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【書籍化】救いない怪異の世界をRPGの世界と勘違いしてるやつ  作者: 流石ユユシタ
第4章 美術館編

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第60話 VS黎明

 展示室の奥。先ほどまでは壁だったはずの場所に、巨大な両開きの扉が現れた。まるで黎明達を招くようだった。


 黒漆のような艶を持つ木製の扉。そこには、無数の口が彫られていた。笑う口。泣く口。叫ぶ口。歯を剥き出しにした口。舌を垂らした口。


 まるで、この先にあるものが何であるかを告げているかのように。





「うわ、いかにも中ボス部屋って感じ」



 黎明が嬉しそうに言った。その横で、朝霧宵花は喉を鳴らす。

 嫌な気配がする。



 これまでの怪異とは明らかに違う。廊下の奥から漏れ出す霊力だけで、肌が粟立つ。息を吸えば、肺の内側まで何かに舐められているような不快感があった。




「……待ってください」



 宵花は思わず声を出していた。黎明が振り返る。



「どうしたの?」

「この先、います。かなり強い怪異が」

「だろうね。扉のデザインがもうそれっぽいし」

「そういう意味じゃなくて……!」




 軽い。あまりにも軽い。


 宵花の感覚では、目の前の扉は死地への入口だった。少なくとも何の準備もなく踏み込む場所ではない。


 白守祈も、九条透も表情を引き締めている。特に透は、扉から漂う霊力に目を細めていた。




「この気配……荒神級かもしれねぇな」




 宵花の声が震えた。荒神。それは、上位の怪異に与えられる呼称の一つだ。


 土地を呪い、人を喰らい、祀られ、恐れられ、長い年月をかけて存在を膨らませたもの。単なる怪異ではない。災害に近い存在。


 陰陽師が単独で相手をするものではなく、複数の術者が結界を組み、封印具を用意し、命を賭してようやく対抗できる相手。


 それが、この先にいる。





「黎明さん、これは――」

「荒神……Aランクってことだね? 神格がSランクのモンスターってことだしね。よし、行こうか」

「待ってくださいって!」






 宵花の制止より早く、黎明は扉に手をかけた。瞬間。ぎぎぎ、と重い音を立てて扉が開く。



 まるで、内側から招かれているようだ。扉の中から、冷たい風が吹き抜けた。


 その風には、腐肉と線香と、甘ったるい果実が混ざったような臭いがある。鼻の奥にこびりつく、吐き気を誘う匂い。


 扉の向こうは、展示室ではなかった。



 美術館の内部にあるとは思えない空間だった。床は黒い石でできており、壁には巨大な掛け軸のようなものがいくつも垂れ下がっている。だが、描かれているのは絵ではない。


 無数の口。


 口。口。口。それぞれが開き、笑い、泣き、血を垂らす口の群れ。そして、その中央に一体の怪異が立っていた。




 白髪の老婆。



 痩せ細った体。骨に皮だけを貼り付けたような腕。だが、背筋は妙に伸びている。目は落ち窪み、口元からは涎が垂れていた。


 飢津御前(うえつごぜん)。彼女は、黎明を見るなり、にたりと笑った。





「ああ……来たねぇ」




 声は老婆のものだった。しかし、その奥に獣の唸りが混じっている。




「美味そうだねぇ。本当に、美味そうだ。あんた、何を食べてそんな味になったんだい?」

「え、俺?」





 黎明が自分を指差す。飢津御前の視線は、最初から黎明だけに向けられていた。宵花も、祈も、透も見ていない。


 ただ一人。


 白髪の少年だけを見つめている。






「そうさぁ。あんただけでいい。他はいらないねぇ。干からびた雑魚は腹の足しにもならない。けど、あんたは違う」





 ぐううう、と。飢津御前の腹が鳴った。その音だけで、空間が震える。




「食べたいねぇ。あんたの霊力、全部。わかる、うんうんわかるよ、アンタは本当に美味いってねぇ」

「……俺って美味しそう?」

「……どうでしょうか」

「食べたらお腹壊しそうだな」

「オレも食いたくねぇ」






 黎明の疑問の声に、宵花、祈、透の順で答える。なんとなくゆるい雰囲気が流れる。しかし、それを切り替えるように宵花は再び頭を抑える。





──また、頭痛が来たからだ。






「うっ」

「大丈夫? 頭痛いの?」

「は、はい。たまにこれって起こるんです。でも、頭痛が起こると、情報が頭の中に流れ込んで……飢津御前(うえつごぜん)……?」

「おや、あたしを知ってるんだねぇ」






 唐突に彼女の頭の中に溢れた情報。飢津御前(うえつごぜん)という名前の怪異と、それについての能力や生まれた経緯について。


 全てが頭の中に宿る。






「……っ、お、収まった。黎明さん、あれは危険です。霊格は荒神で、飢津御前(うえつごぜん)は人間も怪異も関係なく食べ尽くす化け物。戦うなどせずに、一度撤退をしてから」

