11 for a moment=束の間の
先輩二人が新入りの説教を受けた日から数日が経っていた。
千尋の心配を他所に瑞希と通緒はすでにそれぞれの仕事に集中していて口を出す隙が無く、太一の情報と京の予想である程度の計画は立った。あとはその計画通りに事か運ぶか否か。
通緒は太一と京に念入りに配置確認と時間を指示している。瑞希は相変わらず自室にこもっているがお茶と食事の時間にはリビングに出てきて通緒をからかって遊んでいた。半地下の空間でそれぞれが自分のすべきことに集中している中、千尋は自分だけが取り残されているような感覚を覚えた。
以前にも同じようなことがあった。通緒と瑞希の意見が合わず、それぞれ別の作戦を立てそれを諒がまとめていた時だ。その時はこんなに疎外感を感じることはなかったはずだと思っていた。
(あの時は諒がいたからかな。どんなことでも私に確認してくれていたし…)
リビングのソファに座ったままため息をついた。ふと部屋の端にあるオレンジ色の丸椅子を見ると椅子の上に置いた花瓶のブーケがしおれてきていた。
(新しいお花、買ってこようかな)
千尋がソファから立ち上がり部屋の隅に向かうのを通緒の目が追っていた。通緒が声をかけようとした時、隣の席から低い空腹音が聞こえてくる。開いた口を一度閉じ、時計を確認すると昼ご飯を食べてから3時間ほど経過したところだった。
「ちょっと休憩するか」
そう呟いた通緒が立ち上がり台所へ移動したのを確認すると隣に座っていた京が目をキラキラさせて話し出す。
「みっちゃん先輩!今日のおやつはなんスか?」
向かいの太一も、ふぅ、とため息をつき背伸びをしながら通緒の回答を待った。
「今日はぁ、アレ?」
キッチンの戸棚を開けて中を見た通緒がため息をついてから顔を上げる。
「悪い、せんべぇしかねぇ」
外袋が開いた残り数枚のせんべいを取り出し京に向かって放り投げた。それから胸ポケットに煙草が入っているのを確認するとキッチンカウンターに置いてあったスマートフォンと車のカギを取り上げ、少しだけ気合を入れてから声を出した。
「千尋ちゃーん?ちょっと買い物付き合ってー!」
語尾に力を込めたのは振られた時のための精一杯の保険だった。そこから落胆すれば笑いにできるから。だけど、返ってきたのは意外な、通緒の予想外の返事だった。
「いいわよ」
唖然とした。
文字通り言葉が出なかった。
しおれた小さな花束と花瓶を持った千尋が近づいてきても通緒は黙ったままだった。
「どうしたの?」
キッチンで花瓶の水を捨てしおれた花をそっとゴミ箱に入れてから、千尋は突っ立ったままの通緒に不思議そうに声をかける。慌てたそぶりは出さず、通緒は軽く咳払いをしてから、いや、とだけ答えた。千尋から目を反らしたかわりに目が合った太一が嫌悪感たっぷりのため息を漏らした。だが、通緒の脳への刺激にはならなかった。
「みっちゃんの買い物はスーパー?コンビニ?」
「んーお菓子とコーヒーがあればどこでも」
通緒はいつもより数段浮かれた声音で返事をしていた。
「じゃぁ、お花屋さんがあるところにして」
お財布とスマートフォンをピンクゴールドのポシェットに入れて肩に下げながら階段を上がる千尋をみて通緒の顔は笑顔になる。
「あー!みっちゃんせんぱーい!」
階段を上りかけてかけられた声には振り向かずに、メールしろ、と告げて千尋の後を追って玄関を出ていった。
「アレ?みっちゃんと上杉出かけたの?二人で?」
自室から黄色のマグカップ片手にスリッパを引きずりながら出てきた瑞希がダイニングの状況を見て残された後輩2人に声をかける。
「お菓子買ってくるって言ってました。千尋さんはたぶんお花を買いに行ったんだと思います」
「ふーん、珍しいねー。で、ナナピオはなんで立ってるの?」
通緒に呼びかけたまま立ち尽くす京をみて瑞希は訳を尋ねる。
「いやぁ、みっちゃん先輩ジッポライター忘れてたから声かけたんスけど、メールしろって…」
