18 spiderweb=蜘蛛の巣
瑞希がコーヒーを飲み終えてから一時間ほどたったころ、スマホに太一からの連絡が入る。
[取引は終了。これから向かいます。]
それを見る瑞希の視界に小龍が映る。どうやら飛竜からの連絡が一足早く入っていたらしく、こちらも動き出すようだと瑞希は察した。
「(それでは、我々も行きますか。場所はここからは三十分程度で着くところなので、心配せずとも終わる頃には通緒たちも合流できると思いますよ)」
頷くだけでそれに返し、瑞希は立ち上がり足元に置いてあったリュックを肩にかけた。
聖龍社から出ると小龍の運転する車で三人は街の中心街へ向かっていく。ビルの間を縫う地上と上空を走る道路を超えて少し行くと車は速度を落とし地下駐車場に入っていく。
付き添いの車は路上で停車し、地下までは入ってこなかった。
エレベーターで一階まで移動すると小龍が受付を済ませ、それから地下には繋がっていないエレベーターでまたビルの上へと移動する。瑞希はそれをただ眺めながら二人についていくだけだった。
「(楽しそうですね)」
顔を覗き込んできた月龍にそう言われるまで自分がにやけているのに気づかなかった。
「(これが仕事だということをお忘れなく)」
「(わかってるよ)」
顔を背け返事をしつつも、過去の自分がかけたトラップをかいくぐるのを想像してやはり笑みは消えなかった。
当初の予定とは違い、月龍の護衛が増えていることも、小龍がここまで表立って月龍の護衛についていることも気になってはいたが、瑞希の中ではそれよりも過去の自分と対峙できることの楽しみが勝っていた。
エレベーターを降りた階にまた受付カウンターが見えた。瑞希は、またか、と思いながら受付を済ませるのを待っていたが月龍に呼ばれカウンターに目を向ける。するとカウンター内の女性が名刺を差し出し挨拶をしてくる。
「わたくしはこのバンクオブメモリ株式会社の代表取締役をさせていただいています、赤木花子と申します。本日は弊社をご利用いただきありがとうございます。王様の個人金庫へご案内いたしますのでご一緒していただけますか?」
前髪を揃えたポニーテールのよく似合う女性だった。紫色の細いタイをして黒いスーツを着た長身の「赤木花子」は瑞希よりも背が高く、優しく笑うその顔は自信の溢れる眉と二重にアイライナーを引いただけのメイクだが、それが一番彼女を引き立てていると思わせる整った顔立ちだった。
赤木に連れられ、受付より奥へ続く指紋認証式入退館ゲートを通過する。
月龍が指紋認証をして入ったあと、瑞希もそれに続く。案の定瑞希の指紋データもすでに登録済みのようで何事もなくそこを通過していった。
「あれ?彼は?」
「ここからの入館は契約者様と付き添いの方一名のみとなりますので、もう一方には待合室で待機していていただきます」
瑞希はちらりと後ろを振り返ってみたが、小龍は受付前の壁に寄り掛かったまま動く気配はなかった。
これが飛竜なら壁に寄り掛かることなく直立不動でその場で待っているだろうが、どうやら彼はそこまで厳しく躾けられてはいないらしい。月龍が見えなくなったらそそくさと待合室に入り、お茶でも飲んでいそうな雰囲気すらあった。
「緊張感がないなー」
「フフ、(それが彼のいいところですよ)」
奥へ通されさらに虹彩認証式のエレベーターで上へあがる。ついたフロアには廊下の奥までびっしりと虹彩認証ロックの付いた扉がずらりと並んでいた。
「それでは、時間は三十分です。ごゆっくりとお過ごしください」
そう言った赤木が礼をしたままエレベーターは閉まった。
月龍はその様子を振り返ることなくカツカツと踵を鳴らし廊下を歩いていく。何枚目かの扉の前で止まるとめがねを外し、目に赤外線を当ててロックを解除した。
空いたドアの中には二畳ほどの狭いスペースがあり、小さな机と壁にはめ込み式の本棚がある。
その机の上に一台のハードが置かれていた。電源ケーブルさえ繋がれていないただの黒い塊と化して。
「(あれ?)」
指をさして確認する瑞希に月龍はにっこり笑って返す。
「(そうです。それでは、お願いできますか?)」
フンフンといつもの調子で鼻歌を歌いながら瑞希はリュックからノートパソコンとコードを出し、ハードにつなげていく。
「(そーいえば、三十分過ぎたらどーなるの?)」
目線をパソコンから反らすことなく瑞希は視界の左端に移る月龍に尋ねた。
「(さぁ、規約では三十分で一度退室して、また入室を繰り返すとなっていますが、それを過ぎたらどうなるかまでは聞いていませんでしたね)」
腕時計を確認しながら静かに瑞希の作業を見ていた月龍は笑いだしたくなるのを堪えていた。
自分の犯したミスで数年前にハッキングを許した子供を捕らえ、囲い、手入れし、自分の手足としてしっかりと成長させる。その結果が目の前に見えるのだ。心の底から嬉しさが込み上げてくる。
会社や組織などが手に入らなくてもどうでもよかった。それらには全く興味がなかった。だが自分の命を差し出せと言われて素直に差し出す気にはならなかった。
それからは自分の命を守るため欲しい物は全て手に入れるようになった。だが、人材ばかりは簡単にはいかない。自分の命を狙うものがどこに潜んでいるかわからない中で、出来上がったものを手に入れても信用できる者などいなかった。
だから、子供を使った。
最初はただの興味本位でしかなかった。だが、小さなうちから手塩にかけて育てれば、そして優しく首輪を嵌めてやれば、それらはのちにとてつもなく大きな財産になることを知った。大事なことは焦らずにじっくりと成長を見守ることだ。丁寧に張り巡らされた罠の上をできるだけ自由に歩かせる。そうしてしっかりと手綱を握ることも忘れない。
月龍は自分の小さな手足の成長にとても満足していた。
「(できたよ、意外と簡単だったな。月龍様、パスワードをどうぞ)」
少し不満げに振り返った瑞希に対し優しく頷き、月龍はそれまで瑞希が掛けていた椅子に座ってパスワードを入力した。
「(時間は残り十五分ですか。データは軽いので移行は簡単に終わりそうですね)」
「(一応そのパソコンはデータとか今回用に全て消してあるやつなんで使ってもらってもいいんだけど、パソコンが一台減ると仕事に支障が出るから新しいの買ってください)」
瑞希はにっこりと笑って月龍を見る。
「(おやおや、前払いのあの金額では足りませんでしたか?)」
「(いえ、俺は現物支給が好きなだけです。マックブックの新しいのでいいですよ。また捨てパソコンになるかもしれないのでスペックは前回と一緒で大丈夫です。契約金では新しい自宅用のフルスペック買いたいので)」
それを聞いた月龍は突然大声で笑いだした。
「アハハハハハハッ(あなたも随分図太くなりましたねぇ、瑞希。これは通緒の影響と言うよりは新入りの影響でしょうか。実に頼もしい。望み通り新しいものを週末にはご用意しましょう。では)」
そこで月龍の携帯電話が音を立てた。
「(下で何か騒ぎがあったようですね。私は一度退室して小龍に状況を確認してきますのでここは貴方に任せてもよろしいですか?データ移行が終わりましたらパソコンを片付けてドアの指紋認証を使って出てください)」
「(了解しました)」
だるそうにため息を着いて答えた瑞希は退室する月龍を見送りスマホに目を落とす。太一からの連絡がないことを確認しまだここには自分一人だということを自覚した。




