「川」
気も遠くなるような昔の話。
まだ幼かった頃に森である少女を見つけた。
少女は白い装束に緋の袴、他に装飾はない簡素な出で立ちではあるがどことなく品を感じた。
鬱蒼と繁る森の獣道を目隠しをしながら歩いていた。それも何かを探している風に。
酔狂にも程がある。
そう思ったもののよく見てみると、少女は不思議とすいすい進んでいく。
どうなっているんだ? と首をかしげて居るところに、少女が足をとられ転けそうになる。
ほれ見たことか。
少女の近くの木に絡んでいた蔦をとっさに伸ばして腕を掴む。
「大丈夫か?」
「はい。ありがとうございます。助かりましたわ……え?」
少女が体制を建て直したところで腕に絡んでいた蔦に気がつく。
「……これは」
「ああ。今解いてやる」
そう言って腕に絡ませた蔦を縮めてほどく。
「あなたは――」
「その目隠しはどうしたんだ?」
少女が何かいいかける前に訪ねた。
「これは父様から頂きました」
「ふぅん」
言われてみれば、ただの目隠しにするには上質な糸が使われているようにも思える。子を思っての贈り物か。
それにしても。
「娘を目隠しして喜ぶ変態親父が父とは気の毒な娘よ」
「ちっ! 違いますわっ! これは私が不意に目を開いてしまわないようにとの配慮で。私の目を見て怖がるものも居ますので」
目を見て怖がる?
それまた奇怪な。何らかの病で目が変質したか?
「ふむ……。目が見えぬか」
「逆でございます。見えすぎるのでございます」
「見えすぎる? だからと言って目隠しをしては何も見えんだろう。見た限り何か探し物をしているようだが、父とやらもそんな状態の娘に森で探し物をさせるとは……」
父とやらはもしかして変態ではなく鬼畜なのか? 素直にそんな感想を抱いたとき、少女が少し眉根を寄せて呟いた。
「父はもう居ないのでございます。一族を逃がすために、押し寄せる軍勢を押さえるため、燃える宮に残って……」
「そうか。故郷はなくなったか」
「ええ。跡形もなく、海の藻屑に。もと住んでいた所は小さな三日月状に曲がった島になってしまいました」
……いくらなんでも、ちょっと無くなり過ぎではないだろうか。
そう思ったものの、少女は口を真横文字に結んだままだった。
「そうか」
「父が守ったもの。次の長たる私が、必ず」
少女は凛とした横顔をらした。
気高き白狐の娘を前に自分の知らない、言葉にできない感情に支配された。
少女の探していたのは樹妖精。なるほど、この少女は東法術士って言うやつか。
こうして自分は着いていくことにした。
◇◆◇
天然のお城、王樹森冠。そこに居る僕たちはマンネさんに着いていってどんどん奥へと進んでいく。
木漏れ日が僅かに揺れ、王樹森冠の中に咲く花の色を僅かに変える。それに応じるように、城内を照らす光る苔が淡くエメラルドに明滅する。
ただのヒカリゴケとは違うのかな? 明るいとは言えない城内だけど、どこに何があるかは十分に把握できるくらいの明るさはあった。
“ほぉ、あのような童が? こう見ると意外にかわいらしいのう”
“しかし、あの人の子ぞ? 見た目はどうあっても中身はどうだか”
ふいに声が聞こえた気がして振り返る。
しかしそこには誰もいない。気のせいだったんだろうか? それにしてはずいぶんはっきり聞こえた気がする。
少し周りを見渡してみるも何もない。
「カイト。行くよ」
「う、うん」
姉ちゃんに言われ、また歩き始める。
すると今度はクスクスと笑い声が聞こえ始めた。
“ふふ。怯えとるな。愛らしいのう”
“それよりあの青い方の胆力。大したものじゃ”
アズサちゃんが僕の手を力を込めてぎゅっと握る。顔を見て見ると、下唇を噛んで必死に何かに耐えているようでもあった。
気のせいじゃない。やっぱり声はするんだ。
でも、僕は今度は振り返らなかった。
アズサちゃんの手をほんの少しだけ力を入れてギュッギュと二回握りかえす。
アズサちゃんの手にこもる力が抜けた。
「到着ですじゃ」
そうこうしているうちにマンネさんがそう告げる。
ようやくかと思ったところで緊張しながらも、何かひどい違和感を感じる。
「着いたって、ただの壁しかないじゃない」
姉ちゃんの言う通り、マンネさんに連れられて着いた場所は木の絶壁。
ロッククライミングのように登るんだろうか?
