「あ、あなたアホですの?」
「ただーいまっと」
服に付いてた雪を払いおとして、玄関の横滑りの扉を開けて父さんと玄関に入る。
「ただい――」
「おかえりカイトっ!」
「グェェ」
扉を閉めてただいまと振り返って言うよりも先に姉ちゃんが横から抱きついてくる。
と言うより、ちょうど姉ちゃんの腕が僕の首にいい感じにすっぽり入る。
「……おかえりなさいですの。カイト」
姉ちゃんの影にしぶしぶと言った表情で目を伏せて口を尖らせているアズサちゃんが居た。
さらに奥の方から聞き慣れたリズムを刻む足音が聞こえた。
「もうっ、用事って一体なんだったのっ? 答えなさいっ!」
一瞬ビクンと身をすくませるアズサちゃん。
「おいおい、ソーラ。それ完全にキマってるぞ」
「えっ? あっ……」
だけどそれ以上にビクンビクンと波打つのは僕の体。
姉ちゃんの見事すぎるスリーパーホールドにもう限界ってところで、父さんの声が入って僕は解放される。
僕は床に手をついて頭に届かなかった酸素を取り戻すように激しく呼吸をした。
「おかえりなさい。二人とも。リック、頼んでたものは?」
「ああ、できるだけ質のいいやつ選んできたつもりだが。これでいいか?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう。リック」
父さんはナーグルの葉をウェストポーチから取り出して母さんに渡す。
「そういや、チハヤ。……聞いて驚くなよ?」
「あら? リックがもったいぶるなんて珍しいわね。なにかしら?」
「いや今日な。油揚げ屋のサンに彼氏が出来たぞ」
「あら、そうなの……。えーっ! あのサンちゃんっ?」
「ほっ、ほんとですのっ?」
目を丸くして驚く母さんとアズサちゃん。
「なんと、カイトはそれに一躍かってたみたいだぜ? なっ? カイト」
「うんっ。クエストの練習にお手伝いしたんだっ」
「まーっ! カイトがっ? そんな楽しそうな事をっ? ステキっ!」
母さんが盛り上がったあまり、片足を上げてくるくる回る。
「で、カイト。相手の方はどんな方だったの?」
母さんは回るのをやめると興味津々に僕に顔を近づける。
「えっとね。シキイさんって言う十七歳の狩人の人だよ。とっても指先が器用な人なんだよ」
「十七っ? しかもそんな年下の子をなんて。もー、サンちゃんったら侮れないわぁ」
何故か母さんが照れたような顔をしながら両頬に手を当てて左右に大きく首を振る。
「うふふ、今度サンちゃんに会った時が楽しみね。さっ、二人とも上がりなさいな。もうすぐご飯が支度できますからねっ」
「はーらへった。腹へった。今日の飯は何かなぁっと」
「私が小さい頃にお世話になった村のおばさま方が、お話がてらたくさんお野菜を差し入れて下さったから、お鍋にしようと思って」
「鍋か。そいつぁ、あったまってありがてぇな」
父さんがフード付きのコートを脱ぐと母さんと一緒に歩いていった。
「ふーん。で、カイトの用事ってサンさんに彼氏さんを作る事だったの?」
「えっ?」
またアズサちゃんがピクンと動く。
そう。本当は僕に用事なんて何もなかった。あれはアズサちゃんの嘘だったんだから。
僕はチラリとアズサちゃんを一目見る。
すると、一瞬目を泳がした後にアズサちゃんはギュッと目を閉じて耳をペタンと倒す。
アズサちゃんの小さい体は僅かに震えていた。
僕は再び姉ちゃんに視線を戻す。
「――そうだよ。それが用事だったんだ」
「えっ?」
姉ちゃんより先にアズサちゃんから声が上がる。
「ふーん。じゃあなんであたしに黙っていったの? そういう事ならあたしだって手伝うのに」
「えーっと。いやほら、これは繊細な事情だったから。ちょっと姉ちゃんには……えっと」
苦し紛れのいいわけ。姉ちゃんがジトーッと目を少し細くして僕を見る。
