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「へへへ。得したなっ!」


 僕たちは近くに積まれてた木の空き箱の後ろに身を潜ませながらシキイさんを見守る。


「えっと、こんにちはサンさん」


 シキイさんが暖簾を分けて店の扉を開けると、店の中に入らずに声をかけた。 中から威勢の良いサンさんの声が返ってくる。


「おっ? シキイじゃん。まいどっ。いつものキツネタワー盛りスペシャル丼か?」

「あっ、はっ、はいっ。お願――じゃ無くてですね。今日は違います」

「えー? シキイ大丈夫か? 調子でも悪いのか?」


 空いた扉からサンさんの顔が少しのぞく。シキイさんの顔は見えないけど、ふわふわの尻尾が左右に振れる。


「シキイの兄ちゃんあれ食いきれるのかよ。体でかくもねぇのにハンパねぇな」


 一瞬身を引いて驚くエンくん。


「あれって何?」

「あれって、決まってるだろカイト。タワスペだよ、タ・ワ・ス・ペ」


 僕が聞くとエンくんは少しあきれたように言う。

 そう言われてもなんの事かわからない僕は首をかしげる。


「エン。カイトさんは村に来たばっかりだからわからないデスよ」

「あっ、そっか。じゃ俺が説明してやる。いいか、カイト。タワスペってのはイッペイさんの油揚げが丼にどーんとなって高さがハンパねぇやつの事だ。わかったか?」

「……えっと、丼にどん?」

「違うっ! どんじゃないっ! ズギャバーンだっ!」

「……それ、さっきと違うよね?」


 白熱して身ぶり手振りを大きくしだすエンくん。その肩にサンカくんは手を置いてエンくんを止める。


「まぁ、それよりあの二人の事デスよ」

「……そうだな」


 僕たちは再びシキイさんの方に視線を戻す。


「シキイ。突っ立ってないで中には入れよ。寒いだろ? 注文はゆっくり考えりゃいいよ」


 サンさんはシキイさんに店の中に入るように身振りする。

 中に入っちゃうのかな? 中に入られたら僕たちは見届けれなくなる。シキイさんには見届けるって言ったのに約束破る事になってしまうからこれは困る。

 どうしたものかと僕は考えながら見ていると、シキイさんは動かずにじっとしていた。

 しばらくして、サンさんが首を少し傾けるとシキイさんが口を開いた。


「あ、あ、あ。あの。きょ、今日は、す、少し話をしたいなぁと」

「話?」


 シキイさんは徐々に顔を俯かせる。後ろ姿だからわからないけど、たぶん顔が真っ赤になっているのは僕にも何となくわかった。

 サンさんはほんの少し考えるように頭をかしげると、すぐに合点いった顔をして店の奥の方に顔を向ける。


「あぁ、油揚げの事だな。おーい、イッペイ兄っ。シキイが話――」

「ちがっ! 違いますっ!」


 サンさんが言いかけたところでシキイさんは慌てて止める。サンさんはシキイさんの方に向き直る。


「ボクはサンさんと話をしたいんです」


 シキイさんは今度は俯かずに真っ直ぐサンさんに顔を向けたまま伝える。


「え? オレ?」


 サンさんは少し驚いたように自分を指差す。シキイさんは一度頷いた。


「そっか。いいぜ。ちょうど忙しい時間も終わったしな。じゃ、入れよ」

「いや、あの。で、できれば外で」

「え? あぁ、相談ごとか?」

「ええ。えーと、似たようなもの……です」

「そっかそっか。ま、金の相談以外ならこのサンさんがばっちり乗ってやるからよ。大船に乗った気でいてくれよな。じゃあちょっと上着取ってくるな。イッペイ兄、休憩行ってくるよ」


 サンさんが店の奥に入ると、マフラーを手に持ちながら上着を羽織って出てくる。サンさんが店から出たところで風が吹く。サンさんはウっと目を閉じて身体を一瞬震わすと、マフラーを首に巻いた。

 

「うひー。良い天気でもさみぃもんは寒ぃなあ」

「す、すみません。グハッ」


 背中を少し丸めて謝るシキイさんに、サンさんはカラカラと笑いながら背中を一度バシンと叩いた。


「そんな背を丸くしてんな。いいっていいって、店で仕事してたらあっついしちょうどいいんだよ。で、シキイどこで話をするんだ?」

「え、えっとぉ……」

「んだよ。なんも考えてなかったのかよ。じゃあ、オレまだ昼飯食ってないからさちょっと焼き芋でも買ってだな」

「あっ、焼き芋と言えば、ミツハ川の近くの屋台がボクは好きですね。なんの味付けもしていない焼き芋ですけど。それだけに『塩やバターで味をごまかさない、これが芋ださぁ食え』と言わんばかりのあのオヤジさんの作る焼き芋が最高です。ボクは胸を張って推しますよ、あの濃厚な味わいは村一番であると――。あっ……」


