第46話初めての魔法の授業3(キム先生視点)
「ブリーンク殿申し訳ない、これでは今日は授業にはならないな」
意識を失ってしまったミルフィーヌお嬢様をソファーに寝かせてから、侯爵は私にそう告げた。
侯爵の様子を見ながら、ミルフィーヌお嬢様の兄は自分もソファーに腰を下ろすとミルフィーヌお嬢様の頭を自分の膝の上にのせる。
仲の良い兄妹なのだなとほほえましく思いながら、この家に来ることになった理由を考える。
私の父の友人である上級治癒師のガスパール先生に、幼い子供二人の魔法の師になってくれないかと言われたのは五日程前の事だった。
私は宮廷魔法使いとして王宮に勤務していて、日々忙しい。
協調性の無い性格をしている私は、似た様な性格の者が多い宮廷魔法使い達の中ではそれなりに上手くやっているつもりだが、この私が幼い子供に魔法を教えられるとはとても思えなかった。
私を幼い頃から知っているガスパール先生もそれは理解しているだろうに、それでも私にしか頼めないと言われると断れず渋々王都にある侯爵の屋敷にやって来た。
スフィール侯爵家は、王都に屋敷を持つ貴族の中でも広く立派だった。財力がある割に社交が控え目でスフィール侯爵家では夜会も茶会も殆ど開かれたことがないというのは噂で知っている。
前侯爵夫妻はともかく、今の侯爵夫人はあまり社交的ではない人なのがその理由らしい。
そんな前知識しかない私は、侯爵夫妻と挨拶をした後すぐに子供たちが待っているという応接間に向かった。
品の良い調度品で整えられた応接間で待っていたのは、見るからに賢そうな顔をした男児と不安そうな顔をした女児だった。
どちらも痩せているけれど、痩せ方が違う。体が弱いとガスパール先生が言っていた男児はともかく、その妹だという女児は視線も落ち着かないし今にも倒れそうな顔色をしている。
私のような人間がこんな子供に魔法を教えられるだろうか、不安を覚えながら挨拶をしてそのすぐ後に不安が的中し失敗してしまったんだ。
「私の事はキムと呼び捨てて下さい侯爵、それに謝ることはありません。私が上手く話せなかったためにお嬢様を怯えさせてしまったのでしょう、こちらこそ申し訳ありません」
こうなるともう謝るしかない。
なにせ私は表情筋が死んでいると宮廷魔法使いの間でも有名だ。
そんな私をまだ三歳の幼女が見たら、怖がらないわけがない。
つい普段通り宮廷魔法使いの制服を着て来てしまったが、暗い紺色の制服に黒いローブも威圧感を与えて良くなかったのかもしれない。
私の服なんて似たりよったりの色のものしかないのだが、それでもせめてもう少し明るい色の服を着て来るべきだったと思う。
「いいえ、キム殿の話し方が問題だったわけではありません。どちらかと言えば息子が悪い」
「ご子息は、ミルフィーヌお嬢様を守ろうとされていただけの様に思いましたが」
私の表情や服装が悪かったと反省していると、侯爵は私ではなく妹を守ろうと今も私を威嚇し続けている侯爵の息子であるセドリック様が悪いと言い始めたから内心慌ててしまう。
ミルフィーヌお嬢様は不安そうにしていただけだったが、息子セドリックという名前だったか? は、最初から私を敵視していたような気がする。
魔法を教える師ではなく、ミルフィーヌお嬢様を害する者扱いをされていた気がするのは考えすぎだろうか。
「セドリック、キム殿に謝罪しなさい。何故あんな態度を取ったのだ。いつものお前らしくない」
「キム先生に大変失礼なことをしたと反省しています、申し訳ありませんでした」
意識を失ったままのミルフィーヌお嬢様の頭を膝にのせたままセドリック様が私に謝罪するけれど、全然謝罪されている気がしない。
セドリック様の視線が冷ややか過ぎて、部屋の温度が下がっている気持ちにすらなってくる。
「セドリック」
「お父様とお母様にはお伝えしていますが、ミルフィはガスパール先生が安易にミルフィの傷を確認したあの日から毎晩魘されています。ミルフィは毎晩魘されて夫人に叩かれる夢を見て、怯えて泣いているんです。ジョゼットに確認したら今まではそんな風に魘される事はなかったと言っていました。つまり、ガスパール先生がミルフィに傷を見せたから魘される様になり、少しのことで怯えるようになってしまったんです」
怒りを隠そうとしないセドリック様の顔は、とても五歳とは思えない大人の様な顔で話し方も子供とは思えない。
「ガスパール先生にはとてもお世話になっていますし、感謝もしています。それでもあれは良くありませんでした」
私自身幼い頃から今の様な考え方をしていたから、貴族の男子としては皆こんな感じなのかもしれないが、それにしても大人びていると思う。
上位貴族の家に生まれた男子は幼い頃から父親に連れられて王宮に出入りすることが多いから、幼いと言っても大人と同じ様な行動が出来なければ不出来な息子と見られてしまう。
