謝罪
維月は、維心が思った以上に怒っていて、鵬が必死に書く書状の文面を、それではぬるいと奪い取り、己で書き殴るようにして書いたのを見て、恐ろしさに奥へと引っ込んでしまった。
維心が恐ろしいというよりも、これから起こる事を思うと恐ろし過ぎて直視していられなかったのだ。
ああなった維心を、自分が止めるのは難しい。維心は、維月への無礼がというよりも、自分への非礼に怒り狂っているようだった。
普段、身分が上でも寛大な方で、それをひけらかすことも無い維心だが、下に見られるのは誇りが許さないのだろうか。
維月がそう思って維心の奥の間ではなく、その奥にある自分の部屋の寝台で布団を被って震えていると、維心が入って来て、声を掛けて来た。
「維月?」
維月は、答えなかった。今は何を言っても、維心を更に怒らせるのではないかと思うと恐ろしくてならない。
すると、維心はため息をついて、寝台に座ったのが分かった。維月がビクッと肩を震わせると、維心はその維月の、頭の辺りを布団の上から撫でた。
「そのように怯えるでない。我は主に怯えられるのが一番つらい。何も、理不尽に地位がどうのと怒っておるわけではないのだ。我の話を聞いてはくれぬか。」
維月は、思ったより落ち着いた様子の維心に、そっと布団の上から顔を出した。維心は、ホッとしたような顔をして、維月に優しく微笑んだ。
「これはの、主や我のメンツの問題ではないのだ。」と、布団をそっと引いて、維月の手を握った。「我は神世を治める王ぞ。我が力でこの世を治めておるのは、主も知っておる通り。昔炎嘉と共に世を平定した後、我らはハッキリと上下関係を作っておかねばならぬと考えた。それまでもあった序列制度を、もっとしっかりとした形にしたのは我と炎嘉。我らを頂点に、我らに与する者達の中で、力の強い者達を脇に揃え、そうして順に皆の立場をハッキリさせた。そうすることで、上の者を敬わぬ者は上に対しての叛意ありとみなし、戦になる前にその芽を摘んで行った。今では常識になっておる礼儀にしても、ああして取り決められてあれば、こちらに対して大柄な態度の輩をあぶりだし、罰することが出来るから。龍の宮が神世一礼儀にうるさいと言われておるのはそのためぞ。我はそうして、世を太平に保って来た。ここ最近は、我を下に見るような態度や、礼を失するような事をする輩は居らなんだ。そもそもが礼儀を知らぬ者は、我が宮に来る事すら憚っている。それを…高晶は、上から二番目の序列の宮の王であるにも関わらず、あからさまな無礼を働きおった。それを見過ごせば、また神世が乱れる。我が怒ったのは、神世を乱す輩だと思うたからぞ。」
維月は、思っていたより大きな事がこの出来事の中に起こっていたのだと、驚いて維心を見上げた。維心は、世の平和を乱すのかと、あれほどに怒り狂ったのだ。
「ですが…そのようなおつもりは、無かったのだと思うのです。」維月は、控えめに言った。「あの、私が悪いのですわ。宮が乱れておるのを知っておって、それを正そうとああして参った。ですが、乱れた宮へ行くことで、こういった不都合も出て参ることを、想像してもおりませなんだ。維心様がお怒りになるのはごもっともですけれど、穏便に済ませる事は出来ぬのでしょうか。」
維心は、息をついてそっと維月を引き寄せて、肩を抱いた。そして、維月が身を退かないのを見てから、維月を抱きしめた。
「主の心地は分かるが、高晶は王として気が緩んでおったのだ。臣下軍神の目の前で、龍王妃に対する非礼を咎めなかった事実を見られてしまっておる。義心も帝羽も、主の侍女も見た。あちらの臣下達も妃達も見た。もはや隠しようのない事ぞ。我もあの時は何をしてくれたのだと腹が立って勢い怒りの書状を送ったが、回りが知っておる以上そうするよりなかった。あちらが、我が太刀を退く材料を与えてくれぬ事には、弁解をするだけではもう許すことは出来ぬ。我が甘いと、神世が緩む。炎嘉も同じことを言おう。恐らくは、その妃の命は無くなるものだと思うた方が良い。」
維月は、息を飲んだ。見送らなかっただけで、殺されると言うの。
「そのような…!維心様、どうか命ばかりは…。離縁するというのでは、無理なのでしょうか。」