「まぁ、いいんじゃない?ほっといて。車に予備のライターあるだろうし」
「そっスか」
ほっとした京は握っていたジッポをそのままテーブルに戻した。
一方瑞希は通緒がジッポを忘れていったことが少し気になり、自分なりにここで起こったことを想像してみた。
(まず通緒はお菓子がないことに気付いた。
それからそれを口実に上杉を買い物に連れ出すことを思いつく。
さらに、オーケーをもらい舞い上がる。
上杉の気が変わらぬうちにさっさと出発する。
俺が出てくると厄介だからな)
思わず笑いがこみあげる。
通緒がジッポを忘れたことに気付いたのは、車が止めてある聖龍社所有の駐車場まで歩いている最中だった。千尋とは並ばず数歩後を歩いているうち、その距離と沈黙に耐えられなくなってきたのを煙草でごまかそうとしたからだった。
チッ、と舌打ちをしてから千尋に聞こえぬようにため息をつく。
(慌てて出てきたからなぁ。まさか千尋ちゃんが買い物デートオーケーしてくれると思ってなかったし。カンブが部屋から出る前に間に合ってよかったぜ。あいつ出てくると俺も行くーってなって千尋ちゃんが、じゃあみっちゃんはお留守番お願い、ってなるパターンだもんな。よし!俺でかしたぞ!)
人知れずガッツポーズを決めるころ、二人は駐車場までたどり着いていた。
聖龍社所有の駐車場は5階建てのこじんまりしたビルだ。地下1階と屋上階が駐車場になっており、社員の車は屋上階、地下はナイトメア専用のプライベートスペースになっていた。もちろんビルの入退場に本人確認とパスワードが必要だが、地下に行くエレベーターにはさらに虹彩認証を設けている徹底ぶりだ。24時間のセキュリティ完備と預けたものの保証付きの条件で通緒は自分のポケットマネーから個人的に月龍に借りている形をとっていた。
「そろそろこの中も整理しないといけないわね。結構物が増えてる気がする」
駐車場に入った千尋はざっと地下を見まわしながら車に乗り込んだ。
エレベーターのすぐ横には通緒の黒いワンボックスカーがあり、その左隣には千尋の白いアウディが停まっている。その前方に一台のバイクがカバーをかけられた状態で静かに鎮座していた。
通緒は車のドアを開けそこに寄り掛かりながら無音のバイクを見つめる。
その表情に切なさを感じて千尋は少しだけ後悔した。心の整理がつくのには個人差がありすぎる。
「そーだなー」
寂し気にそう言ってから通緒は運転席のドアを閉めた。
「千尋ちゃん?ナナピオがさ、バイク乗ってみたいって言ってたんだけど。アレ、貸してもいーかな?」
「え?貸すの?」
「あ、いや、そーだよな。もう、持ち主がいるわけじゃないし、あげてもいーのか」
早口でそう言いながら通緒がエンジンをかける。
慌ててギアを入れようとした時、千尋が言葉をつなげる。
「そうじゃなくて。貸しちゃってもいいの?って思ったの。あのバイクは諒のだもの。私も誰にもあげる気はないわ。ただ、ナナピオに貸しちゃって大丈夫?運転、できるの?」
「あ、あぁー。I feel like I’m useless. My bad. (あーまたやっちゃったよ俺、ごめん)」
通緒はハンドルに突っ伏して深く息を吐いた。隣でそれを見ていた千尋は、ふふ、と優しくわたって見せる。
(ちゃんと前を向けてる。私も、みっちゃんも)
そう思えることが何より嬉しかった。
「で、ナナピオのバイクなんだけど、あいつはたぶん無免で運転できないタイプだから、とりあえず免許取りに通わせよーかと思うんだけどさ。あいつ確か2月生まれなんだよな…教習所通えるまで10か月あるんだよ」
話しながら車はゆっくりと駐車場出口に向かっていく。出口の虹彩認証をクリアし、ようやく地下のシャッターが開く。それからさらに地上へのスロープを隔て歩道手前でIDをかざしバーを上げ、公道へ出る。