そう思いながら見上げて見るも、方々から伸びて絡み合う枝がねずみ返しどころか天井のようになっている。
完全に袋小路だ。
「よし、合言葉を言え。山」
「川」
どこからかサルノ様の声が聞こえた。
僕は即座に答える。
「よしよし正解。って何故御前が手前らが合言葉を知っておる」
心底驚いたようなサルノ様の声。
うーん。なんでわかったか僕にもわからないけど。誰でも答えれそうだし、恐らくその合言葉は変えた方がいいよ?
「合言葉無くても誰が来たかわかるんですじゃし。そう言うのはいいですじゃろ? 入れて下さいですじゃ」
「むむむ、腑に落ちんがよかろう。今開けよう」
マンネさんがそう言った瞬間に。木の壁に光の筋が走る。
それが扉状の形をとったところで重い木の扉を開くような音が低い音がギギギと鳴った。
同時に光の筋に沿って扉となった壁が開く。
光に満ち。中の見えない空間がそこには浮かぶ。
だけどそれは不思議と眩しくはなかった。
マンネさんが何でもないように中に入っていくと、僕たちもそれに続いた。
光の中に一歩踏み込む。すると体を一瞬引っ張られるような感覚に僕は軽く声をあげる。
全身が光に包まれまぶさに目を瞑った。
だけど眩しいと感じたのは一瞬だけで、僕はゆっくり目を開ける。
出たのは先ほどと同じようなところ。違うのは今度は壁を背負っているところだった。
僕たちと反対側にぼんやりと明かりを持った樹妖精が立ち並ぶ。それはランタンスズだった。
そのランタンスズの光の陰に、中央に一人椅子に座っていた樹妖精が浮かび上がる。
陰に映し出される樹妖精がさっと手をあげる。
同時に周りの樹妖精はランタンスズをシャンシャンシャンと振って鳴らす。
ランタンスズから煌めく粉が舞い上がった。
「ようこそ。手前がサルノ。少しばかり皆より長生きゆえに、一応ここいらの樹妖精を束ねる長をしている」
他の樹妖精に比べてひと際背の高い樹妖精の女の人がそう立ち上がって挨拶した。
ランタンスズの粉が天井近くまで舞い上がると、部屋全体は十分以上の明るさを保つ。
見た目は成人したくらいと言われてもわからないくらいの年齢に見えるけど、周りの樹妖精と比べて頭一つ分抜けた身長のサルノ様はおそらくかなりの年齢なんだろう。
ここに来るまではどこか抜けた人なんだろうかと思っていたけど、実際に目の当たりにすると何か得も言われぬ圧力に背筋が勝手に伸びた。
サルノ様は優しそうにふふっと口の端を上げた。
「御前達、童にとっては長旅であったであろう。何か馳走でもしてやろう。ほれ、皆――」
「そ、それよりサルノ様。すぐにでもっ、すぐにでもうちの村に居るマッシュ様を助けてほしいんですのっ!」
アズサちゃんが二、三歩前に出て懇願する。
すると、サルノ様の笑顔が消え射抜くような視線を僕たちに浴びせた。
怖い。突然どうしたんだろうか。
アズサちゃんはひざから崩れ、僕の足も震える。姉ちゃんだけが尻尾の毛を僅かに逆立たせながら、崩れそうになったアズサちゃんの腕を脇で抱える。
「ひ、ひぃぃぃえぇぇぇ。長老落ち着きなされですじゃー。慣れきっとるわしならともかく、アズサらにその目からビームはきついですじゃー」
「別にビームなんか出しとらん。というか、慣れきっとるって……。まったくこの倅は」
マンネさんが大げさに両手を上に挙げて見せたところで、サルノ様が目を閉じると、深くため息をついてまた目を開いた。
今度はビームは出ていなかった。
「とはいえ、手前も大人げなかった。白い娘、再三確認するが確かにマッシュと言ってお主の住むところに居るんじゃな?」
「は、はいですの。マ、マッシュ様は華樹の社で私たちと家族同然に暮らしてますの。どうか、どうか助けてほしいですの」
