表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/95

新規案件受注祝い②

林が悲鳴をあげ、とっさに春菜から左手を離した。


「あっつ。あっつ」

林はパニックを起こして手をバタバタと振る。どうやら湯呑みに入っていたのは熱湯らしい。

「ああ、すいません。こぼしちゃった」

冬馬がわざとらしく詫びながら、林の手におしぼりを押しつける。

「ぐわー。あっつ。やめろ」


林は再度、悲鳴をあげた。どうやらそのおしぼりも熱々のものらしい。千夏は思わず口を手で押さえ、笑いをこらえる。正秋がすぐに立ち上がり、店員に氷を持ってくるよう伝える。

「すいません、すいません」

冬馬は嘘くさく申し訳なさそうな顔をする。

「バカ。火傷させる気か」

「違います、すいません」


林と冬馬が言い合うのを見て、周囲は大いに笑う。それから冬馬は首尾よく林と春菜の間に座る。

「おい、なんでお前がそこに座るんだよ」

林は不機嫌さを隠そうともしない。冬馬はニコニコする。

「お詫びに今日は僕が、林さん専属のお酌係やりますんで」

冬馬は瓶ビールを両手で構え、(うやうや)しく笑う。

「いらねーよそんなの。お前のせいで春菜ちゃんが遠いだろ」

「いやでーす。課長、しつこいんだもの」

春菜は手を振り、薄ら笑いを浮かべている。


「はい、春菜ちゃん、こっちのチキン南蛮もどうぞ」

冬馬はニコニコして春菜へチキン南蛮の皿を差し出す。春菜がひとかけら箸にとり、口に入れて咀嚼し出すと、冬馬はどさぐさに紛れて頭を撫で始めた。

「よく噛んでてえらいねー」

まるで幼子を褒めるように、冬馬は何度も頷く。

「えー。撫でるのは係長にしてもらいたいー」

春菜は正秋の方を見ながら甘えた声で言う。千夏は隣の正秋を見ると、正秋は愛想笑いだけして取り合わない。


その後も、冬馬は頑なに林から春菜をガードし続けた。千夏の脳内では怒りの炎がメラメラとたぎっていたが、それも下火になっていった。冬馬のお気に入りが春菜なのは明白だった。飲み会がお開きになり、皆はぞろぞろと店の外へ出た。冬馬は素早くタクシーを拾い、春菜も乗せて颯爽と消えた。千夏はその早業にあっけに取られた。


「なんだよ。俺も一緒にタクシーに乗ってくれる女が欲しいよ」

タクシーの軌跡を睨み、酔いが回った田中がつぶやくと、営業マンの一人が急に手を挙げる。

「部長。すぐそこに適材がいますよ」

彼は千夏を指さして下品に笑う。急に矛先を向けられ、千夏は少し咳き込む。

「おー、天野ちゃん、いいの?」

「いや、全然よくないです」

「ねえ。最近、なんか雰囲気変わったと思ったら。俺、分かったわ。綺麗になったよね」

田中はこの日初めて、千夏が喜ぶ発言をする。だけど肩は触るな。おい。触るなって。


「やっと褒めてくれましたね。嬉しいです」

千夏は半分ふざけて上目遣いし、半分は怒って肩を振りほどく。

「あ、色っぽいねえ、その顔」

田中は、今度は素早く腰に手を伸ばす。

「えー? 本当ですかー」

千夏はわざとぶりっ子声を出して笑い、腰の手を振り払おうとするも、力が強くて敵わない。

「俺くらいになるとさ。天野ちゃんくらいの歳がちょうどいいわけよ。昔から言うだろ。『青さはない。四十には程遠い』って。アラサーが人生で一番モテるの。わかる?」

「はあ」

「でもねえ。そうは言っても三十代。ボヤボヤしてたらあっという間に四十代。四十代とか終わりよ。一貫の終わり」

四十代の田中は千夏を抱き寄せたまま、豪快に笑う。その笑いが周りに伝染する。笑いのなかには仕方なく付き合う笑いもあれば、嘲笑の響きも混じっている。田中の手が腰から尻のあたりに届く。千夏はゾワッと鳥肌が立つ。


「そうですか。綺麗な人は何歳になっても綺麗だと思いますよ。部長の奥さんとか」

田中に矛先を向けたのは正秋だ。田中の笑いがフェードアウトし、苦笑いに変わる。

「マサー。お前、そんなこと言っても何にも出ねえぞ」

正秋の肩をバンバン叩きながら、田中はまんざらでもなさそうに笑う。田中が千夏の腰から手を離したので、千夏はさっと正秋の後ろに隠れる。

「本当に美人の奥さんで俺、羨ましいです」

正秋は心から羨ましそうに褒め、それとなく千夏の前に立ちはだかる。千夏は正秋に合わせてうんうんと頷く。


「何だよ。お前も早く結婚しろよ」

田中は両手で正秋のほおを押し潰す。

「えええ。そんな」

正秋が潰れた顔のまま、そう謙遜して困ったように笑う。

「マサはどっちかって言うと嫁をもらうって言うより、嫁にもらわれる側ですよ」

春菜を持ち逃げされて不服そうな林が、バカにしたように正秋を笑う。

「えええ。でも、俺ってそうかもです」

正秋が否定せずに笑うと、一同は爆笑する。

そんななか、正秋は両手を後ろに回し、勢いよく振り払う。千夏はその手の動きを見て、「早く逃げろ」の合図だと理解する。

「私、電車があるので。お先です」

千夏はつくり笑顔を皆に向けると、駆け足気味にその場を去った。


駅に近づくにつれ、千夏は速度を落とした。

早歩きしながら、千夏の脳内はおしゃべりを始める。

正秋が逃してくれたおかげで助かった。だけど冬馬は先に帰ってしまった。春菜を連れて。これだけ見せつけられたら、もう諦めるしかないのか。千夏は打ちひしがれて、急に足取りが重くなった。

改札をくぐる手前で、背後から声をかけられた。振り向くと、正秋が手を振っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