「あの子運動神経もいいんだし、飲み込みも早いから月龍のところでいいと思うけど。だめ?」
通緒は迂闊に左側を確認していたことに後悔した。真横からの上目遣いは通緒にとって凶器でしかない。目を反らすはずがその下の細くしなやかなスキニージーンズが重なるところまでしっかりと目に焼き付けてしまう。
「みっちゃんもそこで教わったのよね?教習所通わなくても2月になったら試験だけ受けたらいいんじゃない?」
そうだな、と呟いてから何とか視線を前に戻し、胸ポケットから出した煙草をくわえてから置きライターを探す。何とかドアポケットにあったライターを探し当て、火をつける。肺の奥まで毒素を吸い込んでから窓を開けるのを忘れていたことに気付いた。少しむせながら開けた窓から煩悩と共に煙を吐き出した。
その後大型スーパーに着くまでの千尋からの声にはすべて生返事で返した。話の内容はさっぱり覚えていない。
「千尋ちゃん、先に行ってて。もう一本吸ってから行くから」
運転席から降りずにそう告げ、片手を挙げて返事を返してくれた千尋が店内へ入っていくまでを見送る。
もう一度ハンドルに顔を伏せてから大きく深呼吸をした。
「It's against the rules for …(ルール違反だろアレ…)」
花を選ぶ彼女を見たら卒倒しそうだと思った。
初めて会った時はまさかこんなに自分の思考回路が乱されるようになるとは思っていなかったから。しつこくて口うるさい、自分と一つしか違わないのになんて子供っぽいのだろうとイライラもした。だが、違った。考え方は違えども向かっている先は一緒なのだと気づいてから、彼女の見方が変わっていった。そして彼女の思いに気付いてから、彼女を思う自分の感情にも気づいてしまった。間が悪かったと思う。引き返すタイミングを見失ったまま、ここまで来てしまっていたから。なんとか本心を悟られないようになるべく道化のように振舞うしか方法が思いつかないでいた。
公言通り煙草を1本吸ってから、千尋に電話を掛けながら車を降りた。
心の準備を済ませ千尋が待つ食品売り場まで急ぎ目の大股でコツコツと革靴を鳴らしながら歩いた。
お菓子売り場に着くと千尋の姿は見つからず、そのままメンバーそれぞれのお気に入りを物色していく。買い物カゴを持たない両手はすぐに一杯になった。
「めちゃくちゃ見られてるわよ」
後ろからかけられた声に心してから振り返り、カウンターを阻止した通緒は、千尋の運んできたカートのカゴにどっさりと両手のお菓子を放り投げる。花屋で買い物を済ませた千尋は通緒の狙い通りカートの下の段に花を置いた状態で現れた。
確かに周りには小学生くらいの子供たちとそれよりも小さな子とお菓子を選ぶ親子連ればかりで、スーツ姿の男なんて他にはいなかった。
「大きくなってもお菓子大好きなんだよ。でも、友達の分を買ってるだけだからな」
周りの小学生に言い聞かせるように声を出すとさらにお菓子を買い込んでいく。
チョコパイ、エンゼルパイ、源氏パイ、ラムネにグミ、堅あげポテトにピザポテト、ぽたぽた焼きに雪の宿、それから極細ポッキーとプリッツとトッポ、あとはチョコレート菓子をいくつか、カントリーマァムと数種類のプチシリーズ。
「これだけ買っていけば問題ないかな?あ、ノンタにアンパンマンラムネ買わなきゃな」
そういって棚から拾い上げたそれをまたカゴに放り込んだ。追加でペットボトル飲料とビールも忘れずにカゴに入れ、レジへ向かう。
「こんなに買ったら置く場所がないわね」
笑いながら千尋は支払いを済ませる。
「まぁでも。すぐなくなるだろ」
帰りはマンション前に車をつけ、花と買い物袋を部屋に運び入れた通緒はおやつをねだる京にプチシリーズを1本与えてから冷蔵庫に前に飲み物を運ぶ。
「あとはいいわよ。やっておく。ありがとみっちゃん」
戸棚にお菓子をしまいながら告げる千尋に、Thanks、とウインクを投げ、ジッポを忘れずに握りしめてから玄関を出る。
