バイクくらい盗みなさいよ
移動手段を探す中で、まず外したのは車やバイク。
動かすのに鍵が必要とか、高いので借りるのに抵抗があるなど、色々あるが単純に――ライカは運転免許を持っていなかった。
「大学入って落ち着いたら、免許取ろう、絶対」
大通りに出て、ランニングしながら決意する。
運動着ならまだしも制服で、指定のコートまで着込んだ上にカバンという荷物まで持ってしまえば、走りづらくて仕方ない。身体強化の術式を使えば楽になるが、あれは短時間の使用が前提。
長い距離をなるべく早く移動するとなると、魔導を一切使わずに、ランニング程度の速さを維持し続けるのが一番効率が良い。
あくまでも、乗り物に乗らず、己が身一つという想定であるが。
「でも、渋滞があると動けないんだよね……今日はさすがに例外だけど」
免許を持っていても、今日ばかりは選ばなかっただろう。
赤いモヤに触れた人間は意識を喪失する。よほどの耐性か対策がなければ、触れた時点で詰みになる。最低限の生存本能は機能するのか、最低限の安全は確保するようなので、運転中に触れても大事故にはなっていない。
代わりに、緊急車両が通るのも一苦労しそうではあるが。
「私が無事なのって、ヴォルケーノがいるからだよね……」
基本的に、呪力量が多い方が耐性が高い。
妖刀《綿霧》のように明確に呪われれば話は別だが、赤いモヤのように広範囲かつ無差別なタイプには効果がある。平均的な魔導一種の一〇〇倍の呪力量を誇るライカなら、影響を受ける可能性は限りなくゼロに近い。
関東全域が機能停止した現状、意識が残っているのが幸運だったかは別問題だが。
「香織ちゃんのメッセージ、なるべく早くってことだし……やりたくないけど…………自転車、借ります、ごめんなさい!」
鍵のかかっていないママチャリを見つけ、誰も聞いていないだろう言い訳を叫ぶ。
緊急事態、緊急事態、とブツブツ言わなければ、罪悪感から胸が押し潰されそうになる。カバンをカゴに入れて、ペダルを漕ぎ出す。肌が切れそうになる冷たさに耐えれば、ランニングとは比べものにならない速さで移動できる。
遠くに見える東京タワーを目印にしているので、多少迷いはしたが無事に到着。
辺りを見渡すまでもなく、香織をすぐに見つけた。
「あれ、早いわね? もっとかかると思ってたんだけど」
「急いできたの!? それで、私を呼んだ理由って何?」
「もしかして、バイクでも借りた? いや、エンジン音なかったし、自転車とかキックボートか。絵面的に締まんないから、バイクくらい盗みなさいよ。免許ないの知ってるけど、今日みたいな日でもないとかっ飛ばせないわよ」
「盗むわけないでしょう! 冗談言ってないで呼んだ理由を教えてよ!!」
怒鳴るのも無理はない。
自転車を抜きにしても、電車からの飛び降り、線路からの脱出などの無茶を敢行している。共通テストは諦めるとしても、関東全域でのことだ。何かしらの救済措置がとられると思わねばやってられない。
「これでも飲んで落ち着きなさい。温まるわよ」
自分で使っていたステンレス製のマグカップを差し出す。
キャンプで使われる頑丈なタイプで、アクセントとして黒い猫が印字されている。いらないと突っぱねることもできたが、無茶をしたのでノドが渇いているし、身体も寒い。湯気が出るほど温かい飲み物の魅力には抗えず、睨んだまま受け取る。
「……酸っ、ぱい?」
真っ黒いコーヒーだ。
酸味の強い豆を使用したのか苦みは少ない。砂糖やミルクなしでも二口目、三口目を自然と求めてしまい、気付けばカップは空になってしまった。
「……インスタントでも、ドリップパックの味でもないんだけど……もしかして」
「ハンドドリップに決まってるでしょう。挽いたばかりの豆だから、香りも良いし。私の分を淹れ直すから、おかわり欲しいならついでに淹れるけど、どうする?」
「………………お願い」
ボックスカーの荷台を開ければ、簡易キッチンとも言える様相が広がった。
ステンレス製のキャニスターから二杯分の豆をすくい、手動のコーヒーミルに投入。ゴリゴリと一定のリズムで取っ手を回せば、コーヒー特有の香りが漂ってくる。