「それは陰陽師の思考ってやつだね。俺は勇者だからさ……倒すしかないんだよね」

「ちょ、ちょっと、話をっ!」






 宵花は叫んだ。同時に残りに二人にも黎明を止めるように目を配る。だが、白守祈は動かない。九条透も、刀に手をかけたまま、黎明を止めようとはしなかった。





「ど、どうして止めないんですか!?」

「止めても止まらないんだ。あいつ、ボクより足速いから」

「天才のオレでも無理だ」

「もうちょっと真面目に止めてくださいよ、仲間なんですよね?」





 宵花は愕然とした。仲間が死地に向かおうとしているのに、この二人は呑気に後ろ姿を見送るだけだからだ。


 ただ、祈はそんな彼の姿を柔らかい眼差しで見送っている。




「それに、黎明は負けないよ」

「……でも、荒神の怪異ってやばいんですよ? 安倍晴明はあれを封印するのに……人柱三人と沢山の貢ぎを用意して」

「安倍晴明、ってボクはあんまり知らないけど。黎明に比べたら大したことないと思う。黎明は同じ人間の括りにしちゃいけない、宇宙人みたいなもんだから」






 黎明は止まらず前に進んでいく。一歩一歩と互いの距離が迫る。


 飢津御前が、嬉しそうに口を裂いた。人間の顔ではあり得ないほど、頬が左右に広がっていく。





「あたしと遊んでくれるのかい?」

「うん。初見のレアモンスターっぽいし」

「もんすたぁ? はは、変なことを言う子だねぇ」





 次の瞬間。飢津御前が消えた。


「っ!」


 宵花の目が追えなかった。だが、黎明は反応していた。


 轟音。黒い床が砕け散る。飢津御前の爪が、黎明の首を狙って振り抜かれていた。それを黎明は刀の峰で受けている。


 火花が散りぎりぎりと音を立てる。怪異の爪と刀がぶつかったとは思えない、金属同士の衝突音。





「へぇ、速いね」

「あんたもねぇ!」




 飢津御前が笑う。次の瞬間、二人の姿がぶれた。


 右へ。

 左へ。

 床へ。

 壁へ。

 天井へ。




 激しく、縦横無尽に移動をしながら互いの拳と爪と刀がぶつかり合い、そのたびに空間が爆ぜる。


 これは、人間の戦いではない。


 宵花は目で追おうとしたが、すぐに諦めるしかなかった。見えるのは、衝突の結果だけ。床が割れ、壁が抉れ、掛け軸が斬り裂かれ、空気が悲鳴を上げる。






「な、なんで……」





 声が漏れた。怪異が速いのはわかる。荒神ならば、人を超えた身体能力を持っていてもおかしくない。


 だが、黎明も同じ速度で動いている。狩衣もない。言霊も唱えていない。術を使っていない。それなのに、荒神と真正面から殴り合っていた。






「くっ、はははははっ!」





 飢津御前の笑い声が響く。細い腕が、黎明の刀を弾く。そこへ膝蹴り。黎明は片腕で受けるが、衝撃で床を滑った。


 黒石に靴裏が焦げる。




「強いねぇ。いいねぇ。食べる前に遊べるなんて最高だぁ」

「こっちも楽しいよ。やっぱり中ボスはこうでないとね」

「ただぁ、あんたぁ、霊力を使ってないねぇ。身体能力は互いに差がなさそうだから、体を強化して再戦といこうかぁ」

「そろそろウォーミングアップも終わりにしようか」





 黎明は刀を構え直す。その体から、白い光が噴き上がった。霊力による身体強化。その精度がどれほどのものなのか、宵花にも、それが分かった。


 黎明の周囲で空気が歪む。霊力が筋肉に流れ込み、骨に絡み、神経を加速させる。術を使わずあそこまで体を強化できるはずがない。だが、結果として起きている現象は明らかだった。




(一気に、黎明さんが強くなった気がする。霊力による身体強化、単純なのに圧迫感が飛躍的に上昇したっ)




 宵花は黎明に驚く。ここから彼は、さらに速くなる。そう思った瞬間。





(でも、その怪異は霊力を……)