アズサちゃんはまだ、ガチガチと歯を震わせながらもはっきりとサルノ様に告げる。
「恐怖におびえながらも希うか」
サルノ様はふわっと浮かぶと、ゆっくり僕たちの前まで飛んで来て地に足をつける。
母さんより少し背が小さいくらいだろうか。
そう思ったところで、サルノ様はふわりとほんのわずかに甘い香りを漂わせた。
サルノ様がアズサちゃんに手を伸ばす。
アズサちゃんはビクンと身を強張らせた。
サルノ様はそれを見て伸ばした手を引っ込める。
「……マッシュはな。わしの子だ。マッシュはそこのマンネよりまだ幼き頃に行方知れずになっていたのよ」
「……え?」
アズサちゃんは少しだけ緊張をほぐすとサルノ様の顔を見上げる。
「ほう、わしの兄だったのかですじゃ」
「うむ。もうとうに死んだものと思っておった。……千年前は妖精狩りが盛んだった時期でもある。てっきり、人の子に、そうでなくても魔物獣の類にやられたもとの思っておった」
サルノ様は目を閉じてそう話すと、もう一度アズサちゃんを見下ろす。
「白の娘。たしか華樹についていると言っておったな?」
「は、はいですの。そ、それを囲って社にしてそこに住んで頂いてますの」
「そうか……。華樹とまでなる王樹となればそう多くはない、千年の間に森から突然消えた五王樹となると……」
「山の上の五王樹かと思いますじゃ。人の子が多すぎて近寄れん所に、プツリと樹脈が途切れたゆえ」
後ろにランタンスズを持って控えていた樹妖精の中で一番大きい人が答える。
「で、あろうな。まぁよく今まで持っていたものよ。五王樹、いや、今の華樹のおかげか。連れ去られてから良く生きておったもの」
「つ、連れ去……え? でも私たちは家族のように……」
「そりゃ無理やりであっても千年もたてば情くらい湧こうもの――。いや、童に言う手も詮無きことよな。なによりもう人の子は何十世代も変わっておるし、妖精狩りにあったものは碌に付く樹もあたえられぬまま一年ほどで衰弱するのが常であった。ふむ、そう考えればまだマシとも言えるか」
「はぁ。ずいぶん殺伐としておったんですじゃなー。なんか実感が湧かんですじゃ」
「マンネにはそんなもんじゃろうよ。まだマンネが生まれてから一族のものどころか誰も交流のある樹妖精は亡くなってはおらんのじゃから」
「ふむむですじゃ」
腕を組んで考え込むマンネさん。
「白い娘よ。マッシュは手前らが責任を持って助ける。手前らが全力で動けば十分に間に合う事を保証しよう」
アズサちゃんにほんの少しだけ笑顔が戻る。
「ただし、御前らとマッシュはもう一緒に住めん。即座に連れて帰る。失った千年は取り戻させてもらうが良いか?」
アズサちゃんの笑顔がまた失せる。だけど、即座に精いっぱいの作り笑いを見せた。
「マッシュ様が……、マッシュ様がそれで助かるならいいですの。さみしいですけど、辛いですけど、しかたがありませんの」
「そうか。それと御前らの村の者にもある程度の協力をしてもらう……。協力と言うか、ある程度の覚悟を決めてもらうだけだが。いいか?」
「村の人はみんなマッシュ様が大好きですの。みんな絶対に協力してくれますの。このアズサが保証しますの」
そう言うアズサちゃんの足は震えていたけど、言葉をしっかり口にする。
サルノ様はニヤっと笑った。
「そうか、アズサと言うか。童の言葉とはいえ、真であれば頼もしいな。では、すぐに向かおうぞ。皆の者準備はいいな?」
サルノ様は後ろを振り返って樹妖精たちに言葉を投げる。
「オッケーじゃー。長老」
「さてさて、ちゃちゃっと同胞を救いますかの」
「くくく、どう面白くしてやろうか」
ざわざわとしながらも樹妖精たちがそれに答えた。




