表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/62

第45話:不速の聖女と、清冽なる宣戦布告

 魔王城「パンデモニウム」の正門が、天を衝くような澄み渡る鐘の音と共に開かれた。

 人間界の聖教国より派遣された和平の使節団。その中心に立つのは、現世に降臨した天使と謳われる聖女セレレスであった。彼女の歩む道には、魔界の不浄を焼き払うような純白の光が滴り、彼女を包む神聖結界は、城内の「至高の秩序」さえも「異質な汚れ」として弾き飛ばすほどの強度を誇っていた。


「……なんと、耳障りな魔力だ。余の城の空気が、まるで消毒液の中に沈められたかのように息苦しいぞ」

 玉座の間で出迎えた魔王ルナリスは、不快感に満ちた表情で角を震わせた。彼女の傍らには、一点の曇りもない正装で控えるアルベルト。そして、ルナリスの左右を固めるのは、将軍バルバラ、筆頭カサンドラをはじめとする最高幹部たちだ。


 聖女セレレスは、ルナリスの前に立つと、一度だけ優雅に、しかしどこか見下すような慈愛を込めて一礼した。

「魔王陛下。聖教国を代表し、和平の更なる進展を願い、参りました。……ですが、この城に漂う『歪んだ調和』……。あまりに哀れで、涙が止まりません」

 セレレスの碧眼へきがんは、ルナリスではなく、その隣に立つアルベルトへと固定されていた。


「……特に、其方。人間でありながら、魔族の穢れをこれほどまでに深く受け入れ、魂を蝕ませているとは。……貴方のその完璧な規律、それこそが魔王による呪縛の証拠。……あぁ、神よ。この迷える子に、真の救済をお与えください」


 セレレスが指先をアルベルトへ向けた瞬間、部屋全体を白銀の奔流が満たした。

 それは攻撃ではない。対象に憑いた不浄を強制的に消滅させる「超位浄化ハイ・ディスペル」。ルナリスや幹部たちは、その刺すような神聖魔力に思わず顔を背けた。


「……アルベルト!!」

 ルナリスが叫ぶ。だが、光の霧が晴れた後、そこには変わらぬ無機質な微笑を浮かべたアルベルトが、平然と立っていた。彼の燕尾服には、聖女の放った浄化の痕跡すら残っていない。


「……聖女様。お言葉ですが、私の燕尾服に不必要な光を照射するのはお控えください。……繊維が魔力焼けを起こし、主人の品格を損なう『汚れ』となりますので」

 アルベルトの冷徹な一喝。セレレスは、自らの最高位魔法を「掃除の邪魔」と断じられたことに、生まれて初めての衝撃で目を見開いた。


「……浄化を、拒絶した? いいえ、私の光が、彼の『深淵なる規律』に吸い込まれた……? ……あぁ、なんてこと」

 セレレスの頬が、神への敬虔な祈りとは異なる、激しい情熱で赤く染まった。

「……素晴らしい。……貴方のような、一点の曇りもない『完璧な器』を、私は他に知りません。……決めたわ。魔王陛下、この執事を、我が教団へ譲り受けます。……この方こそ、神の玉座を整える、真の聖執事に相応しい」


 静寂。

 そして次の瞬間、魔王城全体が、バルバラの抜剣の音と、ルナリスの放つ漆黒の魔圧によって震え上がった。

「……貴様、今、なんと申した? ……余の執事を、奪うだと……?」


 ルナリスの瞳は、これまでのどの敵に向けたものよりも深い、絶対的な殺意と嫉妬に燃え上がった。

 魔王城に、新たな、そして最も「不潔な」略奪者が現れた瞬間であった。


 「不敬にも程があるぞ、聖女! 余のアルベルトにその汚らわしいを向けるな!」

 ルナリスの咆哮と共に、玉座の間には激しい魔力の嵐が吹き荒れた。将軍バルバラは既に大剣を抜き放ち、筆頭カサンドラは冷徹なまでの殺意を込めた結界を聖女セレレスの周囲に展開している。参謀メルヴィの頭上には数千の攻撃魔法陣が浮かび、影からはゼノビアが、聖女の喉笛を断つべくその実体カタチを消していた。


 しかし、聖女セレレスは動じない。彼女を包む「神聖領域サンクチュアリ」は、最高幹部たちの怒気さえも「未浄化の塵」として無害な光へ変換していく。彼女の碧眼は、ただ一点、アルベルトのみを熱狂的に見つめていた。


