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第33話:至高の夜食バトル 〜執事の胃袋奪還作戦〜

 魔王城「パンデモニウム」の夜。それは通常、執事アルベルトが提供する至高の夜食によって、最高幹部たちが一日の疲れを癒やす安らぎの時間であった。

 しかし、今夜のキッチンは、いつもとは異なる異様な熱気に包まれていた。


「……うむ。アルベルトはいつも余たちのために、最高の料理を振る舞ってくれる。だが、執事自身の胃袋を満たしているのは、あやつ自身が作った料理ではないか。それは、主人としてあまりに不憫ふびんに思えてならんのだ」

 魔王ルナリスは、漆黒のエプロンをドレスの上に纏い、鼻息荒く宣言した。

 彼女の目の前には、バルバラ、メルヴィ、ゼノビア、そしてカサンドラという、魔王軍の全知能と武力を結集した最高幹部たちが勢揃いしている。


「魔王様、仰る通りです。俺も、あいつの指先にばかり頼る自分を恥じていたところだ。……男の胃袋を掴むのは、女の……いや、武人の嗜みでもあるはず!」

 バルバラが、愛用の斧を包丁に持ち替え、気合十分に叫ぶ。

「あはは。……僕も賛成だよぉ。執事さんの脳に、僕たちの『感謝』という名の栄養を直接注ぎ込んであげたいなぁ……」

 メルヴィが、栄養学の魔導書を片手に眠たげな瞳を光らせる。


 かくして、アルベルトが城内の夜間巡回(清掃・点検)を行っている僅かな時間を縫って、最高幹部たちによる「執事への逆夜食・秘密作戦」が幕を開けた。


 だが、現実は残酷である。

 彼女たちは「壊す」ことと「統治する」ことにかけては天才的であったが、「創る」こと、ましてやアルベルトの舌を満足させる繊細な作業においては、致命的なまでに無能であった。


「……バルバラ! 貴殿、それはジャガイモだぞ! まきを割るような勢いで叩き潰してどうする!」

「魔王様! これは『マッシュポテト』という手法です! 敵……ではなく、食材を徹底的に粉砕することで、味を浸透させるのです!」

 バルバラの振るう包丁(といっても特注の肉切り包丁)がまな板に食い込み、キッチンに爆音が響き渡る。


 一方、参謀メルヴィのコンロでは、何やら禍々しい紫色の煙が立ち上っていた。

「……メルヴィ。貴様、それは何を作っている。……あやつの健康を害するような毒物を作っているのではないだろうな」

 カサンドラが、軍服を汚さぬよう慎重に鍋を覗き込む。

「あはは。……これは、脳を活性化させるための『超濃縮魔導スープ』だよぉ。……味覚センサーをマヒさせることで、強制的に栄養を吸収させる理論なんだけどぉ……」

「……不潔だ。即刻廃棄しろ。……執事への献立は、規律正しく、かつ美しくなければならない。私が教えた通り、野菜はミリ単位で切り揃えるのだ」

 カサンドラが厳しい口調で指揮を執るが、彼女自身も、卵の殻を剥こうとして中身まで握りつぶし、真っ赤な顔をして震えていた。


 キッチンは、一瞬にして戦場と化した。

 ルナリスは「余の隠し味だ!」と言って、希少な魔界の蜂蜜を鍋に丸ごと一瓶投入し、ゼノビアは影の中から「……隠し味なら、あたいの特製スパイス(しびれ薬入り)の方が効くよ……」と不穏な提案を繰り返す。


