夜中の来訪
高晶は、沢が炎嘉に書状を持って行っている間に、詩織を居間へと呼び出した。
最初、もう寝るつもりだったと不機嫌であった詩織だったが、高晶のただならぬ様子と、この時間に臣下一同が居間に詰めて険しい顔をしているのを見て、驚いて固まった。
「なぜにこうなっておるか分かるか。」
高晶が、厳しい顔で言う。詩織は、訳が分からず高晶を不安げな顔で見た。
「何のことか分かりませぬわ。我は…奥で、休もうとしておっただけで…。」
喜久が、強い口調で言った。
「本日のことでございまする。龍王妃様と口を利くことも出来ぬ身分であられるのに、なぜにお見送りに出て来られなかったのか。王は、奥へお戻りになることをお許しなったとは思えませぬ。王のご許可も無くお傍を離れて良いとお思いか。」
詩織は、いつにない喜久の口調に、怯えながらも、諫めるように言った。
「無礼ですよ、喜久。我にそのような…王がお許しになっておったら良いのではありませぬか。」と、高晶を見る。「王は、心地は分かるゆえ機嫌を直せと仰いました。明日は新しい着物を誂えるのをお許しくださるからと。我が悪くないのは、王がよくご存知であられます。」
喜久も他の臣下も、厳しい目を高晶に向けた。詩織が至らないのは分かっていたはずなのに、まだ咎めもせずに機嫌を取るようなことを言っていたのか。
喜久は、言った。
「…王は、明子様を正妃になさいまする。」詩織が、見る見る目を見開く。喜久は続けた。「夕刻にそのように命じられ、式のご準備を始めておるところでありまする。」
詩織は、高晶に縋るような視線を向けた。高晶は、詩織から視線を反らし、頷いた。
「明子は、高瑞を生み宮に貢献しておる。礼儀にも通じており、宮に必要な妃ぞ。ゆえに、そう取り決めた。」
詩織は、目に涙を浮かべて、ふるふると唇を震わせた。
「そのような…我を、我を正妃にすると、申して下さっておったではありませぬか…。皆に蔑まれることなどないように、正妃として地位を確かなものにと…。」
高晶は、答えない。
詩織は、クッと下を向くと、サッと奥の間へと入ろうとした。
しかし、それを次席軍神の大伊が阻んだ。
「なりませぬ。まだお話は終わっておりませぬ。王は御前を辞することを許されておりませぬ。」
大柄の軍神に強く言われ、詩織は慄いた。
「そんな…王はいつなり好きにすればよいと…」
「そうは行かぬのだ。」高晶が、思い切ったように顔を上げて、言った。「詩織、龍王が烈火の如く怒って我に書状を送って参った。しかも、龍王自身が書き殴った直筆の書ぞ。主が龍王妃の見送りに立たなかった事で、それを咎めなかった我にどういうことかと問い質して参ったのだ。このままでは、主の命どころか我の命もどうなるか、更にはこの宮自体どうなるか分からぬ。それほどに、龍王は怒り狂っておるのだ。我は明日、斬られるのを覚悟で申し開きに行かねばならぬ。そのためには、主をどう処罰したのかも一緒に持って参らねばならぬ。」
詩織は、処罰という言葉に、一瞬意味が分からなかった。処罰…処罰とは?
「え…我が、罰を受けるということですか…?」
高晶は、詩織の顔を見ていられなくなって、横を向いた。
「すまぬ。主を甘やかせ過ぎた、我が悪かったのだ。神世では許される振る舞いではない。他の宮の王族ならばいざ知らず、滅多に宮を出る事のない龍王の正妃を前に、それが許されるはずなど無かったのに。龍王妃が主に話しかけなかったのは、主がどこの誰なのか、龍王も知らなかったからよ。龍王が許して初めて、龍王妃は行動することが出来る。本来、主もそうなのだ。我が許してこそ、行動することが出来る。主の行いは全て、我の責になる。我はそれを詫びるため、主を処罰せねばならぬ。常よりしっかり躾けておれば良かったのだ。もっと早くから諫めて明子や寧々のように振る舞えるようになっておったら、こんなことも起こらなかった。」
詩織は、じりじりと後ろへ下がった。何をされるのか分からない。
「王が…王がお教えくださらなかったからですわ!我が悪いのではありませぬ…!」
高晶は、息をついた。
喜久が、それを咎めて言った。
「その意識が間違っておるのです。王がお悪いことなどあるはずはない。王に従わなかったあなた様が悪いのです。他の妃の方々を見ておられるであろう。あのような仕打ちを受けておっても、黙って王の命に従って仕えておられまする。あれこそが、王の妃の姿。あなた様は宮をこのような窮地に陥れた大罪人ぞ!」
そこで、やっと詩織は、ここには誰も味方が居ない事実を知った。
高晶は、そちらを見ずに、言った。
「大伊。詩織を牢へ。」
大伊は、頷いて言った。
「は!」
そうして、逃げようとする詩織を気で拘束し、じたばたと必死に逃れようとする詩織が自分を呼んで叫ぶのを背に、高晶がそちらを見る事は最後まで無かった。
そこへ、声が入って来た。
「…処刑するか。」
その声に驚いて皆が振り返ると、沢に連れられた炎嘉がそこに、立っていた。
