が高かった。クライアントから亀石宛に飛んでくるメールはCCに制作部のメールアドレスが含まれていることがときどきあり、そこに、さすが亀石さんですねとか、亀石さんのセンスに助けられていますとか、そういう褒め言葉を千夏は何度も見た。いつでも見た目の重要さを説き、上質なもの、洗練されたものを追いかけ、それ以外を徹底的に排除した。なので、千夏は亀石の前に立つといつも変な汗をかいた。自分の外見は上質でも洗練されてもいないし、平均体重より太っているからなおさらだった。
亀石は少し長いミーティングを開いた。三ヶ月後に開催予定のイベント、「クリエイティブEXPO」に、ヒロイン・デザインが今年も出展するという話だった。クリエイティブEXPOとは、早い話がクリエイター達の見本市だった。国内最大の展示場「東京ビッグファイト」で開催され、毎年多くの企業や個人が参加していた。ヒロイン・デザインのようにデザイナーが制作した制作物を展示する参加企業・個人もいれば、フォトグラファーやイラストレーター、映像クリエイター、作曲家、モデラー、彫刻家など、業種は多岐にわたった。そこに訪れるのは各商品やサービスを消費する側、つまりは未来のクライアント候補達だ。例年、各ブースには商談スペースが設けられ、訪問者達は気に入った参加企業・個人と商談を交わしていた。
千夏は日程を確認し、パソコンにメモを取った。ミーティングが終わり、制作部に戻ろうとした。
「天野さん。頼みがあるんだけど」
鼻にかかった、甘ったるい声がした。千夏は嫌な予感がしつつ、長谷川の方に向き直った。