 突然饒舌に語り始めるシキイさん。その様子に呆気にとられた顔をサンさんが見せる。


「えっと……すいません」


 シキイさんがそれに気がついて顔を赤くして俯く。尻尾もしょんぼり垂れさがる。


「ふふ。あははは。いいじゃねぇかシキイ。お前もなかなか熱いねぇ。いや、オレも焼き芋と言えばあのおっちゃんのって決まってんだよ。結構気が会うかもなオレ達」

「そ、そうですねっ」


 シキイさんは顔を上げると垂れ下がってた尻尾を左右に振る。


「じゃっ。きーまりっとっ。今だとミツハ川も凍ってるだろうし、それを見ながら焼き芋でも食うかねっ」

「はいっ」


 そう言って二人は並んで歩き出した。


「よし、俺たちもついて行くぞっ」

「おーっ」


 エンくんが小さめの声で指示をすると、僕以外が小さめに返事をする。

 僕はサンさんが何か不思議な事を言っていたような気がして首をひねる。


「おいっ、カイト。行くぞ」

「あ、うん」


 少し行ったところでエンくんが引き返してきて僕の服を引っ張って行く。

 サンさんとシキイさんが行った後から店からイッペイさんが暖簾を分けて少しだけ顔を覗かすと、目を細めて軽く頷いて見届ける。そしてすぐに、また店の中に戻るのが見えた。



 ◇◆◇



「はー、本当に川が凍ってる」


 巨大な氷になったミツハ川を見て僕は呟く。ウルブ村では雪が降るほど寒くても川が凍ることなんてなかったのに、ここでは村の人が川が凍ってる事に驚くどころか、上で滑ったりして遊んでいる。

 僕は予想外の状況に思考を止めながら川の様子に見入っていた。

 そこにエンくんの顔が割って入る。


「カイト、ぼーっとしてんなほら。俺たちクエスト中だぞ?」

「え? あ、うん。クエスト?」

「クエストも知らないのか? カイトは。いいか、クエストはな……。えーっと」


 僕はエンくんの顔を見て説明を待つと、エンくんは困ったように視線を泳がし始めた。そこでサンカくんから助け船が飛んでくる。


「今ボクたちがシキイさんのお手伝いをしてるような事を言うんデス」

「ってことだ。わかったか? カイト」

「う、うん。わかった」


 サンカくんの説明の後でエンくんが胸を張る。

 確かに、今はシキイさんの事が大事だよね。


「ところで隠れなくていいの?」

「人が大勢いるところに人が居ても別に不思議じゃないだろ? ただ、お前はこの村ではちょっと目立つからな。その上着についてるフードで頭隠しとけ」

「う、うん」


 エンくんの答えになるほどと感心しながらフードを目深にかぶる。

 行きかう人たちが僕たちを自然に隠すのか。

 それなら大丈夫だと、今度はどうどうとシキイさんの方を見る。

 シキイさん達は川から少し上がったところで広げている屋台へ行っていた。


「おっちゃん。焼き芋二つ」

「はいよ。二個で四十マニだよ。って、サンとシキイって珍しい組み合わせだな? デートか?」


 新聞を見ながら店をしていた焼き芋屋さんは、サンさんとシキイさんを見た途端にからかうように笑って、サンさんからお金を受け取る。


「ばっきゃろうっ! オレにそんな浮ついた話が似合わねぇってのはオレが一番知ってるよ。第一、オレなんかが相手じゃシキイに失礼だろうよ。ほれ、シキイも言ってやれっ」


 笑いながらサンさんがシキイさんを肘でつつく。


「い、いや。ボ、ボクはそんな……」


 シキイさんはまた顔を赤くして俯く。焼き芋屋さんは一瞬目を見開くとすぐに目を細める。そして、紙袋に焼き芋を二個入れながら意味ありげに笑うと、それをサンさんに渡した。