「炎嘉殿!」高晶は、来てくれたのかと急いで臣下達をかき分けて炎嘉に駆け寄った。「炎嘉殿、詩織には今、咎めて牢へ繋いだところ。我は、どうしたら良いのか分からぬのです。」
炎嘉は、息をついて足を進めた。回りの臣下達が、慌てて道を開ける。炎嘉は、誰に促されることも無く、さっさとその辺の椅子へと座った。
「維心の書状をこれへ。」
言われて、喜久が進み出て、その文箱を炎嘉へと差し出した。
炎嘉は、それを開いて中を確認し、額に手を置いた。
「…まず、これは維月に無礼だと怒っておるだけではないと弁えよ。沢にも申したが、維心は特別ぞ。己の宮だけでは無く、この地全てを統治し、治めておる王達の王。主らには想像もつかぬやもしれぬが、神世を治めるのはそれなりに面倒ぞ。反抗の芽は潰して、太平の世を守り切らねばならぬ。戦を起こしてはならぬ。それが、あれの意識ぞ。序列をきっちりと付けたのも、遥か昔に我らが平定した時が始め。維心に貢献し、大きな力を持つ神から順に、しっかりとした序列をつけた。その前までは、もっと緩かった。一応序列はあったが、ここまでうるさくはなかった。なぜにそんなことをしたのか?維心がその頂点であると皆に知らしめ、しっかりと治めるためぞ。僅かでも反抗心のある者は、維心に無礼を働くのでさっさと始末した。完全に従っておるものは、絶対に礼儀を違える事無く維心に丁寧に接するので分かる。そうやって、自分に叛意がある無しを判断し、己の世を完全なものとしていったのだ。我らもそれに倣い、己に無礼を働く輩は始末した。」と、静かに聞いている、臣下達を見た。「ここ最近では、皆が世間の常識としてきっちりと礼儀を弁えておったので、そんな事で咎めることも宮を滅するのも無くなっておった。意識が緩んで来ておるのではと思うておったが、それでも目立った無礼など無かった。なのに…これぞ。維心がなぜにこれほどに怒っておるか、これで分かったか。あれは、世を治めておる王としてそれを乱す輩を許せず怒っておるのだ。」と、書状へ視線を落とした。「間違いなくあれの字であって、あれはかなり怒っておる。あれはなあ、箔翔の妃が目の前で己から維月に話しかけたのを見ただけで、箔翔に激しく怒って維月を部屋へ帰したことがあったのだ。一応、西の島の小さな宮の皇女であったが、格下には変わりない。あの時は離縁で済んだが、此度はそれでは済むまいな。この様子だと。」
喜久が、恐る恐る炎嘉に訊ねた。
「炎嘉様…龍王様は、どのようにお考えでありましょうか。」
炎嘉は、ハアと息をついた。
「分からぬ。だが、半端なく怒っていることは確か。面倒な事に、怒っておる維心を収められるのは、我で駄目なら維月しか居らぬ。こちらで維月は、どうしておった?」
高晶は、思い出すように遠くを見た。
「は…明子と、寧々の二人と仲睦まじく話しておりました。明子を案じて来たと、到着の時から申しておって…。詩織とは、維心殿が許しておらぬので口を利けぬと我に申しておりました。」
炎嘉は、頷いた。
「さもあろうの。我の妃であっても、同じ事を言うたわ。知らぬ女と口を利いて、それがおかしなことに巻き込もうとしておる誰かの手先であったらならぬから、身元のしっかりした者としか話すことは許さぬ。それが常識よ。」と、ぽんと膝を叩いた。「ならば明子ぞ。あれに維月に文を書かせるのだ。主がそんなつもりは無かった事、詩織が…そうよな、具合が悪くなって奥へ戻っておって、言葉足らずで失礼な事になってしまって申し訳ありませぬ、と。その上で高晶、主は明日維心に謝罪に参れ。そして、明子と同じ理由を申して、とにかく謝るのだ。」
高晶は、何度も頷いた。
「それで、許されましょうか。」
炎嘉は、顔をしかめた。
「恐らく無理であろうな。」
皆が、一気に絶望的な顔をする。炎嘉は、続けた。
「そもそも維月は、恐らく維心が怒ったらどうなるのか知っておるから、既に止めておるはずなのだ。それでも聞かぬでこうして怒り狂って書状を書いて来るぐらいであるから、今さら明子の文を見た維月がとりなそうと必死になっても、維心は聞かぬ。そこへ具合が悪かったなどと見え透いた言い訳をしても、維心の怒りが収まるはずなどない。」
喜久が、絶望的な顔のまま、縋るように炎嘉を見上げた。
「ならば…諦めるしか無いのでしょうか。」
炎嘉は、首を振った。
「あちらが思った以上の犠牲を払えばこの限りではない。」炎嘉が言うのに、皆の顔がどんどんと険しくなる。炎嘉は続けた。「詩織の処罰は、どうするつもりよ。まさかこのまま投獄して終わりではなかろうな。」
高晶は、皆の視線に晒されて、躊躇った。
「…離縁では無理でしょうな。」
炎嘉は、首を振った。
「箔翔の妃の時、先に話しかけただけで離縁であるぞ?此度とは次元が違うわ。」
高晶は、表情を硬くした。ということは…。
沢が、固まる高晶に、言った。
「王。ご決断ください。」
炎嘉は、じっと黙って高晶を見ている。
高晶は、握った拳を震わせていたが、静かに、言った。
「…詩織の処刑を。」
沢は、頭を下げた。
「は!」
そうして、詩織の運命は決められたのだった。