「――あたしは繊細じゃないからって、カイトは言いたいの?」
「いやっ、いやっ。そういう訳じゃ――わあっ!」
姉ちゃんに両頬をつままれる。
僕は思いっきりつねられるパターンだと思ってギュッと目を閉じた。
「……あれ?」
しばらくたっても力一杯引っ張られる様子がない。僕はゆっくり片目を開ける。
姉ちゃんは真剣な顔で僕を見ていた。
「……姉ちゃん?」
思っていた反応と違って僕は声をかける。だけど姉ちゃんは真剣な顔のまま僕の頬を捏ねる。
こんなことは今までない。姉ちゃんを本当に傷つけてしまったんだろうか。
……そんなつもりは無かったのに。
僕は姉ちゃんに軽く両頬を引っ張られながら悲しくなる。とても姉ちゃんの顔を見れなくなるって視線を下にはずした。
目頭に何かが込み上げそうになる。
そんな僕の頬を引っ張りながら、姉ちゃんは人差し指を僕のこめかみ辺りにやって下に引っ張り出す。
「ぷっ。……変な顔のカイト」
「えっ? も、もうっ! 僕の顔で遊んでるだけなのっ?」
吹き出して笑う姉ちゃん。僕は姉ちゃんの両手を持って外させる。
僕の目頭にきたやつの居所がなくなるも、ひょっこり顔を出しそうになったから、僕は一度だけ目をギュッと力一杯閉じて引き返させた。
あーっ、なんか損した気分だよっ。
僕は深く息を吸うと、脱力しながら長く大きく息を吐く。
「あははは。今日はこれで許してあげる。でも、次は絶対呼びなさいよ」
少し眉毛の外側を上げながら笑う姉ちゃん。姉ちゃんは脱力する僕の鼻の頭をつまむ。
「わかった」
「よろしいっ! じゃあカイトも早く上着脱いできなよね」
そう言うと居間の方に行く姉ちゃん。
やれやれと僕は靴を脱いで玄関を上がると、分厚い防寒用の上着を脱ぐ。
まあでも良かったかな。姉ちゃん、別に傷ついてるわけでもなさそうだったし。
「貸しを作っただなんて思わないで欲しいですの」
「へっ?」
僕は声のした方を振り向く。声の主はアズサちゃんだった。アズサちゃんは姉ちゃんに着いていかずに僕の事をじっと見ていた。
「べっ、別に思ってないよっ!」
「ふんっ。それならいいんですの」
とんでもない事を言い出すなぁとふうっと息を吐いて、僕は上着を部屋に置きに行こうとする。
アズサちゃんは居間に行くでもなくまだそこに居た。
変だなと一瞬首を傾げて隣をすれ違おうとする僕。アズサちゃんは一瞬こっちに顔を向けたかと思うと、すぐに顔を下に向けた。
「今日は……――なさいですの」
「……えっ?」
よく聞こえなかったけどアズサちゃんが何か言ったような気がして振り返る。
「ゴメン。今、なんて言ったの?」
「……何も言ってませんの」
アズサちゃんがプイッて顔を僕から背ける。
「えー? 絶対言ったよお?」
「何も言ってませんのっ! 気のせいですのっ!」
僕は顔を覗きこむように回り込むと、アズサちゃんも回って僕に顔を見せない。
……逃げられると、追いかけたくなるよね?
「言ったよ? 絶対言ったよ?」
「言ってませんっ! 言ってませんのっ!」
くるっと回るアズサちゃんと、それを追いかけるアズサちゃんの白いツインテールとしっぽ。
僕、なんか楽しくなってきちゃった。
「言ったよ」
「言ってませんの」
「ぜーったい言った」
「ぜーったい言ってませんの」
「いやっ、絶対言ってないね」
「言いましたのっ!」
「へぇー、やっぱり言ったんだね」
「え? あっ――」
ずっと頑なに顔を背けてたアズサちゃんが、驚きの顔で僕の方に振り向く。
「で、なんて言ったの?」
僕の勝ちだとばかりに僕は少し鼻を膨らませて顎をあげた。
悔しさの顔に変わるアズサちゃん。少し顎を引くと、眉を寄せて大きな目を上目遣いにする。
アズサちゃんは僕のおでこにぺしっと文字の書いた縦長の紙を袖から取り出して張り付ける。
これは式紙。
たぶん内容は、目の前のやつを引っぱたく……かな?