「キッシシシ。そうかいそうかい。はいよ、焼き芋二個だ」

「サンキュー、おっちゃん。うはは、あっつあつでうまそうだ。ほら、シキイ」

「え?」


 サンさんは紙袋から焼き芋を一個出してシキイさんの方に突き出す。


「ほら、シキイの分だ。早く受け取れ」

「えっ、えっ。いいですよっ! そんなっ」

「お前が断ってもオレは二個は食えねぇよ」

「えっ! じゃあボクがお金を払いますよっ!」

「もう払っちまったろ? 出したもんは下げれねぇな。

 ほれほれ遠慮すんな。それとも油揚げ屋ってやつは、新米狩人に焼き芋もおごってやれねぇほど甲斐性なしだとでも思われてんのか?」

「や、いやいやいやっ。そんな事っ。あ、ありがとうございます」


 男前なサンさんに対してシキイさんはたじたじになりながら焼き芋を受け取る。


「シキイ……。まぁ、がんばれ」

「ん? 何か知らんけど、オレもシキイを応援してるぜ」


 焼き芋屋さんがシキイさんに同情の視線を送ると、サンさんもいい笑顔でシキイさんを見る。

 シキイさんは困ったような少し複雑な笑顔を返した。


「……そう言うこっちゃねぇんだがなぁ」

「どう言うことだ? おっちゃん」

「いやいや、こっちの話だよ。ささ、とっとと行きな。店先でずっといられても他の客が来にくいだろ」

「それもそうだな。じゃあ、あっちの方で話でもするか」


 そう言って二人は屋台を離れてゆっくり移動すると、土手を上がって行く。


「よし、人通りが少なくなるからもっかい隠れるぞ。たぶんあそこならバッチリだ」

「う、うん」


 エンくんは低い木の立ち並ぶところに指を指して走り出す。それに僕たちはついていく。

 シキイさん達の先回りをしてうまく隠れると、シキイさん達は転落防止の頑丈な柵にもたれ掛かって川を一望しながら焼き芋を取り出す。


「冬の風物詩と言ったらこれだよな」

「へふへ」


 サンさんが焼き芋の皮めくってる間にシキイさんは芋を半分頬張る。


「はふはふ。あったくてうめぇな」

「ええ、おいしかったです」

「た?」


 サンさんは既に紙しか持っていないシキイさんの手を見る。

 サンさんが一かじりする頃にはシキイさんはすでに食べ終わっていた。

 すごい。ねえちゃんより食べるの早いかも


「やはりあの親父さんの焼き芋は最高ですね。芋自体がとてもいいのもありますが、何かもうひとつ秘密があるんでしょうね。芋の甘味が――ってどうしました?」

「あっ、もう食ったのかと思ってな。そういやお前はイッペイ兄もほれぼれするくらい気持ちのいいくいっぷりだったっけ」


 感心したようにサンさんが言うと、少し嬉しそうに自分の芋を半分に割ってシキイさんに半分渡す。


「ほら。それだけじゃお前は足んねぇだろ?」

「え? だ、大丈夫ですよっ」

「遠慮してんじゃねぇよ。実はオレ、芋が一個でもちょっと多いくらいなんだよ。オレを助けると思って。な?」

「助ける? わかりました。助太刀しましょう」


 そう言うとシキイさんはサンさんから焼き芋を受け取る。


「……チーちゃんとも良くこうやって焼き芋を半分こしたっけな」

何か言いました(はひはひひはひは)?」

「いや、なんでもねぇよ。それよりシキイ。オレに相談ってなんなんだ?」

「うぐっ」


 芋をのどに詰めて胸をどんどんと叩くシキイさん。サンさんは心配そうな顔をしてシキイさんの背中をさする。


「げほげほっ」

「おいおい、大丈夫かよ?」

「え、ええ。大丈夫です。ちょっと喉に詰めただけです」

「で、なんなんだよ?」

「え……、えーっとえーっと」


 サンさんはシキイさんを真っすぐ見る。目を泳がすシキイさん。

 その様子を見てエンくんは口の端を上げると、そのまま小さく指示を出す。


「へっへぇっ、俺たちの出番だ。シカドっ、あれをだせ」

「よぉし、任せろぉ」


 パネルを掲げるシカドくん。サンさんはシキイさんの方を見ていてシキイさんだけが僕たちに気がつく。