 そんな惨状を、扉の向こう側から見つめる影があった。

 アルベルトである。彼は、巡回の途中でキッチンから漏れ出す「破壊音」と「魔力の暴走」を察知し、音もなく舞い戻っていたのである。


「……やれやれ。主人がキッチンを戦場に変えるのは、執事の教育不足と言わざるを得ませんね」

 アルベルトは、モノクルの奥で僅かに瞳を細めた。

 彼の手には、既に主たちの失態を「修正」するための、完璧なリカバリープランが用意されていた。


「……さて。皆様のその『欲深い愛情』という名のスパイス。……私が責任を持って、食べられる形へと調律して差し上げましょうか」


 アルベルトが扉を開けようとした、その刹那。

 キッチン内で、ルナリスの放った「煮込みすぎた魔力」が限界を迎え、巨大な泡となって爆発した。


「「「「「きゃあああああッ!?」」」」」

 女たちの悲鳴が響く中、アルベルトは優雅に、そして猛烈な速度で、キッチンの中心へと踏み込んでいった。


 爆煙と甘ったるい蒸気が立ち込めるキッチンに、白銀の閃光が奔った。

 アルベルトは爆発の余波をシルクのトレイ一枚で完璧に受け流すと、瞬時に空間の魔力濃度を中和し、パニックに陥った最高幹部たちの中心へと着地した。


「……皆様。キッチンの床をソースで汚し、あろうことか主人の髪にすすを付けるとは。執事として、この惨状は見過ごせませんね」

 アルベルトの声は、氷のように冷たく、しかし同時に抗いがたい安堵感を彼女たちに与えた。


「あ、アルベルト……! 貴殿、戻っていたのか! これは、その、貴殿へのサプライズを……」

 ルナリスが、頬にクリームを付けたまま狼狽える。バルバラは小麦粉で真っ白になり、メルヴィは紫色のスープを全身に浴びていた。


「サプライズにしては、刺激が強すぎます。……さあ、皆様。その汚れた身なりを整えるのが先決です。……バルバラ様、動かないでください。その小麦粉の下で、貴女の肌が乾燥を始めています」

 アルベルトは、バルバラの頬を指先でなぞり、付着した粉を魔力で一瞬にして霧散させた。そのまま、彼女の首筋に溜まった熱を、指先の調律で沈静化させていく。

「ひ……あぁ…………っ! アルベルト、こんな時に……っ」

 バルバラが蕩けた声を漏らすのを合図に、アルベルトの「強制同時メンテナンス」が始まった。


 彼はルナリスを優雅に椅子へ座らせ、濡れた髪を魔法の温風で乾かしながら、同時にメルヴィの「暴走した味覚」を、特殊な香草の煙でリセットしていく。影から覗いていたゼノビアも、首根っこを掴まれるように影から引きずり出され、汚れた装束を瞬時に洗浄クリーニングされた。


「……さて。不快な汚れは落としました。これより、皆様のその『愛情』を、私が責任を持って『毒』から『至高の夜食』へと昇華させていただきます」


 アルベルトが包丁を手に取った瞬間、キッチンの空気は一変した。

 彼はルナリスに野菜のカットを命じ、バルバラには肉の加熱を、メルヴィにはスパイスの配合を、カサンドラには盛り付けの管理を命じた。それは単なる手伝いではない。アルベルトが中心となり、彼の魔力と指示が全員の指先を支配する、巨大な「合奏」であった。


「ルナリス様、そのまま。バルバラ様、あと三秒加熱を。……メルヴィ様、貴方の計算通りに。……カサンドラ閣下、規律正しく配置してください」

 アルベルトの指示通りに動くたび、彼女たちは自分の指先が執事の意志と直結しているような、奇妙で甘美な「管理される悦び」に酔いしれた。


 数十分後。テーブルに並んだのは、当初の惨状からは想像もつかない、宝石のように輝くリゾットと、香気溢れるスープであった。


「……これが、余たちが……アルベルトと共に作った料理か」

 ルナリスが一口、口に運ぶ。

 そこには、彼女たちが込めた荒削りな想いが、アルベルトの手によって完璧なバランスで整えられた「調和」の味があった。


「執事さん、食べてよぉ。……君の胃袋を、僕たちで満たしたいんだからぁ」

 メルヴィの催促に、アルベルトは初めて、主たちと同じテーブルに腰を下ろした。

「……謹んで、いただきます」

 彼が一口食べ、僅かに目を細める。

「……素晴らしい。皆様の真心という名のスパイスが、私の計算を超えた深みを生んでいます。……執事として、これほどの贅沢はございません」


 アルベルトの、珍しく心からの称賛。

 それを受けたルナリスたちは、達成感と……そして、結局はアルベルトの手のひらの上で「管理」されていたことへの幸福感に包まれ、夜明けまで語り合った。


 主人の胃袋を満たすのが執事なら、執事の心を満たすのは主人の不器用な献身。

 魔王城のキッチンに灯る明かりは、和平よりもずっと温かく、彼女たちの絆をより一層深く結びつけていたのである。

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