11 朽ちた花
王妃様との会話を終えると、様子を窺ってきていた貴族たちが一斉に押し寄せてきた。
彼らを何とか笑顔でかわしながら、私は早足に廊下へ逃げ出した。
何とも言えない気分だった。
セドリックの疲労と怒りに染まった顔を思い出して、いくつもの感情に苛まれた。
苛立ちと、哀れみと……そして確かに、セドリックが大勢の前で恥をかかされる姿を見て胸がすっきりした。
彼に愛はなくとも、情はあったはずなのに。
自分がこれほど冷酷な性格だったのかと、少し落ち込んでしまう。
それでも、今日でようやく彼と正式に縁を切ることができた。
私は私の道を歩む。セドリックもまた、自らの選んだ結果として、これからは自分一人で生きていかなければならない。
きっと彼も、いつかはそれを理解する日がくるはず。私には、そう祈ることしかできなかった。
高鳴る胸を抑えるように何度か深呼吸を繰り返した後、早くロザベール侯爵邸へ帰ろうと足を踏み出した、その時だった。
「リゼット様」
振り返った先には、美しい銀髪を持つ好青年が立っていた。
見慣れない群青色の制服を纏った騎士。
その制服の胸元に鎮座する青薔薇の刺繍には、確かな見覚えがあった。
「お初にお目にかかります。セシル・ロレイスと申します」
「セシル・ロレイス……卿?」
「はい。クロード・ラディア公爵の命を受け、公爵夫人をお迎えに上がりました」
「た、確かに、王室のパーティーが終わればすぐにでもセレディアへ向かうとはお伝えしましたが……」
まさか、これほど早く迎えを送ってくれるとは思ってもみなかった。
予想外の展開に私が戸惑っていると、ロレイス卿は紳士らしく胸元へ手を当てながら柔らかく微笑んだ。
「突然のことで驚かせてしまったようですね。申し訳ありません。てっきり公爵様が事前にお伝えされているものだとばかり思っていたのですが……」
私の顔色を心配そうに窺ってくれる親切な騎士様に、私は明るく笑いかけて首を横に振った。
「大丈夫です。まさか、公爵様がこんなにも早くお迎えを寄越してくださるとは思っていなかったので、少し驚いてしまって」
「それなら良かったです。侯爵邸へ取りに戻らなければならない物があれば、従者を向かわせますのでご安心ください」
一刻も早くこの国を出ることができるなら、これ以上に嬉しいことはない。
今日のパーティーでの出来事は、あっという間に国中へ広まることだろう。
このまま侯爵邸へ戻ったところで、両親や使用人たちからどんな目を向けられることか。
それに、親切な素敵な騎士様? 私には、わざわざ取りに戻らなければならないような自分の私物なんて、どこにもないんですよ。
実家である侯爵邸にも、人生のほとんどを過ごした王宮にも。
なんて、自分で言っていて悲しくなってくるけど……ぐすん。
馬車まで紳士的にエスコートしてくれるロレイス卿の後を追いながら、私はドレスの中へしまい込んでいたネックレスを取り出した。
それに通された指輪の青色の輝きが視界に入った瞬間、張り詰めていた肩の力がふっと抜けていくのが分かった。
不思議なことに、ただそれだけで激しく波立っていた心が嘘のように落ち着いたのだ。
本当に私のものだと言い切れるのは、クロードがくれたこの指輪くらい。
彼に貰ってからずっとネックレスに通して忍ばせ続けた指輪を、ようやく身に着けることができる。
そう思い、左の薬指へと指輪を通した瞬間のことだった。
「一体、どこへ行かれるのですか」
振り返った私は、そこに立っている存在に少し驚いた。
もちろん、声でそれなりに察してはいたが、まさか彼女の口からこんなにも鋭く冷たい声が出るとは夢にも思わなかったから。
「ルドヴィカ嬢、どうしてこちらに?」
王妃の命令で、騎士たちによって連行されていったセドリックについていったはずの彼女が人形のように美しい顔を歪めて私を睨みつけている。
刺々しい言葉を口にしていても、その愛らしく華やかな笑みだけは崩さなかった、あの彼女が。
「リゼット様、そちらの方は……」
「ごめんなさい、ロレイス卿。最後に別れの挨拶をしたいので、少しだけ待っていただけますか? そう長くはなりませんから」
「ですが……」
「大丈夫です。彼女は私の友人ですから」
私たちの関係を知っているのか、心配そうに私とルドヴィカを交互に見ているロレイス卿に、心配しなくても平気だという意味を込めて付け加える。
一瞬のためらいを見せたものの、結局彼は席を外してくれた。
「ルドヴィカ嬢、セドリック王子と共にお部屋に戻られたのではなかったですか?」
主役を失った宴会場は、今もなお賑やかな音楽と談笑が響いている。
それとは対極に、王宮の廊下は不気味なほどに静まり返っていた。