「そんなに言うなら聞かせてやりますのっ! 法力解ほ――」
「待ってっ! 言ってないっ! 僕の気のせいだったよっ! 僕ってばそそっかしいから。あはは」
僕は両手で印を結んでたアズサちゃんの手を握りながら必死になだめる。
なんとかアズサちゃんは気を沈めてくれたようで、印を解いて僕の握る手を軽く払うと、僕のおでこに張り付けた式紙を剥がして袖にしまう。
危機は去った。
僕は安堵の息をはいて胸を撫で下ろす。
「悪のりが過ぎますの」
「あはは……。まぁ、僕これ置いてくるね」
僕は手に持つ上着を軽くあげて示して、自分達の荷物の置いてある部屋の方へ向かう。
すると、僕の後ろから僕ともう一つ足音がついてくる。
なんでアズサちゃん行かないんだろうと不思議に思ったけど、僕は振り返らずにそのまま歩く。
「それにしても、意外でしたの。今日もピーピー泣いてるかと思ったら居ないし。逆に私が心配しましたの」
「あー……。なんか色々夢中になってたからかも? オルさん、エンくん、サンカくん、シカドくん、シキイさん。おかげでって言うのも変なんだけど、今日は良い人にいっぱい会えたんだ」
でも確かに、四歳の頃の僕なら階段のところで動けなくなって泣いてたかも。
五歳は結構大人なのかもしれないね。
僕はなんとなく一人で感慨深い気分になってみて頷く。
「案外タフですのね。まぁ、今後は放ったりしませんから安心するですの」
「そ、そう。助かるよ」
僕は振り返らずに苦笑いをする。
「あ、でも。アズサちゃん僕の事心配してくれてたんだね。ありがとう」
僕はアズサちゃんの言葉に気が付いてくるっと振り返った。
アズサちゃんは鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をして僕を見ながら目を見開く。
「あ、あなたアホですの?」
「……あっ、アホってっ! それはひどくない?」
「アホじゃなかったらバカですのっ。私はあなたを騙したんですのよ?」
「それもそっか」
僕はうんと頷きながらも、アズサちゃんから少し目線をはずして考える。
「――でも、心配したって事は悪い事したなって思ったんでしょ?」
「そりゃ、良く良く考えたら少しやりすぎたなぁとは思いましたし。謝ろうと思ったら居ませんでしたし……」
アズサちゃんがしどろもどろと話す。
僕を見つけるだけなら大人の人に話せばよかったし、それに千里眼の母さんも居る。
でも、そうするとアズサちゃんが僕を騙した事まで話さないといけないから黙っていたんだろう。話すと姉ちゃんやみんなに嫌われると思ったから。
だけど、黙るを選んだ後に積る時間は辛かったんじゃないだろうか。
黙れば黙ってた分だけどんどん嵩んで行く。焦りとか、怖いとか、心配とか。
言っとけばよかったなって後になって思うほど、口の扉の鍵が錆ついて言い出しにくくなる。結局言わなくても帰ってきた僕が言ったらおしまいなのに。
僕が帰った時にアズサちゃんは身体を一瞬震わせた。
逃げるでも、とっさにごまかすでもなく僕の前に来て身を強張らせたのは、それなりの覚悟を持って出て来たんだと思う。覚悟があるって事は、悪い事をしたのは自分が一番よくわかってるって事。
「……いいよ。もう、いいじゃない。それより仲直りできるなら仲直ししようよ」
僕は少し口の端を上げながら、大げさに肩をすくめて見せる。
アズサちゃんは一瞬戸惑う。けどすぐに目を伏せて軽く僕に頭を下げた。
「じゃあ、私もきちんと謝る事にするですの。――カイト。ごめんなさいでしたの」
「ううん、いいよ。アズサちゃんこそ、心配してくれてありがとね」
一言ずつ言いあった後でお互いに顔を合わせて少し照れるように笑いあう。
――――グゥゥゥゥ。
空間を引き裂くような大きなお腹の虫の音が聞こえた。
まさかアズサちゃんがこんなに大きなハラペコ音を? そう思ってアズサちゃんを見ると、アズサちゃんは必死に首を横に振って否定する。僕の方なんじゃないの? ってアズサちゃんは仕草で抗議をするけど、僕にも胃に覚えがない――もとい、身に覚えがない。
僕とアズサちゃんは二人してきょろきょろと見回す。
すると柱の後ろからうらめしそうにこっちを見ている姉ちゃんが居た。
「姉ちゃんっ!」
「ソーラお姉さまっ!」
呼ばれてスタスタと姉ちゃんがお腹を押さえて出てくる。
「あたし、もうお腹が減って死にそうなんだから。……いつ来るのかなぁって思って見にきたら、なんか出て行きづらい雰囲気だし」
いつから見てたんだろう?
僕はのんきに思っていると、アズサちゃんの顔が青ざめる。
そうだ。これはアズサちゃんには一大事だ。僕を騙してたって事を姉ちゃんに聞かれたのかもしれないんだから。
僕は姉ちゃんとアズサちゃんの間に入るように一歩出る。
「ね、姉ちゃん。いつから見てたの?」
「今さっきよ。今さっき。――なに? あんた達けんかの仲直りでもしてたの?」
「う、うん。そんなところかな」
「そっ」
軽く返事をする姉ちゃん。ほんとに今さっき来たばっかりなのかもしれない。アズサちゃんが僕の後ろでホッと胸をなでおろす。
「それは良い事だけど、仲直りできたのなら早く行きましょ。みんな待ってるんだから」
「う、うんっ。じゃあすぐにこれ置いてくるから」
「はやくしてよね」
僕が手に持つ上着をちょこっと持ち上げてそう言うと、姉ちゃんは居間に戻ろうと翻る。
ふぅ、焦った。まぁ、姉ちゃんじゃなくてもお腹がすいたし、僕も早く上着を置いて来よう。
僕もそう思って、アズサちゃんの横を通り過ぎようとする。
その時アズサちゃんは僕の右手の人差指と中指だけをギュッと握って離した。
「ソーラお姉さま。私も一緒に行きますですの」
アズサちゃんはそう言いながら姉ちゃんをすぐに追いかけて行った。
……小指の先よりかは認めてもらえたって事かな?
僕はまだ感触の残る指を一度見ると、姉ちゃんがお腹ぺこぺこで死んでしまわないようにと急ぐ事にした。




