主役を決めるのは誰でも自分である
楽しい時間は早く過ぎる。 その法則は元々短かった時間をもっと短く縮めてしまう。
文化祭の出し物なんて大したことがないために、何かをする気や買う気も起きずに何もせずだった。
季節に合わない熱かったコーヒーを飲み干して、ゴミ箱に捨てる。
「もう55分だから、行きますね?」
「ああ、一番見えやすいの場所を陣取っとくよ」
前の方に居ても、僕は役者ではないので意味はない。
ああつまらない時間が始まると肩を落としながらトボトボ歩く。 決して好きでも嫌いでもないクラスメート達が楽しそうに集まっているところに隠れるように寄る。
「あ、葵さん」
「ん、お久しぶりー」
「一時間前ぐらいですけどね」
これが終わったら、先輩と空腹を満たしに行こうかな。 体育館の裏口で、今日の主役達が入って行くのを眺めながらそう思う。
雑用が終わり後は照明をパチパチ切ったり消したりする係りだけだ。 あと、点けたりもする。
舞台裏……体育館の裏から見える客席には大体百五十人程度だろうか。 自由に見ることも見ないことも出来る劇は、やることの少ない文化祭の暇つぶしに丁度いいのか、保護者や地域の人も合わせて中々たくさんいるように思える。
その中で後ろにある席に座る先輩。 だけど、確かに全体を見渡せるような席ではあるけれど、そこの席よりももう見やすい席はあるだろう。
「一番見えやすい席で見てる」と言ってたのに、意外と適当だなと少し笑ってしまう。
お客さんの入りを確認した後は、照明の設備があるところまで行く。
照明設備と言っても、本物の舞台で使うようなものではなく、普通に体育館の設備である明かりだけだ。
体育館の入り口の近くにあるので、先輩が近い。
「お待たせしました!」
軽快で快活な雰囲気を持った、ハキハキとして聞き取りやすい声が聞こえる。 それに合わせて照明をパチリと入れると、普段は体育館の上として使われる舞台だけが照らされて。 カーテンによって締め切られた空間を照らし出す。
「二年一組による劇を、始めさせていただきます!」
パチリと電気を消すと、再び薄暗くなる。
設備の悪さのせいで真っ暗とも言えないその空間で、裏方のクラスメイト達が舞台の上に小道具を設置していく。
主役達が着る衣装に比べるとあまり凝っていない舞台の置物は遠目で見ると良く出来ている。
これなら、確かに後ろから見た方が綺麗に見えるだろう。
ああ、これを狙っていたのかな、と先輩の方を見ると暗闇の中でもよく分かる見慣れた黒い眼と、視線が交じる。
たまたま後ろを振り向いたのかと思い会釈をする。
舞台の準備が完了したようで、役者が所定の位置につく。
再び、照明をパチリと付けて舞台を照らし出す。
「ああ、なんて美しい少女なんだ!」
クラスの中心人物の悪ふざけによって生まれた女装ゴリさんを男装した女子が讃える場面から始まった。
相変わらずの棒読みに苦笑するが、自分の場合ならばそれどころか緊張して声なんて出ないだろうと思うと、緩んだ口が締められる。
でも、配役は少し狙い過ぎていて寒い。
次々と現れる女装男子達。 練習時は笑いながら「可愛い」などと言っていた女の子は緊張のためかカクカクと余裕がなさそうだ。
いつ見ても、見ていたいものではないと思うのだけれど、何が楽しかったのだろうか。そう思わずにはいられないが僕に発言権はないので、女装男子フェチなのだろうと無理矢理に納得する。
僕も昔に、咲華先輩の男装に見惚れたことがあるのでそういうジャンルが好きな人もいるのだろう。
「性癖を晒すのって恥ずかしくないんでしょうかね」
独り言をつぶやいて、客席に移動していく女装男子達が見えるようにと体育館全体の明かりを点ける。
自由に動き回るという話だったので、こちらには来て欲しくないなぁと願いながら見守るっていると、こちらへの視線を感じる。
先輩がたまたまこちらを見ていたのか、目が合う。
また会釈をして、一通り駆け回り終えて舞台の上に戻ったのを確認したところで舞台以外の明かりを消す。
「今でしょ!!」
流行りのネタで少し生温い笑いをいただいたあと、電気を消して舞台の上の小道具をいれかえる。 場面転換だ。
分かり易い照明の変更だけなので、舞台を流し見をしていた程度だったが、この時ばかりはしっかりと前を見て舞台の準備が完了したかどうかを確認しなければならない。
前を見ていると、後ろに身体を向けている人が一人。
「一番見えやすい席で見てる」とのお言葉が耳の中で反復する。
考えてしまったために少し遅れて照明をパチリと。
またしばらくはやることがないので考える。 先輩は、「一番見えやすい席」で見ているらしい。
あまり協力的なことをしていない劇だけど熱心に見てくれるのはありがたいと思っていた。
しかしながら、もしかすると僕の考えていた「一番見えやすい席」と先輩の「一番見えやすい席」は別物のような気がしてきた。
考え事のせいで一瞬遅れて電気を点ける。 それからまた先輩の方を見ると、また目が合う。
「……いや、ない。 ないはず」
ちらりともう一度見ると、また目が合う。
「君から目を離すことが出来ないんだ!」
男装をしたクラスメイトが声を張り上げて、ヒロインの男の子に愛を告げる。
「好きだ! 君の事が!」
分からない。 僕には先輩の意図が分かりはしないのだ。
「ーーーー!!」
先輩の目が蛇のように感じる。 睨まれた僕は動くこと出来ない。 それに応じて耳には言葉が入ってこない。
「先輩……」
劇の声は聞こえてこないのに、自分の声はすんなりと耳に入り込む。
媚びている。
いつもしているタガが外れて、低くしようと努めている声は高く甘くなる。
目は上を向いて先輩の顔色を伺うように。
「ああ、照明頑張れよ」
そんな僕を意に解さない先輩の言葉が聞こえて、正気に戻る。
劇が終わった。 結末は観ていない。 僕は、ゆっくりと電気を落とした。 パチリなんて音が軽快で、馬鹿にされているようだ。
小さく吐いたため息は拍手の音でかき消され、誰の耳にも入ることはない。
舞台の上を片付け終わった後にもう一度電気を点ける。 ありがとうございました、と挨拶をした役者達が舞台裏に去り、体育館の電気を全て点ける。
片付けは朝と違う人がやるという話なのでクラスでの僕の仕事は終了ということになる。
「お疲れ、頑張ってたな」
「……頑張っては、いませんよ。
ほとんど何もしてませんし。 それに、違うことずっと考えていました」
劇の内容に触れないのはそれに興味がないからだろうか。
まあ学生の劇なんて面白いものでもないので話題には出しにくいのだろう。
「じゃあ、どっかいくか」
「そうですね……そろそろ、メイド喫茶にでも」