第二章 ~『土下座騒動の翌朝』~
シャリアンテの土下座騒動の翌朝、シンシアは窓から差し込む陽光で目を覚ますと、ベッドから起き上がって、身支度を整える。
(本当に地味な服ばかりですね)
シンシアも若い頃はお洒落に興味がなかったし、それは亡くなった後も変わらない。しかし外見の重要性を理解できるようにはなっていた。
(見栄えが良いと商談も有利になると気づいた頃には、もう年を重ね過ぎていましたからね)
美しい者に人は敬意を払う。その真理を理解しているからこそ、クラリスの外見を着飾ってあげるべきかと思案する。
(ひとまず、外見はこのままでいきましょう)
磨けば光る原石のままでいることで利点もある。美しい華には寄ってくる害虫も多い。いつシンシアが成仏するか分からない以上、奥手な孫娘を危険には晒せない。
(外見を磨かずとも、婚約者がいますからね)
レオパルドがいるため、異性に魅力をアピールする理由もない。結論を出したシンシアは、朝食のためにダイニングへ向かうと、白いテーブルクロスが敷かれた机の向こう側に、父親であり息子のルドルフが待っていた。
「おはよう、クラリス。よく眠れたようだな」
「はい。快眠でした」
「同級生を土下座させた日に熟睡できるとはさすがだな……」
「お父様の耳にまで届いていましたか」
学園で噂になるのは覚悟の上だったが、ルドルフにまで伝わっているのは想定外だった。知られてしまった以上、隠す理由もないため、すべてを打ち明ける。
「あの土下座について私に非はありませんよ」
「知っているとも。学園には私の耳となる生徒を送り込んでいる。そこから情報を吸い上げているからな」
「私を守るためなら随分と過保護ですね」
「サラの件もある。娘がいじめられないように努力するのは親の務めだ」
娘想いのルドルフが見守ってくれるなら、もしシンシアが成仏しても、学園で酷い目に遭うことはないだろう。
クラリスの無事が保証されたことに安堵するが、一方で一抹の不安も沸いてくる。土下座させたシャリアンテの爵位はシンシアより上だ。貴族社会で、ルドルフに悪影響を及ぼさないか心配になったのだ。
「私がシャリアンテ様を土下座させた件は問題になっていませんか?」
「あの娘の家――ガスター侯爵家から嫌われはしただろうな。ただ影響は軽微だ。元々、我らはライバル関係にあるからな」
シャリアンテの実家は、領地運営の外に衣服の製造や販売を担うことで生計を立てている。特に若者向けブランドに強みを持ち、学園の生徒の間でも人気を博している。
ルドルフの商会でも衣服を扱っており、そのシェアを奪い合っている。互いを競合相手と見做しているため、シンシアが無理をして仲良くなる必要もなかった。
「相手は侯爵家で、金銭的にも裕福な家だが、我らは公爵家の縁者だ。爵位で勝り、経済力も上の我らが遠慮する理由はない。トラブルを起こしても、私が何とかしてやる」
「心強いですね」
「ただ家同士の争いはともかく、クラリスの評判が悪化する懸念はある。だから、揉めるにしてもやりすぎないようにな」
「ふふ、善処しますね」
シンシアも同じ懸念は抱いていたが、彼女は舐められるくらいなら畏怖された方がマシだと考えていた。今後も敵対する者がいれば、容赦なく叩き潰すつもりだった。
「さぁ、話は終わりだ。食事にしよう」
ルドルフが鈴を鳴らして合図を送ると、使用人が料理を運んでくる。白いテーブルの上には、トーストやベーコン、サラダに加え、鉄板の上で焼かれたステーキや苺のケーキまで並べられた。
「いつもより朝食が豪華ですね」
「ストライキ問題が解決し、商会の売上が順調に伸びたからな。そのお礼だ」
「私の胃袋には入りきらない量ですね……ステーキはお父様が食べてください」
「そうか? 美味いのにな」
鉄板で焼かれたステーキを、上品に切り分けて頬張るルドルフに懐かしさを覚える。
(子供の頃から健啖家でしたからね)
シンシアが手料理を振舞えば、その皿に料理を残したことがない。今は立派な大人の男性へと成長したが、彼女にとっては何歳になっても息子に変わりない。
「クラリスは昔から少食のままだな。お婆さんにそっくりだ」
「お父様が大食漢なだけです。それに私も年頃の令嬢ですから。太るのは避けたいのです」
シンシアが成仏した後、意識を取り戻したクラリスが太っていたらショックを受けるはずだ。そうならないように、体形維持には務めるつもりだった。
「だがこの苺のケーキは食べたほうがいい。絶品だからな」
「まぁ、それくらいなら……」
味に五月蠅いルドルフが薦めるのは珍しい。皿に乗ったケーキを観察するが、見た目はただのショートケーキだ。
(食べてみれば分かるのでしょうか……)
口に入れた瞬間、ベリーソースの甘味と苺の酸味に加えて、リキュールの香りが広がる。手が止まるほどの味に、衝撃を受けた。
「こんなに美味しいショートケーキは初めてです!」
「そうだろうとも」
同意するようにルドルフは何度も頷く。そして真剣な眼差しをシンシアに向ける。
「聞いておきたいことがあるんだが、クラリスに友人はいるのか?」
「……回答に困りますね」
リゼたちが慕ってくれているが、友人というより舎弟に近い関係性だ。もちろん、クラリスをいじめていたサラは友として論外であるため、現状、本当の意味での友人はいない。
(質問の意図は……ああ、そういうことですか)
友人を紹介してくれようとしているのだろう。父親相手に見栄を張る必要もないため、正直に答える。
「少なくとも親友はいませんね」
「なら丁度良い。実はな、ヴェルミナ公爵家のナザリー嬢も、友人がいないそうでな。ケーキ作りや裁縫が得意な家庭的な娘なのだが、内気な性格のせいで、周囲と打ち解けられないそうだ」
「もしかして、このケーキも……」
「ナザリー嬢からの贈り物だ。クラリスとお近づきになりたいそうだ」
ニヤニヤとルドルフは笑みを浮かべる。ケーキを口にしてしまった以上、友人になる提案を断れない。知らない内に、彼に誘導されていたのだ。
(まぁ、クラリスに友達が増えるのは良いことですから、受け入れるとしましょう)
「お父様も中々にやりますね」
「ふふ、いつまでも娘に後れを取るわけにはいかないからな。それにこれは商会にとってもメリットのある提案だ」
「私がナザリー様と友人になれば、ヴェルミナ公爵家と繋がりを持てるからですね」
「そういうことだ」
「ですが、もしナザリー様が親友になれば、私は商会よりも彼女を優先するかもしれませんよ」
「それならそれで構わない。なにせ大事な一人娘の親友のためだからな」
どちらに転んでも私は嬉しいと、ルドルフは続ける。本当に良き父親をしていると、改めて彼を尊敬するのだった。