維心は、首を振った。
「それでは甘いだろうの。臣下でも王に無礼を働いたら斬られる世ぞ。まして宮の存続の危機だと臣下は考えておるから、王に間違いなくそれを迫るだろう。王も、己の不始末で宮を失うことは出来ぬから、それを飲むしかない。そして、我もそれぐらいの犠牲を払わねば許すと申すことが出来ぬ。昔なら、さっさと宮ごと滅しておった。今頃我は、書状など送らず軍神達と共に一族郎党を消し去っておったわ。箔翔の妃の事を覚えておらぬか?あれは一応皇女であったが、主に先に話し掛けただけで離縁であったろう。機会があれば、一度炎嘉に聞いてみるが良い。あれも同じことをしておった。そこまでせねば、神世の闘神達は我の統治に従わぬ。分かるであろう?この太平の世は我の統治が行き渡っておるからこそぞ。すぐに戦国に戻ってしまうのだ。気を抜いてはならぬのだ。」
維月は、目に涙を溜めてフルフルと震えた。維心は、維月には分からないかもしれない、と、その震える肩を抱きながら、ため息をついてその夜を過ごしたのだった。
次の日の朝、夜半に先触れがあり、高晶が来訪すると知らされていた。
維心にすれば想定内のことだが、炎嘉も来ると連絡が来ていた。
高晶が誰かに相談するとしたら炎嘉しかいないと思っていたが、やはり高晶は、炎嘉に助けを求めたようだ。
…ならば妃はもう生きてはいまい。
維心は思った。炎嘉が助言したのなら、事を収めるためにそうしたとしか思えなかったのだ。
ならば少し灸を据えて、それで手打ちとしてやろう。
そう思いながら居間ではなく謁見の間で二人を待ち構えていた維心の前に、炎嘉の後ろに隠れるように、高晶が歩いて来て頭を下げた。己が何をしたのか、一応分かっているようだ。
維心は、厳しい顔で実に五分は黙っていたが、やっと口を開いた。
「…で?何を言いに来たのだ。」
すると炎嘉が、呆れたように言った。
「公の場では我だって主に話し掛けるのに気を遣うのだから、早う口を開かぬか。」と、高晶を見た。「主も。さっさと申し開きをせよ。」
いつもなら、さっさとだんまりな維心に己から話し掛ける炎嘉も、事が事なのでここではやはり遠慮して口を開かなかったようだ。
高晶は、維心の怒りのオーラに恐れをなしていたが、それでも頭を下げたまま、言った。
「申し訳ありませぬ。詩織はあの折気分を悪くして奥へ下がっておりまして…龍王妃殿にもそれをお伝えする事も忘れ、お帰ししてしまいました。あれは侍女の出で、気の張る席に耐えられず…。」
維心は、ふんと鼻を鳴らした。
「主が何を娶ろうと我には関係ないが、我が妃をそのような扱いにして主が咎めぬばかりか維月に一言もないとは何事ぞ。あれは呆れておるだけで特に怒ってもおらぬようだが、軍神達には王の正妃にそのような扱いをと憤って帰って参った。主は何をしたか本当に分かっておるのか?主が宮に出向いた我を、気分が悪いと何も言わずに見送らなかったのと同義であるのだぞ。それが非礼でないと主は思うのか。」
高晶は、深々と頭を下げ直した。
「誠に申し訳ありませぬ!」
炎嘉が、脇から言う。
「これはその妃を罪人として処刑することを決めたのだ。非礼の件は己が悪かったと心から謝罪しておる。怒りを鎮めぬか。」
維心は、それを聞いてサッと顔色を変え、眉を寄せた。
「…処刑を決めた?己で斬って捨てて来たのではないのか。」
高晶は、おののいた。
「いえ、未だ…宮へ帰りましてから、処刑させようと…。」
炎嘉は、顔をしかめる。やはりまずかったか。
高晶は、もしかしてと思ったのだろう。炎嘉は昨夜、すぐにでも斬れと言った。だが、高晶は明日宮へ戻ってからと言ったのだ。つまりは、維心が高晶がそう、言い訳することで、命まではと言うのではないかと、期待したのだ。
その甘えが、維心に伝わってしまったのだ。
「高晶を捕らえよ!」維心は言った。「我を見下しておる大罪人ぞ!牢へ繋げ!」
「待て、維心!」
炎嘉が止めるのも聞かず、わらわらと出て来た龍の軍神達に成す術なく拘束され、高晶は龍の宮の地下牢へと引っ立てられて行った。
炎嘉にも、どうしようもなかった。