 飢津御前の口が、開いた。





「いただきまぁす」






 ぐぱぁ、と。人間の顔が壊れるほど大きく開く。口腔の奥に、黒い穴があった。


 ただの闇ではない。まるでブラックホールのような吸い込む闇。

 周囲の空気が悲鳴を上げる。床に散らばった石片が浮き上がり、掛け軸が裂け、黒い穴へと引き寄せられていく。


 そして、黎明の身体から噴き上がっていた白い光も。一気に、飢津御前の口へ吸い込まれた。





「あ――」




 宵花が息を呑む。黎明の身体強化が、剥がされた。それも力任せに。





「ん、んんんんんっ……!」




 飢津御前が恍惚と目を細めた。老婆の頬に赤みが差す。




「あまぁい……濃い……熱い……なんだい、これは……! べっとりとして、ねっとりとして、ぐちゃぐちゃとして、口の中がずっとネバネバしてるじゃないかい!!!」

「食レポクソ過ぎない? 俺のMPそんなまずい?」





 ぞくぞくと身を震わせ、飢津御前は両腕で自分の体を抱き締めた。ただし、感想があまりに雑なので思わず黎明がツッコミに回ってしまった。






「そんなことないさぁ。今まで食べた陰陽師の霊力なんか、泥水だったねぇ。これは、蜜だ。神酒だ。いや、それよりもっと……ああ、腹の底が喜んでるよぉ!」

「う、うーん、褒められてるのか、貶されてるのか……」

「黎明さん!」





 宵花は思わず駆け出そうとする。だが、透が腕で制した。




「行くな。巻き込まれる」

「でも!」

「むしろ邪魔だ。天才であるオレでも、まだこのステージじゃねぇ。それならただのガキであるお前じゃ無理だ」

「……天才なら、止めてください。このままだと霊力を吸い尽くされて死んでしまいます」

「天才だから、わかる。この勝負、黎明の勝ちだ」





 透の言葉で、宵花は黎明を見る。理由になってない、と思いながらも不思議と黎明の敗北の姿は浮かばなかった。



 今も身体強化を吸われたというのに、焦りがない。むしろ、何かを試しているような顔。






「なるほど。MP吸収タイプか」

「あんたの言うMPってのは霊力のことかい? いいねぇ。もっとおくれよ。もっと、もっと食べたいねぇ」

「いいよ。こっちは有り余ってるからさ」





 黎明があっさりと言った。


 そして。再び、霊力を高めると白い光が爆発する。先ほどよりも強い。濃い。美術館そのものを塗り潰すほどの圧。


 宵花はその霊力に膝が震えた。呼吸が苦しい。ただ近くにいるだけで、巨大な滝の前に立っているような感覚に襲われる。


 しかし、飢津御前は歓喜した。





「はははははははっ! いいねぇ! いいねぇ!」


 口が開く。闇が渦巻く。黎明の霊力が、また吸われていく。


 ごっそりと。普通の陰陽師なら、その時点で干からびてもおかしくない量。だが、黎明は倒れない。


 むしろ、さらに霊力を放出した。






「じゃあ、どれくらい食べられるか試してみようか」

「な……」





 宵花の声が凍る。何を言っているのか分からなかった。





(霊力を吸われる相手に、霊力を出す。それは自殺行為!!)




