自殺を繰り返す魂
世界が壊れていく。 ヒビが入って崩れるのではなく、地球が爆発したりするわけでもない。
しかし、この場にいる人間は世界が壊れていると分かっただろう。
雨が降る。 今この場所は学校の廊下であるのに雨が降る。
「なんなんだよ、お前は」
引田は諦めの顔を示しながら、空亡に尋ねる。
空亡は答えない、答えることは出来ない。
口を少しだけ開き、怯え震える声を発する。
「僕は、何なのですか」
オウム返し。 雨が髪を濡らしながら、ただ同じ言葉を返した。
そんな中でもゆっくりと、確実に世界は壊れる。 遠くにいる通行人は原型を留めていない、棒人間のような単調な形に変わる。
地形は子供が描いたような単純な直線と原色によって構成され直す。
しかしながら、最も壊れているものはそれではないだろう。
元々、ハリボテの世界のぱっと見が変わったとしても大した問題ではない。 虚飾という罪が剥がれて元の姿が現れたのみである。
壊れたのは、世界の中核。 黒く短い髪とお気に入りのコートは、降っている少しの雨と短い時間ではあり得ないほどに水を吸い重みを増している。
「僕、今この瞬間を知っているんです。
先輩が、先輩に振られて、こんな雨の中で泣きながら学校の屋上に行って。
なんで僕は、今生きてるんですか?
あの時、文化祭の終わったあの時に僕は……」
錯乱していると客観的には見えるが、少女を見る二人にはそうは見えない。
赤口は、彼女がただ思い出しただけということを知っている。
引田は、彼女と共に思い出した。
「なんで、なんで俺は忘れていたんだ」
「死んだはずなのに」
「文化祭が終わったあの時」
「学校の屋上で」
ずっと気にかかっていたが、どうしても思い出せなかった大切なこと。
この世界に転生する前、引田は死んだ。 死因は「自殺しようとした人を止めようとして転落死」。
自殺しようとしていた人は、少しだけしか見ていないが、今は鮮明に思い出すことが出来る。
「君は、今日の夕方に、死のうとしていた」
未来を予知しているかのような、おかしな言葉を否定する者はいない。
幽鬼のような雰囲気はなくなり、その口から真実がこぼれ出る。
「文化祭が終わった後。 水浸しの廊下は階段を越えても続いていて、俺は不審に思ったんだ。
屋上への扉は開けっ放しだった。
雨は強かった。
雷の光に照らされて、屋上の先に人が見えた、君だった。
俺は何も考えずに飛び出した」
淡々と告げられるそれに、空亡がその場に蹲り、手を赤口のズボンを掴みながら続きを語る。
「僕は……僕は、先輩が止めに来てくれたって……。
でも違って、知らない人で。 その知らない人が……先輩より僕を心配してくれて」
「俺が来てから、決心が付いたように君は泣いたんだ。 それで「ありがとう」って。
それで、君は飛び降りた」
「いつもよりもゆっくりな雨を少しの間眺めていたら、さっきの人が精一杯上から手を伸ばしていて。
地面に落ちたと思ったら、空が緑色だったり、子供の頃過ごした街だったり、その時毎回、先輩に……殺されて。
ここは、何なんですか? これは何なんですか? 僕は何なんですか?
助けてください。 助けてください先輩」
殺されたと言っているのに、その張本人に縋る。 滑稽な少女を、赤口は愛おしそうに抱き締める。
「ああ、新。 お前はそういう奴だ。 ずっとそのままでいてくれ」
場違いなその言葉と、意図の分からない態度に引田は戸惑う。 意味が分からない。
彼が分かったのは、自分のすべきことと、その元凶のみである。
「俺はそれから、変な夢を見たんだ。
転生させてくれるという奴が現れて。 それで色んな世界を見てきた。
その世界の中心に君がいたけど、俺は忘れていた。 君のことも、俺のすべきことも」
愛おしそうに抱き合う二人を前に、彼は揺らがない。 やるべきことは分かっている。
「俺は、君を助けに来たんだ。 屋上から落ちる君を追って」
おかしな姿だ。
自分を殺したと言っている者に縋り愛する空亡も、場を考えずにそれを抱き締める赤口も、それを目にして揺らがない引田も。
「先輩。 好きです。 大好きです。 先輩以外もう何もいらないので、僕とずっと一緒にいてください」
歪な愛を口から発する。
「ごめんな新。 それも全部……俺のせいだ」
聞き覚えのある断り文句。 空亡はそれを何度も聞いたことがある。 だが、その続きを聞くのはこれが初めてだ。
「引田、だったか。 協力してもらうために話しておくか。
なあ新。
お前の成長が止まったのは、いつか覚えているか」
唐突な問いに、新は止まる。 引田はことの成り行きを知らないためにそれを見守る。
「小学……三年生のとき……から身長と体重は変わって」
「正確には、夏休みの時だ。 夏休みの8月28日。 俺はお前と出会った」
「出会った? 先輩と……?」
覚えていないのか、不思議そうに赤口の顔を見て、抱きつく力を強める。
「あの時は、人の形をとっていなかったから分からないと思うが……」
「ちょっと待て、えーっと名前なんだっけ?」
「赤口 夏」
「赤口、人の形をとっていなかったから……って。 まるでお前が人間じゃないように聞こえるんだが」
「察しろ」
訳が分からないと頭を抱え混むが、それに関心を抱かずに話は進む。
「俺は、御赤口と呼ばれる神だった」
「……話についていけない」
引田ら心の底から思うその言葉を吐き出すが、それとは対照的に空亡は納得の行ったような顔をしている。
「だから……時々、何千年前の知識だったりを?」
「なんで君は納得いってるのか……」
納得はいっても、異常な展開に着いていけていないのか、空亡の涙は止まる。
「そして、新は俺に「夏」と名前を付けた。
俺は、新を好きになってしまった」
引田は、ロリコンじゃないかと突っ込みかけた自分の右手を左手で止める。
「それで新の、成長を止めた。 ずっと変わらずにいて欲しくて。変わらなかったら、他はどうでもいいから。
願望の通りに新は成長し……いや、成長せずにいてくれた。
見ているだけでは、我慢出来ずにこの学校にやって来た」
「何でもありだな……」
「そのあと、新は自殺した。
俺が悪かったんだ。 頼れる者が俺だけしかいなかったのに。 俺と一緒にいると変わってしまうって」
「それで……どうなったんだよ」
「蘇らせようとした。 している。
身体を寄せ集めて治して、亡くなった心は記憶を復元させたものをここ、新の心の中……精神世界で新らしく動いてもらうことで、同じものを作ろうと。
だけど、無理だ。 同じものが出来たら自殺するんだ。 違うものが出来たら違うものだ」
自殺をする魂。 それを完全に再現すれば、当然それは死に向かうだろう。
彼のやろうとしていることは矛盾している。