17 salmon run=母川回帰
瑞希は退屈で仕方なかった。
なにせすることがない。いや、待つということが苦手なわけではなかった。ただ、場所が場所なだけにやりたいこともできず、入れられたコーヒーは濃くていつもの飲みなれたアメリカンが飲みたいと思いながら口をつけていた。
銃器会社聖龍の本社ビル、いつも通される木製の長机がある部屋の手前にある、客人専用応接室。そこに瑞希はいた。重厚な黒革のソファに腰かけ、目の前のガラステーブルに飲んでいたコーヒーカップを置いた。
目の前には今日は珍しくスーツに身を包んだ月龍が座り、眼鏡をかけて英字新聞を読んでいる。入り口には最近月龍の側近に就いたばかりだという中国系アメリカ人の小龍が黒いレザーの上下を着て暇そうに壁に寄り掛かっていた。
「It’s about time they arrive at their destination. (そろそろ通緒たちは目的地に着く頃でしょうか)」
月龍が時刻を確認すると取引まで一時間というところだった。それを聞いて小龍は軽く頭を下げてから部屋を出て行く。飛竜たちの動向を確認に行ったのかもしれない。
瑞希はいつも通り、んー、と鼻から生返事を出してそれに応えた。
「Have you got bored? (退屈ですか?)」
それに対して瑞希は何も答えない。
「(私は年の分だけこの世界にいますが、仕事相手は日本人が一番やりやすいですね。アメリカ人は使いやすいですがバカが多くて困ります。ヨーロッパ人はプライドが高くて、話をするのでもなかなか根気がいります。一番の脅威は同胞ですがね)」
ふふ、と不敵な笑みを受けて瑞希は面倒くさそうにため息をついた。
「(今回の取引相手ですが、私も色々と思うところがありましてね。まぁ、お遊び程度に乗ってあげたわけですが、あちらからの指定は取引現場に必ずナイトメアを連れてくるということでした)」
目線は新聞から上げず、月龍は淡々と告げる。
「(貴方たちの価値に周りも気づき始めているのかもしれませんね。どうです?そろそろ本格的に私の元で働く気にはなりませんか?まぁ、この話は貴方に話しても先には進まないのはわかってはいますが。もし、九龍が動きを見せてくるのであれば、私も動かざるを得ませんので)」
「(そうですね。近いうちに話しておきます。うちの問題児と)」
瑞希はそう言ってまた濃い目のコーヒーを口に運んだ。
「(彼には、貴方たちが邪魔になるだろうと思ったのですがね。いつの間にか彼は私の手から離れ、貴方たちといることで成長し、さらに貴方たちもどんどん成長している。私にとっては計算外のことばかりでとても喜んでいるのですよ)」
「(通緒は・・・)」
瑞希は言いかけた言葉をコーヒーで飲み込んだ。
瑞希がまだ知らぬこと、だがそれを通緒以外の口から聞く気にはなれなかった。月龍もそれを知ってか知らずか、満足そうに微笑むとまた英字新聞に視線を移した。
彼らはすでに子供でいる必要はなかった。だが、早く大人になりたいとも今は思っていなかった。ありのままでい続けることが自分たちの最大限の武器であるとわかっていたから。
月龍もそれを十分に理解していた。だから彼らが「nightmare」と名乗り好きに行動することを許していた。
必要な支援を与え、仕事を与え、報酬を与える。それが彼らの血となり肉となり、栄養となる。
そして、彼らがありのままでい続けていれば、自分の元に還ってくることもわかっていた。
「彼らが子供のままでいること」それが月龍にとっての一番の魅力であった。
川に放流された鮭の稚魚は、海へ下り沢山の栄養を含んでやがて母川に帰ってくる。なにもわざわざ母川の方から迎えに行ってやる必要などないのだ。
手招きなどせずとも、自ら戻ってくることは自然の理なのだから。
だからこそ、月龍はそれを阻止しようとする者を許しはしなかった。
九龍側からのナイトメアを使うという条件は挨拶程度に過ぎない。
実際九龍は王家を脅威だとは認識していなかった。組織として確立している九龍と一族として生きてきた王家は全く違う土俵にいるからだ。市場も違えばビジネス相手も違う。だからこれまで互いに干渉することなく過ごしてきたのだ。
だが、数年前に王家の跡継ぎが急死したときからそれは少しづつ形を変えだした。
表舞台で活動していた王家が一時でも勢力を失った隙をつき、九龍はその王家の市場さえ手に入れようと動き出していたのだ。
月龍の読んでいた新聞記事にはロシアの軍需企業が中国のIT企業と合同で新しい防空システムを作るという記事が載っていた。それは王家の表家業である貿易会社としては見過ごすことのできない内容でもあった。ロシアの軍需企業とは昔から長い付き合いがあり、中華系企業とは王家を通して話をするという暗黙のルールがあったはずだが、今回この話は月龍には通っていない。ロシアの裏切りか、はたまた弟の愚行かはまだ分からなかったが、事前情報を考察するとどうやら後者の確率のほうが高く、頭の痛いことではあった。
だが、ここでもし、万が一、この合同企画が潰れれば、弟の信頼はまた、減っていく。
月龍は最小限の労力で最大限の価値を得る方法を知っている。
彼はただ、餌を巻きソレが成長するのを待てばいい。成長しきったところで生かすか殺すかの選択をすればいいだけだった。
月龍は王家やもちろんナイトメアのことも手放す気など毛頭なかった。
ただ、今はまだ手に入れるには早すぎると、静かに成熟を待っているに過ぎないのだ。
「(お互い、問題児を抱えると苦労しますね)」
そういって月龍はまた静かに微笑んだ。
飲み終わったコーヒーカップを置く瑞希の顔に笑みはなかった。