 しかし、それは少なくとも、陰陽師の常識での話。だとしても、相手は霊力を吸うほどに力を増していく。こんな意味のないことをなぜやろうとするのか。






「黎明さん、やめてください! 食べさせたら駄目です!」

「大丈夫。大丈夫、大丈夫、大丈夫」

「なんで4回行ったんですか!」

「大丈夫ってことを示すため?」





──黎明の軽い返事とは裏腹に、彼の体からは霊力が大量に溢れ出していた。






「あああああああっ!」




 飢津御前が叫ぶ。歓喜の声。


 吸う。吸う。吸う。黎明の霊力を、無尽蔵に。そのたびに、飢津御前の姿が変わっていった。


 最初は痩せ細った老婆だった。


 だが、頬に肉が戻る。落ち窪んでいた目が艶を帯び、白髪が黒く染まり始める。曲がっていた背筋が伸び、皺だらけの肌が滑らかになっていく。


 老婆から、女へ。飢えに狂った餓鬼から、妖艶な美女へ。それは怪異の変化というより、若返りに近かった。


「綺麗に、なってる……? ど、どんどん強くなって……」




 宵花が呆然と呟く。飢津御前は、自分の頬に触れた。




「ああ……戻る。戻っていくよぉ。腹が満ちる。体が満ちる。あたしが、あたしがぁ……!」


 その姿は確かに美しかった。艶やかな黒髪。白い肌。赤い唇。人を惑わすような瞳。




「クククク、今のあたしは【神格】と言っても差し支えないんじゃないかい?」

「ふーん。そうかな確かにSランクとも言えるかも」

「黎明さん、これ以上は!!」

「──でも、俺に勝てそうではないかな」






 けれど、その美しさは一瞬だけ。次の瞬間には、また変化が始まる。




 膨らむ。腕が太くなる。腹が膨れる。頬が丸くなり、顎が重なり、肉が全身にまとわりついていく。




「もっと……もっと……もっとぉ……!」

「まだいける? フードファイターモンスター」


 黎明の霊力が、さらに増えた。空間が白く染まる。チカチカと暗闇を黎明の光が何度も吐いたり消えたり、豆電球のようだった。







「どんどん、怪異の霊力が増しているッ、神格には間違いなく届いてしまっていますッ」

「ボクはよく知らないけど、確かに相手やばそうだな」

「あの、かなり落ち着いてますが本当にやばいです。あんなのが一般社会に出てしまえば、日本は崩壊の可能性が」

「そうか。でも、饗島のあいつほどの圧は、あの怪異から感じない」





 飢津御前の姿は、もはや美女ではなかった。


 肉塊。


 肥え太った体が床に沈む。腕は丸太のようになり、腹は波打ち、首は肉に埋もれている。それでも口だけは大きく開いていた。


 吸うために。食らうために。飢えを満たすために。





「あ、ああ……お腹が……でも、やめられないねぇ……美味しい……美味しいよぉ……!」

「まだまだあるよ。こんなのわんこ蕎麦なら3杯目くらいだろ」

「や、やめ……いや、やめ……やめ……!」





 飢津御前の目に、初めて恐怖が宿った。それでも口は閉じられない。


 黎明が無理やり霊力を送りつけているのだ。いらないと言っても何度も何度も大量の霊力を。


 満腹でも、苦しくても、破裂しそうでも、食べずにはいられない。






「──ちょっと出力あげるね」





 黎明が、静かに笑った。瞬間。白い光が柱となって噴き上がった。



 それは霊力というより、天へ伸びる極光だった。展示室の天井を突き抜けるのではないかと思うほどの輝き。掛け軸が燃えるように白く染まり、床の黒石に亀裂が走る。


 飢津御前が、それを吸った。いや、無理に押し付けられた。


 



「――――」


 声にならない声。急激な体の膨張。そして、全身が内側から押し広げられる。それにより皮膚が裂ける。肉が割れる。目が飛び出し、口から白い光が漏れる。






「ごちそうさまでした」


 黎明の軽い声の直後。


 飢津御前の体が、吹き飛んだ。白い光と黒い肉片が混ざり合い、爆発が展示室を揺らす。


 凄まじい衝撃波が起こる。宵花は祈に抱えられ、透は刀を床に突き立てて踏み留まる。視界が真っ白に染まり、耳が一瞬何も聞こえなくなった。


 そして、光が収まった時。そこには、何も残っていなかった。ただ、黒い床に巨大な焦げ跡があるだけ。




「ふむ、面白いモンスターだった。さて、次行こう」




 ──宵花は思わず黎明から距離を微かにとった。




(あれほどの霊力を、荒神が神格になれるほどの霊力を出しておきながら、まるで疲労をしている様子がないッ。あんな小さい体のどこに、それほどの器があると……っ)




(怪異でも、霊力を過剰供給されると吹き飛ぶ。そんなのは初めて見た……)