「まずは私の質問に答えるのが先でしょう。あんな大騒ぎを起こしておいて、私のパーティーをめちゃくちゃにしておいて、一体どこへ行くつもりなのかと聞いているんです」
「どこ? もちろん、セレディア帝国ですが……このまま隣国へ行くことをわかって見送りにきてくださったのではないのですか?」
湧き上がる怒りで肩を震わせるルドヴィカが、私を力強く睨みつける。
どうやら、もう憎悪を小賢しく隠すつもりはないらしい。
「正直に言ってください。初めから私とセドリック王子の邪魔をするために来たのでしょう? 復讐のために! この悲劇を招いたのは他の誰でもない、あなた自身よ。あなたが勝手に自分で怪我を負っておいて、被害者面をしないで! 私の邪魔をしないでよ!」
「ひどい言い方をするのですね。招待状を送ってくださったのは他の誰でもない、ルドヴィカ嬢ではありませんか」
眉尻を下げて困ったようにそう言うと、ルドヴィカは更に全身を強く震わせた。
「全部あなたが悪いんじゃない……このまま城に残って、今まで通りセドリック王子と妃となる私の仕事を素直にやっていれば良かったのよ。別に、悪い話でもなかったはずよ」
「悪いも何も、そんなふうに考えたことは一度もありませんでしたわ」
「ああ、そう。だけど、少なくとも王子はそう思っていたみたいよ? あなたを死ぬまで王宮に閉じ込めて、自分の仕事を押し付け続けると。だから私には何もしなくていいってね!」
だからセドリックはあんなことを言っていたのだと、ルドヴィカの言葉でようやく腑に落ちた。
私をルドヴィカの手伝いとして留めておこうとしたのではなく、そもそも雑務そのものを私に丸投げしようとしていたのだ。
でも……もしもあの夜、クロード様が私の前に現れなければ、私は一生そうしていたかもしれない。
ルドヴィカ嬢の侍女のような立ち位置に甘んじ、内密に二人の公務をこなし続けさせられていたかもしれない。
二人に感謝すら抱きながら。
顔に傷を負い、嫁ぎ先も行き場所もない自分に王宮で働く居場所を与えてくれたのだと錯覚して。
目の前の残酷な現実に気づかないフリ、見ないフリをし続けて……。
「それなのに、突然どうして隣国の公爵が出てくるの? 顔に傷までできて、女としての価値を失ったあなたが、どうして公爵の妻になんか……!」
侯爵家にいる間に、ひとつ調べたことがある。
それはルドヴィカの生い立ちについてだ。
かつてルドヴィカと庭園を散歩した時、彼女は昔から令嬢たちに酷い嫌がらせを受けていたと言っていた。
その話をするルドヴィカから感じた憎悪は、私に向けられたものとは比べ物にならないほど歪んでいた。
ルドヴィカは、誰が見ても文句の付け所がないほど愛らしい人だ。
花のように美しい容姿に、甘やかな声色。
まだ分別がつかない、婚約者を別に持つ若い令息たちが一瞬で虜になるのも頷ける。
そして数多の令嬢たちは、自分の婚約者がルドヴィカに心を奪われる様子を見て、激しい嫉妬心を抱いたのだろう。
そして自分を傷つけてきた令嬢たちを見返して復讐するために、王子の婚約者の座に就こうと考えたルドヴィカが、ちょうど私が怪我をしたタイミングでセドリックに言い寄ったのだということまで、容易に想像がついた。
私はあなたを傷つけた令嬢たちとは違う。だけど、あなたの味方になって同情してあげることもできない。
「……バカな女」
自然と口から漏れ出た一言に、ルドヴィカのただでさえ丸い目元が更に大きく見開かれた。
「昔は私も、あなたと同じことを考えていました。ルドヴィカ嬢」
ふと、頭の中にあの日の言葉が過る。
『せっかく高貴な美しさを持って生まれても、摘み取られ、奪われ……醜く朽ちていく運命なんて、私には絶対に耐えられません』
花に囲まれて微笑んでいた彼女が私に向けた悪意に満ちた言葉。
『リゼット様も、そう思いませんか?』
無邪気で愛らしく、そして残酷に紡がれた言葉。
「美しく生まれた以上、人から求められるものをこなしていればそれでいい。女に生まれた以上、美しさこそがすべて。醜いことこそが罪なのだと……昔の私は、本気でそう考えていました」
唖然とした表情でその場に立ち尽くすルドヴィカ嬢の元へ、ゆっくりと足を進める。
彼女の愛らしい目元からは、ぽろぽろと涙が溢れ落ちていた。
それが悲しみからか、怒りからか、あるいは底知れぬ未来への恐れからなのか。私には到底想像もつかないけれど。
「ですが、上辺だけ美しくてもダメだったのです。だって、せっかく美しい顔をしていても、その心内が醜ければ、迎える結末は哀れな悲劇だけですから」
涙に濡れたルドヴィカ嬢の頬を、私は懐から取り出したハンカチでそっと拭いながら、優しく微笑みかけた。
「ルドヴィカ嬢も、そう思いませんか?」




