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氷柱

千夏は緊張して、正秋の口元が動くそのときを待った。


「あのさ。千夏、俺のこと、好きだ」

「…え?」

千夏が怪訝な顔をすると、正秋はハッとして首を横に振り、ベンチからすぐさま立ち上がる。

「やっ、ちがっ、俺。俺が。俺が千夏のこと、好きだ」

正秋は言い直すと気をつけの姿勢になり、口を真一文字に結ぶ。千夏は納得しつつ、緊張したままその様子を見届ける。

「だから。その。あの」

正秋は落ち着きなく、再びベンチに座る。ふと、千夏の指に温かい感覚が走った。息を呑み、手元を見る。正秋の左手が、千夏の右手を握りしめている。

「付き合って」


二人の周りに、再び沈黙が訪れる。千夏は顔を上げ、正秋の顔を見る。テンパっているものの、その瞳は真剣だ。嘘じゃない。冗談でもない。千夏の心臓が早鐘を打つ。その音が聞こえやしないか動揺しつつ、千夏は数回、深呼吸をする。さらにペットボトルの水を見つめる。水は街灯の光を受け、明るくきらめく。千夏は急いで手を引っ込めた。


「やっぱり酔ってる?」

千夏は敢えて繰り返す。

「酔ってない」

「ねえ、本気?」

「本気だよ」


二人は押し黙る。正秋は自分が好き、自分は冬馬が好き、正秋は自分が好き、自分は冬馬が好き。まるでミルフィーユのように、千夏は脳内で正秋の思いと自分の思いを交互に重ねてみる。そして冷静に考える。自分はどうしたい。


柔らかい夜風が吹き、二人の頬を撫でる。初夏らしく爽やかで、少し暖かい風だ。千夏は風を受けながら正秋を見る。正秋は全身をこわばらせ、千夏から目を離さない。千夏は口をぎゅっと結ぶ。


「ごめん。好きな人、いる」

千夏は頭を垂れ、小さな声で言う。一瞬だけ正秋の目を見て、再び園路の方を見る。カップルが笑いながら通り過ぎてゆく。彼らが笑うほど、胸がジクジクして痛い。

「うん」

正秋は口を開いた。その口ぶりは、意外にも重たさを感じられない。まるでシルクのスカーフのように軽やかな温もりを感じ、千夏は不思議に思って顔を上げる。

「知ってる」

正秋は悲しい目をして笑う。擦り切れそうなその笑顔に、千夏は心臓をわし掴みされる。

「え…」

「千夏さ。いつも杉崎の方、見てる」


正秋は少しだけ首を傾げ、千夏と視線を合わせようとする。千夏は顔が熱くなり、とっさにそっぽを向く。

「バレてたか」

「うん。バレバレ」

「みんなにもバレてるかな」

「どうだろ」正秋は足を組む。「俺以外で千夏のこと、ちゃんと見てる奴なんていなそうだけど」


それもそうだ。自分のような喪女に興味がある人間がいるわけがない。なのに。

「ただの同期だと思ってたのに」

千夏はスカートを握りしめ、手汗をこっそり拭きとる。

「杉崎には告白したの?」

ただの同期という言葉を、正秋はスルーする。

「してない」

できるわけがない。相手は五歳も年下、二十代だ。

「ふーん」


そのときだった。正秋の目つきと声が、ガラリと変わった。まるで氷柱(つらら)のように硬く冷たく、尖っていた。


「何よ」

ただならぬ様子に千夏は怯んだ。頑張って虚勢を張ってみるが、とても太刀打ちできそうにない。上空からオオワシに狙われた、ネズミになった気分だ。

「じゃあ、まだ。俺にも、チャンスはあるんだね」

鋭い目つきのまま、正秋は一つ一つ踏みしめるようにゆっくり喋る。体温を感じない、金属質な喋り方だ。

「なんで」

「だってこれから千夏が、失恋するかもしれない」

正秋は両手の指を組み、自信たっぷりにうすら笑う。


千夏は頭に血が上り、正秋を睨みつける。なのに、強く否定できるだけの自信がない。正秋は残酷だ。だけど、不敵に笑うその顔に、圧倒的な経験値、力量の差を見せつけられているように感じる。

「最低」

千夏は悔しくて唇をかむ。いつの間にか、両目に涙が滲む。その途端、正秋の硬さと冷たさが抜け落ちた。いつもの柔和な正秋に戻った。


「ごめん」

正秋はスーツジャケットの胸ポケットからハンカチを取り、千夏の前に差し出す。千夏はそれを振り払う。

「本当に、ごめん。でもさ。あいつは春菜のことが好きなんじゃね」

聞きたくもない。それは一番認識したくない事実だ。千夏は両肩を落とし、自分の膝に視線を落とす。


「とにかく今は、俺とは友達でいてよ。だったら構わないよね」

今度の正秋は急にしんみりとして、ひどく寂しそうな顔をする。なんだこいつは。表情がくるくる変わる。どう対処すべきか分からず、千夏はすっかり翻弄されてしまう。

「それは、そうだけど。同期と友達って、何が違うの」

「全然違う。会社での付き合いしかないのが同期。プライベートでも付き合いがあるのが友達」

理路整然と説明する正秋に、千夏はなるほど、と素直に頷く。


「ふうん。いいよ別に。友達くらい」

思いのほか自分の言い方が高飛車に聞こえて、千夏は少し驚く。でもそのおかげで、少しだけ笑える余裕が生まれる。正秋はそんな千夏を見て、安堵したような顔をする。さらに、少年のように笑顔をキラキラと輝かせる。だけど顔、近い。距離、近い。

「よかった。じゃあ友達として誘う。ね、今度の土曜の夜、暇?」

そう言う正秋の顔を掴み、千夏はグッと後方へ押し戻す。

「まあ、別に…特に…。予定はないよ」

千夏の言葉に、正秋はこれ以上ないほど、嬉しそうな笑顔を向けてくる。懲りずにまた顔を寄せてくる。

「よかった。ご飯に行こうよ」

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