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第9話星の軌跡


(フラン視点)

仰ぎ見る成層圏⦅せいそうけん⦆の深淵⦅しんえん⦆は、今、一介の少女が抱くにはあまりに過分な、青白き「奇跡」によって塗り潰されていた。

 パキリ、と――。

 神が編み上げたあの冷徹なる理(曼荼羅)が、私の放った祈りの一矢によって、呆気⦅あっけ⦆なくも崩落⦅ほうらく⦆してゆく。

 「ソラタ……っ!」

 叫びは羽音に消えたが、視界を焼くのは、あの人の「心の熱」そのものであった。

 マッハ350。世界を断罪し、同時に救済せんとする太陽の如き熱量が、歪⦅いびつ⦆な空を粉砕し、泥を啜⦅すす⦆る私達の頭上に、かつてないほどに温かな、そして救いようのないほどに「お節介な」陽光サンビームを降らせていたのである。降り注ぐ光は、肌を焼く焦熱⦅ひょうねつ⦆ではなく、凍てついた冬の朝に差し込む、あの微⦅かす⦆かな日溜⦅ひだまり⦆の如⦅ごと⦆き慈悲であった。

 砕け散った曼荼羅の破片が、星屑⦅ほしくず⦆となって成層圏から舞い落ちる。それは、あたかも空太という男が、この異界の住人すべてに宛てた、最期の「手紙」のようにも見えた。

 「……温かい」

 誰かが、泥に塗⦅まみ⦆れた手で己⦅おのれ⦆が頬を撫⦅な⦆で、そう呟いた。

 シュバルツの飢餓も、ワイスの拒絶も、この「お節介な」熱量の前には、一介の泡となって霧散してゆく。世界は今、間違いなく救われたのだ。

 だが、見上げる私の胸の奥には、その充足とは裏腹に、鋭利な氷柱⦅ひょうばしら⦆を突き立てられたような、不吉な寒気が忍び寄っていた。

 空太の放った光は、あまりに純粋で、あまりに全力を出し切り過ぎている。

 まるで、命という名の薪⦅まき⦆を、マッハ350の速度で一気に焚⦅や⦆き付けてしまったかのような、儚⦅はかな⦆い輝き。

 「待って……行かないで、ソラタ!」

 歓喜に沸く群衆をかき分け、私は虚空⦅こくう⦆へと手を伸ばす。

 視界の端で、あの青白き熱線が、次第に細く、静かな一筋の「軌跡」へと変貌してゆくのが見えた。

 「太陽」が消える。

 一人の少年が、宇宙の深淵へと溶けようとしている。

 私の瞳を灼⦅や⦆くのは、もはや神話の光ではない。それは、ただ、大切な人を失おうとする、一介の少女の流す、熱き涙であった。

(洞窟の長視点)

 土を喰⦅く⦆らい、泥を啜⦅すす⦆りて繋いできた、この凍てついた「聖域」の長い冬が、今、頭上の空から音もなく崩落⦅ほうらく⦆してゆく。

 わしの老いた眼⦅まなこ⦆に映るのは、ワイスが編み上げたあの幾何学の曼荼羅が、一介の少年の放った青白き「熱」によって、粉々⦅こなごな⦆に打ち砕かれる奇跡の瞬間であった。

 「……ああ、なんと。……なんと、お節介な温かさよ」

 杖を握る節⦅ふし⦆くれ立った指先から、数十年⦅すうじゅうねん⦆も居座⦅いすわ⦆り続けてきた「諦め」という名の冷気が、マッハ350の猛威⦅もうい⦆によって、跡形⦅あとかた⦆もなく焼き尽くされてゆく。

 聖域の奥底で、かつての激突王の影を追い続けてきたわしにとって、空太という男が宿した火は、あまりに人情⦅にんじょう⦆に溢れ、あまりに「生活くらし」の匂いがした。

 天を見上げれば、成層圏⦅せいそうけん⦆の深淵で、あの少年が、自らの命という名の薪⦅まき⦆を惜しげもなく焚⦅た⦆き付け、この世界を「いばしょ」へと変えようとしている。

 それは、神による救済などではない。

 一人の不器用な「息子」が、愛する者たちのために、その身を灼⦅や⦆いて灯⦅とも⦆した、たった一つの、しかし永遠なる電球⦅ひかり⦆であった。

 「ゆけ、ソラタ。……お前が望んだ、あの汚れなき台所(ふるさと)へ」

 視界の端⦅はし⦆で、青白き熱線が、次第に細く、静かな一筋の「軌跡」へと変貌してゆく。

 わしは、歓喜に沸⦅わ⦆く群衆の陰⦅かげ⦆で、ただ静かに、その「星の軌跡」へと深く、深く、頭⦅こうべ⦆を垂⦅た⦆れたのである。

 聖域の歴史は、ここに終わった。

 そして、空太という名の「太陽」が照らす、新しい一日が、今、始まったのである。

(フラン視点)