「魔王陛下、落ち着いてください。私はただ、この至高の魂に相応しい『清浄な居場所』を提案しているだけです」

 セレレスは、ルナリスの威圧を柳に風と受け流し、アルベルトへ向けて真っ白な手を差し出した。

「さあ、アルベルト様。魔族の毒に濡れたその燕尾服を脱ぎ捨て、我が神殿へ。貴方が望むなら、神の御前を整える唯一の聖職者として、私が貴方を永遠に、清く、正しく、管理して差し上げます」


 場が凍りついた。魔王城の女たちがアルベルトへ向けてきた「依存」とは正反対の、独善的な「救済」という名の略奪。

 だが、その不協和音を断ち切ったのは、やはりアルベルトの静かな足音であった。


「……管理、でございますか」

 アルベルトは一歩、また一歩と聖女の神聖領域の中へと踏み込んだ。魔族を即座に消滅させるはずの純白の結界が、アルベルトの燕尾服に触れた瞬間、パチン、と乾いた音を立てて霧散した。

「……っ!? 私の結界を、素手で……?」

「聖女様。貴女の放つこの『神聖な光』。……一見すると美しく見えますが、執事の目から見れば、あまりに『高濃度すぎて換気を損なう不衛生な霧』に過ぎません。……主人の肌にこのような刺激の強い魔力を浴びせるのは、教育不足も甚だしい」


 アルベルトは、驚愕に固まるセレレスの至近距離に立った。

 彼は懐から、一点の曇りもないクリスタルの香水瓶を取り出し、聖女の周囲に微細な霧を散布した。

「……失礼。……少々、貴女のその過剰な『聖気』を、私の規律で中和クリーニングさせていただきます」


 シュッ、と吹きかけられたのは、アルベルトが城内の空気管理のために調合した「魔力安定剤」。

 セレレスの全身を覆っていた神聖な光が、瞬時に透明な空気へと変質し、彼女は初めて「魔王城の生々しい熱気」と「アルベルトの体温」に直接晒された。

「あ……、あぁ…………ッ!?」

 聖女の膝が、崩れるように折れた。

 魔力を剥がされ、一人の無防備な乙女としてアルベルトの眼差しに射抜かれた瞬間、彼女の脳裏には「救済」ではなく、強烈な「支配」の悦びが閃光のように奔ったのである。


「……不潔ですね、聖女様。……救済を説く貴女のその瞳の奥。……誰かに自分を『管理』してほしいという、底なしの甘えが見え隠れしています。……貴女に私を導く資格はありません。……むしろ、貴女こそが私の『お世話』を必要としているように見えますが?」


 アルベルトの冷徹な宣告。セレレスは、顔を真っ赤にして、激しく乱れた呼吸でアルベルトを見上げた。

 これまでの人生で、自分を「管理」し、「お世話が必要な不完全な存在」として扱った者など一人もいなかった。


「……あ、あぁ……。……神よ……。……私を、これほどまでに厳しく……、正しく……見つめてくれる者が、この世にいたなんて……」


「ええい!! それ以上あやつを毒するな、アルベルト!!」

 ルナリスが我慢の限界とばかりに間に割り込み、アルベルトを背後に隠した。

「聖女よ、視察は終わりだ! 貴殿を今すぐ、城内で最も『規律の厳しい』客室へ幽閉……いや、招待してやる! バルバラ、カサンドラ、この不届き者を連れて行け!」


「はっ! 喜んで! この女のその『神聖な化けの皮』、俺が徹底的に剥いでやる!」

「規律違反の略奪。……私が、魔王城の法をその身に刻んであげましょう」


 最高幹部たちによって引きずられていく聖女。だが彼女は、引き剥がされる瞬間までアルベルトを見つめ、蕩けたような声で囁いた。

「……待っています、アルベルト様。……私の不潔な魂を、貴方のその指先で……いつか、洗い流してくれるのを……」


 魔王城に、平和を揺るがす最強の「おねだり系聖女」が居座ることになった瞬間であった。

 アルベルトは、ルナリスの服に付いた「聖女の光の粉」を払いながら、モノクルを光らせた。

「……やれやれ。……不速の客の対応は、大掃除よりも骨が折れます。……ルナリス様、今夜は貴女様の嫉妬という名の汚れを、念入りに落とす必要がありそうですね」


 ルナリスは「……当たり前だ! 責任を取れ、アルベルト!」と、彼の腕にさらに深く縋り付くのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