 その異常さに、宵花は改めて震えた。恐怖と、安堵と、理解不能な頼もしさが混ざった震えだった。





◾️





 一方、黎明の様子を水晶で見ている怪異がいた。戦いの結果を見て、火車坊と童子姫は、沈黙をするしかない。


 映像には、飢津御前が爆ぜた瞬間が映っていた。肉も、骨も、霊力の残滓すらも、白い光に飲まれて消えた。


 火車坊の炎の髪が、低く揺れる。





「……何だ、あれは」


 その声には、初めて警戒が混じっていた。人間の霊力ではない。少なくとも、火車坊の知る陰陽師のそれではなかった。


 濃度が違う。量が違う。何より、質が違う。


 霊力とは、通常ならばあそこまで多く保有などできない。どんな存在でも霊力を貯める器のようなものがあり、その器は簡単には大きくできないのだ。




 だが、あれは違う。異常なほどに器が大きい。





「うふふ」



 隣で、童子姫が笑った。火車坊が横目で見る。



「笑うことか」

「だって、面白いんだもん」



 童子姫は水晶球に映る黎明を見つめながら、うっとりと頬に手を当てた。



「あのお兄ちゃん、壊れてるねぇ」

「壊れているのは飢津御前の方だがな」

「違うよぉ。飢津御前は食べすぎただけ。でも、あのお兄ちゃんは最初から壊れてる」



 くすくす。少女の姿をした怪異が笑う。



「怖がってない。迷ってない。楽しんでる。普通の人間は、あたし達を見ると泣くのに。逃げるのに。命乞いするのに。あのお兄ちゃん、玩具を見つけた子供みたいな顔してる」

「だから厄介というわけか」



 火車坊は低く唸った。



「恐怖を集めるこの場で、恐怖しない人間など邪魔でしかない。しかも、あの霊力。放置すれば結界そのものを壊される」

「……ふーん、じゃあ、あたしが行くねぇ」


 童子姫が、ぴょんと跳ねるように水晶から離れた。火車坊の視線が鋭くなる。





「勝てると思っているのか」

「うん」




 即答だった。あまりにも無邪気な声。




「飢津御前は食べようとしたから負けたんだよ。あれはお腹が弱点だもん。だったら、あたしは違う遊びをする」

「……策があるのか」

「あるよぉ」



 童子姫の唇が、赤く歪む。




「あのお兄ちゃんが怖がらないけど、他の人間は怖がるからねぇ」




 その言葉に、火車坊は沈黙した。童子姫は人形のような袖を揺らし、くるりと回る。



「あのお兄ちゃんは……多分人間の救出に来たわけだよねぇ。だから、無理やりに結界を壊そうとしない。そんなことをすれば余波で全員死んじゃうからぁさぁ」

「そうかもしれん」

「それなら……あとは簡単。足手纏いを増やしてあげればいいんだよねぇ。あ、【雑兵】全部借りるね。倒してくるからさぁ」

「……好きにしろ」

「うん。遊んでくる」


 童子姫は笑いながら、闇の中へ駆けていった。その足音は軽い。まるで子供が祭りへ向かうような、弾む足音。


 だが、その背中にまとわりつく霊力は、どす黒く、冷たかった。





「あいつらは時間稼ぎだけ、してくれればよい。あと少し、あと少しで……地獄の門が開く」





 一人になった火車坊が、ポツリとそう呟いた。

 




 ◾️◾️





 飢津御前が消えた展示室に、新たな扉が現れた。先ほどと同じように、何もなかった壁に、ぬるりと浮かび上がる。


 今度の扉は白い。白木で作られたような、古びた扉。


 だが、そこには小さな手形が無数についていた。子供の手形。大人の手形。血で押されたものもあれば、墨のように黒いものもある。





「お、また扉が。ボスを倒すと次の扉がある感じか」




 


 


 黎明は白い扉へ手を伸ばした。すると再び、扉の方から開いた。


 ぎぃ、と。


 子供部屋の扉が開くような、軽い音。その向こうから聞こえてきたのは、泣き声だった。



「……っ」




 宵花の表情が変わる。黎明も、ちょっとだけ目を見開く。飛び込んできた光景を見ながら四人は扉をくぐる。


 そこに広がっていたのは、巨大な展示ホールだった。


 天井は高く、壁には美しい絵画が並んでいる。けれど、その床一面に人々が座り込んでいた。


 観客達。これは美術館に来ていた一般人だった。


 老夫婦。親子連れ。学生。スーツ姿の会社員。泣きじゃくる子供。怪我をして動けない者。放心したまま壁を見つめる者。


 数百人。彼らは皆、結界のような薄い膜に囲われ、逃げることもできずに閉じ込められていた。




「助けて……」

「誰か……」

「もう嫌だ……」




 か細い声が重なっている。その光景に、宵花は息を呑んだ。そして、黎明は静かに呟く。




「人質的なやつかな?」




 その言葉が落ちた瞬間。展示ホールのどこかで、少女の笑い声が響いた。






「うふふふふっ♪」





 無邪気で。甘くて。背筋が凍るほど、楽しそうな声だった。





「ふーん、変わったイベントだな」






 そう言いながら、黎明はその光景を見つめていた。

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― 新着の感想 ―
見学のオッサンたち、経験値+黎明の霊力浴びて相当レベル上がってたり?
こんにちは。 ドラゴンボー○で悟○がヤ○ンの腹を気で食いすぎ破裂させたみたいな決着でしたね。まぁあれをやろうと思ったら、今回みたく双方に圧倒的な実力差がないと不可能なんですが。
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