その隣では、大型の蓄電器に繋げられた電気ケトルがタイミング良く沸騰。
ペーパーフィルターをセットしたドリッパーに粉を入れ、湯を注ぐ。ポタポタとサーバーに落ちる様はもどかしく、けれど落ちる度に広がる香りが幸福感を刺激する。ケトルとドリッパーの湯がサーバーに落ちきると、ステンレス製のカップを二つ並べる。
一つは猫、もう一つは犬だ。
香織はコーヒーを均等に入れた後、ライカに猫のカップを渡した。
「香織ちゃん、猫のが好きじゃなかったっけ?」
「ライカも同じでしょう、だからよ。頑張ったご褒美としては些細だけど、気にせずに猫を使いなさい」
受け取って、猫の印字に目を落とす。
黒一色で描かれた、猫のシルエット。シンプルというか味気ないが、ステンレス特有の鈍い銀色を下地にすると、味気なさよりも渋さや妙な一体感が前に出る。並々と注がれた真っ黒なコーヒーも同じだ。
甘い方が好きであるが、一体感のためには何も入れなくて良いと思えてしまう。
もっとも、苦みよりも酸味が強いから、ガマンできるだけであるが。
「落ち着くには、やっぱり温かい飲み物が一番ね」
「そんなに……焦ってるように見えた?」
「興奮状態ではあったわ。でも当然よ。魔導災害に突然巻き込まれて、まともなのは自分一人。ゾンビパニックが始まっても不思議じゃないのに、こんなとこまで呼び出された。これで落ち着いてたら逆に人間性を疑うわ」
カップそのものが熱いので、口を付けてすぐ離さなければ火傷してしまう。
液体でなく、カップにふーふーと息をかけて、少量をすすってを繰り返した。
「それで、何のために呼んだの? 落ち着かないと、聞かせられない話なの?」
「話というか……現状というか……」
香織をマネて、ライカは見上げる。
視界のほとんどを、東京タワーが占めていた。
「元凶がさ、あそこにいんのよ。展望フロアに」
何の元凶だろうと、現実逃避したくなった。
足下に首を動かせばすぐに分かる。人の意識を奪った赤いモヤ、関東全域に広がったカーズ・パンデミックに似た現象。
超高域の魔導災害、その元凶以外にあるはずがない。
「……香織ちゃんは、動かないの?」
「私は最後よ。最後の最後。人間社会に病巣が残るような殺し方をしないと、世界が滅亡するって瀬戸際まで追い込まれて、ようやく動くの。それ以外は動いちゃいけないのよ」
カップを落とさなかった自分を褒めたくなった。
「世界が滅亡って……もしかして、天乃宮の命題――っ」
天乃宮の庇護下に入る上で、最低限の知識は聞かされている。
命題である世界滅亡の回避は、天乃宮家にとって至上命題。何よりも優先されるものであり、故に必ず聞かせられる。
ただし、末端の人間が関わることはまずない。
決して邪魔をしてはいけない理由として、いざという時には従わねばならない理由として、聞かされるのだ。
「今回は珍事中の珍事なのよ。二〇〇年ぶりに初空の未来視から要請があったのよね。おかげで忙しいったらありゃしない」
なぜ、いつから、様々な感情が駆け巡る中、事態が動いた。
遙か上空から、ガラスの割れる音が降り注いだ。
「――ひゃぁっ、なにっ!?」
反射的に、頭を抱えてしゃがみ込む。
幸いなことに、ライカ達の居る場所の反対側のガラスが割れたようだ。
代わりに降ってきたのは、歯車の翼を背負う何か。
「契約を実行しました。対価については――」
「可能性は示したし、絶対じゃない。やれることは信じて待つだけよ」
ライカには覚えがあった。
南雲家に滞在するスクラップと似た、しかし違う存在。
朱い妖精が引き連れていた、神造兵器の一体が、誰かを抱えて振ってきた。
「……ぇ…………っ、悠太、くん? 」
神造兵器の腕に抱えられているのは、南雲悠太。
最弱の剣聖に意識はなく、力を失った腕がだらりと地面に垂れ下がっていた。
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次回は、8月1日(土)1:00 を予定しております。
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