大抵の家では幼い頃から教育を詰め込む傾向にあるし、私は三男とはいえ兄達と同じ教育を受けさせられた。伯爵家でもそうなのだからさらに上の侯爵家ではもっと厳しい教育をされているのだろう。
五歳のセドリック様も三歳のミルフィーヌお嬢様もしっかりしすぎているから、きっとそうなのだと思う。
「それはそうだが、ミルフィはそんなに魘されているのか」
「本人は気がついていません。ガスパール先生が下さった眠り石のお陰で目を覚ますことはありませんから、でも目を覚まさないせいで一晩中魘されて泣いています。怖いとも痛いとも言わず、ずっと謝り続けているんです」
意識の無いミルフィーヌお嬢様の頭を撫でる、その手はとても優しいのに私を見つめる目は冷ややかだ。
まるで敵を見ているかの様だ。
「セドリック様がミルフィーヌお嬢様を心配されるお気持ちは理解しました。ですが、魔法を勉強し始めたセドリック様がミルフィーヌお嬢様に魔法を教えるのは無茶が過ぎるというものです。怖い思いをさせる事は決してしないと誓いますので、どうか私にミルフィーヌお嬢様を教える許可を頂けませんか」
面倒な仕事を押し付けられたと、渋々私は侯爵家にやって来た。
幼い子供二人の様子を見て、無理だと分かったら早々に断ろうと思っていた。
スフィール侯爵家は歴史が古く忠臣と名高い家だし、国にいくつもある侯爵家の中どころか、国中の貴族家の中でも裕福で知られる家だ。
この王都の屋敷を見ただけで、その財力は察せられる。王都なのに屋敷が広すぎるくらいに広くて、正面玄関を入ってすぐの場だけで小規模の舞踏会が開けそうなほどだ。
領地は豊かな土地だし、大きな鉱山が二つと高難度の迷宮を三つも持っているらしい。
高難度の迷宮が一つあるだけでも収入は物凄いと言われるのに、それが三つもある。それだけでなく大きな鉱山は金も銀も宝石も出るという話だ。
普通鉱山がある地域は農作物が育たないところが多いらしいのだが、侯爵家は領地がとんでもなく広いこともあるせいなのか、国の穀物庫と言われる程に麦の生産量が多いという。
ガスパール先生は、絶対に他言しないという魔法契約を私にさせた後でミルフィーヌお嬢様の話を話し始めた。
それは聞いたことを後悔する様な、馬鹿な女が侯爵に横恋慕したせいで幼い子供にした暴力の話だった。
汚い言葉で言えば胸糞悪い、その一言に尽きる話だ。
二歳を過ぎたばかりの子供の教育を任された家庭教師は、三歳を過ぎるまでの一年ちょっと間ミルフィーヌお嬢様を虐待し続けていた。
本来であれば体についた傷ですぐにミルフィーヌお嬢様付きのメイド達が気が付いただろうに、幸か不幸かミルフィーヌお嬢様は治癒魔法を無意識に発動し自分の傷を治してしまっていた。だから誰にも夫人の暴挙に気づくことはなく、先日ミルフィーヌお嬢様が乳母にこぼした「馬鹿と言われる」という言葉に侯爵が疑問を持ち、授業の様子を盗み見るまで誰も虐待の事実に気が付かなかったのだという。
お嬢様の家庭教師をしていた夫人が狡猾で、授業中は乳母達を部屋から出してしまっていたこと。
ミルフィーヌお嬢様が我慢強くて誰にも夫人からの虐待を話さなかったこと、そして無意識に使っていた治癒魔法で傷を治してしまっていたこと、それらが重なり一年以上も虐待に誰も気が付くことなく続いたせいでミルフィーヌお嬢様の心は深く傷ついてしまったらしい。
その上ミルフィーヌお嬢様が無意識に魔法を使っていたのでは、という疑問の確認をしようとガスパール先生が安易に魔法を使いミルフィーヌお嬢様の傷を再現してしまったせいで、ミルフィーヌお嬢様の傷ついた心に傷口に塩を塗りこむよりも辛い思いをさせてしまったのだ。
子供の柔らかい肌だったから傷がつきやすかったのか、それとも夫人の力が強すぎたのか分からない。
ミルフィーヌお嬢様の両腕は、血で真っ赤に染まったかのように傷だらけでどこにもまともな肌は見えなかったらしい、それを何も言われず突然目の前に見せられたミルフィーヌお嬢様は叫び声を上げて治癒魔能を使い瞬く間に傷を治した後も、正気を失ったように謝り続けたのだと聞いた時、さすがの私もガスパール先生を呆れて見る事しか出来なかった。
確認のためとはいえ、あまりにも考えなしの行いだったと思う。
「ガスパール先生も後悔していらっしゃいます。確認の為とはいえ、傷の再現なんてしてはいけなかったと」
「そんなの後悔しても遅いです。いくら確認の為とは言え、ミルフィにあんな酷い苦しみを与えたのですから」
セドリック様の怒りはもっともだ。
貴族令嬢は指先のささくれすら作らないよう大切に育てられるというのに、教育者自身が令嬢を痛めつけ、その身を守る治癒師が傷をわざと再現させたのだから。
「誓います。私はミルフィーヌお嬢様を傷つけません。ですからどうか信じていただけませんか」
「本当に、信じていいですね」
「ええ、私はお嬢様がご自分の魔力で自分自身を傷つける事が無い様に、その力を恐れることなく使える様に来たのですから」
私の誓いにセドリック様は、小さく頷いてくれたのだ。




