10 Here sweetie!=あーんして
ふぅ、と息を吐き胸ポケットから出した寄れたJPSのボックスを開け中から一本を引き抜く。それから一緒に入っていたジッポを鳴らし静かに煙草に火をつける。三歩で着くその距離をゆっくりと歩き、目の前に現れたドアをノックしてみる。思った通り返答はない。フィルターを優しく唇で包み、ゆっくりと息を吸うと煙草の先が音を立て熱がそばに近づいた。
静かにドアを開け中に入る。明かりがついていない室内でパソコンのモニターの光だけが煌々と光っていた。煙を吐き出しながら静かに扉を閉めた。
ベッドに置いてある食事にはやはり手が付けられていない。確認してから、煙草を持つ拳の外側で部屋の明かりのスイッチを叩いた。
「まぶしー」
そう一言だけつぶやいて瑞希は目を瞑っている。
「Aren't you eating? (食べないのかよ)」
通緒はその場を動かずにつぶやいた。
「これひと段落したら食べるよ」
目を擦りながら瑞希はパソコンの画面を覗き込んだ。相変わらず視線を合わせない瑞希にあきれたように通緒はドアに寄り掛かった。
「What's in your head? (何考えてんだよ)」
「んー外からどうにかできないかと月龍のパソコンハック中なんだけどなんも出てこない」
「Explain what's going on. Even a momentary lapse in concentration is impermissible. (ちゃんと説明しろよ。こっちだって気が抜けないんだぜ?)」
「んー俺疲れてるから日本語にして」
はぁ、と大きなため息をつき通緒はパソコンデスクの端にある灰皿に煙草の灰を落としに行く。
「じゃ、初めから説明しろ。月龍の仕事ってなんでお前がやる必要があるんだ?」
灰皿をベッドの端に置き、1時間ほど前に運んできた食事のトレーを揺らさないようにその横に静かに腰かける。
「実はね、送らなきゃいけないっていうデータをロックしたの俺なの。データの内容は見ない約束で。今回そこのデータの一部が必要で会社内に戻してほしいってこと。でもさー、月龍めっちゃ機密機密ってうるさくて、自分でロックかけた後にさらに俺がロックかけて、それからそれ取り出せないようにネット繋がってないハードにいれたの」
通緒は左手で額を支えながらまたため息を漏らした。
「そのハードってどこにあんだよ」
「それがさー、セキュリティ管理頑丈なところに隠しちゃってね。月一でしかそこ入れないんだよ。しかも、本人と本人が許可した人間の2名までしか入れないし、入室時間は30分。その間に俺がかけたロック外してそのあと月龍のパスワード入れるわけだけど、パス効果3分だから結局月龍も一緒に行かなきゃでそれも面倒だしさ。だからほんとみっちゃん達いてもどうにもならないわけね」
「それ本体を出してくりゃいい話じゃねーのかよ」
「本体取り出すのは月龍が許可してないからムリ」
「Oh my gosh! He is a real jerk! (マジかよ。クソだな)で、お前はその日朝からずーっと月龍と一緒にいなきゃダメってわけか」
熱い煙を吸い込み、通緒はぶつけようのない苛立ちを押し殺した。
瑞希は先ほどから見ていたパソコン画面からようやく視線を外し椅子を回転させた。顔色は悪かったが表情は通緒が思っていたほどひどくはなかった。
「楽しんでないか?」
眉をしかめて聞いてみる。
「うーん。まぁ、この手の作業は苦じゃないね」
「ハハハッ!」
肺から息を出し切り笑った。お手上げだった。瑞希はこの仕事を「選んで」していたのだ。
いつもなら同じ日に二つの仕事を入れるのはありえないことで、日付を多少ずらしたところで準備や後始末に時間がかかるのでどちらかを断るのは当然だった。だが、瑞希自身がこの仕事をやりたいのだ。ロックを外す、というのも月龍が頼むくらいのことにパスワードなどで開くようなロックを瑞希がかけるはずがない。自分がかけた何重ものセキュリティを自分で壊しに行くことに楽しみを見出していたのだ。
「コレ作ったの確か2年位前なんだよね。だからその頃の俺ってどんなかわかるじゃん。きっとガキみたいなことしてると思うんだよねー、へへ」
まるで子供の様に無邪気に笑う瑞希に完敗した通緒は煙草を箸に換えから揚げを瑞希の口に突っ込んだ。
「んー!今日のから揚げしょうが効いててうまーい!」
「うまーい!じゃねーよ!どーやってちーちゃんに説明すんだよ?」
もうひと口をねだり口を開ける瑞希に突っ込む通緒も自然と笑顔になってしまっている。
「それはまぁ、月龍のわがままって言ってあるし、大丈夫でしょ。あーん」
あーんじゃねぇ、と怒鳴りながら次のから揚げも開いた口に放り込む。心配は空振りに終わった。それで良かったと安心した。
「明日からはちゃんとあっちでご飯食えよ。京がいらん心配ばかりして痩せそうだ。あと、そのわかりづらい表現やめとけ。俺だって頭抱えるぜ」
「ハゲちゃう?ハゲみっちゃん!ブフフフフフフッ」
ため息を漏らしながら通緒は食事トレーを持ち上げた。瑞希もベッドの灰皿を持ち部屋のドアに向かう。
ドアを開ける直前、玄関からバタバタと降りてくる音が聞こえる。音の感じからしてそれが京であるのを察した二人は急に声を荒げた。
「What the hell is your problem?! (何が気に入らねーんだよ!)」
ドアを勢いよく開けた通緒の視界に冷蔵庫の前で動きを止めた京が映る。
「みっちゃん脳ミソまでからあげになっちゃったんじゃない?」
「What did you say? (もーいっぺん言ってみろ)」
瑞希へ向き直り苛立った口調で話を続けた。
「みっちゃんのハゲ頭の中身はから揚げだって言ったんだよ」
「Are you pissing me off? Just suck it up and eat it!(ケンカ売ってんのか?ごちゃごちゃ言ってないでさっさと食えよ!)」
「Mummy, can you feed me?(ママ―!食べさせてよー!)」
「Here sweetie!(ほら、あーん)」
通緒が右腕を上げたのに反応し京は走る!