 シキイさんはパネルに書いてある字に気がつくと、一瞬悩んだ顔をするも口を開いた。


「えっと。ムーンがビューティフルですね……」


 シキイさんが口にした言葉に、小さくガッツポーズをするエンくんとサンカくん。

 だけど、肝心のサンさんは首をかしげると、空を見上げてキョロキョロ何かを探す。


「……昼だが?」


 そう言うとシキイさんに顔を戻してサンさんが答える。


「しまったっ! 確かに昼だっ! 月がないっ!」

「盲点デシた。こんな罠があったトハ」

「こりゃまずいなぁ。どうするぅ?」

「えーっと。えーっと」


 どうしようとばかり僕たちはうろたえる。

 しかしもっと厳しいのはシキイさんだ。シキイさんは脂汗をダラダラと流していた。


「ちっ、次の作戦だ。カイトっ、来いっ!」

「え? え? ええっ?」


 エンくんに引っ張られるまま僕はサンさんとシキイさんの近くまでいく。


「おうおう、ねえちゃん。そんな軟弱そうなの相手にするより、俺っち達と遊ばねぇか?」


 肩で風を切るように大股で歩きながら声をかけるエンくん。そんなっ、こんなわずかで不良になっちゃって……

 って、そうかっ! これって僕が言ってたピンチを助けるパターンだ。

 僕はとっさに納得して、作戦に乗っかる。


「そうだよ。――だぜぇ? 僕たちが楽しい遊び方を教えてあげるよ。――だぜぇ?」

「ぶふっ」


 僕は母さんには見せられないくらい精一杯悪ぶる。結構ドキドキする。

 でも、効果は抜群なようでサンさんは顔を背けて肩を震わせている。

 ふふふ。怖がってる怖がってる。あんまりこう言うのは得意じゃないけど、僕はここでは心を鬼にした。これもシキイさんのためだからね。

 さあっ! ここでシキイさんの番だよ。とばかりに僕はシキイさんに目で合図をする。

 だけど僕の期待とは違ってシキイさんは口をあんぐり開けたまま。

 ちょっ! ちょっとっ! そんな場合じゃないでしょっ! ポカンってするの禁止っ!

 僕は慌ててシキイさんをチラッと見て合図しようとすると、サンさんから先に声がかかった。


「ふふっ、なぁカイト。楽しい遊びって何を教えてくれるんだ?」

「えーっとね。鬼ごっことか楽しいよっ! ――だぜぇ?」

「ぷっ。かわっ――」


 サンさんが片手で口を隠す。

 あれあれ? もしかして怖がってるんじゃなくて笑われてるのかな?

 そう思い始めたところでエンくんがあきれたように首をすくめてふーっと息を吐く。


「カイトはまだまだだな。鬼ごっこよりこおり鬼のが楽しいんだぞ?」

「えっ? こおりおに?」

「こおり鬼ってのはな、鬼が触ると相手が凍るんだ」

「ええっ? それって、ムラサメキャベツとか西魔術を使うのっ?」

「いやいや、そんな具体的には凍らねぇよ……」


 エンくんは手と顔を横に振って一生懸命否定した。

 ちょっと良くわからないなと思って僕は首をかしげると、サンさんの笑い声した。


「あはは。カイト、さっそくエンと仲良くなったんだな。いいなぁ、子供はすぐ仲良くなって。

 オレもお前たちと一緒に遊んでやりたいけどさ。ちょっとオレな、シキイと話があるんだ。――そうだ、飴玉やるからちょっと向こう行ってな」


 そう言うと、僕とエンくんに包み紙に包まれた飴玉を二個ずつくれる。


「あ。やりぃーっ! サンキューっ」

「ありがとうございますっ。サンさんっ」

「じゃあまたなっ。はしゃぎすぎて転ぶなよ」

「「はーい」」


 僕とエンくんは手を振って意気揚々とサンカくんとシカドくんの所に戻る。


「ただいまっ。飴玉貰って来たぜ。全部で四つ貰ったからみんなで一個ずつな」

「うん」


 エンくんはサンカくんに、僕はシカドくんに飴玉を渡してみんなで一斉に食べる。

 僕も少し遅れて包み紙から飴玉を取り出す。透きとおった黄金色で宝石のようにきらきらしていた。食べずに飾っておきたいほどきれいだけど、甘い香りが自然と飴玉を口に運ばせていた。

 んーっ! 甘いっ! 