 空太という名の「太陽」が照らす、新しい一日が、今、始まったのである。

 あれほどまでに猛り狂ったマッハ350の焦熱は、今や、土を温め、風を凪がせる慈悲深き「日和ひより」へとその姿を変えていた。

 私たちは、悲しみに暮れて虚空を仰ぐ暇⦅いとま⦆さえ惜しむかのように、各々⦅おのおの⦆が「生」という名の野良仕事に取り掛かった。

 成層圏の塵⦅ちり⦆を払い、曼荼羅の呪縛を解かれた大地は、驚くほどに従順であった。私は、泥を啜⦅すす⦆る生活に訣別⦅けつべつ⦆を告げるべく、慣れぬ手つきで鍬⦅くわ⦆を振り上げ、黒々とした土を掘り起こした。

 汗が滴⦅したたり⦆り、頬を伝う。

 不意に、纏⦅まと⦆っていた衣服の袖を無造作に捲⦅まく⦆り上げた。ワイスが「きょぜつ」を脱ぎ捨てたあの時のように、私たちもまた、飾りを捨て、剥き出しの腕⦅かいな⦆で土の温もりに触れる。そこには、空太が遺したあの「生活くらし」の匂いが、確かに息づいていた。

 やがて日が傾き、琥珀⦅こはく⦆色の夕闇が世界を優しく包み込む頃。

 私たちは、新しく建てられたささやかな「いばしょ」へと、吸い込まれるように還⦅かえ⦆っていった。

 「……頂戴⦅てうだい⦆いたします」 

 「……ああ、いい匂い」

  膳⦅ぜん⦆の上に並ぶのは、豪華な馳走⦅ちそう⦆ではない。だが、そこにはシュバルツが渇望した「満腹」があり、空太が命を懸けて守り抜いた「日常」があった。

 先⦅ま⦆ず眼を引くのは、椀⦅わん⦆の中に小山を成す白米である。それは成層圏の星屑⦅ほしくず⦆を掬⦅すく⦆い取って固めた如⦅ごと⦆く、一点の曇りもなき純白を呈⦅てい⦆し、立ち昇る湯気は、空太が最後に遺した慈悲深き熱量を、今なおその芯に宿しているかのようであった。一口⦅ひとくち⦆含めば、噛み締めるほどに大地の滋味が喉を滑り、空腹なる魂を隅々まで潤してゆく。

 その傍⦅かたわ⦆らには、熾火⦅おきび⦆の如き朱⦅あか⦆を帯びた焼き魚が、静かに横たわっている。それは空太がかつて語った「山陰のノドグロ」の如く、皮目は香ばしく爆ぜ、其処⦅そこ⦆から溢れ出つる脂の雫⦅しずく⦆は、燭光⦅しょっこう⦆に照らされて黄金の輝きを放っていた。これこそが、神の理(曼荼羅)を撃ち抜いた「真実の匂い」である。

 そして、傍らに控える一椀の味噌汁。それは、かつて私たちが啜⦅すす⦆った泥の如き濁⦅にご⦆りとは無縁の、生命を繋ぐ温かな琥珀⦅こはく⦆であった。立ち昇る香りは、寒風に晒された私たちの心身を、母の掌⦅てのひら⦆のように優しく包み込み、台所の隅々まで「安心」という名の平穏を染み渡らせる。

 湯気の向こう側で、誰かが笑い、誰かが茶を啜る。

 私は、箸を手に取りながら、ふと窓の外の夜空を仰いだ。

 暗闇を一条に切り裂く「星の軌跡」は、今も変わらず、私たちの台所を、そしてこの不器用な「生」の営みを、静かに、どこまでも温かく照らし続けていた。

 私たちは、この「三種の神器」を噛み締め、空太が教えてくれた「人間」であることを、深く、深く、腹の底へと落とし込む。

 台所の隅で爆ぜる薪⦅まき⦆の音を聴きながら、私は、もう二度と「孤独」という名の冬が来ないことを、確信したのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 星は流れ、月は巡る。

 成層圏の塵⦅ちり⦆は静かに地へと降り積もり、あのマッハ350の狂熱も、今や歴史という名の冷たき書⦅ふみ⦆の中に、一滴⦅いってき⦆の墨痕⦅ぼっこん⦆として凝固⦅ぎょうこ⦆したかに見える。

 だが、見よ。

 泥を啜⦅すす⦆るを止めて鍬⦅くわ⦆を執り、剥き出しの腕⦅かいな⦆で土を愛⦅め⦆でる衆生⦅しゅじょう⦆の姿を。

 其処⦅そこ⦆には、曼荼羅⦅まんだら⦆の理⦅ことわり⦆に縛られぬ、生身⦅なまみ⦆の人間が呼吸⦅いき⦆をしている。

 一人の不器用なる「息子」が、その身を灼⦅や⦆いて灯⦅とも⦆した「いばしょ」の暖光⦅だんこう⦆は、今や台所の湯気となり、三種の神器の芳香となって、永遠なる安らぎをこの異界に定着せしめた。

 神は去り、人は残った。

 宇宙の深淵⦅しんえん⦆を一条⦅いちじょう⦆に切り裂き、今なお夜空に燃え続けるあの青白き光の筋――。

 後世⦅こうせい⦆の徒⦅と⦆は、この「情熱」と「人情」が織り成した、あまりに短く、あまりに熱き「星の軌跡」を指して、畏敬⦅いけい⦆の念と共にこう呼ぶのである。

 即⦅すなわ⦆ち、『サーガブレイヴ』、と。


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