「ちょ!ケンカダメっス!」
両手でしっかりとつかんだ通緒の手には箸に刺さったから揚げが握られていた。
「へ?」
きょとんとした京の顔を見て瑞希が思わず笑いだす。
「Do you want some too? Here sweetie!(お前も食べたいのか?ほら、あーんしろ)」
「アレ?」
気の抜けた感じでまじまじと見上げる京の口にから揚げを放り込む。
「もうちょっと英語の勉強必要だなーナナピオ―」
笑いながら話す瑞希はその横を通りキッチンへ移動した。未だに状況を把握していない京を置いて通緒は瑞希用から揚げ定食のトレーをキッチンテーブルに置く。
「からかったんスかー!もー!」
「My bad! Just kidding! (ごめんごめん、冗談だって)」
憤慨する京の肩を叩きながらキッチンへ誘導するが、通緒は少し違和感を感じた。いつもならこの辺で涙声になり、ひどいっスー、とか聞こえてきそうなものなのに今回は何もしゃべらない。心配した通緒が下から覗き込むと京は歯を噛みしめ目を反らした。
「ごめんって、ちょっとびっくりさせたかっただけだよ」
通緒は今度は京の肩を抱き落ち着いた声で話す。
「俺、ほんとにケンカになっちゃったのかと思ったジャン」
ぼそぼそとつぶやく。
「わーみっちゃんナナピオのこと怒らせたー」
「カンブ先輩笑ってなかったし」
楽し気に言い放ったことを瑞希は後悔した。
お風呂から上がり通緒の任務の行方を確認しに来た千尋は予想だにしない光景を目の当たりにする。
通緒と瑞希が椅子に座り、京の説教を聞いているのだ。
「どうしたの?」
思わず口にしたが、答えたのは後輩の京である。
「さっきまで引きこもりだったカンブ先輩とみっちゃん先輩がケンカするふりして俺をからかったので注意してたんス」
「え?」
二人を見るとしゅんとうつむいたまま動かない。
「ふざけていい時とそうじゃないときの区別はつけたほうがいいジャン?人が心配してるのにあーやってからかうのは良くないっス」
「はい、ごめんなさい」
「ごめんなさい」
二人は頭を下げて謝る。
「もうしないっスか?」
「はい、もうしません」
「しません」
「カンブ先輩マジでちゃんとわかってんスか?」
通緒のセリフを繰り返すだけだった瑞希を睨み京は凄む。
「はい!真面目に心配してくれてるときにふざけたりしません!」
「じゃ、俺は風呂入ってくるんで、カンブ先輩はちゃんとご飯食べて、みっちゃん先輩はビール飲んでしっかり反省してくださいっス!あ、千尋せん、千尋さん、二人に用事あって来たんスよね?すみませんっス。俺の話これで終わりなんでどうぞジャン」
自分の座っていた椅子を明け渡しお辞儀をしてから京は1階へ姿を消した。
空いた席に戸惑いながら座る千尋はもう一度2人に尋ねた。
「どうしたの?」
2人は顔を見合わせると肩の力を抜いてため息を吐いた。
「千尋ちゃーん、あいつは怒らせないほうがいいぜー」
「上杉はその心配ないしょ」
「あーそーか」
通緒は天井を見上げ両腕をだらしなくたらし、瑞希はおでこをテーブルについて、空気の抜けた風船人形のように力尽きた。
それを見て呆れたように立ち上がり、キッチンへ移動した千尋は冷蔵庫からビールを持って戻ってくる。
「もう、だらしないわね。はいっ!」
わざと音を立てそれぞれの目の前にビール缶を置く。そして真っ先に自分の缶のプルトップを開け一口目をグイっとあおった。
「先輩としての威厳丸つぶれじゃない」
だってー、という瑞希は顔の向きを変えおでこをビール缶で冷やした。
「あいつ凄むと怖いんだぜ?気迫がこう、すげぇピリピリさせるんだもーん」
「もーん、じゃないわよみっちゃん!カンブも!あたしたちどれだけ場数踏んできてると思ってるのよ!」
まだ力の入りきらない2人に嫌気がさし、千尋は自分のビールの底を、ドンッとテーブルに叩きつけた。
ぱんっ!
鳴らした両手越しに見た2人の表情がいつもの状態に戻ったのを確認し、ほっと胸をなでおろす。
「あいつの場数も相当なもんだろーな」
プシュッと音を立て開けたビールを流し込んで通緒はしみじみと思い返す。
「あの気迫は結構な武器だよ」
頷きながら瑞希も思い出す。
「で、ちゃんと2人は話できたのね?」
返事のない男共に千尋はにっこりと微笑みを送る。
「そんなに楽しそうなんだもの。こもってた理由と、仕事の流れ、話し、まとまったのよね」
男共は思い出した。このチームにさらに恐ろしい殺気を放つことが出来る人物を。
こんこんと続く説教を聞きながらまた夜は更けていく。




