乱れ
王が牢へと繋がれた…!
沢は、義心からそれを聞かされ、驚愕した。炎嘉が共に来ているので、そこまではないと思って待っていたのだ。
しかし、投獄された王の宮の軍神が、いつまでも宮に居るのは許される事ではない。
義心に追い立てられるように出発口へと歩いている沢の耳に、背後から声がした。
「待て。」義心と沢が足を止めると、炎嘉が急ぎ足で追って来ていた。「義心、我に話をさせよ。」
義心は、頭を下げた。
「は。しかしながらいくら炎嘉様でも、長くは王が許されませぬ。」
「分かっておるわ。」と、炎嘉は急いで沢を見た。「沢、これから我が維心と話して来るが、詩織を殺さずに済むやもと甘えておったのが維心に気取られ、己を甘く見ていると維心の逆鱗に触れたのだ。」
沢は、やはり昨日、炎嘉がすぐにでも斬れと言ったのに、それでもどうしても宮へ戻ってからにすると王が渋られたのがまずかったのか、と悲壮な顔になった。
「ならば我が今すぐ宮へ帰ってあの妃の処刑を。それで王は解放されましょうか。」
炎嘉は、ため息をついて首を振った。
「そうではないのだ。もはや妃の命一つでは収まらぬところまで来てしもうた。我があれほど昨夜斬れと申したのに、あれは聞かなんだであろう。どこまでも維心を甘く見ておったのよ。維心は、世を乱す輩には容赦せぬ。維心を甘く見るという事は、維心の統治の乱れを生む。それを許すと我も我もと世が乱れる。あれは力で皆を押さえつけておるのだと知っておるだろうが。甘い顔などするはずもないものを。我が何とかして妥協案を探ってみるが、最悪高晶を差し出すことになるやもしれぬことを臣下に話しておくが良い。高瑞にも、王座に就く覚悟をしておけと伝えよ。もう成人しておるのだ、問題あるまい。今は宮を残すことを考えよ。高晶は諦めるよりないやもしれぬ。」
沢は、もはや涙目になっていた。そんな沢に、追い打ちをかけるように義心が言った。
「さあ!王は一刻も宮に留まることを許さぬと仰っておられるのだ。早う出立せよ。でなければ我が主を斬らねばならぬぞ。」
沢は、慌てて一歩二歩と後ろへ踏み出す。炎嘉も、慌てて言った。
「行け。義心は己の責務があるゆえ誠に主を斬るぞ。そうして臣下と話し合っておくのだ。」
沢は、涙目のまま炎嘉に頭を下げて、そうしてそこを、逃げるように飛び立って行った。
炎嘉は、これは厳しいことになるな、と、維心が居る奥宮へと踵を返したのだった。
奥の居間では、維月が維心から成り行きを聞いたところだった。
「そのような…!高晶様を…?!」
それでは、明子と寧々はどうなるのだ。
維月は、ハラハラと涙を流した。自分がどうしても明子の所へ行くと言ってしまったばかりに、こんなことに。もし行かなければ、明子は不幸だったかもしれないが、それでも居場所だけはとりあえずあったのだ。
「弁えよ、維月。主が悪いのではない。高晶があまりに我を甘く見過ぎておったのだ。我が温情を掛けるのを期待して沙汰を先送りにするなど…どう考えても、許せる事ではない。あれはこの期に及んで、まだ謝るだけで済ませようとしておったのだぞ。」
維月は、維心の言うことをもう分かっていたが、それでも自分のせいだと思わずにはいられなかった。高晶は、外向きには普通の王だった。維心に盾突くことも無く、淡々と従ってこんなことがなければ、その心の内まで維心に知られることも無かったのに。
侍女の声が、告げた。
「炎嘉様、お越しでございます。」
維心は、扉を振り返った。炎嘉が、そこをゆっくりと入って来て、維心と維月が立ったまま話しているのを見た。
「…何ぞ、邪魔か?これからの事を話さねばと来たのに。」
そんな雰囲気ではないのは、維月がぼろぼろと涙を流しているのを見ても分かるはずだが、炎嘉はそう言った。
維心は、フンと横を向いた。
「話は終わった。」と、維月を見た。「奥へ戻っておれ。」
維月は、袖で顔を隠して頭を下げると、すぐに奥へと逃げるように立ち去った。それを見送って、炎嘉はどっかりといつもの維心の椅子の、正面の椅子へと腰を下ろした。
「座れ。どうせ維月は高晶を捕らえたことを己のせいだとか思うて嘆いておったのではないのか。」
