第30話憂鬱な朝食の席で
「ミルフィ、今日から暫くの間はジョゼットがミルフィに勉強を教えるから、しっかり勉強をするんだよ」
次の日の朝私が眠い目を擦りながらジョゼットに抱っこされ食堂に向かった私は、朝食のテーブルに着くなりお父様にそう言われ、思わず兄様に視線を向けた。
昨日約束した通り、本当に兄はお父様にお願いしてくれたのだ。
にこにこ笑いながら私を見ている兄様のその表情でそれを悟った私は、「嬉しい! ありがとう!」とはしゃいだ声を上げた。
昨日ガスパール先生の診察を受けた時に今日から普通に食事をしていいと許可が出たからなのか、私の朝食の量は熱を出す前に戻っているようだ。
私の前に置かれたのは、小さな子供の手でも持てる大きさに焼かれた丸パン。
それから黄色の色が鮮やかなオムレツ、同じ皿には潰したじゃがいもを塩とバターで味付けしたものと炒めたキャベツが添えられている。そして細かく刻んだ玉ねぎと人参が入った牛乳のスープだ。
三歳児の私には十分過ぎる量の朝食だ。
お父様とお母様の朝食はスープとパンとサラダ、主菜、果物の順で給仕されていくけれど、私と兄様はまとめてテーブルに置かれるし食事の内容も異なっている。
「パセリ」
ジョゼットが先生だと知り喜んだものの、潰したじゃがいもの上に振りかけられている小さく刻まれたパセリが視界に入り眉をしかめる。
昨日は嫌いなものが出てこなかったから、油断してしまった。
スープに入っている人参も苦手な野菜だから、そちらも嫌だけれどパセリよりはまだ好きな方だと言える。
「さあ、今日の恵みを下さった精霊神様に感謝して頂こう」
「豊かな恵みを感謝致します」
両手を組んで祈るお父様達を見ながら、私はぺこりと頭を下げてしまった。
この国では精霊神様を信仰する派と女神マルガレーテ様を信仰する派とあるが、スフィール侯爵家は精霊神様を信仰している。
以前の私の夫だったレムフリードの実家ラケニオン子爵家は、女神マルガレーテ様を信仰していた。
夫と一緒に食事をしたのは数える程しかなかったと思うが、彼は食事の時は両手を組まず頭を軽く下げるだけだったから私もいつの間にかそうする様になっていた。
その癖が出てしまったのだ。
「ミルフィ?」
いつもお祈りしていないのだから急にこんなことをしたらおかしいというのに、お父様達につられて頭を下げてしまったのを不審に思われないだろうか。
内心不安になりながら、何も考えてない表情を作り顔を上げる。
「ミルフィも精霊神様に感謝出来て偉いね」
私の不安を余所に兄様が誉めてくれるけれど、私の背中に冷たい汗が流れる。
「ミルフィいい子になるの」
どこまでこれで誤魔化せるのだろう、もはや誤魔化せていない気がしながら無邪気を装い丸パンを掴む。
「お嬢様、ジャムをおつけしましょうか」
「うん」
そういえば丸パンにはバターではなく、蜂蜜かジャムをつけて食べるのが好きだった。
すっかり忘れていて大人だった以前の感覚で、バターをつけて食べようとしていた。この頃の私は自分でバターをつけられなかったのに、急にそんなことをしようとしたらおかしいと思われるどころじゃない。
「ジョゼットジャムつけて、沢山ね」
ジョゼットに丸パンを手渡すと、一口大に千切ってジャムをつけてくれる。それを見ていたら、つい口を開いてしまった。
「お嬢様?」
「あ」
すでに介助される時期は過ぎたと言うのに、私は何をやっているのだろう。
大人の仕草が出るのは困るけれど、こんな幼い仕草は恥ずかしすぎる。
恥ずかしくなった私は俯きそうになるけれど、ジョゼットは驚きながらもパンを口に入れてくれた。
「お味は如何でしょう」
「林檎? 甘くて美味しい」
甘くて美味しいジャムは林檎だった。
口の中に広がる甘さに、私はいいことを思いついた。
「はい、林檎のジャムでございます」
「もっと沢山つけて欲しい」
「畏まりました」
ジョゼットがパンにジャムをつけているのを横目で見ながら、私は急いでフォークでじゃがいものパセリが掛かったところをすくって口に入れる。
その途端、口の中に青臭い匂いが広がり顔をしかめてしまう。パセリは青臭いし苦いのだ。
どうして神様はこんなに苦い野菜を作ったのだろう、大人になっても私はパセリが好きでは無かったが子供の舌は敏感なのか以前の記憶よりも苦く青臭く感じてしまう。
苦いし匂いも好きではない。絶対好きになれないと内心泣きながら、必死にじゃがいもを噛んで飲み込むと、ジョゼットの方を向いて口を開いた。
「……パンを召し上がるのですね?」
口を開いたまま頷くと形容しがたい顔をしたジョゼットが、たっぷり林檎のジャムをつけたパンを食べさせてくれた。
まだパセリの苦みは口の中に残っているけれど、林檎のジャムの甘さが癒してくれるから私は安心してジャムの甘さを堪能する。
「ぷ」
笑ったのは誰だろうか、私は必死なのに。
大嫌いな野菜だからと言って噛まずに飲み込むなんて出来ない、だからせめて好きな味で口の中の苦味を消そうとしているというのに。笑うのは酷いと思う。
「が、頑張ったね。ミルフィ」
笑ったのはお父様だった。
笑いながら誉めてくれても嬉しくないけれど、怒られるよりはいいと思い直す。
たとえ笑われても大事なのは、私がいい子になろうと努力している姿を皆に見せることだ。
少し行儀が悪くても、約束を守ろうと努力しているのだと分かってもらえるなら十分だと思う。
「お行儀は誉められないけれど、頑張りましたねミルフィ」
「偉いよ」
お母様も兄様も、笑いながら誉めてくれる。
「お嬢様、お水をどうぞ」
ジョゼットの声も少し震えている気がするけど、もしかして笑いたいのを我慢しているのだろうか。
確かに今の私の食べ方は、食事の作法として誉められるものではないだろう。
でも、口にするだけ偉いし、外ではしないから今は見逃して欲しい。
でも、どうして私は好き嫌いしないと言ってしまったのだろう。いい子になるならもっと他にもできることはあったはずなのに。
過去の自分の宣言を後悔しながら、オムレツを食べる。
オムレツは柔らかくて、口の中にバターの香りが広がって美味しい。でも、その隣に置いてあるスープ皿の中身は見たくなかった。
スープにも嫌いな野菜の人参が入っているのが憂鬱でたまらない、スープが牛乳味なのが救いだがそれでも人参の味も匂いも苦手なのだ。
苦手な野菜が二つもあるなんて、料理人は私の気持ちを分かっていないと思う。
でも嫌いだ食べたくないなんて、言えない。
兄様が約束を守って、ジョゼットを先生にして欲しいとお父様に言ってくれたのだから。私だって約束を守らなくてはいけないのだ。
「ミルフィ、いい子になるんだもの」
自分にそう言い聞かせてぱくりとスープを一口、口に入れる。
意識は大人なのに味覚は子供だから苦手なものは苦手なままだと嘆きながら、憂鬱な食事は続くのだった。




