王宮1
その三日後。
私は眠っているポリーをたたき起こした。
「サディアス様と他の貴族との間で、作戦を練っています。隣の部屋が開いていますから、話を聞きましょう。私一人では聞き漏らすかもしれませんから、あなたも」
ポリーは目を輝かせ、すぐに飛び起きた。
領主の隣の部屋に隠れて、私とポリーは話を盗み聞く。
「……平原での決戦のさなか、王都へ奇襲をかけると……」
「どちらから奇襲を……」
「……東だ。東の森の中ならば、城壁に近づいても、気付かれまい……」
私とポリーは顔を合わせる。真剣な顔でうなずいているところを見ると、どうやら聞かせたいところは聞き取ったようだ。
部屋を離れ、誰もいないところへ来ると、私は言った。
「すぐさま国王陛下へ伝えなければなりません。一人では、もし王都へ向かう途中に殺されれば陛下へ伝える者がいなくなります。私とあなたの二人で行きましょう」
ポリーはわかりました、と了承してすぐさま旅支度を調え、私と共に城を出た。
夜が明ける前の、だんだんと明るくなっている時間だ。
城から離れ、ポリーは私に問う。
「奥様が急に行方不明となって、疑われませんでしょうか。戻った方が……」
「いいえ。私が王都へ行くことはサディアス様はご存知です」
「えっ!?」
私はすらすらと嘘をつく。
「国王陛下の暗殺をするために王都へ行きたいと、以前からサディアス様に言っていたのです」
「暗殺ですって!? 陛下の!?」
「はい。これはサディアス様の反応を見る目的もあったのです。私が人質となったとき、サディアス様は誘拐犯の言うことに従うのだろうかと、知っておきたかったのです。ところが、サディアス様は言いました。『暗殺を頼む。万が一失敗して命を落としたとしても、そなたのことは国の英雄として称えよう』」
「それは……何というか……」
気まずそうにポリーは私から顔を逸らす。明らかに危険だというのに止めようとされない妻、という存在に哀れさを感じたのかもしれない。
実際はサディアス様は私を止めようとされたし、私のことを思いやってくださるが……。
私は少しさびしそうな顔を作り、溜息をついた。
「王位と私と、天秤は釣り合わないということです。用意ができたらすぐさま王都へ向かうと伝えてありました。ですから私がこうして脱出しても、騒ぎにはなりませんよ」
「まあ、それならそれで、良かったということですね。下手に我らのことが疑われ、策が変更されても困りますからね。ちなみに私の方も大丈夫ですよ。仕事がきついと至る所で言っていましたから、きつさに耐えかねて逃げ出したと周囲は思うだけでしょう。そんなふうに逃げ出す人は多いですから」
それにしても、とポリーは策のことを話し始めた。
「決戦があの平原なのは予想していましたが、奇襲ですか……平原へ兵を出している間は王都内は兵が少ない。そこを突く、というわけですね。それなら最初から籠城戦を取れば……」
「どうでしょうか。一戦もしていない無傷の反乱軍に囲まれ、籠城するとなると、厳しい長期戦となりますね」
その可能性も、考えられている。
その場合、決戦を回避した反乱軍により、順当に攻城戦に持ち込まれる。私や、他に王都に残ったサディアス様派の人間と共に王都内で不安を煽る噂をばらまき、内側から混乱に落とし入れる寸法だ。
籠城戦となるか平原に打って出るか。
おそらく――
城の外で馬を買い取り、私とポリーは王都へと駆ける。
さて、国王は私の言うことを信じるか――猜疑心が強く、常に不安でしょうがない人物が、私の言葉を。
夜になって、焚き火に照らされてそんなことを考える。いや、信じるか、ではない。信じさせなければならない。私は手の中で転がるものを見ながら、内心の覚悟を決める。
「ポリー。今の内に言っておくことがあります」
「なんですか?」
「私の香が切れてきました。……ですから、おかしな言動をするかもしれませんが、気にしないでください」
「は? 香が切れるって……どういう意味ですか?」
これまで香の説明を何もしていなかったポリーに、私は香について丁寧に説明する。使っている最中は多幸感に満たされるが、切れてしまえば自虐的な気持ちと、強い飢餓感が支配する。その飢餓感で、気が狂いそうになるのだ。これを取り除くには、更に香を使うしかないのだと。
「なんですか、それ……医者に診てもらった方がいいんじゃないですか?」
そんなことを心配そうに言う彼女は、やはり、この稼業は向いていない。
「あの香は特別製です。医者に頼んだところで手に入りません。私の報酬となっていたのが理解できるでしょう? 陛下からいただいた香はもうありません。私はすぐに王都へ行って、香がほしいのです」
「そう、ですか。いまいち、その飢餓感というものが理解できませんが……急ぐことに関しては同意します」
すぐにわかることだろう。一族でそういう人間は腐るほど見てきて、私自身も体験してきた。
それから、私はポリーと旅をしながら、幻覚を見て怯えるふりをしたり、何もないところで何かを倒そうと剣を振るったり、嘔吐したりした。そして香を求め続けた。
私は香のことしか言わなくなり、最初は心配そうにしていたポリーもげっそりとして、ついに私は置いて行かれそうになったが、なんとかついていった。
そしてついに、王都の前へ辿り着いた。
「そんな状態で、陛下の前にお出しできませんよ! 外で待っていてください!」
「ポリー……私の香を奪うつもり!? 陛下に会うんです……陛下に会って、香を手に入れなくちゃ……香を……」
「ああ、私が替わりにいただいて来ますから!」
「そう言って、全部自分の手柄にして奪うんでしょう!? 許せない……絶対に陛下の前に出るんです! 私が直接、もらわなくちゃ……」
「誰がそんな様子になる香なんてほしがるっていうんです……」
「香は私のものです! 私が行って、香をもらうんです!」
そう言って、彼女を振り切って、城門へと走り寄る。
城門は閉じられていたが、入ることができる合図はポリーから聞いていた。そのとおり叫び、城門の通用口だけが開く。
「ああ、もう!」と頭を抱えながら、ポリーは仕方なさそうに私と共に王都へ足を踏み入れた。
王宮へとたどりつくと、やはり私は陛下に会わせるよう頼んだ。他の者から代わりに聞くと言われたが、断固として陛下に合わせてくれと頼み込む。
「ええ、他の人間なんて信用できません。この話を手柄にするんでしょう? それとも反乱軍に情報を売るんですか? 言うならば陛下に直接、です」
私の言いぐさに王宮の文官たちは顔をしかめたが、しかし結局、侯爵夫人という立場もあり、会えることとなった。私が報告する前に、ポリーが他の者に言うのではとも危惧したが、彼女は私の相手をすることに疲れ切って何も言う気力がないようだ。
「無論、他の者も同席する。何か不穏な動きをしようものなら、すぐにでも捕らえるからな」
そう文官に言われて、私はこくこく頷いた。不穏な動き、と言ったときにポリーは心配そうに私を見たが、それは本来の意味ではなく、挙動不審な行動をするのではないか、と危惧したのだろう。
会えたのは玉座の間だった。奥に玉座が置かれ、そこへ天井のガラスから色の付いた光がそそいでいる。
文官や護衛の兵、宰相や将軍までいる。もし少数だったら直接命を狙うことも考えたが……この人数や距離では難しいだろう。
玉座にイアン王が座っている。その姿からは疲れが見える気がした。
「ドランスフィールド侯爵夫人か。……ずいぶんと面変わりしているようだな」