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第42話:参謀の夢と、思考の共有

 魔王城「パンデモニウム」の最上層に位置する時計塔。そこは現在、参謀メルヴィが魔界全土の経済、物流、そして和平に伴う膨大な数値を処理する「演算の聖域」となっている。

 アルベルトによって完全にファイリングされ、整理された情報の海。だが、その平和がもたらした「静寂」こそが、メルヴィという天才の脳にとって、予期せぬ不具合を引き起こしていた。


「……あはは。静かだなぁ。……静かすぎて、僕の脳が、勝手に『存在しない問題』を作り出そうとしちゃうよぉ……」


 メルヴィは、清潔なシャツの襟を握りしめ、冷や汗を流しながら自らのこめかみを叩いていた。

 敵がいなくなったことで、彼の防衛演算は行き場を失い、あろうことか「城内の平和が崩れる確率」や「アルベルトが自分を必要としなくなる未来」といった、不毛なシミュレーションを無限に繰り返し始めたのである。


 その日の深夜。

 ルナリスの寝所を辞したアルベルトは、足早に時計塔へと向かった。

「ルナリス様。……メルヴィ様の脳が、オーバーヒートを通り越して『メルトダウン』を起こしています。……彼の思考のゴミ(バグ)を取り除くには、もはや現実の言葉では足りません」

「……む。あやつ、また一人で考えすぎておるのか。……アルベルトよ、禁忌の術式を使うつもりか?」

「はい。……彼の『夢』に直接介入し、その潜在意識から不浄を洗い流します。……少々、精神的に深い繋がりを持つことになりますが、お許しいただけますか?」

「……フン。あやつの脳が壊れては余も困る。……行ってこい。ただし、夢の中でもあやつに『あーん』などはさせるなよ!」


 ルナリスの嫉妬混じりの許可を得たアルベルトは、メルヴィの私室へ音もなく侵入した。

 ベッドの上で、メルヴィはうなされながら、激しく魔力を放射していた。その瞳は閉じたまま、眼球が高速で動き、演算の負荷に肉体が悲鳴を上げている。


「……やれやれ。天才とは、実に効率の悪い生き物ですね」

 アルベルトは、自らの指先に特殊な魔導オイルを塗り込み、それをメルヴィの額に、そして自分の額に塗り込んだ。

接続リンク……。メルヴィ様、貴方の汚れた夢を、私が完璧に整えて(エディット)差し上げましょう」


 アルベルトが目を閉じた瞬間、彼の意識は、メルヴィの精神世界へとダイブした。

 そこは、無数の数式が雨のように降り注ぎ、過去のトラウマや未来の不安が巨大な「ゴミの怪物」となって暴れ回る、最悪の混沌カオスであった。


「……不潔ですね。……これほどまでに整理されていない思考を抱えていたとは。……さて、大掃除の時間です」


 夢の世界。燕尾服の袖を捲り上げたアルベルトの手には、現実には存在しない、精神を直接浄化する『概念の箒』が握られていた。

 彼は、メルヴィが恐れる「孤独」や「無能への不安」という名の黒い霧に向かって、迷いなく一歩を踏み出した。


 メルヴィの精神世界――そこは、数億の数式が雷鳴のように轟き、未解決の不安が巨大な黒い泥となって渦巻く「思考の監獄」であった。

 アルベルトは、その混沌の中心で平然と立ち、手に持った概念の箒を静かに構えた。


「……あ、アルベルトさん……? なぜ、君がここに……。……来ちゃダメだ。ここは、僕の醜い『答えの出ない問い』が詰まったゴミ捨て場なんだよぉ……」

 夢の深層。うずくまるメルヴィが、震える声で叫んだ。彼の周囲には、アルベルトに依存しすぎることで自らの価値を失うことを恐れる「不浄な残像」が、触手のように蠢いている。


「ゴミがあれば掃く。汚れがあれば拭う。……それが私の規律です。メルヴィ様、貴方の脳内がこれほどまでに散らかっていることを、執事として放置できるとお思いですか?」

 アルベルトが箒を一閃させた。

 瞬間、夢の世界を覆っていた数式の豪雨がピタリと止まり、黒い泥の触手が一瞬にして純白の霧へと還元されていく。アルベルトの放つ「絶対的秩序」の魔力が、メルヴィの精神構造を強制的に上書きし、整理整頓していく。


「あ、あああああッ!? 思考が……僕の、僕だけの苦悩が……消えていく……!!」

「苦悩など、知性のノイズに過ぎません。……さあ、こちらへ。思考を止める悦びを、その魂に刻み込みなさい」


 アルベルトは、逃げようとするメルヴィの意識を捕まえ、概念上の「メンテナンス・ベッド」へと押し倒した。

 夢の中という、肉体の制約がない空間。アルベルトの指先がメルヴィの精神的核コアに触れるたび、現実の調律メンテナンスとは比較にならないほどの濃厚な「静寂」が、メルヴィの意識を白濁させていく。


「……はぁ、はぁ……っ。……すごい、よぉ。……何も、考えられない……。……アルベルトさんの、色しか……見えないんだぁ……」

 メルヴィの瞳から、知性の光が完全に消え、管理者への絶対的な信服と快楽だけが溢れ出す。

 アルベルトは、彼の思考回路の最も深い場所にある「不安」の根源を指先で摘み取り、それを至高の「安心」という名のデータで書き換えた。


「……そうです。貴方は何も考えなくていい。……すべての答えは、私が用意します。貴方はただ、主人のために最高の演算を行う『美しい装置』であればいい。……そして、その装置の鍵を握るのは、世界で私一人だけでございます」


 夢の中での、魂の完全なファイリング。

 メルヴィの精神は、アルベルトという絶対的な支柱を得たことで、かつてないほどの強度と安定を手に入れた。彼は夢の中でアルベルトの胸に顔を埋め、赤子のように深い、一点の曇りもない安らぎの中に沈んでいった。


 数時間後。現実の時計塔。

 アルベルトがゆっくりと目を開け、自らの額から指を離した。

 ベッドの上で、メルヴィはこれまでにないほど穏やかな顔で深い眠りについていた。その呼吸は整い、暴走していた魔力も完全に沈静化している。


「……任務完了です。……不潔な悪夢は、すべて処分しておきましたよ」

 アルベルトは、メルヴィのシーツを整えると、音もなく部屋を後にした。


 翌朝。

 ルナリスの前に現れたメルヴィは、別人のような覇気を纏っていた。

「魔王様。本日の経済予測、及び外交戦略の最適解。……すべて整いました。……僕、なんだかすごく頭がスッキリしてるんだぁ。……執事さんが、夜のうちに掃除してくれたおかげかなぁ?」

 メルヴィはアルベルトを一瞥し、蕩けるような、しかし狂気を孕んだ独占欲を瞳に宿して微笑んだ。


「……メルヴィ。貴殿、昨夜アルベルトと何をした」

 ルナリスの嫉妬が爆発するが、メルヴィは意に介さず、アルベルトの燕尾服の裾をギュッと握った。

「内緒だよぉ、魔王様。……夢の中で、僕は執事さんに……『全部』預けちゃったんだから」


 参謀メルヴィ。

 彼は今や、その天才的な頭脳のすべてを、アルベルトという「管理OS」に委ね、彼なしでは夢すら見られないほどに深く、深く墜ちていたのである。


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