4 王子を飾る花
「王子との婚約を解消されたのでしょう? それなら、俺があなたに結婚を申し込んでも問題はないはずです」
真剣な眼差しでそう語る男に、私は弱々しく目を泳がせた。
深夜に私の元へ現れた理由は私に婚姻を申し込むため?
この男は何を言っているの……?
「あなたが本当にセレディア帝国の公爵だというなら、あなたの妻になることを願う令嬢は大勢いるでしょう」
「あなた以外の人間と添い遂げるつもりはありません」
「何を……」
この男は、会ったばかりの私にどうしてそんなことが言えるのだろう?
額に傷が残った。たったそれだけのことで、私は王子の婚約者の座から下ろされた。
私の価値など、その程度に過ぎなかったのだ。
傷モノになってしまった私が悪い……そんなことはよく理解している。
だからこれから先の未来が暗く沈んだものだということも理解しなければならない。そう覚悟を決めたばかりなのに。
それなのに、どうしてそんなことを言うのよ?
この男と私は今初めて出会った。彼が私に恋情という名の好意を抱いているとは到底考えられないだろう。
だから、なぜ彼が私に結婚を申し込んできたのかまるで理解できなかった。
「どうして、私なんかを……」
震える声で問いかけた私に、彼は少しの迷いも見せることなく答えた。
「あなたの顔が好きなのです」
「……は」
自分でも一体どんな言葉を求めて訊いたかはわからないが、これではないことだけは確かだ。
あまりに予想外の答えに目を瞬かせることしかできない。
容姿を褒められることは今までに何度もあった。
美しい、可憐だ、王子の婚約者として相応しい――そんな言葉は物心がついた頃から嫌というほど聞かされてきた。
だけど真正面から「顔が好き」と言われたことは一度もない。
「これ以上ないくらい好みの顔でした。昔、皇太子殿下のもとへ送られてきたあなたの肖像画を拝見したときから……この世にいる女性の誰よりも、あなたの顔が好きです」
「私の顔が好きだというのなら、尚更理解ができません。この顔は既に傷モノになってしまったのですよ」
「初めてあなたの肖像画を見て以来、あなたに関する情報をかき集め続けました。そうするうちに、色々なことが分かってきたのです」
私の顔が好きで私のことを調べていたなんて、どう考えても頭のおかしい。こんな男の言葉を聞き入れては絶対にダメだ。
そんな思考とは反対に、彼の口から発せられる言葉は私の何かを確かに強く揺さぶっていた。
「表向きは聡明で優秀だと言われている第二王子が、実際には自分の仕事を婚約者に押し付けているだけの、どうしようもない人間だということ」
熱のこもった目元が、柔らかく細められる。
「そして、あなたが決して見た目だけの美しい花ではないことも」
花。令嬢という名の、王子を飾るための美しい花。
こんな怪しい男の言葉に耳を貸してはいけない。
この男は私を騙そうとしているに違いない。
「あなたを妻に迎えるためなら、他国へ忍び込むことさえ厭わないほどに、俺はあなたに熱烈な恋情を抱いてしまいました」
この男はおかしい。まともじゃない。
口から出るすべてが出まかせだった方がまだ信じられるというもの。
私は彼から視線をそらすと、何かを堪えるように下唇を噛んだ。
胸の奥で、燃え盛る何かが這い出ようともがいている。
"あなたが決して、見た目だけの美しい花ではないことも”
それは、私が長年渇望していた言葉だった。
私を騙し、地獄へ引きずり込むための甘い言葉なのかもしれない。
だけど私は今、地の果てに這いつくばる愚かな存在だ。
王子から婚約破棄を言い渡され、他の縁談も期待することができず、ルドヴィカの教育係として今後もずっと王子に使われる人生なら……。
「……いいわ」
やっとの思いで出した言葉は、みっともなく震えてしまっていた。
気付かぬうちに頬を伝っていた涙を乱暴に拭い、品のかけらもなく鼻を啜って男を睨みつける。
「あなたの妻になってあげる」
目を真っ赤にして泣きながら傲慢に言い放った私の姿は、きっとこの世で最も惨めだろう。
ほんの数週間前まで、社交界の一の花と呼ばれた令嬢だとは、とても思えない姿。
それでも男は――クロードは満足そうに微笑むと、私に手を差し出しながらこう言った。
「歓迎します」