 僕は目を見開いて言葉を出せずにいると、シカドくんとサンカくんはほっぺが落ちそうな表情で舌鼓を打つ。


「あまいんだなぁ。おいら実は焼き芋のあたりからお腹の虫がなりそうで我慢できなかったんだなぁ」

「んー、この飴はサンさんお手製の奴じゃないデスか。イッペイさんのお店に行った時にもらえるこれがボクは大好きなんデス」

「へへへ。得したなっ!」


 みんな口の中でコロコロと飴玉を転がす。

 飴玉は長い事楽しめるのは良いんだけど、少しずつ小さくなっていくのがでもちょっと切ないよね。

 一人僕はそんな事を思いながら飴玉をコロコロ。


「……って、ちがーうっ!」


 エンくんが突然叫ぶ。何事かとみんな顔をエンくんにビクッと向ける。


「シキイの兄ちゃんどうなったっ?」

「「あっ」」


 すっかり頭から飛んでた。

 僕たちは急いでシキイさんの方を覗き見る。

 サンさんはちょうど焼き芋を食べ終わったみたいだった。


「ふう、ごっそさんっと。しっかし、こうやって焼き芋半分にしたり、凍った川とか遊んでる子供たち見てると、小さい頃よくチーちゃんと遊んだ事を思い出すよ」

「チーちゃんって確か、昔初代の再来とか言われてた華樹の社のチハヤさんの事ですよね?」


 母さんの話題? 僕はいっそう耳を澄ます。


「昔ってお前……。あ、そうか。チーちゃん嫁にいった頃って八年前だから。……お前まだ子供だったかぁ」

「ええ、あの時はボクは確か九歳の頃でしたからね」


 シキイさんの答えにサンさんは口から魂が抜けるようにずり落ちると、木の柵にもたれかかる。


「うへぇ、やだやだ。――でも、もったいねぇな。子どもの頃ならあんまりチーちゃんの事覚えてねぇだろ?」

「そう……ですね。なんかでも、とても綺麗な人だったなぁとは……はっ」


 シキイさんは思い出しながら少し上の空になったかのように言うと、直後に息をのんでサンさんの方を見た。しかしそれ以上にサンさんが身を乗り出すように食い付く。


「そうっ! 綺麗だったっ! 綺麗だったしオレも内心スゲェ憧れてたし、ああなりたいと思ったもんだよ。

 でもよー、チーちゃん腕っ節ものすごく強いのに物腰がすごい柔らかいからよ。つまんねぇ男が寄りつかないように、オレが代わりにちぎっては投げちぎっては投げするうちによっ。

 ……オレはこんな蓮っ葉になっちまった。あははは」


 焦点の定まらない目で項垂れるミツハ川を見下ろすサンさん。自虐するような乾いた笑いを見せる。

 それになんて返したらいいかシキイさんが悩んだような表情をすると、それを察してかサンさんがゆっくり一度だけ手を横に振る。


「いやいや、別にチーちゃんのせいじゃねぇんだよ。オレの憧れのチーちゃんがつまんねぇ男の手に触れられる方がよっぽど我慢ならねぇからさ。でも、チーちゃんが嫁に行ったときさ、寂しかった……って言うより羨ましかったんだ」

「……どうしてですか?」

「知ってるか? 相手のリックってやつ。アイツ、すっげーバカっぽいんだけどさ。気持ちよく笑うやつなんだよ。

 なんでだろうなぁ――。オレ直感で思ったんだよ。コイツは世界中を敵に回しても、チーちゃんの前では笑いながら守り続けてやることのできる奴なんだって。

 オレさ、チーちゃんには白馬の王子様みたいなのがお似合い何だと勝手に思ってた。でも本当にお似合いなのはソイツだった。

 ……なんでだろうな。いいなーって。――ものすごくいいなーって思っちまったんだよなぁ」


 少しだけ目を細めて遠くを見ながら言うサンさん。シキイさんに緊張が走ってるみたいで、手を握る力に力がこもっているのがわかる。


「リ……、リックさんの事が好きだったんですか?」

「え? ないないないないっ。あいつはどうでもいいんだ。どうせチーちゃんしか目に入って無いんだから」


 あっけらかんと言うサンさんに対して、ホッと胸をなでおろして力を抜くシキイさん。


「知ってるか? チーちゃん今帰ってきてるんだ。リックと子供連れてな。チーちゃんますます綺麗になってた。きっと……いや、絶対今幸せにやってんだと思う。綺麗だった……」


 サンさんは少し目をつぶって反芻するように言う。直後にサンさんは後頭部をポリポリと掻きながら続ける。


「オレも、綺麗になれたらな……いやさ、ない物ねだりだってのはわかってんだけどさ。そしたらさ……そしたら、オレだけ見てくれる人とか現れるのかな――」


 最後の方は僕には全然聞き取れないほど小さい声になると、すぐにごまかすように大きな声で笑い出す。


「あっはははっ。なーんてガラじゃねぇなっ――」


 大口を開けて笑うサンさん。でもシキイさんは真剣な顔を向ける。


「そんな事ないですっ。そんな事っ。――あの、あの、聞いて下さいっ」


 少し言葉を詰まらせながらも、まっすぐに目を向けるシキイさん。サンさんはピタッと大口を開けて笑うのをやめると、柔らかく微笑みながらシキイさんの言葉を待った。


「うん。聞くよ。どうした?」

「ボク――」


“キャアアアアっ!”


 シキイさんが言いかけた時に女の人の絹を裂くような悲鳴が響き渡った。



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