オートロックの玄関を出て車の運転席に乗り込もうと車道に出る手前で呼び止められる。通緒の足を止めさせたのはサンダルを引きずる瑞希だった。
「俺の煙草もないんだー」
そういってそのまま助手席に瑞希は乗り込んだ。
「なんだよ、さっきメールでもすればよかったのに」
運転席に乗り込んでから通緒は助手席を確認はせず車を発進させた。
「だって邪魔だろ?」
瑞希が何食わぬ顔でそういうと通緒は一度視線を落としてから胸ポケットへ手をやった。
自分が煙草を1本くわえてから、目の前に差し出された瑞希の手に自分の煙草のボックスを、力を込めて押し込んだ。
何も言わずに煙草を吸いだす通緒を見ながら瑞希は通緒から受け取った箱から1本だけ抜き取り、くわえる前に通緒の胸ポケットにそれを戻した。すると通緒の左手がするっと伸び自分の顔の前でジッポのリッドが開き中から炎が上がりだす。
ため息を漏らしそうになったがやめて、おとなしくその火を頂戴することにした。
「で?お前のほうはうまくいきそうなのか?」
「たぶんもう終わった。あとは当日、月龍がパスワードを間違えなければ大丈夫」
聖龍社に借りている駐車場のビルを少し過ぎたコンビニエンスストアに車を止めて二人は店内に入っていく。
通緒はお気に入りのコンビニスイーツを物色し、レジ前でホットスナックを選んでいる瑞希が店員に注文を始めたのを確認すると後ろから選んだわらび餅とカフェオレを差し出した。
買い物を終え聖龍社のビルに戻り車を止めてから、車内でコンビニエンスストアの袋を開ける。
買ってきたブラックコーヒーを飲みながら甘いカフェオレを片手に黒蜜掛けわらび餅を頬張る通緒を見やる。甘いものが苦手ではない瑞希でも少し胸やけがする組み合わせだと思い買ってきた自分の煙草を吸い始めた。
エンジンを切った車内で音もなくただ静かに時間が流れる。
お互いに何かを言うつもりも、話すつもりもなかった。
静かな理由を知っているから、だから、二人ともただ黙っているだけでいいと思えた。
わらび餅を食べ終わった通緒がカフェオレを片手に車のキーを抜いた。それを機に瑞希もドアを開け車庫内に足を下ろす。
「千尋ちゃんにはさ、言ったんだけど。アレ、ナナピオに貸してもいいと思うか?」
車のフロント側に立つ通緒が自身の背後を、くい、と指さした。
「アレ」とは諒のバイク、カワサキ ZRX1200 DAEGだ。蛍光がかったグリーンが今はカバーに隠れていて見えない。
瑞希はブラックコーヒーをすすりながら通緒の求めている答えを探したが、それは正解なのかどうかわからなかった。いつもなら通緒に対する返答に迷うことなんてない。単純明快でわかりやすいひねくれものだから、意見の同意を求められたときは少しばかりの誉め言葉と一緒に賛同すればうまくいくはずなのに。これは難解な問いだと思った。
「貸してもいいのか?」
こういう時は質問返しだ。そう、通緒の本心も聞きたいし。
「俺は、あいつらと一緒に前に進まなきゃいけないんじゃねーかと思ったんだ。立ち止まってたつもりはねぇけど、一人じゃないって、わかったからさ」
振り返ってバイクを見つめる通緒の背中を見て、広いなと思った。単純に、大きくなったな、と。一緒にいる時間はさほど長くなくても確実に出会った時より成長しているのがわかる。
「俺も」
瑞希がポツリとつぶやいた声に通緒は振り返る。
「今より成長するためにニューフェイスを入れたんだ。前に進めるさ」
まっすぐに見つめた先の通緒の顔が少し照れたのを確認して、瑞希は先に出口に向かう。
これでいいのかもしれない。自分の考えを少しずつでも伝えていくのが今の正解なのかもしれない。
取引日まであと1日。
それまではゆっくりと日常を過ごしたらいい。
彼らにとっての非日常は常に日常の延長戦でしかないから。いつもの面子で、いつもと同じ場所で、彼らは彼らの道を歩いていくのだ。