維心は、いつもの自分の椅子へと座った。
「あれには理解できても己が行かなければこんなことにはと思うてしまうのだ。だが、主にも分かっておろう?あれは高晶の気の弛みぞ。主と最近の若い王達は、戦国を経験しておらず恐れが無くなって来ておると話しておったろうが。それの一つよ。我を甘く見ることが、どれほどに恐ろしいか分からせねばならぬ。甘い顔をしてそんなものかとあんな王があちこちに出て参っては、我の統治が乱れてまた己が覇権を握ろうとして参る者達が出て参る。そうなるとまた、戦国ぞ。それは避けねばならぬ…他の地の神達とも交流し始めた今、この島の結束を揺るがすわけには行かぬのだ。」
炎嘉は、維心を睨むように見た。
「匡儀は何か言うて来たか。」
維心は、頷く。
「あちらの月見の宴に来いと申して来たわ。ふた月後よ。」
炎嘉は、険しい顔のまま、言った。
「…行くのか。」
維心は、また頷く。
「臣下がすり合わせておるところ。間に合えば行く。」
「ならば我も参る。」維心が驚いたように眉を上げると、炎嘉は譲らぬ構えで言った。「主一人で上手く言いくるめられるものか。我が行く。我が居ったら何を思うておってもあちらは絶対に手を出せぬ。」
維心は、顔をしかめた。
「子供ではあるまいに。主は我の保護者か。」
炎嘉は、がんとして退かなかった。
「そう思うても良いわ。」と、肩で息をつく。「我だって面倒はご免ぞ。だが、主はどうあっても生き残らねばならぬ。いくら維明が居るからと、あれではまだ経験が足りぬ。我の補佐だって限りがある。主に生きて統治してもらわねば困るのよ。」
維心は、じっと炎嘉の目を見て、言った。
「…ならば我が言うことも分かるの。」炎嘉は、その目を見返して眉を寄せる。維心は続けた。「今は内で揉めてる場合ではない。あんな輩を増やすことは出来ぬ。高晶が、今さら妃を殺すからと申してももう聞けぬ。我はの、ここへ詩織を殺してから来るものだと思うたのだ。主が助言しておるのを知った時、だからすぐに収まると内心安堵しておったもの。ならば少し脅して、それで手打ちにしてやろうと思うておった。それを…あのような。主がついておりながらどういうことぞ。」
それには、炎嘉もバツが悪かった。維心がそう思うことは想像出来たし、絶対にそうするべきであったのに、高晶が難色を示して、さすがの炎嘉も強要することが出来なかった。
宮の未来を決めるのは、その王だからだ。
「…維心は甘くはないぞとは言うたのだ。我はすぐに斬れと申した。だが、あれがあれの甘えぞ。王の判断が宮の未来を決めるとも申した。だが、最後まで処刑はする、しかし宮へ戻ってから、と譲らなかった。説得できなんだことは、我も責任を感じておる。」
維心は、それを聞いてしばらく炎嘉を睨んでいたが、ふっと力を抜いて、椅子の背にもたれた。
「…主が悪いのではないわ。だが、我があれを許す機を失った。どうしたら良いのか、逆に我が教えて欲しいぐらいぞ。ここまでするつもりは無かった。それをさせたのは、外ならぬ高晶自身ぞ。我にはあれを救う道が見当たらぬ。今さら妃を始末しても、もう遅い。」
炎嘉は、ため息をついた。
しかし、考えてみたら高晶には気の毒だったが、太平の世で安穏とぬるま湯に浸かって危機感のない王達を、諫めるのに良かったのかもしれない。常々維心とも、志心、焔、箔炎とも話してはいたが、戦国を経験しておらぬ王が増え過ぎて、意識が低くなっていたのも確かなのだ。北との戦の時も、結局は前に出て迅速に対応したのはこの上位の宮の王ぐらい。他は指示を待つばかりで、己で動こうともしなかった。
このまま、もし北西と事を構えるようなことがあったなら、とてもじゃないが全てを守り切るのは無理だった。
「…此度は、高晶に諦めてもらうよりないの。」炎嘉は、息をついて行った。「高司が死んでおってこれを知らぬのがせめてもの慰めかの。」
維心ももう、諦めたように言った。
「あれが生きておったら、少なくともこんなことにはならなんだわ。」
そうして、炎嘉は今回のことを一応、志心や箔炎たちにも知らせておこう、と、維心と二人で手分けして知らせを送ったのだった。




